1984年6月8日に、日本初の量産ミッドシップ車であるMR2(AW型)が発売されてから、5年――
数々の困難、葛藤。事故と苦難。昭和と言う激動の時代を乗り越えた平成元年の1989年10月17日。遂に、2代目MR2=SW型がその姿を現したのである。
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※画像は、当時のカタログに掲載された『Midship Express』のピンナップ。動画は、SW20型MR2のプロモーションビデオです。ただし、動画は、全てがトヨタが作成したオリジナルのままであるのかは不明です。
~MR2 SW20の登場~
先代のAW型MR2は、自らをスポーツカーとは呼称せず、あくまでもミッドシップ・ランナバウト。即ち、『小型でキビキビ走るミッドシップのスポーティカー』と位置づけていた。
しかし、SW型MR2は、それとは打って変わり、『日本一速いスポーツカー』を目指して作られたクルマである。同じく1989年に発表され、翌年に発売された日本初のミッドシップ・スーパーカーであるホンダ・NSXや、日本初の量産ミッドシップ4WD車となるはずだった日産・MID4も、未だ開発中の段階であり、SW型MR2は日本初のミッドシップ・スポーツカーとして華々しく登場した。
トヨタ自身、SW型MR2の広報活動として、様々なイベントを企画。開催した。
まずは1989年10月17日。時刻は午後3時30分。東京はレールシティ汐留において、SW型MR2の発表会を大々的に行った。
薄曇りの天候の中、巨大なテントと、4m×3mの200インチ大型ビジョンを設置。スタッフは皆、『New MR2』のロゴをあしらった赤のブルゾンで身を固め、司会者には大石吾朗氏を起用。豊田章一郎社長も自ら挨拶を行い、黒沢元治氏の息子であり、トムスのグループAで活躍していた黒沢琢弥選手と、元F1ドライバーであるパオロ・バリラ選手によるSW型MR2のデモランも行われた。
なお、その日は芝の東京プリンスホテルにて開催されていた日産・インフィニティQ45の発表会場から、観光バス3台で報道関係者を移送するなどもトヨタは行った。
そして、10月17日から12月17日までの2ヶ月間。大型トレーラーが牽引するガラス張りコンテナに真紅のSW型MR2を積載し、計3台のトレーラーが全国のトヨタオート店、ビスタ店を巡行するという、『Midship Express JAPAN TOUR』と題する前代未聞の企画も行われた。このトレーラーは10月17日の発表会にも、もちろん登場しており、SW型MR2のコマーシャルにも使用されている。
↓MR2(SW20型)のコマーシャル↓
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※使用されているBGMは、高橋幸宏の『FAIT ACCOMPLI』です。
また、10月21日から11月19日まで。全国8会場で『ニューMR2エキサイティング・フェスティバル』が開催された。さらには成城・明治学院・大東文化・一橋・青山学院・立教・成蹊と、7つの大学の学園祭と共同で『大学学園祭ミスMR2コンテスト』を行い、12月3日の『MR2スーパー・エキサイティング・フェスティバル』で決勝戦を行うなど、多額の金銭と時間、人間を費やしたイベントの数々が行われた。
~SW20の走行性能とその評価~
完成したSW20・MR2のデータは、下記の様なものであった。
全長×全幅×全高:4,170mm×1,695mm×1,240mm
ホイールベース:2,400mm
車重:1,240kg
エンジン :『3S-GTE』2.0Lターボ
最高出力:225ps(165ps)
最大トルク :31.0kg(19.5kg)
※データはターボモデル『GT』のもの。カッコ内はNAモデルのデータ。
なお、参考までに同クラス車種のデータを記載すると
・マツダ・RX-7(FC3S)
全長×全幅×全高: 4,335mm×1,690mm×1,270mm
ホイールベース: 2,430mm
車重:1,230kg
エンジン: 『13B』ロータリーターボ
最高出力:215ps
最大トルク:28.0kg
・日産・シルビア(S13後期)
