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ピンブールのブログ一覧

2009年09月13日 イイね!

美しい言語 日本語 だったはずなのにぃ~~~



今日本のTV見ていました。実家が録画してくれたものです。

CMがあったんです。DVDレンタルかなにかのツタ○のCMです。いくつか種類があったのですが、その中に、とってもまつげの重そうな女の子?がでてきて、今風の子供たちの言葉なんのでしょうか?(私には分かりません)をはなしてる、けっこう長めのCMでした。

これ全国で流されているCMなのでしょうか?

私たちが今話している言葉って、実際20歳前後で出来上がった言葉だと思うんです。

もし、このCMのレベルの言葉がこれからの標準だったとしたら、すごいですね。

良いとか悪いとかではなくて、すごいです。

日本語って、たぶん、世界で最も美しい言葉のひとつなんじゃないかと思います。

簡単に書く文章、交わされる会話、その表現がかなり特別で、男言葉女言葉の差や、方言を含めて、その暖かさって、私は大好きな言語なんです。

でも、きょうかなり先を心配しました。50年経ったら、彼女が話している言葉が、日本語の平均になっているかもしれませんね。’平均”。世の大半、ってことですね。

フランスみたいに世界会議を開いて、どうにか現行の言語をのこそうと躍起になっている行為をわたしは、馬鹿らしいとずっと思ってきました。理由は、言語は、移り変わり行くもの、だからです。

でもね、今日本気で、文化遺産としての日本語の保存を考え始めそうです(爆)



PS
CMに出ていた女の人は、私が知らないだけで、きっと有名な人なんでしょうね。芸能人らしい設定でのCMでした。でも、同時にCMって「縁起物で」世の中に好感を持ってアピールするものだから、やっぱり交換を与える人なんでしょうね。

捕鯨反対に、一票入れようかな~(爆)


PS2
言葉の変化は、良いとか悪いとかでは無いと申し上げましたが、この女性の話していた言葉は、ハッキリ言って、世界的に恥ずかしいほど汚い言葉に私には聞こえました。いくらなんでも、こりゃ、まずいっしょ。。。 私ととしては、ガング○と同じくらい、嫌いです。キャラでやってるのかもしれませんが、道端には本物が沢山いるのでしょうね。

言葉の変化は、本来、美しい変化だってかなりあるはずなんですよね。私の中では現代語が平安言葉より劣っているはずがなかったのですが、50年後はわからんですね。一度落ちた平均のレベルって、国民の半分になりますから、引き上げるのめちゃ難しいですよ。


 


Posted at 2009/09/13 18:29:29 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記 その他 | 日記
2009年09月11日 イイね!

高っかぁ~~~(涙)  プラグにこの値段はだせましぇl~ん (街乗りではレーシングプラグは損な様子です)



たぶん多くの皆さんの車両もそうだと思うんですが、私のRもカバーいつもはずれています。

先日ふと思ってプラグをあけてみると、綺麗に白いんですね。NGKさんのサイトに行ってしばらくこれ正しいのか?と色々調べていたんですが、やっぱりどうもおかしい。絶対番手が間違ってる。

それで、その日のうちにNGKさんに電話してみました。初めお話していた東京では答えきれず(でもとても丁寧な対応でした。PL○とは海溝と成層圏くらい違います)名古屋の詳しい方へとのことで、そちらに電話をさせていただきました。

様々な条件での燃調の濃さ(私のは高回転域ではエンジンブロー回避に10に近い数値もある)などを質問を受けて、実際のプラグの感じなどから、やはり番手が足りないとの事で、現在の7番を8番に変更すると言うことでアドバイスを受けました。

専門の方とのお話で、私の利用の場合、レーシング専用ではないので、絶対IRITOP8がお勧めだとのことで話がまとまりました。レーシングプラグは街のりでは不利になるようです。番手の結果は思ったとおりだったのとても納得して即購入しよう近所のオートショップに電話したんですよ。

それがどこにもないですよ。IRITOP8なんて聞いたことも無いっていうんです。カタログを見てもらうと出ているんですよw 

お値段は?

