トヨタのスポーティ&スポーツクーペの魅力を再検討する、第8回。
時に1991年、遂に弾けたバブル経済。日本は斜陽の時代を迎える。
昨日の友は今日の敵。衣食足りて礼節を知る。犬が西向きゃ尾は東。
『ヒャッハー、水だ水だ!』
横行する暴動と略奪。治安の悪化と人心の荒廃……。人々は水と食料を求めて争い、暴力だけが支配する弱肉強食の時代が到来した……
“失われた10年”が、今始まる……
~90年代 PartⅡ~
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1994年 5代目ターセル/5代目コルサ/4代目カローラⅡ (L50系)

5代続いたターセル&コルサと4代のカローラⅡ。その最終モデルである。
3ドア&4ドアのタコⅡに加え、91年には2ドアモデルのスタイリッシュクーペ=サイノスが投入されたものの、やはり商業的に“大成功”を納めることは難しかったようである。
元々はヤングファミリー&若い男性をターゲットとして開発されたこのシリーズ。どうやらトヨタの目論見は外れて、年配の人や女性に人気が集中したようである。
でもやっぱり、本家のスターレットが強すぎたんだろうね……
1999年。タ/コ/Ⅱは、3ドアもでるはヴィッツ。4ドアモデルはプラッツに後継を譲り、21年の歴史に終止符を打った。
て言うか、失われた10年言うけど、明らかに20年は失われてるよ。もろに直撃喰らってる我々若い世代は
めーさく めーわくです、ハイ。
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1994年 カレン (ST206/207/208型)

1994年、突如として出現したクーペ、カレン。
ぶっちゃけた話、ST200系セリカのマスクを変更&2ドアにチェンジしたクルマである。セリカのまごうことなき姉妹車。ややデザインのアクが強すぎたセリカをマイルドなデザインとして作ったモデル、と考えればよろしいかと。
セリカは明らかに男性をターゲットとしているが、カレンはそれに加えて若い女性もプラスしているようである。スプリンターーマリノとかカローラセレスと似たような立ち位置にあるかね。
まぁこのクルマもサイノスと同じように、重箱の隅をつつくかのようにターゲットとターゲットのスキマを埋めるべく生み出されたトヨタらしいクルマ、と言えるかね。
セリカ程の奇抜さはちょっと……MR2(セリカベースである)程のスポーツ性もちょっと……おとなしめのセリカがあったら……てな人を狙ったんでないかね~。その辺を踏まえると、平成元年に消滅した“コロナクーペ”の後継のようである。
上級モデルには、MR2やセリカにも搭載された3S-GEエンジン。足回りにはもちろんスーパーストラットサスペンションを採用するなど。バリバリのスポーツカーと言うわけではなかったが、さりげなくスポーティに仕上げられている。TRDによるTRDSportモデルも限定販売された。
カレンかわいいよカレン。FF買うならカレン欲しいよ……今お安くなってるよ~カレンは。カレンGT-Fourとか作りたい、マジでマジで。セリカレンってあったよね確か……無かったっけ?(汗)
売れたのかどうかは、お察し下さい。
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1995年 7代目カローラレビン/スプリンタートレノ (AE110/111型)

