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ザクとは違うのブログ一覧

2021年10月09日 イイね!

駆逐艦桑製作記(船体のチェック)

久しぶりの艦船模型です。
キットはヤマシタホビーから発売されたばかりの「駆逐艦竹」。今回は同型艦の「桑」として建造します。

まずは桑について。
桑は松型駆逐艦の五番艦として藤永田造船所で1944年7月に竣工しました。訓練期間を経てフィリピン沖海戦では小澤機動部隊の一員として戦艦伊勢日向、空母瑞鶴などを護衛してほぼ無傷で帰還しました。
その後、1944年12月のレイテ島オルモックへの輸送作戦中、米大型駆逐艦3隻の集中攻撃を受け僅か9分間で撃沈されました。
オルモックでは竹と行動を共にし、桑が敵の目を引き付け、竹が反撃するための時間を稼いだ形になりました。
今回はオルモック輸送時の姿を再現します。

次に資料の確認。
手元にあるもののうち主に使えそうなのはこちら↓

コピーした図面は竹制作時のものです。
そして実艦写真は↓の1枚のみ。

公試運転時の写真はあるはずですが、見つかりません。戦後焼却処分されたのかも。さんざんググりましたが、何も出てきませんでしたorz
仕方ないので同じ造船所生まれの梅、杉、樫、楢の写真を参考にします。

ではいよいよ船体のチェック。
船体は全部で5つのパーツから構成されますが、船体内部に板を縦横に配置することで「反り」を防止する作りとなっています。

さすが最新キット!
以前のブログでは舷窓の位置が誤っている以外は全体的に良好と書きましたが、改めて確認し直しました。すると…。

1 船首楼甲板の平面形状について
写真日本の軍艦別巻2に収載された「竹」図面(以下「竹図面」)では舳先から1番主砲操作フラット後端までは緩やかな曲線で、そこから船首楼甲板後端までは直線となっています。

一方キットでは同じ箇所を境に前後とも直線で構成されています。

念の為同別巻2に収載されている「橘」図面も確認しましたが、竹図面と同様のライン構成でした。さて、どちらが正しいのか…。

2 船首楼甲板の傾斜について
竹図面では舳先から1番主砲操作フラット後端まで、同後端から艦橋前端まで、同前端から船首楼甲板後端までの3つのエリアでそれぞれ直線で構成され、船尾に向かうほど傾斜がゆるくなり、艦橋エリアは水平とされています。一方キットでは舳先から1番主砲操作フラット後端までとそれ以後の2つのエリアがそれぞれ直線で構成され、フラット後端以降は水平でなく若干の傾斜がかかっています。

樅の実艦写真で確認したところ、キットの形状になっていると分かりました。


3 2番主砲フラットの直径について
1番主砲操作フラットの半径はキット・竹図面とも1/700で5mmとなっていますが、2番のそれは同図面だと4.6mm、キットだと1番同様5mmとなっています。2番のほうが砲本体は大きいことを考えるとフラットの大きさが1番より小さいのは不自然であり、少なくともキットのように1番と同じサイズとするのがより自然と考えられるので、キットのサイズを尊重しようと考えました。

4 舷窓について
キットの舷窓の位置及び数は竹図面及び実艦写真いずれとも異なる配置となっています。また「歴史群像太平洋戦史シリーズ43松型駆逐艦」(以下「学研本」)に掲載されている松型各艦の写真とも比較しましたが、いずれとも異なるように思われました。各艦の位置が微妙に異なるので、全艦の最小公約数としての数をモールドしたということでもなさそうです。ということは何らか別の意図があるのかも…。

5 リノリウム甲板の範囲について
学研本中程にある折込図面に掲示されている「竹甲板敷物配置」(以下「敷物配置」)では艦橋の左舷より右舷の方が艦首寄りで鉄甲板が始まっています。また艦尾についても敷物配置では2番Y砲前以降で鉄甲板に切り替わっています。
キットでは艦橋の右舷左舷とも同じ位置で鉄甲板に切り替わり、艦尾は後端から9mmの位置で鉄甲板に切り替わっています。

