
昭和55年の国鉄京都駅で配布されていた「山陰本線京都駅列車時刻表」です。
当時、旅行などに行くごとに時刻表を確保していたおかげで、そのままのものが多数残っています。
今では山陰本線は京都口を嵯峨野線と言い、15分間隔で近郊列車が走る時代。
車内放送は自動放送で満員。
先日数十年ぶりに乗ったらビックリでした。
当時は単線の非電化で、時刻表のような本数でしたので、乗り遅れると大変なことになりました。
運用されていたのは園部までの通勤時間帯はキハ30系気動車。
奈良線と共用だったのでしょうか。
その他の園部行きは今でも山陰方面で活躍しているキハ47系気動車。
そして子供だった自分には興味津々だった福知山鉄道管理局の客車列車。
35系、43系などの混在でどの車両に乗れば綺麗かみたいな感じでした。
客車列車は今の人にはわからないと思いますが、自動ドアも発車ブザーもないので、機関車の汽笛が合図です。
機関車が汽笛を鳴らすと容赦なく列車は動きます。
これが子供だった自分には怖かったww
しかもドアは開き戸の手動なので、走っていても空きっぱなしです。
真面目な車掌さんは車内巡回中に閉めて回りますが、大抵は開けっ放しで落ちたら終わりですが自己責任でした。
今からすると信じられませんよねww
そんな長大編成の長距離客車列車に乗ると、今では40分ほどで221系や223系が結んでいる距離を90分ほどかけて走りました。
単線なので離合待ち合わせが多い。
しかし子供にとってはその待ち合わせも楽しみ。
何が来るのか怒られながら窓から顔を出して眺めます。
当時の急行はキハ58系。
今では営業運転しているのは千葉のいすみ鉄道のキハ28だけと聞きます。
小学生には人気の列車でした。
90分もかかるので、有人駅では大抵駅弁が売られていましたので、昼にかかる便では多くの人が弁当を買い込んで乗っていました。
今同じ区間で弁当食ってると「アホか?」ってツイートされますww
そんな今では通勤路線にもなったこの山陰本線京都口はかつては「旅」な世界でした。
現在の南丹市にある交換設備を持った当時待避線付き3線の駅(さてどこでしょう?)をよく使いましたが、夜寝ていると駅の方からディーゼル機関車の汽笛が良く聞こえました。
「あれはなあ、山陰の方にゆく夜行列車や」
と教えてもらいました。
それが時刻表に当時まだ残っていた「山陰」号。
22時過ぎに京都駅を発車し、出雲市に朝7時ころだったか到着する鈍行列車。
途中の区間を通勤、帰宅列車と兼ねているのでかなりの駅に停まりますが、夜中はかっ飛ばして山陰まで向かいます。
最後のころは12系客車にオハネフ12という10系の旧型寝台車を1両つないでいたそうですが、全盛時代は43系などの普通の背ずりの硬い直角座席の客車で組まれていたそうです。
10時間近く座ってたらどんな感じだったのでしょうかww
当時は駅を通過する際に汽笛を長く鳴らしたので、夏場など窓を開けていると水田の土ガエルの唸り声だけ響く暗闇の遠くから、この夜行列車の汽笛とレールの継ぎ目を車輪が踏む、独特のガタンガタン音が響いてきたものです。
今ではうるさいということで極力汽笛は慣らさない方針だとか。
当時はそんな「夜の音の風景」で、「もうこんな時間か・・・」と感じたりもしていました。
今の時代、何かと便利でいいのですが、こういうのんびりした世界も何気に懐かしいときがたまにあります。

★これ模型ねw
Posted at 2020/07/07 10:31:10 | |
トラックバック(0) |
地域・鉄道・都市交通 | 旅行/地域