ここでは普段EK9のことしか書きません。
なぜならこれまでのコンセプトとはまったく違った、
このシビックのスタイルが確定したから。
持ってる他の車のこと書くと混ざってしまうんで書いてないんです。
EG4からそのまま引き継いで、
ずっと浮遊なコンセプトだったEK9が消え、
新しい姿で走り出したから、
それまでのことや別の車については出していないんです。
だけど、EG4時代の付き合い方で唯一残ってるのが
その
「車体」でなければ駄目なんだという乗り方。
「車種」で選んでるんじゃなくて「車体」。
だから
同じEK9でも自分のEK9の身代わりはいない。
どうでもいいやんけ!て思われるでしょうけど、
まあ、
同じ柴犬でもウチの「ポチ」だから好きなの♪
ってやつですかね?
やっぱどうでもいいか。
てか愛車は「ポチ」と同じか?
今日はちょっとそんなことの始まりになったEG4くんのことを紹介します。
暇な人や興味ある人は読んでみてください。
★★★
1999年夏、セカンドカーとして1年限りの予定で購入しました。
というのも関西で新製から2年2万キロ走ったレビンが関東にお供として行き、急激に距離が伸びて傷みが激しくなってきたために、それを保護する目的で関東専従車として買ったんです。
レビンは4年8万キロで引退。
関東で2年6万キロの走行でした。
当初関東固定の車として
「使い捨て」目的で、
1年半の車検残りのEG4を29万円で買ったのです。
だから
手入れもせず、洗車もしなくて良い、どうでもいい車。
やってきたのは連休で一時帰省していた7月。
炎天下の中、実家に届きました。
見てびっくり。
車内はドロドロ、車体はデコボコ、
おまけにお世辞にもカッコいいとは言えない装飾。
こんな悲惨な状態。
前のオーナーは単にEG6にあこがれて作っていたみたいで、とても自分の主義には合いませんでした。
ま、
使い捨てだからいいや、そう割り切って乗り出しました。
とりあえず車内を簡単に掃除して関東へ陸送。
EG4での高速580km10時間の初走行になります。
陸送の途中、色々車内を物色。
しかしボロイな。
オーデオは点かない、時計は毎回リセット。
ヒューズが飛んでました。
原因は撤去された配線がぶった切られていてショートしてたため。
パーキングエリアでは車体を見回す。
天井へこんでる!
どうやら解体工場に放置されていて、上に車が積まれていたみたい。
ルーフが下から押し出されて塗装された跡があった。
解体車出身!
EGシビックが高騰してた時代。
解体予定を引っ張り出してきたんだろう。
7万キロのEG4であれば40万から50万はしていた。
だから29万ってことで色々あるなとは思ってたが。
あまりのボロさに、怖いもの好きな性格が動く。
休みごとに「鑑識活動」。
そんなことをしているうちに、なんだかこのEG4が可愛くなってきた。
解体から助かって、また公道を走ってる。
ある意味運の良い車。
まずは壊れている部分を直すことから始めた。
ポンコツ使い捨てといっても休日はドライブのお供にもなるし、
通勤ではちゃんと動いてくれないと困る。
茨城県の田舎町のディーラーへ入った。
導入検査をやってもらって、劣化部品を交換。
特に問題ないところは新品だと勿体無いってことで、店の裏にあった解体車から部品を移植。(今の時代は保証上そんなことしてくれません)
死んだ車から部品を受け、EG4が甦ってゆく。
何か出庫時は爽快な感じがしました。
ちょっと生き返ったポンコツシビック。
そんなこともあり、乗り回すだけで買ってから一度も洗車しなかったのに、一度水垢を全部落としてワックスかけてみました。
ここが
再生の一歩でした。
洗車が終わると、ぼろい車体なのに白く輝いてる。
業者オークションに出す前に板金塗装したみたいで下手な塗りだけど劣化は無かったので光沢があったんです。
意外に行けるな。
そうなると車内の汚さも気になる。