また敷物配置では烹炊室右舷側に斜め後ろに伸びるリノリウム甲板がありますが、これはキットにモールドされていません。
これまた何らかの資料を基にしているのかも…。

6 舷側外板継ぎ目について
学研本中程の折込図面に掲示されている「丁型線図説明図」(以下「説明図」)では外板ごとに互い違いになっています。

また「昭和造船史別冊日本海軍艦艇図面集」(以下「図面集」)の「松型中央部構造切断」では外板接合部のみ凸となっています。

実艦がどうだったか確認できる写真としては学研本の樫は説明図、竹、樅、欅、桐が図面集と同じ作りになっているように見えます。


キットでは細い凸モールドで継ぎ目が表現されており、実艦写真に忠実です。ただし樫を作る際にはモールドを作り直す必要があります。
※前回作った竹はこの検証を十分に行えておらず、外板ごとの凹凸で表現してしまいました…。

7 魚雷運搬軌条について
竹製作時にも悩んだ部分で、艦首を上にした平面で見た場合、資料によって「人」型と「Y」型の2パターンあります。竹は甲板敷物図ベースで「Y」型としましたが、キットは「人」型。

これを「Y」型にしようとすると、滑り止め甲板のモールドをいったん削る必要があること、「人」型が間違いと言い切れないことから、このままにします。

意外と多くの発見と疑問がありました。手元にこれ以上の資料がない以上、考えていても答えは出ません。思い切ってメーカーに尋ねてみようと考えました。
この手の質問はメーカーには山盛り届くと思うので、回答が返されないことも当然に想定していましたが、驚いたことに翌日には回答を頂くことができました。
それによると金型制作にあたっては竹を始めとする丁型駆逐艦の当時の図面が残っており、そこに描かれた船首楼甲板平面はキットのような形状であること、舷窓の位置も同図面の位置を採用したこと、リノリウム部分は複数の艦艇研究家の「敷物はどのように張られていたのか不明なことが多い」との意見に加え、原図でも明確な指示がないことなどからキットのように表現したこと、とのことでした。

※泡沫モデラーの不躾な質問に丁寧なご回答をいただきましたことを、この場を借りて深くお礼申し上げます。

これを受けて、船首楼甲板の平面及び傾斜、2番主砲フラット、リノリウム甲板のエリアはキットのままとします。
舷窓については、少なくとも竹は↓の公試運転時及び復員輸送後の写真から、キットの表現は誤りであると断言できます。



ただ今回制作桑する桑については写真図面とも皆無のため、どうするかの検討が必要です。
この続きは次回。
Posted at 2021/10/09 18:20:38 | コメント(1) | 艦船模型 | 趣味
2021年07月31日 イイね!

模型趣味の持つ可能性

昨日夕方、みん友の痛風とうつさんから以下の情報が。
軍艦模型に魂込め 岡崎の近藤さん、東部地域福祉センターで展示(中日新聞)
痛うつさん「ちょっと遠いですが、機会があれば如何でしょう?」

なんと!
こんな貴重な情報を頂けるなんて、こんなに嬉しいことはない。
ザク違、行きまーす!!!

ということで早速今日行ってきました。
開館は午前9時ですが、今日が最終日なので午後にはご本人が現地を訪れて撤収準備をするに違いないと想定。それまでの時間をお城巡りに当てることにしました。

行ったのは岡崎城。
ここは徳川家康公生誕の地でもあり、日本100名城のひとつにも選定されています。南に乙川(菅生川)が、西に伊賀川が流れているという好立地。↓は乙川南岸から見た天守閣です。

橋を渡った内側には水堀が作られており、きれいに積み上げられた石垣が見事です。

川の流れていない東側には広大な曲輪が配置されています。

平城ならではの広大な曲輪にはかなりの数の兵を駐屯できたでしょう。
水堀の外側を歩いていくと「えな塚」がありました。
これは家康が生まれた時のへその緒を祀ったものだそうです。
さらに歩くと産湯の井戸もありました。
天守の北側には大手門があり、天守に向かって進むと深い深い空堀があります。

