2009年09月04日
「鉄は熱いうちに打て」という表現と使い方はちょっと違いますが、「時を逃すな!」という意味において私としてはこれに近い表現に「石橋を叩いて渡る」というものがあります。
本来この2つは、前者は「事をなすときのタイミング」の話をしていて、後者は「事をなすときの慎重さ」を表現しています。
学生のころに、これをモジッて友人たちでお互いを表現しあってタイプ別に分けたことを思い出しました。
1.「石橋を叩いて渡る」 <- 人生で重大な決断をする時の、基本形ですね
2.「石橋を叩いて、叩きすぎて壊して、渡れなくしてしまう」 <- 慎重すぎて、時期を失ってしまう
3.「石橋を(ちょっと)叩いて渡る」 <- ちょっとだけ慎重。でも、かなり勘だより。
4.「石橋を叩かないで渡る」 <- 基本的にリスクなんて考えない。橋があったらとにかく渡る。
5.「泥橋でも、(強度を見て安全なら)落ちきる前に渡りきる」 <- 橋の素材は気にしない。渡れればいい。
これ細かくしていったらきりが無いので、この5つくらいで結構な割合でどれかに当てはなると思いますが、私は、5番なんです。
戻ってくる必要のある橋なら、私は1番なのですが、戻る必要の無い橋って人生結構多いので、普通は5番なんです。判断の基準は、とにかく向こう岸に渡り切れてしまえばそれで良い。自分ひとりなら自分の分だけの強度。家族なら家族全員が渡りきれる強度。友人を含めて必要な強度であれば、その強度。とにかく必要十分な強度それだけを考えて「橋があるうちに」行動してしまいます。渡りきった後に、橋が残っていようが、砕け散って消えちゃおうが、関係ないです。なぜなら、そこにある橋は、次に現れるのは一度逃すと10年くらい先のことが多いからです。
でね、最近気がついたことで、とても不思議なことがあるんです。
こんな私から生まれた子供の一人が、2番なんですよ。正確には、2番´(ダッシュ)です。ダッシュはどういう意味かというと、石橋はとても頑丈でまったく怖がる必要の無いことを怖がってしまっているってことです。いうなれば
「石橋を叩かないし渡りもしない」 です。 渡れないという意味で、2番と同じです。正確にはパターン6なんでしょうねw
美徳と言えば美徳なんでしょうけど、とにかくアルプスの少女はハイジのクララみたいです。脚は問題ないのに、歩けないと思い込んでいる。歩けないどころか、本当は翼だってあるかもしれないのに。
性格って、遺伝じゃないと、かなり確信してる今日この頃です。
子育てって、難しいですね。 私は、よい先生にはなれません。。。 どうやったら自信を付けさせられるのか。。。
自分を思い出すと、18歳って、もっと根拠が無い自信があって、生意気だったと思うんです。世界征服を本気で考えるような。。。 逆にどうやったらショッカーを倒せるか、とか。
PS
私が大好きだった番組に、レインボーマンがあるのですが、あれがどうしても再放送にならないんで、いつだったか尋ねた事あるんです。そうしたらもっともな理由があったんです。当時と今では放送コードが違って、レインボーマンっていわゆる放送禁止用語が満載なんだそうです。仮面ライダーの敵は諸ッカーですが、レインボーマンの敵は「死ね死ね団」って言うんですよ。なんでも、敵の名前すら放送できない上に、がんばって修正して放送しようとするといたるところで「ピー」っとなってしまって、話がほとんど伝わらずストーリーが成立しないそうなんです。納得してしまいました。
ユーチューブなどで、「死ね死ね団のうた」検索すると聞けますが、すごいですよ。(聞きにくければ、歌詞があるものもあります。)過激派もテロリストもテレビに映るときには、もうちょっと遠慮してここまで言ってないです。これ、放送されてたんだよなぁ~。俺たちの子供のころは、ここまで自由だったんだなぁ~。
PS2
羽があれば、腕が無い。
腕があれば、羽が無い。
これが地球上では、真理じゃないですか。
腕と羽がある生物は例外なく空想上の生き物です。
でも、子供たちの未来って、腕も羽もあるように思うんですよね。
根拠の無い自信ではなく、根拠のある自信。
それぞれの人生で、経験だけがそこへ導いていくのでしょうかね。
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PS3 (追記)
これ、投稿した後に読み直して思ったんですが、石橋の話(子供の話)をしていてそのままレインボーマンに話が繋がっているんですよね、私の頭の中って。。。 どういう脈絡なんだ。。。 原稿なしで話すといくらでも脱線してしまう。。。 題名にもレインボーマン入れましたw
Posted at 2009/09/04 09:22:19 | |
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