• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ザクとは違うのブログ一覧

2023年09月30日 イイね!

笠寺高射砲陣地の講演会

時々行く戦跡めぐりは主に遠方ですが、近隣の名古屋市内にもいくつかそういう場所があります。
そのうちの1つが名古屋市南区にある笠寺高射砲陣地跡。
そこは現在「見晴台考古資料館」となっており、主に弥生時代の遺跡について研究される場所となっています。


しかし戦争当時は、6基の12cm単装高角砲が南向きの扇状に配置され、B29などを迎撃していました。
先日、その詳細について同資料館の学芸員さんが講演してくださるという機会があったので、行ってきました。

講演では、対空防御の歴史から説明がありました。私も知りませんでしたが、もともとは日中戦争開始頃にソ連が本土へ空襲してくることを想定したものだそうです。その後戦争末期に米軍による無差別爆撃が行われ、その際には笠寺の高射砲での迎撃が行われたと。

終戦後、陣地は破壊されたり埋められたりしましたが、平成64年以降数度に渡って大規模な発掘調査が行われ、その全体像がかなり分かるようになりました。
それによると陣地はかなりの広さで、通信関係の建物や兵舎など多くの建物があり、それらを繋ぐ塹壕も掘られていたそうです。
砲台は終戦後に米軍が爆破したそうですが、土を盛って隠したものは比較的良い状態で残っています。




設置されていたのは旧式の八八式75mm野戦高射砲でもあり、まともな射撃管制システムも無かったので、撃ち落とせないどころか、そもそも殆ど弾が届かなかったそうです。
それでも低空で飛来したものに当たったこともあるようで、「笠寺が撃墜したんだ!」と主張するB29が近隣に堕ち、戦意高揚のためその尾翼を取り外して持ってきて、高射砲陣地内に飾っていたそうです。その実物は同資料館に展示されています。


現地で見られるのは当時の遺構のほんの一部で、発掘調査でも全てを調査したわけではありません。考古資料館は弥生時代の研究が主な業務だからです。
しかし今回講演された学芸員さんは戦争遺産について深く研究されてきたようで、愛知県東海市市にある太佐山高射砲陣地跡についても研究され、その調査後に作られたパンフレットはその学芸員さんの研究結果が広範に取り入れられたのだそうです。


これはあくまでも個人的な意見ですが、ロシアがウクライナに侵攻し、中国や北朝鮮の軍事力強化が着々と進む中では、日本も戦争に無関係とは言い切れないと感じます。
島国ゆえに他国と地続きで隣接していないため、直接の脅威を感じる場面はなかなかありませんが、長距離ミサイルなどのリスクは確実に上昇しています。
弥生時代などの考古学の研究が無駄だとは言いませんが、こうした社会情勢を考えると先の戦争でどのようなことがあったのか、またそこに至るまでにどういう立場の人たちがどのような判断をしたのかを考えるのは大切なことだと思います。
特に日本はそうした部分から目を背けてきたので。

今後、より多くの人が戦争のことについて考えるようになることを切に望みます。

フォトアルバム
笠寺高射砲陣地(見晴台考古資料館)
Posted at 2023/09/30 22:32:30 | コメント(1) | ダークツーリズム | 旅行/地域
2023年01月27日 イイね!

豊川海軍工廠跡地見学会

愛知県豊川市にある海軍工廠跡地。
ここは当時「東洋最大規模」と言われた弾薬工場があり、最盛期は5万人の人が働いていました。
残念ながら昭和20年8月7日の大空襲により大半の施設は破壊されましたが、一部に難を逃れた施設が残っています。
現在では敷地の大半は企業の用地となり、僅か3haが記念公園として解放されています。この他、比較的大きな面積を名古屋大学が光電研究所として利活用しており、その敷地は戦争当時の状態がほぼ手付かずで残されているので、年に数回の見学会の時だけ見ることが出来ます。

13時の集合時間には100人近くの見学者が集まり、人気の高さを伺わせます。
名大敷地に入るとすぐに当時の街路灯がお出迎え。

柱はコンクリート製で、送電線は地中にあるのだそうです。

少し進むと名大の研究施設があります。

敷地に入らせて頂くので、研究者の先生から施設の説明がありました。
これは宇宙線をキャッチするアンテナだそうで、パラボラアンテナに換算すると直径60mに相当するとか。近年では可視光による観測に加え電波などの観測が主流になりつつあります。この施設もその1つ。鹿角型に伸びる架台には無数のピアノ線が張られていて、それが宇宙からの電波をキャッチする仕組みです。
すごい!