かなーり深く、しかもかなーり急角度で作られています。一度落ちると、二度と登れないのではないかというくらい急ですね。
そしていよいよ本丸、そして天守閣。




あちこちぐるぐる歩き回って約1時間。炎天下ではありましたが木陰も多く風も少しあったので、汗びっしょりとまではならずに済みました。
岡崎城は豊臣の時代に田中吉政が城主となった際、大規模な整備がされたようで、城下町を含めた範囲を堀で囲む「総構え」として作られました。こうすることで籠城戦が長期化した場合でも継戦能力が維持できるメリットがあり、先に触れた二本の川による攻めにくさなどもあって、高い防御力を持った城であると感じました。
天守閣は明治になって取り壊されてしまいましたが、昭和34年に復元されています。明治の取り壊しでは全国あちこちの城が大量に取り壊されています。文化大革命のようなイメージで、大変残念なことです。

まだ時間に余裕があったのでもう一つ小さな城を回って、いよいよ模型展示会場へ。
ご本人に会えたらあんなことやこんなことが聞きたい…などと妄想しながら現地到着。
施設のロビーに作品は展示されていました。




最も大きな作品の「軽巡洋艦能代」の前には制作の際にご本人が書かれた図面も置かれていました。


模型は全て1/100スケールで、キットではなく、全てのパーツを鉄、紙、真鍮、木などで自作されたのだそうです。
んー、これはすごい。
今まで調べても分からなかった部分の詳細がしっかりと具現化されています。
新聞記事によるとご本人は
「模型はおもちゃという考えがあるかもしれないが、精密な模型は芸術品だということを多くの人に知ってほしい」
と言われているそうです。
そうそう、そのとおり!
特に近年はモデラーの技術が飛躍的に上がっていて、(ジャンルに関わらず)まさに美術工芸品レベルという作品が本当に増えました。

これはご本人にお話を伺いたい!という気持ちがさらに高まります。
しかし。
周りを見回してもご本人と思われる方が見当たりません。
施設の方に聞いてみると
「午前中にはいらっしゃったんですが、お昼頃に帰られました」

ガーン_| ̄|○ il||li

午前中はかなりの人が来場されたようで、しかも30代40代の若い世代の人も多かったそうです。やはり新聞で取り上げられた効果は高いですねと仰っていました。
ガンプラは転売が大きな問題として取り上げられるほど高い人気を誇りますが、スケールモデルはそこまでの盛り上がりは感じていませんでした。特に艦船モデルは細かいパーツが大量にあるため、ベテランスケールモデラーさんでも「艦船だけは作ったことがない」という方が多いようです。
しかし今回のイベントは小規模だったにもかかわらず多くの人の関心を集め、しかも若い世代にも反響があったというのはちょっと驚きでした。
できればこうした機会に合わせて製作者ご本人を中心にした茶話会などが開催されれば、モデラーの輪(=和)が広がったかもしれません。
そうした可能性まで妄想してしまった小規模な、だけど大きな可能性のあるイベントでした。

痛風とうつさん、こんな貴重な情報を頂いたことを改めてお礼申し上げますm(_ _)m
Posted at 2021/07/31 18:47:34 | コメント(4) | 艦船模型 | 趣味
2021年07月02日 イイね!

軽巡洋艦龍田改二、完成

ついに、ようやく、完成しました。
まずはウンチクから。

時は昭和10年、日米開戦を想定した日本海軍は継戦能力向上のためには南方資源地帯との通商ルート確保が最重要課題であると位置付け、その護衛戦力の充実を図ることとした。
具体的にはマル3計画にて既存軽巡洋艦の防空及び対潜能力を改装・向上させるとともに、防空駆逐艦(後の秋月型)の新造に着手することとし、天龍型はその改装候補の1つとされた。
改装にあたってのポイントは以下の通りである。
・石炭混焼型の缶を高温高圧の石油専焼型に換装し燃費及び出力を向上
・船首の側面形状を直線的なラインに変更し凌波性を改善
・魚雷関係は全撤去し重量を軽減
・主砲を長8cm高角砲及び15cm噴進砲に換装し対空能力を向上
・爆雷兵装を大幅に増備し対潜能力を向上
・電測兵器を搭載し、遠距離探知能力を強化

この改装により排水量は1000トンほど増加したものの、缶の換装により航続距離が伸びたため南方-本土間の航行が可能となり、一部の5500t級軽巡とともに船団護衛の中核を担った。