なんと1個4000円。。。

6個で、2万4000円??? 

箱で買ったら安くなりますか??

なりません。

ちょっと考えますね。




と電話を切って、ヤフオクで調べると送料込みで8千円以下でで売ってます。3分の1じゃんか。。。

初め一個だけかって、かぶりなど発生しないか見てから全気筒分購入しようと思ってたけど、2千円存するつもりで、日本で買うことにしました。


皆さんは何番使っていらっしゃるのでしょう?


PS
この1本だけ番手を”上げて”調子を見るという方法は、OKだそうです。かぶりなど出たら直ぐにはずせばOKとのこと。要するに、溶解してしまうようなことが無ければ、番手も異なる型も混ぜて使っても問題ないってことでした。もちろんシビアな条件では、普通全部同時期に同型でそろえて下さいね。


PS2
レーシングプラグは、値段が高いけど街乗プラグを含めての全機能を持っているのじゃないか?と思っていたのですが、それが否定されてしまって、良い勉強になりました。プラグの発火は出来るだけ中央よりが一番良いとのことで、レーシング用もそうしたいのだけどそれだと強度に問題が出て来るそうで、わざと最適位置から短くしているのだそうです。ですので、街のりでは逆においしいところを損してしまうとの事でした。


Posted at 2009/09/11 14:21:53 | コメント(4) | トラックバック(0) | パーツレビュー | クルマ
2009年09月10日 イイね!

300 俺はゲームを見たかったんじゃない!



300って映画、知ってますか? ご覧になりましたでしょうか?

この映画の演出には、R-tuneダクトの真価と同じくらいショックを受けましたね。。。 (R-tuneダクトについてもう後で発表しますね)



まず、俳優たちの演技は十分合格点です。

ただ。。。その他がのけぞっちゃいます。

私は世界史も日本史も大好きなのですが、これはちょっと温和な私も「おぃっ!いい加減にしろよ!」って感じの作りでした。2時間見終わるのに、5回くらい再生をとめて、気分転換に毎回20分くらい散歩して怒りを抑えてやっと見終われる、そんな作りです。

今からご覧になる方は、ストーリー上のネタばれにはなりませんが、興味がうせちゃうといけないので、これ以上読み進まないで下さいね。


さて、俳優人の演技はとてもまじめで十分良いのに、どうしたらこんな感じを受けられるのか?

このお話は神話ではなく実際のあった話とされているペルシャ戦争の中のひとつを題材にしています。
大きな国と大きな国の人と人との話なのです。僅かの精鋭でいかに戦ったか、という史実と共に映画の主題としてある「人の心」もとても良い。だから本来とても感動的な話のはずなのですが、この映画自体の内容はかなりでっち上げてつくられています。先日の"made up"です。

「化粧で綺麗なのもいいけど、ええかげんにせぇよ!おぃっ、そこには唇あらへんで!」 というほど、でっちあげです。


まず、300側、スパルタ(ギリシャ軍側)が戦っている相手(ペルシャ軍)が人間じゃないんですよ。「もぉ、勘弁してぇ~~~~」って感じでした。デフォルメもいい加減にしろよ!

悪い連中や心の醜い連中が怪獣なんですよ。

また、戦闘シーンもかなりがっかり。
紀元前の話になるので、戦闘シーンは槍や剣の応酬になるのですが、これって役者の切っ先のすばやさが迫力になるじゃないですか。サムライの日本の俳優陣のすばらしいあの技ですよ。それがぜんぶ早回し合成なんですよ。スパルタ軍の切っ先だけ、速いんです。これで迫力を出しているのでしょうけど、格闘好きにはありえない動きだと分かるので、興ざめしてしまいます。あれでは、役者がかわいそうです。

あと美しいシーンでは、グラディエーターのシーンを彷彿させるような場面がところどころにあるのですが、これもう~ん、です。ご覧になると分かるのですが、全編CGで作ったの?、みたいな画像がとにかく、昨今のゲームみたいです。ぜんぜん、感情移入が、できない。。。。