全長×全幅×全高:4,470mm×1,690mmmm×1,290mm
ホイールベース:2,475mm
車重:1,120kg
エンジン: 『SR20DET』2.0Lターボ
最高出力: 205ps
最大トルク:???kg
全長×全幅×全高=3,950mm×1,665mm×1,250mm。ホイールベース=2,320mm。車重1,020kgのAW型後期モデルと比べれば、ボディサイズは全体的に拡幅されてはいるものの、同クラスの車種に比較すれば、一際コンパクトな仕上がりとなっている。車重は他車種と比較して若干重めとなっているが、この車重の重さは、隔壁の多いミッドシップの泣き所でもある。
最大出力の225psとは、2Lエンジンの出力としては世界最高のものであった。そして0→400加速では13.9秒。筑波サーキットを1分9秒台で駆け抜ける新型MR2は、有馬和俊技師の想いの通り、2リッタークラスとしては『世界最速』のスポーツカーとなったのである。
ただ、このSW型MR2(通称・Ⅰ型)は、有馬和俊技師の不安通り、その足回りの弱さ、ボディ剛性の不足などから、非常にピーキーな運動特性となってしまい、『すぐにスピンする』『欠陥車』『危険なクルマ』というレッテルを貼られることになってしまう。当時を知るプロドライバーも、『乗る時はいつもヒヤヒヤしていた』と述べたり、日常でも『交差点でスピンした』という話も存在する。
※ただし、このⅠ型に対する評価は賛否両論あり、『いくらチューニングしてもスピンする』という意見もあれば『少し足回りを弄っただけで高い性能を発揮する』という意見もあります。また、『危険』と切り捨てる人もいれば、『MR2で一番楽しかった』と言う人も居ます。いずれにせよ、Ⅰ型は高い性能を持ちながらも、それを乗りこなすには、かなりの腕前を必要とした、ということではないでしょうか。
それらの世間からの酷評もあり、SW型MR2は2年後の1991年12月にマイナーチェンジを実施。通称・Ⅱ型へと進化する。ここでは、特に足回りに関して大々的な見直しが行われ、ホイールサイズも14インチから15インチへとインチアップ。Ⅰ型を大きく上回る走行性能と、Ⅰ型から180度転換した好評価を得ることとなった。
その後もSW型はマイナーチェンジを続け、Ⅲ型ではさらなる馬力と、高速走行を視野に入れた仕上がりとなり、最終型のⅤ型では、可変バルブタイミング機構=VVT-iを装備したBEAMSエンジンを搭載し、NAモデルでも200psを発揮するまでになった。
MR2は、トヨタの評価ドライバーの中でもトップに位置するマスタードライバーの称号を持つ成瀬弘氏をして、ストラット式サスペンションの持ち主としては世界一と言わしめる程であった。しかし、年月を重ねる間、同クラスにスバル・インプレッサや三菱・ランサーエボリューションなど、280psを発揮するような2.0Lターボ車が登場し、もともと足回りやシャシー設計。ボディ剛性などに弱点のあったMR2は、馬力合戦、開発合戦などの負のスパイラルに陥ることを避け、1999年8月にその幕を降ろします。そして、MR2は、本来のコンセプトであった『ミッドシップ・ランナバウト』。決してパワーと速さだけがクルマの楽しみではない『Fun to Drive』をモットーとしたオープンモデル『MR-S』へと姿を変えることとなりました。
~スポーティからスポーツへ。トヨタの挑戦~
今や米国のビッグ3を抜き、名実共に世界一の自動車メーカーとなったトヨタは、昔から、AE86型スプリンタートレノ/カローラレビンやAW11型MR2などの『スポーティーカー』を作っても、『スポーツカー』を作ることは決してありませんでした。
『トヨタのクルマには個性がない』とは、トヨタを批判する際に良く用いられる文言です。しかし、トヨタがあるクルマを、ある一定のそこそこ高いレベルで開発し、さらにはローコストで仕上げるという能力に関してはあらゆる自動車メーカーでも群を抜いていることは紛れもない事実です。
SW型MR2が登場し、A70型スープラが販売されていた当時、黒沢元治氏は『トヨタは一度、ギンギンのスポーツカーを作ってみればいい』と述べました。
