「週刊龍田」、先週は1回お休みしてしまいました。というのも、このあとお話するジオラマベースがうまく作れず、その再作製の判断に時間がかかったからです。
では、今回の製作報告をば。
まずはそのジオラマベース。
5月2日のブログでは石粉粘土を盛り付けるところまで進んでいましたが、その後、海面にロイヤルブルーとクリアグリーンを塗って、その上から木工ボンドを薄く塗って光沢と水分感を出し、その上からホワイトで白波を描きました。
![](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/photo/000/004/990/086/4990086/p1.jpg?ct=590aa61fba0d)
しかし両舷に広がる波の感じがどうにも納得がいかない。リアルさに欠けます。
よって、さらに白波を細かく描き足しました。
![](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/photo/000/004/990/086/4990086/p3.jpg?ct=590aa61fba0d)
うーむ、どうにもダメすぎる。いかにも「描きました」状態です。
何が原因なのか。白波が立っているところに凹凸がないからでしょうか。また舷側から一定間隔で斜め後ろに伸びるラインを描いていますが、実際の航跡波はこのようにはなりません。
しかしこれらの問題を解消しようとすると、イチから作り直す必要があります。
どうしよう…。
…
…
…
悩むこと約10日。
実際、「竹」のジオラマベースも7回試作したことだし、ここで変な妥協をするときっと後悔するだろうと考え、結局作り直すことにしました。
まずは既存粘土部の取り外し。
![](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/photo/000/004/990/086/4990086/p4.jpg?ct=b46a9faa74af)
意外ときれいに剥がれてくれました(笑)
次に龍田が設置される辺りに2mmプラバンを貼り付けて高さを稼ぎます。
その上に新しい石粉粘土を盛り付け、波の形をプラ製耳かきと爪楊枝で描いていきます。
今回は船によって両側に押し出される波と、その波が元に戻ろうとする力が働いていることを意識するとともに、航跡波の部分を適度に荒らしてみました。
![](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/photo/000/004/990/086/4990086/p5.jpg?ct=b46a9faa74af)
この作業に移る前には、竹製作時の資料を見返すとともに、他のモデラーさんの作品を研究したりもしました。
この状態で2日程度養生期間を取り、収縮によるひび割れを起こした部分を修正すれば基礎工事は完成となります。
龍田本体ですが、
前回までに船体のおおまかな工作が終わっているので、全体に軍艦色(呉海軍工廠グレイ)を吹き付け、スミ入れ塗料によるウォッシングを行いました。
このあとは細部の工作に映ることになりますが、手始めに洗い場を設置します。
キットの洗い場は第一煙突両側と2番魚雷発射管後方両側の4箇所にありますが、燕雀さんは天龍の写真から、このうち2番発射管両側には存在しないことが確認できるとともに、第二煙突両側の舷側がどの写真でも汚れが激しいことからその辺りに洗い場があったのではと推定されています。
しかし、あくまでも個人的な意見ですが、第二煙突両側には短艇が配置されるので、ぶら下がっている短艇の下で洗い物をすることとなります。
そも洗い場は乗組員が食事に使った食器類を洗う場所なので、烹炊室付近に設置されるもので、天龍龍田の後継艦である球磨型軽巡洋艦・多摩の洗い場と烹炊室は↓のような配置関係にあります。
![](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/album/000/001/064/747/8000207/8000207.jpg?ct=865aaa0e9191)
ここでの烹炊室は一般の兵員用で、士官用の烹炊室は艦橋の少し後ろにあるのが一般的なようです。
![](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/album/000/001/064/747/8018273/8018273.jpg?ct=203c1d69369a)
また平賀譲アーカイブで見られる天龍図面のうち「最大中横断」と書かれたものの甲板室部分には烹炊室という表記が確認できます。軽巡や駆逐艦の最大幅は真ん中より少し後ろの辺り、龍田で言えば2番魚雷発射管のあたりなので、当該図面に書かれた烹炊室は第3煙突後ろまたは後部甲板室(ループアンテナ下)と考えられます。
このように見てくるとキットの洗い場は妥当な配置のように思えますが、燕雀さんご指摘のように2番発射管付近には洗い場はありません。
ここから先は明確な根拠のない推測ですが、天龍型の洗い場は第一煙突両側の2箇所だったのではないでしょうか。
2番発射管付近の烹炊室の他に、烹炊室煙突と思われるものが第一煙突後部にあります。つまり第一煙突と第二煙突の間の甲板室内に士官用烹炊室があり、その両側に洗い場があったのではないかと。天龍型は5500t級に比べると乗組員数も少ないので、洗い場の数も2箇所としたのではないかと。
このような推定に基づき、洗い場を再現してみました。
![](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/photo/000/004/990/086/4990086/p6.jpg?ct=b46a9faa74af)
後ほど水栓も設置予定ですw
次に艦橋です。
前々回のブログでの艦橋にかかる研究の過程で作った図面と燕雀さんから頂戴した図面を元に基本的な構造をプラバンプラ棒から作り出します。
と、ここで課題が一つ。
実艦の艦橋頂部には探照灯が設置されていますが、今回の制作は防空巡洋艦なので94式高射装置を設置します。しかし高射装置は本体両側に測距儀が伸びており、これを360°水平回転させる必要があるので、探照灯の位置に高射装置を配置すると測距儀がマストと干渉してしまうのです。
「日本巡洋艦物語」に掲載された天龍型の改造案のうちA案(↓画像の一番上のもの)は艦橋とマストの位置を変えないまま艦橋頂部に高射装置を置くこととされていますが、実際にはこの通りには配置できませんでした。
![](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/photo/000/004/974/890/4974890/p1.jpg?ct=f2f891482b53)
やむなく少し前にして設置し、その前のスペースを防空指揮所に見立て、最前部にウィンドスクリーンを設置しました。
![](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/photo/000/004/990/086/4990086/p7.jpg?ct=b46a9faa74af)
この状態で塗装します。
羅針艦橋の床は木製グレーチングなので木甲板色を塗り、マスキング後その他の部分に呉海軍工廠グレイを吹きました。その後観測機器などを設置します。
機器の配置については以下の資料を参考にしました。
![](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/album/000/001/064/747/8018163/8018163.jpg?ct=203c1d69369a)
羅針艦橋内部は
Fold3というアーカイブサイトから拾い出した、駆逐艦雪風の戦後写真(米軍撮影?)です。このサイトは無料の会員登録が必要ですが、私が見たことのない貴重な写真が多く収蔵されており、大変参考になります。
閑話休題。
こうして作ったのがこちら↓
![](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/photo/000/004/990/086/4990086/p8.jpg?ct=9cc1ae2e8cb8)
防空指揮所を被せてしまうと羅針艦橋内はほとんど見えなくなりますが、1/700で壁面の計器盤まで作った事例はそう多くないと思うので、自己満足度は高いです(笑)
艦橋についてはもう少し作業があるので、次回に続きます。
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Posted at
2021/05/29 17:21:23