てな感じで(笑)

では、作品をご覧下さい。






それぞれを説明し出すと筆が止まらないので、詳細はフォトギャラリーをご覧下さいm(_ _)m
龍田改二 完成写真その1
龍田改二 完成写真その2

【製作の感想】
今回は自身初の架空艦の製作でした。実艦の再現に比べて自由度が高く、ある程度の理屈が整理出来れば多少の「遊び 」は許されるので、図面や写真ベースに精確に作り上げるというスケールモデル製作から少し離れた世界を楽しむことができました。

とはいえ船体形状や上部構造物の基本的な配置は実艦に合わせるため、様々な資料の読み込みは必須でした。幸いにも今回の製作にあたりプロモデラー春園燕雀さんから図面などのご提供を頂くことが出来たので、かなり順調に作業を進められました。この場を借りてお礼申し上げます。
製作期間約3ヶ月というのは私にとってかなり短いもので、これも燕雀さんのおかげだと思っています。重ねてお礼申し上げます。

製作途中に感じたのは、燕雀さんと同じ工作を行った部分は作例写真があるので比較的高いクオリティで工作できたのですが、そこを離れたオリジナル部分はレペルが下がっています。いわゆるザク違クオリティです。
これはやはり個々のパーツへの向き合い方が甘いということでしょう。今後への反省点です。
逆に言えば作例通りに作るときちんとしたものが作れるということが分かったのは1つの収穫でした。完全に作例通りに作るという経験も必要かなと感じました。
龍田改二を作ろうと考えたのは、手元に古いキットがたまたまあったからで、特に艦に対して思い入れがあるわけではありません。それ故、どっぷりハマってがっつり作り込むという気合いが不足していたことは否めません。
ただ、天龍型防空巡洋艦の作例はググっても見当たらないので、自分なりのオリジナリティは出せたかなと。あとは製作過程で資料の勉強をしたことで、軽巡洋艦についての知識が少し付けられたのも収穫だと思います。

ということで、竹製作後同様、視力が激落ちくんなので、再び艦船模型製作から離れようと思います。
次の製作ではガンプります!

【製作記一覧】
軽巡洋艦龍田改二の建造(船体の修正)
船体の修正その2
船体の修正その3
船体修正その4・ジオラマベース作成
艦橋についての考察
煙突周辺・艦尾の工作
ジオラマベースその2・艦橋など
ジオラマベース完成・細部艤装
短艇の設置
マスト主砲などの製作
Posted at 2021/07/02 21:55:35 | コメント(5) | 艦船模型 | 趣味
2021年06月30日 イイね!

軽巡洋艦龍田改二の建造(マスト主砲などの製作)

軽巡洋艦龍田の製作もいよいよ大詰めです。
まずはマストの製作。
燕雀さんのブログによれば前マストの主柱の直径は1mm、支柱は0.6mmくらいと推測されています。
個人的にはそれぞれもう少し細めの方がカッコいいかなと思ったので、0.9と0.5にしてみました。
さらに防空巡洋艦たるもの電探は必須なのでマスト中段に新設したフラットに22号電探を、マストトップ下にE27逆探を設置しました。
また22号のすぐ下に小さなフラットを作り、2キロ信号灯を設置。

径の異なる円柱を2つ積み重ねた上に傘がかぶさる形状。円柱2つはメカコレ宇宙戦艦ヤマトの主砲砲身から作りましたw

後部マストは実艦では継ぎ目のない1本柱ですが、龍田改二では三脚に改装されたものとします。中段には13号電探を設置するのでスクラッチ。

メインとなる柱は、本物は三角柱ですが、サイズ的に三角柱を作るのが困難なので、1.5mm角棒にしました。

各部に付く様々な装備品もちまちまと製作。
↓は応急用角材とループアンテナです。

角材はプラバンの細切れで適当に作ったものです。ループアンテナはジャンクパーツのアンテナ部をピンバイスで十字方向にくり抜いています。この作業は初めてだったので、まずは0.3mm、次に0.5、さらに0.6、0.7と徐々に太くしていくという作業工程。この過程で壊してしまう人が多いらしいので、初めてにしては失敗もなくまずまずのくり抜き具合かなと自己満足に浸りました(笑)