こういう演出は、スターウォーズだけにして欲しいです。もう、ちゃんと演技をしている役者たちがかわいそうでかわいそうで。

それでも、全部見終えました。理由は唯ひとつ。これ今度会うお友達と話題にしようと思ったんです。この300の子孫がいるんです。ギリシャ人です。あぁ、言葉を選びながら本当のこといわなきゃ。。。

「スパルタ人最高っ!でも、映画、とってもつまんなかった。」


思うけど、彼らたぶんこの映画見てないな。。。。。


PS

良く言えば、劇場で劇を見ているかのような演出です。最後の全滅のシーン等は、敵に360度10mも無いような距離で囲まれていて、その中心にスパルタ軍だけが綺麗に陣形を整えているシーンから始まります。劇場でみたら心を引くかもしれないなぁ。(少しだけ誉めておこぉ~っと)



Posted at 2009/09/10 13:40:07 | コメント(2) | トラックバック(0) | 映画 | 日記
2009年09月09日 イイね!

音が怖い。。。



なんか最近聞こえている音が怖い。。。 といっても狂犬病の末期症状とかそういうんじゃなくて、

Rの走行時の音です。

これがどうも以前経験したハブベアリングの異音に近いんです。私はもう一台インプレッザを持っているんですが、実は前後左右全部4つのハブベアリングが1年おきくらいだったか順番にだめになって、今までに全取替えしているので、この音は詳しいんです。

今回のRの音が、その音に近いんです。ただ、当然会社によるパーツの違いもあると思うので、今のところまだ確信がありません。(ただ、日産とスバルって以前パーツの使いまわししていましたよね?でも、きっとRはその中に入っていないんだとは思うんですが)

色々調べてみると、Rのハブベアリングの異常はそう簡単に起きるものでもないとの記述も見つけました。う~ん、そうしたらドライブシャフト??


とにかく今現在は、耳の良い人だけが気が付くレベルの音です。スバルのときは、この音が出てから家族が気が付くまで半年かかっています。そのレベルになってから交換をしていました。

ただ、もしドライブシャフトだとそんなにほうっておきたくないなぁ。。。。 日本の日産に価格を聞いたら新品だと7万円くらいするそうです。リビルドで3万円くらい。航空送料いれて。。。。  あぁ、音が怖い。。。よぉ。。。

週末時間があればジャバラノ辺り見てみます。


PS
日産に電話した時、最近のブーツはドライブシャフトを取り外さなくても、取り替えられるように工夫されているそうですね。知りませんでした。2つ分かれているものを貼り付けるようですね。値段もグリス、接着剤込みで7千円程度らしいです。工賃を考えたら、こちらのほうが良いかなぁ~と思いました。これなら自分でできるかも?






Posted at 2009/09/09 13:38:29 | コメント(2) | トラックバック(0) | 問題症状 | クルマ
2009年09月05日 イイね!

祖父の思い出話



私の祖父は、昭和の初めころに当時としては普通には無い、自動車の販売をしていた。馬車がまだ多く残る時代にだ。最初は当然小さな商売で、家の中に車を1台2台置いての販売だったようだ。


私の祖父の話には、色々面白い話がある。しかし体も不自由だった。明治の終わりに生まれて、幼少のときに馬車に引かれて生涯を通じて片足が不自由だった。私などはそのことを祖父が亡くなった後に知ったと思う。私が中学生の時だ。確かにいつも杖をついていたが、それは老人だからだろうと勝手に決め付けていた。

祖父は祖母との間に二桁の数の子供がいた。ちょうど10人だった様子だ。これも当時としては普通だった様子である。

私の父は下から3番目なのだが、私がお会いしたことのあるおじやおばは、6人のみだ。父は自分を含め7人だけ知っている。分かりやすくいうと、父は上から3人の兄姉をまったく知らない。自分が生を受ける前に、または記憶となる前に、亡くなってしまったからだ。しかし、幼くしてなくなったわけではなく、成人に近い歳で奉公先などで亡くなったようだ。それほど下から3番目に生まれるということは、歳の差があることらしい。

