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2011年01月18日

備忘録 22 「幻の日本発・ミッドシップ4WD」 Ex ~三菱・スタリオン4WDラリー 第3回(最終回)~

備忘録 22 「幻の日本発・ミッドシップ4WD」 Ex ~三菱・スタリオン4WDラリー 第3回(最終回)~  1980年代。三菱自動車は、ランサーターボEXに代わるWRCマシンの投入を計画していた。

ベースとなったのは、三菱のフラッグシップである“スタリオン”。そのスタリオンを4WD化し、370馬力のターボエンジンをフロントミッドにマウント。駆動系として、機械式LSDに、前後トルク配分を制御するビスカスカップリングを組み合わせてセンターデフを配置。

T1、T2。R1、R2。4台の試作車を以て実験と開発が進められ、WRCにおけるフルタイム4WDの先駆けであるアウディ・クワトロをも上回るコーナリング性能を発揮するまでになっていた。

市販化に向けて、開発と広報活動が着々と進められていた……のだが。


~計画の中止と、WRC出場~

1984年5月。スタリオン4WDラリーの開発に黄信号が灯る。三菱社内で長らく燻っていた疑問や反発が一気に浮上したのである。

『開発コストがあまりにも膨れ上がっていないか』『量産型は市販車として満足のいく仕上がりなのか』『果たしてこのマシンでWRCに勝つことができるのか』……

――そして、6月21日。スタリオン4WDラリーがグループB出場の為の、ホモロゲーション取得用市販車生産計画中止が正式に決定された。それはつまり、スタリオン4WDラリーの市販化中止と、WRCへの参戦計画の白紙化ということでもあった。

しかし、試作車によるテストは継続され、そしてまたエンジニア達は、スタリオン4WDラリーの性能と実力を確かめられずにはいられなかった。


1984年8月。南フランスで開催されたミルピステ・ラリー。そこにスタリオン4WDラリー“R1”を持ちこみ、実戦の場で走行させたのである。

下は、スタリオン4WDラリーがミルピステを走行した貴重な映像である。




ホモロゲーション取得を必要としないエクスペリメンタルクラス。ラッセ=ランピのドライブによりスタリオン4WDラリー“R1”は見事完走。クラス優勝を果たした。

ミルピステで発生したトラブルは、日本国内で実験開発が行われていた“R2”を用いて解析がなされる。

同年11月にも、イギリスのウェールズで行われたRACラリーの特別枠・プロトタイプクラスに出場。全車走行を終えた後の。しかも第3レグのみという特殊な条件ではあったが、ランピのドライブにてR1の走行が披露された。

そして、翌1985年6月のマレーシアラリーへもR1は出場するが、結果はリタイヤ。これを最後に、スタリオン4WDラリーは、大衆の前からその姿を消した――


~廃棄処分~

マレーシアラリーの4ヶ月後。1985年10月17日、日本。スタリオン4WDラリー“R2”の廃棄処分作業が行われた……。

R2は、4台の試作車両の中でも。最も長く日本の三菱岡崎研究所のファクトリーと実験施設で過ごしてきた車輛であった。

スタリオン4WDラリーのコンセプト立案段階から開発に至るまで。常にその中核にあった山本祥二技師は、上司から『お前が最後の骨を見て来い』と言われ、R2廃棄作業に立ち会っていた。

強力な圧縮機に挟まれ、徐々に姿を変えてゆくR2。山本技師は『ブチャッと潰れた』とメモに記したと言う。他のクルマとは潰れ方が違うような気もしたが、気のせいかもしれないもと思ったと言う。

そして最後の最後。鉄塊と化した車体から『ボッ』と小さな炎が立ち上がった。

もちろん、燃料や油脂類は全て抜き取られ、消火剤をかけながら作業は行われていた。そして、これまでの廃棄作業で炎が出たことなどは無かった。

『なんだか、生き物の体から魂が抜け出たみたいで怖かった』

その炎を見て山本技師は、背筋が冷たくなるのを感じたと言う――


……スタリオン4WDラリーが駆けるはずだったグループB。その中止が決定されたのは、その半年後のことだった。


グループB中止決定後の1986年9月。香港-北京ラリーにT1とT2の2台が出場した。ラッキーストライクカラーと555カラーに身を纏ったスタリオン4WDラリーは総合2位を獲得。1987年9月の同ラリーにも参戦し、総合9位を獲得した。

これを以て、スタリオン4WDラリーの全モータースポーツは終了した。

既にプロジェクトチームも撤収作業を開始しており、メンバーも次なる課題と開発への挑戦を開始していた。

ある者は4バルブDOHCターボエンジンの開発を。、ある者は新たな4WDシステムの開発に取り組んでいた。山本技師も、スタリオンプロジェクトの精算をしながら、次なるラリーカーの構想を練り始めていた。

