2018年11月08日
先日、道の駅スタンプラリーの帰り道。
最後のポイントを終了して終了認定を受けての回送。
ちょうど目の前で道の駅に停まっていたシルビアが発車し、20分程後続運転となりました。
かなり弄ってあったと思われるシルビア。
乗っていたのは別に若い子じゃない。
俺よりは若そうだけど。
ヤンチャな走りをするのかなとその走りは落ち着いたもの。
現役ではないどこか落ち着いたオーラ。
ありますよね。
かつて弄っていた車を今でも大事に乗ってるってことで、走りはその見かけにも似合わない落ち着いたもの・・・っての。
しかし車もよく見てみると、現役的なチャラい弄りではなく、ノーマルに戻すにはちょっと・・・という感じで弄ったままで維持しているという感じ。
そういう車って、なぜか見ていると乗り手とクルマの落ち着いた「今」が漂ってきます。
歳とってゆくと、20代、30代、40代、50代・・・とその世代ごとにやっていることの責任感とか立場、自信によって生活形態が変わってゆきます。
「車だけはいつまでも若く!!現役で!!」と言っても自然とクルマもその乗り手の変化についてきます。
長く一緒にいる車も車齢だけでなく生活感が変わってゆくってことでしょうか。
そしてそれは乗り手の人間と同様、他人から見てなんとなくわかるというか・・・
クルマって乗り手が優柔不断だったら車自体も優柔不断な車になりますよねw
乗り手とクルマはやはり同期するものなんでしょう・・・
見かけはそれなりだけど現役ではなくて落ち着いてしまったクルマというのは寂しいものだけど、乗り手との変化の証明でもあるのかなとも。
若いころ、色々ネタ満載のシビックで営業に周っていました。
いろんな業界の偉い方々と知り合って、いいお仕事も貰っていました。
その営業の仕事を辞めて学校法人の管理的な仕事に就いたとき、初期から世話になるある学校法人の理事さんから言われました。
「君はもう営業時代の若いころの君じゃないんだから車乗りまわしてチャラチャラした態度は絶対ダメだぞ。立場が違うんだから。学校法人てのは相手の批判ってのは立派にする。一度マイナスなレッテル貼られたら終わりやしな。」
この時改めて思いました。
確かに、たとえ営業を続けていたとして10年経っても同じような雰囲気で営業先に行ったとすると、(こいつは全然変わってない。ほんとに頼れるのか?大丈夫か?)と不安に思っていい仕事はもらえないでしょう。
10年経過していれば、10年なりの成長が見えなければいけないわけで。
当然のこと、15年前に仕事で関わっていた方々の前に再び今の自分が現れ、当時のような車ネタを披露したとしてもドン引きで「バカかこいつは」で終わってしまうでしょう。
「自分の色」とよく言いますが、それとこれとは混同しちゃいけない。
周囲を見ると、元32乗りは家業継いで立派に社長業となり外車に乗り換え、大手企業で最前線の管理職になった者は10年前と同じ車を同じコンセプトで弄り競技参加しながらもやはり当時と違った静かなオーラを放っています。
自分自身も今ではそれなりに専門分野を持つ仕事をさせてもらって来ている中、特に意識することはなかったですが振り返ると車の扱いは自然に変わってきていると思います。
事故やトラブルを万一起こすとかつてのような位置づけではなく厄介度が高くなります。
そのためにプライベートでも運転姿勢はさらに慎重になります。
古い車だけにトラブルが元となって事故でも起こしたら大変であるので、余計な改造や細工はどうしても避けてゆきます。
人は一定の見かけで判断しがちです。
仕事に乗って行くとき、人によっては車の見かけがマイナスの判断につながることもあります。
なのでクルマの外見もチャラチャラしていた頃とは違い静かな外見に戻します。
こういう視点の変化が、先日先行していたシルビアの「落ち着いた姿」にもあったのでしょうか。
活発に走っていた頃のクルマと違い、そういう静かな雰囲気になりつつあって周囲の仲間のクルマも同じくみんな「過去のこと」となってゆくのは寂しいものですが、そういう雰囲気漂うクルマに変化してゆくことは、お互いの社会人としての成長過程を現すものともなるわけです。
そう考えれば、それはある意味うれしいもので。
自分の立場の違いの過程が長年乗っている愛車にも現れるようになったら、本当にその車と長く付き合えているって証明にもなるんでしょうかね。
自分のクルマは実際のところどうでしょうか・・・?
Posted at 2018/11/08 03:42:32 | |
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