
今朝の新聞で、オリンパス顧問の米谷美久(まいたによしひさ)氏が逝去されたことを知りました。
国民的ヒットとなった「ペン」、小型軽量の「OM」、カプセルカメラの「XA」の設計者であり、日本で一番有名なカメラ設計者でありました。
いつも先端にダイヤを埋め込んだペンをお持ちで、ユーザーから求められるとカメラにサインを刻んで頂けました。
サインを求められるカメラ設計者なんて、そうそういませんね。
ちなみにOMの「M」は、MAITANIの「M」を意味しています。
いち技術者として、先生の開発思想に感銘を受け、そして憧れておりました。
ここに哀悼の意を表したいと思います。
米谷先生には一度お会いしたことがあります。
2005年の秋に座談会形式の交流会に参加させてもらいました。
その際のお話を、以前某掲示板に投稿させて頂いたのですが、今回再掲したいと思います。
少々恥ずかしいのですが・・・
夢の話
妙にリアルな夢であった。
そこで私は、高名なカメラ設計者にお話を伺うことが出来た。
夢の出来事で舞い上がっており詳しく覚えていないが、「夢日記」として記録したいと思う。
卓上には先生の設計されたカメラが並んでいる。
PEN、PEN F、M-1、OM-2、XA・・・それに新しいE-500にはOMの50mmF3.5マクロが付けられていた。
55mmF1.2付きM-1を覗いてみたところ、プリズムが腐食していて笑ってしまった。
O社の保存品とはいえ整備されておらず、釣った魚にエサは与えられていなかった。
OM-2は40mmF2付きである。貰って帰りたい(笑)
夢で会った人:先生は写真を撮る設計者として有名ですが、最近は発表されないのですか?
先生:コンテストの審査員に顔なじみが多すぎて、発表する機会がない。
最近の被写体は主に「孫」と「紀行」である。
カメラの撮影はカラーフィルムであるため、暗室作業はもう行なっていない。
写真以外にビデオの趣味がある。
仲の良い他社の方々(皆さん役員クラス)と旅行に行ったりするのだが、
その場合はもっぱらビデオ係である。
帰ってから編集して皆さんにお配りしている。
夢で会った人:以前朝カメに載った先生のハワイでの写真が心に残っている。
先生:この時のレンズは40mmF2である。
普段21mm(F2)から250mm(F2)まで持ち歩く(!)が、40mmは付けっ放しである。
この40mmがOMに一番似合っていると思っている。
先日キタムラで中古を見つけたが、とても高くて驚いた(笑)
40mmF2の発売には非常に苦労した。
いわゆるパンケーキレンズであるが、パンケーキとしてのエクスキューズは無くしたかった。
パンケーキだから暗くても仕方が無い・・・ではなくF2を実現。
パンケーキだから最短が長くても仕方が無い・・・ではなくヘリコイドを工夫して30cmを実現。
パンケーキだからレンズ構成が・・・ではなく奢った構成にしてピントも良くした。
設計者として欲しかったレンズではなく、使用者として欲しかったレンズである。
その実現のために設計を何度もやり直した。
40mmは標準レンズであるが、当時標準には既に50mmF1.8、F1.4、F1.2があり、
多くの在庫を抱えていた。
「これ以上標準レンズを増やすことは出来ない」と、ある役員の反対に会い
開発に待ったが掛かってしまった。
しかしどうしても40mmが欲しかったので、この役員が海外出張で日本にいない間に
会議を通し、強引に開発してしまった。
夢で会った人:現在の設計者は実際に写真を撮る人が少ないのでは?
先生:90mmF2マクロの試作品が出来、社内基準で評価したところ素晴らしい性能が確認され、
レンズ設計者が自信満々で持ってきた。
実際に使ってみるとほんの少しであるが一部写りが悪い部分があることに気づいた。
それを指摘すると、レンズ設計者はカンカンになって怒って帰って行った。
ところが細かく測定を行なったところ、1/4倍~1/2倍の間でフレアが多くなる部分が
あることが判明した。
社内基準はステップで評価するため、この間にあった不具合が見落とされていたためである。
これは普段から実際に写真を撮っている人間でないと見つけられないだろう。
O社では入社すると社内の写真学校に入ることになる。
自分のお金でカメラを買い、写真を覚え、卒業時には全紙まで伸ばして作品展を行なう。
自分自身が使用者の立場で開発を行なう為である。
夢で会った人:TTLダイレクト測光のパテントはM社(当時)が取得したと聞く。
両社間の話し合いはされたのか?どうやって特許回避されたのか?
先生:M社の特許請求範囲にO社のTTLダイレクト測光は含まれていない。全く異なる物である。
この件に関して、両社間で話し合いが持たれたことはない。
夢で会った人:OMがスペースシャトルに乗ったと言うのは本当ですか?
先生:そんな話は知らないなあ。乗ってないでしょ。
夢で会った人:N社の機材が故障してバックアップのOMが使われたという内容の本を
読んだことがある。
私:「使うオリンパス」という本に載ってました。
先生:ニコンも使われていないでしょ。NASAはハッセルとか使っていたと思う。(※)
一眼レフは使ってなかったでしょ。
夢で会った人:F3にNASA仕様がありますよ。
(周りの人からOM-4というささやきが聞こえる)
先生:宇宙は知らないけど、エベレストとかの極地には行きました。
他社が-10度までしか使えないところ、OMは-20度まで耐えた。
油を極力使わず、固体潤滑剤を使用したおかげである。
しっとりした巻き上げを取るか、巻き上げがギシギシしても耐寒性を取るかで後者を選んだ。
※)先生の宇宙開発はアポロの時代で止まっている様である。(失礼!)