最後に残された3台のスタリオン4WDラリーがどうなったのか。実はあまりよく分かっていない。

詳しい資料も残っておらず、記憶している者も少なくなった。また、スタリオン4WDラリーは開発途中。幾度も幾度も改造と改装が行われており、現存しているマシンが、どのような経歴を持つどの試作車であるのかすら、曖昧となっている。

現在、3台のスタリオン4WDラリーは、イギリスと日本に分散され、永い眠りについている。しかし、4台だけでは無く、20台量産されたという説もあり、今現在、世界に何台のスタリオン4WDラリーが現存しているのか、それすらも正確なことは不明である。

スタリオン4WDラリーの開発に携わり、それから後も三菱のラリーカー開発を担った稲垣秋介技師はこう語る。

『私は過去は振り返らない。終わったことはすぐに忘れてしまう。だからスタリオンのことは、もうあまり記憶にない。目は常に未来を見ていますから』


~スタリオン4WDラリーの遺したモノ~

1992年。三菱は一台のマシンを世に送り出す。その名は、ランサーエボリューション。

2リッターの4ドアセダンという、“普通車”のパッケージでありながらもランエボは、その卓越した電子制御4WDシステムと、直4ハイパワーターボエンジンを以てラリーを。そしてサーキットを席巻。公道最速の戦闘機と畏怖の声を以て呼ばれることになる。

1996年には、トミー=マキネンのドライブするランエボが、WRCメイクスチャンピオンを獲得。三菱の悲願を達成する。

ランエボはその後も快進撃を続け、4年連続メイクスチャンピオンを。98年にはマニュファクチャラーズチャンピオンを獲得する。

その兄弟車であるミラージュも国内ラリーにて目覚ましい活躍を遂げ、『ラリーの三菱』の黄金時代が再び到来した。

ランエボの心臓となった4G63エンジン。後に2リッターながらも280psの大馬力を絞り出すことになるこの名機を開発した伊藤博技師もまた、スタリオン4WDラリーのエンジン開発に携わった人物であった。

スタリオン4WDラリーを開発したことにより三菱は、4WDシステム、エンジン、車体解析、材料などに関する技術的なノウハウが一気に蓄積された。数億円程度のコストが掛かったと言うが、現在これらの技術を外から買えば、10億円にもなると言う。

『WRCでの結果こそ残せなかったが、我々技術者が得たものは非常に大きかった。あのプロジェクトは結果的に素晴らしい技術研究の場となった。あのプロジェクトがあったからこそ、その後WRCで栄光を掴むことが出来たのであるし、ランサーエボリューションなどの名車が生まれたのです』

21世紀に入った後。山本技師は、こう力説している。そして、それを否定する者などいないであろう。


三菱のフラッグシップであり、グループA、グループNで活躍したスタリオンは、1990年に生産中止。その血統は、新たなフラッグシップ・GTOへと受け継がれる。

かつて無し得なかったスタリオン+ハイパワーターボエンジン+フルタイム4WDシステム。

GTOは、280馬力を発揮するツインターボエンジンにフルタイム4WD機構を兼ね揃えた、まさにスタリオン4WDラリーが目指したパッケージングを実現して登場した。

そしてGTOは、その強大なトルクを武器に、もはやスカイラインGT-Rのワンメイクスレースと化していたN1耐久レースに参戦。GT-Rを追い回すことのできる唯一のマシンとして、密かに恐れられた。


スタリオン4WDラリー。市販化を目前としながらも、遂には世界を獲ることを許されなかった悲劇のマシン。

しかして。その血脈は今なお、スリーダイヤモンドと共に引き継がれているのである。


(備忘録『「幻の日本発・ミッドシップ4WD」 Ex ~三菱・スタリオン4WDラリー~』はこれで終わりです。お読み下さった方、コメントを下さった方、色々と貴重な情報を教えて下さった方。本当にありがとうございました)



参考文献:

・『Racing on』 No.381 2004年8月号/ニューズ出版


参考サイト:

・「ウィキペディア」
http://ja.wikipedia.org/wiki/


その他。スタリオン4WDの歴史に関連する(かもしれない)霧島のブログ:

備忘録 11 「幻の日本発・ミッドシップ4WD」 その1 ~はじめに~
備忘録 12 「幻の日本発・ミッドシップ4WD」 その2 ~トヨタ・222D 第1回~
備忘録 13 「幻の日本発・ミッドシップ4WD」 その3 ~トヨタ・222D 第2回~
備忘録 14 「幻の日本発・ミッドシップ4WD」 その4 ~トヨタ・222D 第3回~
備忘録 15 「幻の日本発・ミッドシップ4WD」 その5 ~トヨタ・222D 第4回(終)~

