
市販前提試作車・879Bによる度重なるテスト走行によって、MR2はその開発の最終段階に突入していた。そして1983年の秋。東京モーターショーにおいて、遂にその姿が明らかになる。
~プロトタイプMR2・SV-3~
1983年10月28日。
東京で開催されたモーターショーで、ある一台のコンセプトカーが出展された。その車の名は『SV-3』。日本初のミッドシップスポーツカーとして、予てから開発が噂され、既にスクープ写真も雑誌に掲載されていた車である。
画像は、『CG CAR GRAFFIC』1983年12月号に掲載されたSV^3のピンナップである。
ホワイトとグレーのツートンカラーにイエローのライン。スピードメーターにはデジタルを、タコメーターにはアナログを採用したインストゥルメンタルパネル。スーパーカーの象徴とも言えるリトラクタブルヘッドライト。ルーフのウィンドウを取り外せばオープンとなるTバールーフ。そして、何よりもエンジンがリアミッドシップに収められたその躯体は、相当な熱気を以て迎えられたと言う。
※アドレスは控えますが、『みんカラ』において、『SV-3』で検索すると、当時のモーターショーにおけるSV-3の写真を掲載されている方がおられます。
トヨタの説明によると、
・LASRE(レーザー)のα4A ツインカム16をミッドポジションにマウント
・フロント、リアの理想的な重量配分により、タイムラグのない操縦性、安定したコーナリング、優れたロードホールディンを確保
とのことだった。
トヨタが既に販売を開始していたエンジン横置きのFF車・AE82型カローラFXのコンポーネンツを流用し、エンジン、並びにトランスミッションをリアミッドに移設。AE86型スプリンタートレノ/カローラレビンにも搭載されていた4A-Gを横置きにマウントしたものであった。
当時の『CG CAR GRAFFIC』・1983年12月号では
『市販化を前提としている完成度』
『1972年に発表されたアルフェッタ・スパイダーに酷似している』
『ロータスがトヨタのエンジンを用いて開発する新エランではなく、トヨタがヤマハの協力を得て開発してきた独自のモデル』
と分析している。
~MR2。AW型の登場~
東京モーターショーでの反響も受け、トヨタはSV-3の市販化へと動く。そして、その車は、『MR2』という名称を与えられ、遂に量産化が開始された。MR2とは、『Midship Runabout 2sheeter』という造語の略である。
MR2第1号車ラインオフの式典の際、MR2開発の発端となった『従来の発想では考えられないようなコンセプトの車輛がトヨタにはあってもよいのではないか』という発言を行った豊田英二前社長もセントラル自動車に足を運び、自らテープカットを行ったという。トヨタの社長がラインオフ式典に訪れるのは極めて異例のことであり、その時の豊田英二氏の笑顔は忘れられないと吉田昭夫技師は語る。
そして1984年6月。ついに市場にMR2が登場することとなった。
『SV-3』からはデジタルメーターの廃止など、細かな変更点はあったものの、Tバールーフも設定されるなど、その姿はほとんどSV-3とは変わらなかった。
グレードは『Gリミテッド』『G』『S』の3種類。『Gリミテッド』と『G』には『AW11』。廉価グレードでSOHCユニットである3A-Uを搭載した『S』には『AW10』の型式名が与えられた。
その概要は以下の通りである。
・全長×全幅×全高:3,950mm×1,665mm×1,250mm
・ホイールベース:2,320mm
・車輛重量:1,020kg(Gリミテッド)
・価格価格:139万5000円~179万5000円
~改めて。MR2とはどんなクルマだったのか~
『背中にはふたりを酔わせるハートがある』
『ふたりはひとつのことに夢中になっていた』
『太陽はふたりの背中に隠れていた』
そんなキャッチコピーと共に登場した国産初のミッドシップ『スポーツカー』として登場したMR2は、若者たちから熱狂的な空気を以て迎えられた。