しかし。
説明後に出た一発目の質問は「この施設が我々の生活にどう役に立つのか分からん!」
明らかにバカにしたニュアンスの言い方。
それでも先生は一生懸命説明してましたが、その途中別の人が「もっと簡潔に説明せよ!」との怒声。
大半の人が眉をひそめていましたが、声の主達は何処吹く風。あんな年寄りにはなるまいと固く誓いました。
先生には是非別の場でお話を伺いたいものです。

さて気を取り直して見学会。
当時の舗装路を進むと、途中に爆撃で倒された街路灯があります。


近くに着弾したのでしょう。人が亡くなっていなければいいですが…。

更に奥に進むと着弾跡がいくつかあります。

250kg爆弾の跡だそうです。恐らく長年の風雨で穴は浅く小さくなっていると思われますが、周囲に散乱したコンクリート建物の残骸がその威力を如実に物語っていました。


その奥には半地下式の防空壕跡があります。

南北数10mくらいに細長く延びており、当時はこの上に板がかけられていたそうです。樹木も当時からこの位置にあったとのこと。
規模的にはさほど大きくはないので、大した人数は入れなかったでしょう。こうした施設が敷地内に数多く作られていたのでしょうね。
先程の着弾跡がすぐ近くにあるので、爆撃中この防空壕に避難した人たちはどれだけ肝を冷やしたことでしょう…。

次に見学したのは材料庫。


小さな建物2つですが、当時この中には火薬の原料などが貯蔵されていたそうです。
戦後は一時鳥小屋として利用されたそうで、建物内のガラクタの殆どはその時のものです。
しかし中にはこんなものも↓

写真では分かりづらいですが、板の表面に火薬の材料名が書かれています。
こんな貴重なものが普通に風雨にさらされてしまう環境に置かれているのです。
いいんかい豊川市教育委員会!?

その北側には高い土塁に囲まれた場所があります。入口だけはコンクリート製。


土塁の内側は草木が茂っています。
ここは第三窒化鉛製造場だった場所。
万が一の爆発の際、爆風が周囲に及ばないように土塁が作られています。
残念ながら爆撃により建物は破壊されてしまっており、土塁の一部にも爆撃による破損が認められます。

最後に立ち寄ったのは巨大な火薬庫。


倉庫全体を土で覆うことにより温度の変化、特に上昇を防ぎ、自然発火などをさせない作りです。
鉄扉には機銃掃射の跡も見られました。

この他、敷地内にはトイレ跡や電柱などもありましたが、いずれも爆撃により破壊されていました。



見学会は毎年冬頃に数回行われますが、見学場所は毎回同じなのだそうです。
説明はボランティアの方々が詳しくしてくださるので、大変参考になります。
今は欧州方面で戦争が行われていますが、言うまでもなく破壊行為からは何の成果も生み出されません。あえて生み出されるとすれば破壊のための技術革新とそれを大きく上回る量の悲しみです。
こうした戦争遺産の見学を通じて不戦の誓いを新たにしました。
Posted at 2023/01/27 21:46:42 | コメント(1) | ダークツーリズム | 旅行/地域
2022年11月19日 イイね!