備忘録 16 「幻の日本発・ミッドシップ4WD」 その6 ~日産・MID4 第1回~
備忘録 17 「幻の日本発・ミッドシップ4WD」 その7 ~日産・MID4 第2回~
備忘録 18 「幻の日本発・ミッドシップ4WD」 その8 ~日産・MID4 第3回~
備忘録 19 「幻の日本発・ミッドシップ4WD」 その9 ~日産・MID4 第4回(終)~


備忘録 20 「幻の日本発・ミッドシップ4WD」 Ex ~三菱・スタリオン4WDラリー 第1回~
備忘録 21 「幻の日本発・ミッドシップ4WD」 Ex ~三菱・スタリオン4WDラリー 第2回~

ブログ一覧 | 備忘録・日本発 ミッドシップ4WD | 日記
Posted at 2011/01/18 16:27:45

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この記事へのコメント

2011年1月18日 16:47
こんにちは。

三菱の偉大な歴史の1ページですね。

文中にあるスタリオンの最期には、涙が出そうになりました……きっと燃え上がった炎は、スタリオンという至宝を造るために注がれた職人魂ではないでしょうか……心血を注ぎ、愛した物からは何ともいえない感情が感じられるものです。
コメントへの返答
2011年1月19日 18:50
こんにちは~

まぁ今回のスタリオン4WDの話は。R2の廃棄処分の時の話を書きたくて、長々と書いてきたのでございます。

でも、クルマと言うのは不思議なものですよね……

ただの機械と言ってしまえばそれまでですが、人を熱くさせる何かを持っていますよね~!
2011年1月18日 17:25
決して光を浴びる事はないにせよ
その後に繋がる大きな糧を残したことはこの開発が無駄ではなかった証です。

因に同じ三菱繋がりの三菱重工のお話ですが
F2支援戦闘機開発の際、諸外交からは「三菱は航空ビジネス進出を目論んでいるのではないか?」
と囁かれたそうですが、三菱重工の社長・会長を歴任した飯田庸太郎はF2開発に関して「防衛産業で日本のお役に立てなければ、三菱が存在する意味はない。儲かるからやる、儲からないからやらないではなく、もって生まれた宿命と思っている」と述べたそうです。
コメントへの返答
2011年1月19日 19:13
スタリオン4WDは、何だかんだでラリーにも出場してますから、恵まれてるって言えば恵まれてるかもですね。

何せ、フィクションの主役メカとして登場したぐらいです(笑)

しかし三菱……そんなことが!

さすが鉛筆から戦闘機まで。日本にとって無くてはならないメーカーですね……

そのうち、現代版“零戦”を作ってくれるかもですね~!
2011年1月18日 22:06
ここまで来たら都市伝説ですよね

スタリオンの話を聞かされると、他にも日の目を見ず消えていった名車がたくさんあるんだなあって切ない気持ちになりましたね
コメントへの返答
2011年1月19日 19:20
三菱なんてまだマシですよ~。

トヨタなんてMR2とかスープラとか。有名車種のチーフエンジニアの人たちが軒並み揃ってトヨタを出て、取引先の幹部になってたりしますからね~

当時を知る人なんて、三菱以上にほとんど残ってないかもです(笑)
2011年1月18日 22:26
 デルタS4などぶっ飛んだライバル勢を前に追い付け追い越せと試行錯誤していた日本メーカーが今はこうして最強クラスの4WDを作っている理由も、この話を見ると納得できるものがあります。

 他の車でも最後のプレスだけはいまだに堪えられないですね。
自分で弄るようになってある程度機械と割切るようになった現在でもこれだけはどうしても慣れません。
コメントへの返答
2011年1月19日 19:33
霧島のⅢ型も、プレスされて四角くなったそうです……。

見に行こうかとも思いましたけど、とてもではないですが、ムリでした……

日本の場合。海外よりも規制が厳しいから。例えば280ps自主規制などの縛りにより、限られた条件の中で如何に速いクルマを作っていくか。

そういうのもまた、日本車が発展して来た背景にあるのかもですね!
2011年1月18日 23:34
そういえば自分オンロードカーなのにサイドにRALLIARTのステが・・・・w
コメントへの返答
2011年1月19日 19:34
いやいや。

グループAでサーキットを走ってたスタリオンにだった、ラリーアートのステッカーが貼られてましたよ~!
2011年1月19日 0:06
ワタシも何か心にグッとくるものがありました。
勝負の世界に『もし~たら、~れば』というものはないけれど、やっぱり夢を持ってしまいますね。。 

最期まで、闘うクルマだからこその生きざまを見た気がします。クルマが単なる機械の塊ではないことを改めて実感しました。
コメントへの返答
2011年1月19日 19:38
三菱と言うと、我々みたいなスポーツカーに乗ってる人間からすれば、真っ先に『ランエボ!』と言う言葉が思い浮かびますが。

その背景にはこんな血と汗と涙。そして泥と埃と油に塗れた輝かしい歴史があったんですね~。

是非とも、クルマ好きの人たちには知っておいて欲しい物語でございます!

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