![[EG4] 廃車から9年ですけど復活まだぁ~? [EG4] 廃車から9年ですけど復活まだぁ~?](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/blog/000/043/810/382/43810382/p1m.jpg?ct=8ce50841c859)
車好きで、その個体がどうしても手放せない人にとっては、乗れなくなってもできれば取っておきたい、そういう気持ち当然でしょう。
1度廃車にしたものの、ふとしたきっかけで3年後再起を果たし、1年限定で走ったEG4が再度廃車になって
9年経過します。
偶然重なり保管が可能になり、現在移譲されて新オーナーの元で4期目を待っています。
※忘れてる人はここから復習
1999年に
解体屋に積まれていたのを買ってきて1年の予定で関東地区限定で走らせる予定だったEG4シビック。
色々な人のおかげで結局2006年年末まで走ることとなり、196000kmで第2期(前オーナーから2期目という意味)を終え、自宅片隅に廃車にせずに留置されていました。
それが仕事の関係で営業車として
1年だけ復活することになったのが
2010年春。
そして無事に役目を終え、さすがの老朽化により2011年3月に3度目の廃車、2度目の解体工場送りになり、
2度目の解体屋積み上げにww
しかしみん友さんはご存知のように、契約違反発覚で返却されることとなって、極めて稀な、
愛車が2度も解体工場で積まれていた!という
経歴の持ち主となったわけです。
そのときすでに車庫は満車で返却されても持って帰るところがなく、
このシビックの縁で現在20年の付き合いになるシビック乗り(元、間もなく復帰)の所有する、こちらもみん友さんにはご存知の
赤穂車両基地に収容されることになったのが2011年6月でした。
それから
9年。
・・・
まだ復帰しませんww
2018年8月に正式に除籍となり、この知人に引き取られることとなって、4期目の復活を目指し、2度の解体工場山積み復帰を経て再生作業中ですが、何分、部品もなく劣化も激しいということで廃車になった車体を自力で再生されているだけに、
「この道路はガソリン税で作っています」
の看板がずっと立つバイパス予定地のように難航しておりますww
部品が中古も手に入らないために、今後のメンテナンスを考えて、現オーナーのコンセプトも併せて原型からはほとんど変更されますが、形式異なる部品流用でさえ何かと入手が困難な状況。
※復習はここまで
先日のekワゴン圏域脱出の初遠征で久々に会って話してきましたが、今年こそは動きがあるのでしょうか。期待されるところです。
まあ、数々の試練や苦難を乗り越えて、2000年までの予定だった車が2020年にも存在しているわけですので、まだまだ
序の口なのでしょうかww
ekワゴンは解体工場からではないですが、
翌朝解体送りという状況からやってきた車。
近い境遇だっただけに、こちらも行く末が気になります...
数キロ圏内限定と言っていたのは今ではウソ。
2県越えの走行を気になる点もなく走っちゃいましたから...
★EG4の最後の1年間は3年間の廃車再生に関わらず、運用線が長距離というハードな運用で、1年間で2万キロ弱走る結果となりました。
●綾部線最終運行(2011.2.1)
月に1~2回、片道3時間半かけて出張。
昼前に発車し、15時ごろ現地着、18時ころに折り返して夜に戻るという時刻設定で、帰路のドライブ兼で1年間通して台風であっても大雪であっても走りました。
現地のお得意さんには2003年ごろからの馴染みで、2010年復帰の時にも驚かれた車。
最終運行の発車の際はその
お得意さんに見送られての発車となりました。まるで最終列車の見送りのごとく。
●伊賀上野線最終運行(2011.3.4)
多いときで週に1~2回、片道3時間半かけて出張していた伊賀上野線。
11時過ぎに発車し、15時ころに現地着。18時または19時ごろに折り返して夜遅くに戻るという時刻設定。途中で昼食や夕食を挟む、ちょっとした遠征でした。
緊急の対応で頻繁に走っていったため毎週のように走ったころも。
気に入ってくれていた現地社員が行方不明になったための緊急対応で走ったのがこの最終便となりました。
●向日町線最終運行(2011.3.18)
最後の運行。朝は大雪。昼には雪も解け天候回復。
毎日走ったこの線が最終。毎日停まっていた、二度と戻ることのない向日町の車庫に別れを告げて、数日おきに給油していた馴染のスタンドに立ち寄り、廃車当日までの燃料を補給して、廃車日まで留置される車庫に廃車回送となりました。
Posted at 2020/03/12 22:06:40 | |
トラックバック(0) |
車 EGシビック | クルマ