AW型の発売後。アメリカ西海岸を訪れた吉田昭夫技師は、現地の若者がAW型から降りてくる光景に偶然出遭ったという。元はと言えば、アメリカ西海岸における滞在経験からMR2の着想を得ただけに、現地で自らのイメージ通りの存在となっていたMR2とその風景を見た時の吉田技師の感慨は想像するに余りあるであろう。
しかしながら、ミッドシップ『スポーツカー』としては今一つ煮詰められきっていないその性能に、批判の声も上がることとなった。
ただし、ここで重要となってくるのは、トヨタは基本的にMR2を『スポーツカー』と呼んではおらず、カタログ上のいずれの文面を見ても、『スポーツカー』の文字は登場しない。トヨタはMR2を『ミッドシップランナバウト』。即ち『小型のミッドシップ』と位置づけ、あくまでもスポーツカーではなく、ドライビングにおけるプレジャーを目的として製作したのである。
つまり、トヨタはスポーツカーとしてMR2を作ったのではない。MR2はスポーツカーでは無いのである。同時期に爆発的ヒットとなったAE86型スプリンタートレノ/カローラレビンも、当時のカタログには『スポーティカー』と表記されている。言わば、マツダのロードスターシリーズがそうであるように『軽くて小回りが利き、乗っていて楽しいクルマ』というコンセプトでMR2を開発したのである。これは、SW20と同じくセリカをベースとした70型スープラも、想定されたシチュエーションに違いこそあれ、『スポーツカーではない』ことを強調したコンセプトは似たようなものであり、70型スープラも、トヨタは『グランドツーリング』とは呼んでも『スポーツカー』とは呼ばなかったのである。MR2をロードスターとするならば、70スープラはスバルのアルシオーネと同等のコンセプトなのである。意外な事ながら、日本が誇るスーパーカーとして名高いホンダのNSXですら、元はと言えばレジェンドをベースに製作した、MR2とコンセプトを全く同じにする車だったのである。ビートやAZ-1は言うまでもないだろう。
極論を言えば、日本には、真性のミッドシップスポーツカーは未だに存在しないのである。
ただ、遺憾ながら。個人がプライベートタイムを楽しむ為の2シーターとして、MR2の登場はいささか早すぎたと言えるかもしれない。そのコンセプトで成功した車と言えば、ユーノスロードスターの登場を待つことになる。
そのコンセプトとは裏腹にMR2は、さらなる性能を求めるユーザー達の声を受け、マイナーチェンジ後はスーパーチャージャーを搭載することによってパワーアップを図り、ほぼ同時期に発売されたCR-Xと同じく、ジムカーナにおいて華々しい活躍を遂げることとなった。また、MR2のWRC参戦を想定して、AWをベースとし、SW型に搭載された3Sエンジンを縦置きに配置した試作車も製作され、ホモロゲーション取得の為の200台を製作するのに必要な部品の調達も行われていたが、結局は実現しなかった。(この試作車は現在、トヨタ博物館に収蔵されているという噂がある)
※関係ないですが、CR-Xデルソル開発の際、MR2のリアウィンドウを取り払ってテスト走行させてみたというエピソードがあります。デルソルのリアウィンドウ格納機能はMR2が無ければ有り得なかったかもしれません。
その後も、性能重視のマイナーチェンジを重ね、遂にはWRCにも参戦したST185セリカをベースとしたSW20型へとモデルチェンジを遂げ、エンジンには2.0Lのターボユニット3S-GTを搭載することになった。その後の熟成により、MR2はサーキットにおいても、日産のS15シルビアやホンダのシビック、インテグラなどの各社ライトウェイトスポーツカーにも決して引けを取らない性能を手に入れることになったのである。その後も性能重視のマイナーチェンジは続き、原点の『Fun to Drive』に立ち返ったのはMR-Sが発売された1999年。初代AW発売から15年が経過した時のことだった。