その後、実際。SW型MR2をその先鋒として、トヨタが『スポーツカー』開発に取り汲んだ時代が確かにありました。そして、そのフラッグシップとなったのが、セリカの上級モデル=セリカXXの流れを汲み、『グランドツーリング』から一転して『スポーツカー』となったA80スープラでした。スープラは、日産・スカイラインGT-Rやマツダ・RX-7(FD3S)、ホンダ・NSXの様に特殊な4WDシステムも、ロータリーエンジンも、ミッドシップレイアウトも搭載することなく、ベーシックな直列エンジンとFR駆動形式だけで、国産最強クラスにまで上り詰めました。
※ただし、MR2はSW型においてもカタログ上で『スポーツカー』を名乗ることはありませんでした。
日本には、ホンダや、日産、マツダなど、その独自、独特の技術、機構を持って『世界一』の称号を手にした個性的なスポーツカーを開発して来た国産自動車メーカーが数多く存在します。
しかしながら、スポーツカーの至高であり理想であった『ミッドシップ』を実現させたのは、そのいずれでもなく、『スポーティー』に徹して来たトヨタでありました。
ミッドシップには、日常における使い勝手の悪さという、市販上の大きな欠点があります。この欠点を可能な限り克服しつつ、さらにスポーツカーとしての性能を兼ね備えるというのは非常に困難な作業であり、これを達成するには、非常に絶妙で、優れたバランス感覚が求められます。そして、そのミッドシップ車を現出せしめたのは、バランスを考慮したクルマ造りにおいて極めて高い能力を持っていたトヨタでした。
MR2以降、ホンダのNSX、ビート。マツダのAZ-1/スズキ・キャラなどのミッドシップ車が発売されましたが、NSXはその性能の高さはあっても、極めて高価なものとなってしまい、ビート、AZ-1はスポーツカーではない『軽自動車』となりました。さらには、日産のMID4のように、市販に至らないクルマもありました。
そんな中、MR2は、販売台数10万台を超え、世界で最も売れたミッドシップ車となったのです。
もちろん、MR2がマイナーなクルマであることは否めません。しかしながら、安価で庶民にも手が届き、そして同時に速さを追求することも出来るミッドシップとして、その存在は唯一無二のものとなりました。
たかがトヨタ。されどトヨタ。決してスポーツカーの雄とは言えないトヨタが、このようなクルマを開発し、市販していたという事実は、もっと評価されるべきことではないでしょうか。
そして2009年。ライトウェイトスポーツカーが絶滅してしまった2000年代において、トヨタは二つのクルマを発表します。未発売ではありますが、一つは『FT-86 Concept』。そしてもう一つは『レクサスLFA』と呼称されています。
『FT-86 Concept』は、日産のS15シルビア以降、途絶えてしまった『FRスポーツカー』をコンセプトとしたものであり、『クルマ本来の運転する楽しさ、所有する歓びを提案する小型FRスポーツ』と位置付けられています。
また、『レクサスLFA』は、台数限定のクルマでありながも、最高速度300km/hオーバーの性能を発揮する、NSXをも超える性能と価格を備えた国産の『スーパーカー』でした。
スポーツカーにとって最も重要なファクターであるものは『トータルバランス』と言われます。スポーツカー、スーパーカー全滅の今の時代に置いて、トヨタがこのようなクルマを発表するというのは、別に不思議なことではなく、考え方によっては『トヨタだからこそ出来た』なのかもしれません。
そして、それら、トヨタのスポーツカーの魁となったのは、間違いなくSW型MR2でした。
SW型MR2。それは決して広く受け入れられるスポーツカーとはならなかった。
しかし、発売から20年が経過した今も、そのパーソナリティを超えるクルマは存在しない。
参考文献:
・「日本初ミッドシップ トヨタMR2とトヨタスポーツ」/岡崎宏司(新潮文庫)
・「トヨタテクニカルレビュー」Vol.47/オーム社
・「CG CAR GRAFFIC」1983年12月号/二玄社
・「driver ドライバー」1985年10月20日号/八重洲出版
・「CARトップ」昭和59年6月号/交通タイムス社
・「CAR and DRIVER」1990年1月10日号/ダイヤモンド社
・「ベストカー」号数不明(グループS仕様AWとMID4の記事について)/三推社