休みのごとに磨き上げ、内装も分解洗浄。そしてピカピカに復活。
2000年冬、通すはずの無かった車検を通しました。
そのうちに何か愛着がわいてきて、いつの間にかそのままパートナーとして各地を走ることになりました。
関東在住時は仙台から関東一円、静岡まで。
関西戻ったああとは岡山までの各地を走破。
年間走行距離3万キロ。
年に1度、内装や外装の外せる範囲をすべて外して大掃除。
バンパーやフェンダーも外して中の泥を徹底的に落とす。
まあ、もともと外して修理しまくってある車なので、いくら分解しても痛くも痒くもないんです。
しかし車は
古い。
次々
壊れてゆく。
ホイールベアリング、クラッチマスター、このあたりは1件数万クラスなので容易に修理はできるものの、それで済まなくなってきました。
2001年夏。
かねてより不調だった冷房が壊れる。
冷媒の関係で全部置換しないと駄目。
関西撤退と同時に廃車を検討する。
夏場は完全に休眠車に。
隙間にコケが生えるような状態で放置されていました。
2002年、車検を前に最後の夏となるか、後継車を探すことになりました。
とりあえずガスだけ補充して間合いの修理。
そしてまた綺麗にしなおし仮復旧。
が、ここで
不思議なことが。
1ヶ月と持たずにガスが抜けていたのに、3ヶ月経ってもガスが抜けない。
高圧ガスなのでリークすると絶対に直らないんです。
それが抜けない。
その後、仕事の関係で以前に増して活躍します。
しかし
最大のピンチ。
ミッションが限界。
バックギヤは入らず、車庫入れは手押し、
1速は停止で入らないから2速発進か停車前チェンジ。
2002年冬の車検。
もう限界。
廃車の決断。
余計な
誘惑。
当時の主治医だったディーラーのメカさん。
元EGシビック乗りでEG大好き。
「こんな状態でも大事にしてるんだから乗ってください。ちゃんと治しますので」
営業うまいね~
2回目の車検!
ミッションのバーホールのついでにエンジンルームぴかぴかに磨いてくれた。
サービスで。
費用はついてない。
工場長も黙認。
2週間、ずっとEG4弄ってたらしい。
ミッション治したんだからまだ乗らないと。
それからも公私ともに大活躍。
年に1度はディーラー修理行き。
しかし調子よいから乗っている。
主治医のいた店が潰れた。
別のディーラーに変わる。
それまでは小さい町工場的なディーラーだったけど、変わった先は綺麗なお店。
ポンコツで行ったから新車をすすめられる。
しかし車を見て
態度が変わった。
あまりにボロイから車買ってもらおうと思ったけど、意外にも色々治してるんで徹底的に面倒見ようと思ってくれたそうで。
最近そんなことを振り返って話してくれます。
EG4のおかげで色々勉強させてもらってたので、店もその辺わかってくれて、ナイショ+免責条件で知り合いの解体屋からもらってきた部品で只で補修してくれたりと色々EG4を助けてくれました。
こうやって幾度となく廃車の危機が訪れるものの最終的に2006年12月まで運行。
廃車まで
総走行195,403km。
付き合い始めてから
7年と4ヶ月半、約119,000kmを旅しました。
最後の決断は、20万キロを節目に修理ポイントの対価を考えた不採算が理由。
シビックEK9に引き継がれました。
しかし...
廃車からちょうど2年の今月、未だに家に居座っております。
公道は走れませんが。
またいつの日か復帰するのかもしれません。
アシがいるならどこかで数万円のEG4を買ってくれば良いんです。
だけど、あの一緒に走ったEG4がいいんです。
意味のわからない
執着です。
ある意味、
呪縛です。
でもこんな付き合い方も良いんではないでしょうかね。
そう勝手に理解しております。
Posted at 2008/12/26 01:51:43 | |
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