いまだ日本の自動車市場には浸透しきってはいないそのコンセプトもあり、MR2は、AW、SW、ZZWと、わずか3代でその系譜に幕を降ろすことになった。MR2を駄作、あるいは中途半端なクルマと罵ることは簡単である。しかし、当時の日本の各自動車メーカーのどこもが、失敗を恐れて行わなかったミッドシップ車の開発を、スポーツカーを作らないトヨタが他社に先駆けて行い、市販化に成功したことは、誠に評価されるべきことである。その先進性だけでなく、スポーツ性とユーティリティ性。開発コストと販売価格、予想販売台数など、相反し、矛盾する要素を見事に両立させたそのバランス感覚は、トヨタで無ければ決して成し遂げられなかったのではないだろうか。結果として、現時点で日本において発売されたミッドシップ車として、MR2は最も成功したミッドシップであると言っても過言ではないだろう。トヨタのクルマには個性がないと度々酷評されるが、MR2はじゃじゃ馬とも評されるその独特の走行特性も相まって、古今東西、あらゆるスポーツカー、スポーティカーと比較しても、その存在がオンリーワンのクルマとなったのである。
2009年10月。東京モーターショーにおいて、トヨタのプリウスが第30回日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞することになった。
それと同時に展示された歴代カー・オブ・ザ・イヤー受賞車の中に、AW型MR2の姿もあった。真紅の輝きを纏い、背中に心臓を背負ったそのクルマは、居並ぶ他の受賞車たちの中でも一際異彩な雰囲気を醸し出している。ミニバンやステーションワゴンの溢れる現代の車社会に慣れ親しんだ幼い子供たちにとって、MR2はとても不思議な、かつ奇妙な存在として映ったに違いない。
MR2。現代のクルマが。ドライバー達が失い、いつしか忘れてしまったモノが。確かな個性がそこにはある。
参考文献:
・「J's ネオ・ヒストリックArchives『TOYOTA MR2&MR-S』」/ネコ・パブリッシング
・「I LOVE A70&80 TOYOTA SUPRA」/ネコ・パブリッシング
・「ハイパーレブ Vol.21 トヨタMR2」/ニューズ出版
・「ハイパーレブ Vol.50 トヨタMR2 No.2」/ニューズ出版
・「タツミムック チューニングトヨタ MR2&MR-S VOL.1」/辰巳出版
・「タツミムック チューニングトヨタ MR2&MR-S VOL.2」/辰巳出版
・「タツミムック チューニングトヨタ MR2&MR-S VOL.3」/辰巳出版
・「CG CAR GRAFFIC」1983年12月号/二玄社
・「MR2 AW10/11」前期型カタログ
・「MR2 AW10/11」後期型カタログ
・「MR2 SW20」Ⅰ型カタログ
・「MR2 SW20」Ⅱ型カタログ
・「MR2 SW20」Ⅲ型カタログ
・「MR2 SW20」Ⅳ型カタログ
参考サイト:
・「ウィキペディア」 http://ja.wikipedia.org/wiki/
・「MR2ちゃんねる」 http://mr2.jp/
・「TOYOTA MR2 CLUB JAPAN」 http://homepage3.nifty.com/midship/
・「ダイエーモータース」 http://www.daie-motors.com/
その他・関連ブログ:
・
備忘録 01 「SV-3」 ~トヨタ・プロトタイプMR2開発秘話~ その1
・
備忘録 02 「SV-3」 ~トヨタ・プロトタイプMR2開発秘話~ その2
・
備忘録 03 「SV-3」 ~トヨタ・プロトタイプMR2開発秘話~ その3
・
おめでとう! MR2(SW20)発売20周年!!
※備忘録『「SV-3」 ~トヨタ・プロトタイプMR2開発秘話~』は今回で終わりです。様々な情報をお教え下さった方、コメントを下さった方、貴重な資料をお譲り頂いた方、そして、これをお読み頂いた方に感謝致します。ありがとうございました。