宿毛泊地の訪問記録・その4

宇須々木公民館まで戻り、その東側に歩いていくと、岸壁にスロープが設置されています。


これは水上機を海へ出したり、帰ってきた機体を収容したりするためのもの。
現在は港の施設として利用されているようです。
スロープの内陸部には広くコンクリートが敷かれており、その全面に一定の間隔でこのような跡が見られます。

もしかしたら水上機を繋止するための設備の跡かもしれません。
当時ここには宿毛海軍航空隊(453空)が置かれていました。配備は水上機で二式水上戦闘機と零式水上偵察機とされていたそうですが、様々な物資が不足する中で実際にどの機体が何機配備されたのか…。
ちなみにGoogleMap上では↓のあたりがスロープ位置とされていますが、誤りです。


近くの民家前の敷地にはこのような景色もあります。

このあたりは兵舎が建っていたのでそれを取り壊した残骸にも見えますが、どうなんでしょうか。
更にその近くを散策していると水路がありました。


軍の施設が建設された場所は上下水道施設が整備されます。それは呉や舞鶴なども同様でした。ここ宿毛もそうだったのでしょうね。

また、民家と道路の境にはこのような石柱も。

恐らく当時のものではないかと。
海沿いに進んでいくと海積神社があります。

鳥居の海側にはこんな施設が残っています。

当時の排水路ではないでしょうか。
そこから海岸沿いに歩いていくと、1本の柱が立っています。

これはなんなんだろう…。

さらに先には大きな駐車場を備えた公園があります。

こちらにも公民館にあったものと同じ説明板が立てられていました。


4回に渡って記録した宿毛基地の遺構ですが、呉の玄関口で大型艦も寄港したという割にはコンパクトな基地施設だったなという印象を受けました。と同時に、旧4大軍港のようなまちづくりの一環としての売り出しは特にされておらず、ひっそりと遺構が残されているという状況でした。
遺構は徐々に劣化しているため、近年は安全上の理由で閉鎖されつつあります。
しかしながら当時の高度な建築技術を知ったり、特攻兵器整備の現場で戦争の無意味さを感じ取ったりするためには、やはり実物の説得力に及ぶものはありません。
遺構保存にはお金も手間も多くかかるとは思いますが、現在の平和に至るまでどのような経緯をたどってきたのかを知るためにもしっかりと残し、そして多くの人に見てもらえるようになると良いのではないかと思います。
Posted at 2022/11/19 10:16:45 | コメント(0) | ダークツーリズム | 旅行/地域
2022年11月19日 イイね!

宿毛泊地の訪問記録・その3

その3

火薬庫跡から先へ進むと…

巨大です。
極めて狭い階段を慎重に登っていくと…



貯油庫とのことです。
奥に伸びるトンネルでどうやって油を貯蔵するの?と思いますよね。どうやらこのように使っていたようです。

トンネルの奥に向かってこのようなタンクを並べていたと思われます。


入口手前にある円形の構造物は油の出し入れに使う設備の台座でしょう。
同様の施設がこの奥にもいくつかあるようですが、いずれも民地なので入ることは出来ません。

そのすぐ隣にも地面の高さで作られた同様の施設がありますが、こちらは安全上の理由で閉鎖されています。

恐らく↓の古写真と同じ場所でしょう。

近年は各施設の劣化が進んだため次々と閉鎖処理が進んでいるようです。折角残された遺構であり、愚行への反省のためにも出来るだけ残してほしいものです。

そこから道沿いに先へ進むと小さな小屋があります。


現在は倉庫として使われているようですが、建物の大きさの割にはしつがりしたコンクリート壁で作られています。
何らかの軍の施設だったと推定できます。

そのすぐ隣にはこちらが。


魚雷調整庫だそうです。
奥の一段上がった場所に調整用の道具を置いていたのでしょうか。
先程の小屋は魚雷の信管保管庫かもしれません。
調整庫の前の地面は何かの基礎だったようなものが。

規則的に並んでいるので、調整庫関係のものでしょう。

更に進むと桟橋があります。


この桟橋の陸側一定の距離までは戦争当時に使われていたもので、その先は戦後に延長されたものです。
陸地に近い場所なので、小型の船舶が横付けしたのだろうと思います。例えば、貯油庫や火薬庫が近いことからそれらの運搬船や、艦船の乗組員の半舷上陸用とか。妄想が膨らみます(笑)