・「Best MOTORing」1990年1月号/講談社
・「ベストカーガイド増刊 オールアバウト TOYOTA MR2」昭和59年8月/三推社
・「CARトップ ニューカー速報No.23 MR2」/交通タイムス社
・「CARトップ ニューカー速報No.74 NEWスープラ」/交通タイムス社
・「モーターファン別冊 ニューモデル速報 第78弾 新型MR2のすべて」/三栄書房
・「モーターファン別冊 ニューモデル速報 第257弾 MR-Sのすべて」/三栄書房
・「J's ネオ・ヒストリックArchives『TOYOTA MR2&MR-S』」/ネコ・パブリッシング
・「I LOVE A70&80 TOYOTA SUPRA」/ネコ・パブリッシング
・「ハイパーレブ Vol.21 トヨタMR2」/ニューズ出版
・「ハイパーレブ Vol.50 トヨタMR2 No.2」/ニューズ出版
・「ハイパーレブ Vol.63 トヨタMR-S」/ニューズ出版
・「タツミムック チューニングトヨタ MR2&MR-S VOL.1」/辰巳出版
・「タツミムック チューニングトヨタ MR2&MR-S VOL.2」/辰巳出版
・「タツミムック チューニングトヨタ MR2&MR-S VOL.3」/辰巳出版
・「MR2 AW10/11」前期型カタログ
・「MR2 AW10/11」後期型カタログ
・「MR2 SW20」Ⅰ型カタログ
・「MR2 SW20」Ⅱ型カタログ
・「MR2 SW20」Ⅲ型カタログ
・「MR2 SW20 ビルシュタインパッケージ」カタログ
・「MR2 SW20」Ⅳ型カタログ
・「MR2 SW20」Ⅴ型カタログ
・「MR-S」前期型カタログ
・「MR-S」後期型カタログ
・「MR-S Vエディションファイナルバージョン」カタログ
参考サイト:
・「ウィキペディア」
http://ja.wikipedia.org/wiki/
・「TOYOTA MR2 CLUB JAPAN」
http://homepage3.nifty.com/midship/
・「MR2ちゃんねる」
http://mr2.jp/
・「ダイエーモータース」
http://www.daie-motors.com/
参考動画:
・ベストモータリング1990年1月号より。中谷明彦氏によるⅠ型インプレッション。
【ニコニコ動画】SUPERミッドシップ New MR2
・ベストモータリング1991年7月号より。
【ニコニコ動画】トヨタはなぜスポーツカーを造らない!? 1/3
【ニコニコ動画】トヨタはなぜスポーツカーを造らない!? 2/3
【ニコニコ動画】トヨタはなぜスポーツカーを造らない!? 3/3
・ベストモータリング1992年3月号より。Ⅰ型とⅡ型の比較走行ほか。
【ニコニコ動画】NEW MR2 徹底全開フルテスト!! 1/3
【ニコニコ動画】NEW MR2 徹底全開フルテスト!! 2/3
【ニコニコ動画】NEW MR2 徹底全開フルテスト!! 3/3
・ベストモータリング1994年1月号
ネット上の動画の存在は不明。Ⅱ型とⅢ型の比較走行が行われています。
その他。MR2の歴史に関連する霧島のブログ:
・
備忘録 01 「SV-3」 ~トヨタ・プロトタイプMR2開発秘話~ その1
・
備忘録 02 「SV-3」 ~トヨタ・プロトタイプMR2開発秘話~ その2
・
備忘録 03 「SV-3」 ~トヨタ・プロトタイプMR2開発秘話~ その3
・
備忘録 04 「SV-3」 ~トヨタ・プロトタイプMR2開発秘話~ その4(最終回)
・
備忘録 05 「SW20」 ~2代目MR2の登場~ その1
・
備忘録 06 「SW20」 ~2代目MR2の登場~ その2
・
備忘録 07 「SW20」 ~2代目MR2の登場~ その3
・
備忘録 08 「SW20」 ~2代目MR2の登場~ その4
・
備忘録 09 「SW20」 ~2代目MR2の登場~ その5
・
おめでとう! MR2(SW20)発売20周年!!
※霧島の備忘録。「SW20」 ~2代目MR2の登場~は、今回で終わりです。貴重な資料を提供して下さった方、当時のことを教えて頂いた方、コメントを下さった方。そしてこれを読んで頂いた方々へ、最大の謝辞を申し上げます。ありがとうございました。