話を祖父の話にもどそう。

生き残った子供たちによると、とにかく、恐ろしかった、そうである。その気性も人格も、なにもかも。厳しいなんてものではなかった様子だ。

それを簡潔に伝える話がある。

父の兄の一人が、戦争中に田んぼで未使用弾を見つけた。今で言う中学高校くらいの年頃だった。一家総出で、田んぼを世話をしていた日のことだ。その兄は、ようするにさぼったのだろうか、家族から遠く離れた田んぼでそれを独りで弄っていると、運悪くそれが発火した。手の中で、である。指が1本吹っ飛んだ。もちろん血だらけである。その兄は泣きべそをかきながら(あたりまえである)、祖父の名を呼び家に走って帰ってきた。家の周りで野良仕事などを手伝っていた兄弟姉妹はあまりのその血相におどろいて走りよっていった。差し出される手には、指が無い。

祖父が声に驚き、また騒ぎを見つけ、その兄に寄る。すると、今まで泣いていたその兄はピタリと泣くのをやめ、指のなくなった血だらけの手を祖父に見せるどころか、なんと隠したのである。

「何も心配いりません。僕は、万事大丈夫です。」と言ったのだ。

その兄は、その手を見せて祖父に怒られるほうが怖かったのだ。指がなくなった手の止血を急ぐよりも、指を見せないことを、優先したのだ。このエピソードからも、必殺の恐ろしさであったことが、十分伺われる。


しかし、私には違った。私はこんなエピソードを持つ人だとは、ついに思わずに育った。大家族の中で、祖父はいつもにこやかで、優しかったからだ。現存する私の父の兄弟姉妹だけでも6人。それぞれが平均3人程度の子供がいた。生きている一番上の姉と一番下の妹の歳の差は30近くあったものだから、上の方の歳の兄姉にはすでに私の父たちに近い子供がいた。すると、まだ小学生の私をおじと呼ぶずっと年上のいとこの子供たちが、また3人くらいずついたものだから、祖父が健在だった頃は、正月などは70人くらい集まるしまつで、子供だった私は年中行事の一環として、とても楽しみだった。祖父がいる、それだけで、その場がまとまっていた。


おっと、また話が脱線してきた。私の幼少時の話じゃない。祖父の話だった。


私の祖父は栃木県に生まれ養子として(当時としては普通のことだったらしい)、親戚の家の子供とし育てられたらしい。その後単身上京する。

この成人してからの仕事が最初にも書いたとおり、車の販売だった。

これが、なんと当事はよく盗まれたそうである。店先からではない。自動車泥棒は、昔から盛大だった様子だ。セキュリティシステムなど、なかったのではないだろうか。車の前に回ってあのぐるぐる回してエンジンをかけてる棒を回しハンドル握ればそのまま走れる、なんて代物だったのかもしれない。

仕事の初めのころは、祖父も仕入れと販売そのものに重きを置いていたそうだが、ある程度軌道に乗り始めると様子が変わってきた。どうやら、祖母のほうがはるかに商才があったらしい。私の父などは、このころの子供なので、祖父が店で働いているのを見たことが無いらしい。働いていたのはいつでも祖母だったそうだ。そのような時代に、店に出て車を売って成約までしていたのが女性だと言うのは、仮に祖母の話でなかったとしても、かなり聞いていて楽しい。しかし、祖母は祖母で、まったく家事や料理が出来ない女人だったらしい。それでも人気があった。

では、店で仕事をしない祖父はいったい何をしていたか。それは、日本中に遠征、という仕事だ。まったくもって日本中、だった様子だ。スポーツ選手でもないのに何の遠征か。先出の泥棒を追っかけるのである。納品した後に盗まれた車を顧客のために取り戻す、そんなこともしていた。私は不思議だった。脚が悪く生涯杖をついていた祖父だ。どうやって渡り合ったのだろう。