OM-4がNASAで使われたのは事実の様である。
文字通り 「宇宙から」バクテリアまで である。
夢で会った人:最近のデジタルカメラは商品サイクルが短い為か、愛着が湧かない。
先生:カメラには写真を撮る目的以外に、眺めて楽しむ趣味があっても良いと思う。
最近はそういったカメラが少ない様に思う。
中古店に行くとプラスチックのカメラが雑にダンボールに入れられて売られていたりする。
夢で会った人:KC社がT-2を出し、N社が35Tiを出し、M社がTC-1を出した。
O社から高級コンパクトが出なかったことが残念である。
先生:XAは本格的にプラスチックを使った最初のカメラである。
中身はまだまだ多くの金属が使われているが・・・
このカメラ、眺めてみても充分に楽しいカメラにしたつもりである。
金属製カメラでないと楽しめないことはなく、素材は関係ないと思っている。
夢で会った人:XAは周辺減光が多く、そこに味があって好きです。
先生:最初の(XA)は多かったけど、次(XA2)からは改良した。
夢で会った人:最近は中国でカメラを作っているが、技術流出は問題でないのか?
先生:中国には深センなどに比較的早い時期からO社の工場があるが、
例えO社が行かなくても、他のメーカーが進出しているので結果は変わらなかっただろう。
ただし、ガストロ(胃カメラ)は違う。
O社が行かなければ、どこも行かないので、技術流出はありえない。
ガストロは絶対に国内で作っていく。
司会:現在日本カメラ博物館においてO社展を行なっています。
初公開のMDNも展示されています。私も見ましたが、本当に小さいカメラです。
私:このMDNは実写出来るのですか?
先生:出来ます。
私:シャッター機構はミラーの下ですか?
先生:そうです。
夢で会った人:OMのシャッターダイヤルはレンズマウント基部にあるが、
ユニット化し易い様にあの位置になったのですか?
先生:そうです。
夢で会った人:MDN以外にも多くのユニットがあったのですか?
先生:ありました。というか、最初はそればかり作っていた。
システムカメラですので、後から作ったユニットがうまく付かないとかの制限があっては
いけない。
動作確認のためユニットは最初から作りこんでおく必要があった。
ユニットの組合せでコマ数計が隠れたりするので、別の位置に2つめのコマ数計があったり
する。
夢で会った人:レンジファインダーとかもあったのですか?
先生:レンジファインダーはまだ作っていなかった。
ユニットばかり作っており、なかなか形が見えてこない。とりあえず何か出せという話になった。
MDNとかは1ユニット1機能で設計していたが、あらかじめ複数の機能をまとめたMDSがあった。
これを先に出せとなり、まずはMDS(OM-1)を発売することとなった。
M-Systemの中ではMDNが高級機、MDS(OM-1)が大衆機の位置付けであった。
大衆機といえどもシステムカメラであるので、充分に高級なのだが。
私:MDNの存在が公にできないので苦労があったと思うが、OM-1開発の途中で遷都されたという
シャッター機構は、既にMDNの開発の時点でほぼ完成されていた訳ですね。
先生:そうです。
私:OM-Xという構想は、OM販売終了時の朝カメの記事で初めて読みました。
その時は「へぇー」としか思わなかった。
ところが、後日「オリンパスのすべて」という古い本(※)を読みかえした時、
先生の書かれた「OMシステムには主従関係はなく全てが対等にある・・・」との文を見つけ
「これはOM-Xのことそのものだ!」と興奮した覚えがあります。
先生:うんうん、ここ(喉)まで出かかっていたんだけどね。書けない(笑)
その順番で読んだから気づいたんだね。逆だったら気づかない。
「OM-5はどんなカメラですか?」とよく聞かれたが、OM-5じゃないんです。OM-Xなんです。
ユニットを組み合わせて高性能な単機能カメラであり、システムとしては万能なカメラ。
その流れからいったら、(組み合わせる1つの機能として)OMはデジバックを作っていたと思う。
私:MDNとは何の略でしょうか?今聞かないと一生分からないと思いまして・・・
先生:気にせずに使っていたけど、普通の人には分からないよね。
「M」はM-System、「D」はDarkBox、「N」はNeutralです。
MDSの「S」はStandard。
私:じゃあMDE(OM-2)の「E」はElectricですね?
先生:そうです。
※)オリンパスのすべて(朝日ソノラマ 昭和51年11月15日 初版)より抜粋
OMシステムの考え方
OMシステムでは、本格的システムカメラにふさわしいだけの交換レンズをはじめ、豊富なユニット群が用意されている。しかも他とちがってそれらのユニット群がカメラの付属品といった主従の関係にないことである。それぞれ独立した高性能ユニットの集合体なのである。だからカメラボデーといえども、他のユニットと同格の、ユニット群の一つにすぎず、またカメラユニットがいくつあってもよいわけである。
夢もそろそろ覚めそうである。
カメラには有名なダイヤモンドペンで、書籍や色紙には筆ペンで各自サインを頂いた。
司会:カメラをお持ちなら、一緒に記念写真はいかがですか?
私:是非お願いします。先生のカメラではないので申し訳ないのですが、ミュー2でお願いします。
先生:いやいや、これの時はまだ事業部長(正確な役職は失念)として絡んでいたよ(笑)
私:Lシリーズには絡んでいないのですか?
MDNの特殊なファインダのM字の光路図を見たとき、Lシリーズのと同じだと思いました。
先生:Lには関係していない。
私:ではファインダ形式が一緒になったのは偶然か、なるべくしてなったか分かりませんが、
先生のお弟子さんの作品なんですね。
最後に先生に握手をして頂いた。
小柄な体から想像していたよりは、ずっと大きな手でした。
これは私の夢の話であった。
しかし、この夢の時間は一生忘れることがないだろう。