桟橋付け根から少し陸地に入った場所にこのような構造物が残されていました。

草に埋もれて頭しか見えていませんでしたが、どうやら船舶を繋ぎ止めるための柱と思われます。事実、当時の図面にもそれを示す表記が見られます。

柱はもう1箇所表記されていますが、そちらは無くなっていました。

ここから更に海沿いに進むと恵比寿神社入口があり、その脇には「魚雷艇整備場」と看板のある横穴があります。


残念ながら内部には入れませんが、特攻艇「震洋」の整備場だったようです。震洋は全長5mのベニヤ製モーターボートで艇首に250kgの爆薬を内蔵しそのまま敵艦に突っ込むという完全に頭のおかしい殺人兵器です。
震洋の最高速力は16ノット。鈍重なイメージの戦艦ですら30ノットを出すので、追い付くどころか引き離されて銃撃され放題。こんなものを6000隻以上も製作したそうです。
旧日本軍は震洋や人間魚雷回天などの特攻兵器で日本民族を消滅されるつもりだったのでしょうか。

その4に続きます。
Posted at 2022/11/19 10:07:31 | コメント(0) | ダークツーリズム | 旅行/地域
2022年11月06日 イイね!

宿毛泊地の訪問記録・その2

前回触れた公民館はこんな様子です。

この建物は近年建てられているので、当時のものではありません。
公民館のすぐ左隣には火薬庫跡が残っています。

建物の周囲をコンクリート壁で取り囲む作りは、万が一火薬庫内で爆発があった場合、周囲に被害が及ばないようにするためです。
壁には2箇所鉄扉が設けられていますが、向かって右は固く閉ざされています。

かれこれ100年くらい海風に晒されている割にはしっかりと形を残していますね。
左の扉は開いており、中に入ることが可能です。建物はレンガ作りでした。


建物と壁の間には家畜の飼料タンクがあります。一時期ここを鶏小屋として利用していた名残ですが、現在は使われていないようでした。
建物・壁とも蔦植物に覆われており、詳細を確認することは困難でしたが、背後を高い位置から撮影すると、3階と思われる作りも見られました。1階が火薬庫で、2階3階は事務所などだったのかもしれません。

火薬庫跡の右隣には小さな建物があります。

用途は不明ですが、火薬庫から続く外壁に囲われていることから当時の建物でしょう。
外壁と建物の間にはこんなものが転がっていました。

これも用途不明。でも雰囲気的には当時のものの気がしますが…。
この建物と公民館との間は住宅が建っていますが、その敷地の周囲にはこのようなものが巡らされています。

これも当時のものではないかと。

さらにその住宅の裏手に建っている住宅では、道沿いにコンクリート柱が何本も立っていました。

このような光景は当時はよくあったようなので、このあたりも軍の施設が建ち並んでいたのでしょう。

公民館及び火薬庫と岸壁の間には比較的広いスペースが広がっています。

敷地内を歩いてみると、当時のものではないかと思われるコンクリート片が散見されます。

先に掲げた当時の絵図では、この場所に何かの建物などはなかったようです。岸壁で行われる補給物資などの仮置き場ということでしょうか。

まだまだあります。
次回その3に続く。
Posted at 2022/11/06 16:48:03 | コメント(0) | ダークツーリズム | 旅行/地域

プロフィール

「重巡鳥海の製作(煙突の工作その1) http://cvw.jp/b/488285/48625038/
何シテル?   08/29 07:11
模型工作とキャンプが大好きなヘタレをやぢです。 私がフォローする方には2種類あります。 一つは「以前からのみん友さん」 もう一つは「ちょっと興味を持っ...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/8 >>

     12
3 456789
1011121314 1516
171819202122 23
2425262728 2930
31      

リンク・クリップ

エアコンパイプの断熱 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2019/09/22 18:04:47
耐熱ホースカバー取付(冷却効果UP) 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2019/09/22 18:02:04

愛車一覧

ホンダ シャトルハイブリッド イフリート (ホンダ シャトルハイブリッド)
イフリート初号機です。 前車・プレマシーに比べ排気量が△500CCなので、若干の非力さは ...
その他 キャンプ その他 キャンプ
我が家の行ったキャンプ場をまとめておく場所です。
その他 その他作業記録 その他 その他作業記録
1/700を中心とした艦船模型についてのまとめです。
その他 その他作業記録 その他 その他作業記録
ガンプラ製作の記録です。
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation