時々行く戦跡めぐりは主に遠方ですが、近隣の名古屋市内にもいくつかそういう場所があります。
そのうちの1つが名古屋市南区にある笠寺高射砲陣地跡。
そこは現在「見晴台考古資料館」となっており、主に弥生時代の遺跡について研究される場所となっています。
しかし戦争当時は、6基の12cm単装高角砲が南向きの扇状に配置され、B29などを迎撃していました。
先日、その詳細について同資料館の学芸員さんが講演してくださるという機会があったので、行ってきました。
講演では、対空防御の歴史から説明がありました。私も知りませんでしたが、もともとは日中戦争開始頃にソ連が本土へ空襲してくることを想定したものだそうです。その後戦争末期に米軍による無差別爆撃が行われ、その際には笠寺の高射砲での迎撃が行われたと。
終戦後、陣地は破壊されたり埋められたりしましたが、平成64年以降数度に渡って大規模な発掘調査が行われ、その全体像がかなり分かるようになりました。
それによると陣地はかなりの広さで、通信関係の建物や兵舎など多くの建物があり、それらを繋ぐ塹壕も掘られていたそうです。
砲台は終戦後に米軍が爆破したそうですが、土を盛って隠したものは比較的良い状態で残っています。
設置されていたのは旧式の八八式75mm野戦高射砲でもあり、まともな射撃管制システムも無かったので、撃ち落とせないどころか、そもそも殆ど弾が届かなかったそうです。
それでも低空で飛来したものに当たったこともあるようで、「笠寺が撃墜したんだ!」と主張するB29が近隣に堕ち、戦意高揚のためその尾翼を取り外して持ってきて、高射砲陣地内に飾っていたそうです。その実物は同資料館に展示されています。
現地で見られるのは当時の遺構のほんの一部で、発掘調査でも全てを調査したわけではありません。考古資料館は弥生時代の研究が主な業務だからです。
しかし今回講演された学芸員さんは戦争遺産について深く研究されてきたようで、愛知県東海市市にある太佐山高射砲陣地跡についても研究され、その調査後に作られたパンフレットはその学芸員さんの研究結果が広範に取り入れられたのだそうです。
これはあくまでも個人的な意見ですが、ロシアがウクライナに侵攻し、中国や北朝鮮の軍事力強化が着々と進む中では、日本も戦争に無関係とは言い切れないと感じます。
島国ゆえに他国と地続きで隣接していないため、直接の脅威を感じる場面はなかなかありませんが、長距離ミサイルなどのリスクは確実に上昇しています。
弥生時代などの考古学の研究が無駄だとは言いませんが、こうした社会情勢を考えると先の戦争でどのようなことがあったのか、またそこに至るまでにどういう立場の人たちがどのような判断をしたのかを考えるのは大切なことだと思います。
特に日本はそうした部分から目を背けてきたので。
今後、より多くの人が戦争のことについて考えるようになることを切に望みます。
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笠寺高射砲陣地(見晴台考古資料館)
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Posted at
2023/09/30 22:32:30