旧海軍の計画では、主砲は長8cm高角砲5基とされています。

この砲は阿賀野型にしか積まれなかったもので、写真も図面も乏しく正確な形状や寸法が分かりません。唯一手元にあった図面がこちら↓

これではさっぱり分かりませんorz
仕方ないので、形状は深雪会HPのCG画像を、寸法は矢矧のキットパーツを全面的に参考にしながらスクラッチします。
深雪会HPのCG画像はこちら↓

その作業過程は以下の連続写真でご覧下さい。






そして塗装すると、完成です!


特に天蓋の面構成がかなり複雑なので、完成するまでは「こんなもの、どうやって作りゃいいんだ…」と悩む日々が続きましたが、若干の妥協(砲塔前面両側のシャッターは、射撃中は「開」が正しい)によりどうにかそれらしい形状にすることができました。
これが完成した瞬間は激しく高揚したのは内緒です(笑)

旧海軍の作った天龍型改装計画では、8cm高角砲は5基(他に25mm連装機銃4基)とされていますが、近接対空兵装が貧弱に感じられることと総重量の軽減効果を狙って8cm連装高角砲は2基とし、その他に25mm三連装機銃6基及び同単装機銃10基を装備し、さらに主砲の代替として15cm9連装噴進砲1基を装備することとします。
同噴進砲は駆逐艦澤風に試験的に搭載されていますが、対空兵装としてではなく対潜装備としての搭載(一応、対空用としても利用可能な想定とのこと)とされています。その写真資料は以下の2つ↓



この装備は何らかの理由により実戦投入困難と判断され、他艦への装備は見送られました。
今回はこの砲が抱える課題を解決し、対空対潜両用砲として活用できる目処が立ったという想定で作ることとします。
当然ながらこんなマイナー装備のパーツはインジェクション・エッチングとも存在しませんので、必然的にスクラッチ↓

実際の噴進砲は架台に25mm三連装機銃を利用したと何かの資料に記載があったので、フジミのパーツセットから転用し、その上に1.5mm角棒を砲本体として載せるという簡単工作です(笑)

上記の他にも様々な装備品をジャンクパーツから拾ったりスクラッチしたりしながら取り付け、仕上げにメタルリギングで空中線を張り、龍田改二は完成。
さらにジオラマベースに水柱などを立てて、戦闘中の表現を加えます。

かくして約3ヶ月の長きに渡った工程は終了。
次回はいよいよ完成アップです。お楽しみに♪


【お詫びと訂正】
以前のブログで「龍田艦橋の前面には段差がある」との持論を展開しましたが、先日購入した「写真 日本海軍全艦艇史」に↓の写真が掲載されていました。

これは昭和16年6月にクェゼリン環礁で撮影されたもので、前マストの三脚のうち後ろ二本が重なって見えることから正横からの撮影と判断できます。
写真は若干不鮮明なことと、天幕がかかった状態ではあるものの、艦橋前面はツライチに見え、段差等は確認できません。
従って↓の写真で見られる羅針艦橋直下の影は前面の段差によるものではなく、単なる写真のシミなどか、小さな台が作ったものでないかと考え直しました。

先のブログではその台の上に何を載せたのか分からないとも書きましたが、例えば作業灯などは他艦でも見られます。
いずれにせよ確定的な証拠があるわけではないので、今後新たな資料が発掘されて謎が解決されることを期待したいと思います。
Posted at 2021/06/30 22:55:14 | コメント(1) | 艦船模型 | 趣味
2021年06月26日 イイね!