しかし結果はすこぶる優秀だったらしく、泥棒を捕まえては車を見事回収して帰ってくるという日々を忙しく送っていたそうだ。杖に、機関銃でも隠していたのだろうか、それとも座頭市のように仕込刀があったのだろうか、と勘ぐってしまう。

祖父はこの辺りの半生を亡くなる前に100巻以上の書物にまとめていた。今はあまり見ることの無い四百字詰め作文用紙だった。私の家は、バスや車で行かなければならない距離であったが、遠くは無かったので時々父に連れられて訪ねていくといつもそれを書いていて、「面白いから大きくなったらきっと読むように」と言われて実際それが楽しみだった。この書物は、完結を見なかった。完成前に、祖父はなくなった。それでも100巻以上あった書物は、祖父がなくなった時に兄弟姉妹の判断でお棺の中に丁寧に入れられ、祖父と共に空へと送られた。私は、それを目の前で見ていた。抗議したが、受け入れられなかった。子供の発言権は弱かったのだろう。

私は一生読むことが出来ないものとなった。



恐ろしい、と言われた祖父だが、実際は人情に厚かった。

父の覚えている中で一番上の姉が、心臓の病を持っていた。それがわかると、祖父は一切の事業を切り上げ、当時の深川区(現在は存在しない)を家を閉め、現在惣領(生き残った一番上の兄)がつぐ土地に移住した。姉の一生を考えてのことだったそうだ。当時の東京湾は、まだまだ綺麗だった様子で、父は船で渡った折に、その切っ先に遊んで泳ぐ何匹もの海豚を覚えている。その姉は、20をいくつか過ぎた頃に他界した。写真が残っているが、とても美しい人だったようだ。父は優しかったことを覚えている。この話は、なぜか私に高校生の時に現代国語の授業で習った”永訣の朝”という詩を思い出させる。

祖父は、脚が悪かったので戦争にはいかなかった。しかし、おじ達は行った。祖父は、頼ってくるものにはなんでも与えた。寝食だけではなくお金も、だ。きっと何か思うところがあったのだろう。僧侶に近い存在だったように思う。私は晩年の頃の祖父しかしらないのだが、とても柔和な白い長いひげを蓄え、いつも褌(ふんどし)をしている、仙人のような人だった記憶しかない。パンツを履くと調子が悪い、と言っていた。


祖父は、移住したときに、山奥に家族のために家を建てた。見える範囲はぜんぶ自分の土地というような、そういう家だった。そして、戦争が終わったとき、残っていたものは、実際これだけだった。タイヤに空気の代わりに藁を入れた自転車さえ、既に動かず、もう直せない、そういうレベルだったそうだ。これは、きっと殆どの日本中の家庭がそれに近かったのだろうと、思う。父たちは、学校まで片道16キロという山道を毎日4時おきで、往復した。この道は、私も中学生の頃に父の思い出だとのことで、連れられて歩いた。鉈(なた)のような道具を持たずには、歩けない獣道に近い道だった。丘を下り、上り、下り、上り、を繰り返すと、頂上から祖父の家が見えたときのことを覚えている。

当時の金額で、億という単位のお金をすべて他人のために使った祖父の残した子供たち、私の父の兄弟姉妹は、今でも日々交信をし行き来するほど仲が良い。

私の親戚の中には、財産が多く残ったがために、子供たちが二度と会えない感情のしこりを持つ家が多い。祖父はそれを遥かにしのぐお金をすべて使いきり、しかしとても晩年は柔和で、何よりも他界した後も、自分の直接の子供たちが仲が良い。親として一番の幸せかも、しれない。私は、正直者で欲の少ないおじやおばが全員好きだ。



なぜか今日は、祖父のことをとても思い出した。だから簡単にではあるが、自分のためにこうして綴って見た。


出来ることなら、今とても話してみたい人物の一人に、祖父がいる。お土産は買ったものは一度たりとも無く、いつも手作りの竹細工だった。お返しに今だったら何を差し上げられるだろうか。



Posted at 2009/09/05 17:25:39 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記 その他 | 日記

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何シテル?   07/10 23:58
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