軽巡洋艦龍田改二の建造(短艇の設置)

前回、9mカッター製作について触れましたが、その後さらに工作を続けました。
・側板の薄化
・防舷板の設置
・オール溝の表現
・舵の設置
出来ればオール10本も艇内に置きたかったのですが、私の技術ではリアルに作れそうにないと思ったので諦めました。
結果はこちら↓

40年くらい前の設計のキットがベースにしては、まずまずかなと(´ω`)
(後日談)
制作後、こんな写真を発見↓

オールの設置は溝ではなく、C型の金具でした(汗)
ま、駆逐艦のカッターは小さい(6m)ので、9m型は溝であろうということにしておきます(爆)

続いて内火艇。まずは9m型を作ります。
その前に写真の確認。



いずれも5500t級ですが、微妙に形が異なります。
次に参考にしたのはこちら↓

軍艦メカニズム図鑑「日本の駆逐艦」のイラストです。キットと比較すると、平面形が異なる(最大幅部が前寄り過ぎ)のと、キャビンが少し後ろ寄りのようです。意外と大工事…。
まず最大幅部を削ってより流線型にし、甲板上のモールド全削除した上からプラ板プラペーパー伸ばしランナーで各種構造物を再現します。その際、上記イラストの位置に配置し直すとともにディテールを追加します。
後部の士官室は上からティッシュ製のキャンバスを掛けるので少し小さめに作りました。
更にプラ片で防舷物を作り、完成。

さらに10m内火艇。
これはキットがないので11m版を切り詰めて作ります。
でもただ切り詰めるだけだと全体のバランスが崩れるので、平面形を僅かに削り込み、キャビンと士官室部分を削って少し前につけ直しました。
それらの成果がこちら↓




キットの印象からだいぶ変わったのではないかと自己満足に浸りました(笑)
この後、ボートダビットに据え付け、グライプバンドを掛けます。

バンドは細切りプラペーパーですが、この位置への接着がめちゃくちゃ大変でした。カッター・内火艇とも施工すべきですが、カッターまでで力尽きましたorz

カッターの吊るし方は先程の「日本の駆逐艦」にイラストがありますが、内火艇の場合は写真もイラストも見当たらず、ダビットから降りる金具が艇のどこに接続されるのか不明です。

小さなパーツの割には考証も工作もなかなか大変でしたが、出来てみるとディテールアップの効果も確認でき、高い位置に吊り下げられた様がカッコよく見えてきました(^^)


ここでボートダビットについて少し語ってみようと思います。
旧海軍では、ラッフィング型とラジアル型の2種類ありました。
ラッフィング型は龍田に装備されており、釣り針を逆さにしたような形状です。吊り上げて格納したボートを海面まで下ろす際にはダビット全体を舷外に向けて傾けるようにします。
ラジアル型はくの字のように曲がった形状で、ボートは吊り上げるのでなく甲板上に固定されます。ボートを海面へ出す際はダビットがデリックの役割となります。
ラジアル型はボート積載時にボートが安定すると共に、固定位置がラッフィング型に比べて低いので船の復元力に与える影響がより小さくなります。
対してラッフィング型はボート固定位置が高いので、その下を通路などとして利用することができるため、スペースに余裕のない小艦艇で多用されます。
ここで1つ疑問が。
↓をご覧下さい。

戦闘訓練中の特型駆逐艦ですが、ボートが舷外に振り出されています。
先程触れたようにボートの位置を高くしたり舷外に振り出したりすると復元力に悪影響がありますが、こちらの写真でもそうなっています↓


それでも振り出すのはなぜか。

あくまでも私見ですが、これは戦闘中の甲板スペースを確保し、乗組員の移動の便を図ったものではないでしょうか。
ラジアル型はボートが甲板に置かれているので邪魔ですし、ラッフィング型でも頭をぶつけそうです(笑)
龍田のボートは当初11m内火艇を装備する予定でしたが、訓令で「龍田現有設備ノ儘ニテハ (中略) 大ニ過グルヲ以テ」10mにされており、ここでもスペースが課題になっていることが分かります。
よって復元力を多少犠牲にしてでも弾薬運搬や配置間の連絡などのために、甲板上のボートを舷外に出して移動スペースを確保したのではないかと。
ただ、旧海軍がまとめた「合戦準備」(桜と錨の海軍砲術学校)の中に短艇の移動は記載されていません。
なのでこの考え方を採用するならば、「艦長判断で短艇を振り出すこともあった」というあたりでしょうか。
正解をご存知の方がいたら、ぜひご教示ください。
Posted at 2021/06/26 17:19:52 | コメント(3) | トラックバック(0) | 艦船模型 | 趣味

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何シテル?   08/24 20:13
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