由緒正しきレビン/トレノも遂に7代目である、胸が熱くなるな。
改めて、レビン/トレノとはトヨタの大衆車であるカローラ/スプリンターのスポーティモデルである。AE86以来、鳴かず飛ばずだったレビン/トレノはどのような形で進化を遂げたのか?
その心臓には、ハチロク乗り&AW11型MR2乗りが我も我もと奪い合う伝説の20バルブVVT仕様な4A-G・通称“黒ヘッド”を搭載。足回りは当然スーパーストラットサスペンション。上級モデルにはFF車としては初となるヘリカルLSDを標準装備。
トランスミッションは、このクラスにあるまじき
無意味な 6速マニュアルトランスミッション!(後期のみだそうで……) 極めつけには先代101よりも70kgの軽量化を果たしたボディである。アンダーパワーのライトウェイトスポーティカーにこれは大きいゾ!
その速さは登場時、ベストモータリングにて同クラスのシビックとミラージュをぶっ千切ってしまった程である!
え? 広報車? ナンノコトダカワカンナイネー
遂にトヨタが本気を出したか!? と思いきや。後々に衝突安全性を高めたGOAボディを採用して重くなったAE111は逆に千切られとったけど(汗)
霧島の知り合いの女の人が111の黒いレビンに乗ってたのですよ。カッコ良かったよー!
インテリアも、最終型MR2とかST205セリカにもあった目盛がレッドなメーターを採用してたねぇ……と言うことは、メーターが赤くなったらその車種は消滅する、と!(爆)
そして2000年。28年続いたレビン/トレノは遂に消失する。
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1995年 4代目カローラFX (E110系)

4代目のカローラFX……とは言っても。この4代目は海外専売であって日本国内では販売されていない。
AE111と同じコンポーネンツを使ってるのかと思いきや、エンジンは4A-Gから
回らない吹けないパワーが無いパーツも無いと大不評の 軽量なアルミ製で吹け上がりも軽やかなZZ型エンジンに変更となる。
1997年よりトヨタは、出場停止処分となったセリカに代わるWRCマシンとしてこのカローラFXをベースとしたWRカーを投入する。そしてカローラは1999年、マニュファクチャラーズタイトルを獲得する。
このカローラWRC、中身がセリカの3S-GTEだったりセリカの4WDシステムだったりする。つまり、カローラの皮を被ったセリカGT-Fourであるのはナイショである
そして、2001年。カローラFXは17年の歴史に幕を閉じる……
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1995年 2代目サイノス (EL50型)

2代目となったサイノスである。1代で終わったと思いこんでたorz
1代目からの主な変更点は……変更点は……うん、まぁ色々と変わってるんですよ、色々と……きっと……
ちょっとだけ大きくなったりちょっとだけ馬力が落ちたりちょっとだけ重くなったり。何故かATが4→3速になったり、4速MTが追加されたり……。スポーティな走りよりも街乗りでの扱いやすさや安定性を図った、と考えればいいのかねぇ?
初代サイノスはバブル崩壊前に造られたのであるが、この2代目はバブル崩壊後の製作である。若干、のコストダウンが図れた部分もあるらしい……って言っても。トヨタのパーソナルクーペは、登場時がいつも一番良くて、マイチェン毎に質が落ちて行きますよね……MR2とかスープラとか……
売れたのかどうかはまぁ……ね。1999年、ス/タ/コ/Ⅱの消滅と共に消滅。
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1996年 5代目スターレット (EP91型)

安価な大衆車にして走りのコンパクト・スターレットの5代目である。
上級モデルにおけるFF+ターボチャージャーと言うトンデモな組み合わせは変わらず。グランツァVという
覚えにくい カッちょいい名前が与えられる。
ただ、どうもこれまでの過激な走りは抑えられたようで、ブースト圧のHigh/Low切り替えスイッチは存在するものの、1速ではブースト圧が強制的に抑えられてしまうなどなど、良くも悪くも大人なクルマになった。
そして1999年。スターレットは後継の座をヴィッツに譲り、26年の歴史に終止符を打った……
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1998年 アルテッツァ (XE/CE10型)

大々的に登場したFRマシン、それがアルテッツァである。もちろん、アルテッツァにはクーペモデルは存在しない。しかし、トヨタのスポーティカーを論じる上では欠かせない存在でもあるので取り上げておく。
『コンパクトなボディーにFRレイアウト。走りのコンパクトセダン』と言うコンセプトで開発が進められ、世間では『ハチロクの再来か?』などとちょっとした騒ぎになったとかならなかったとか…・・
コンポーネンツはプログレ/ブレビスと共用。MR2やセリカにも搭載された3S-GEを縦置きで配置した唯一のクルマである。このアルテッツァの3S-GEは、自然吸気の3S史上最大の210psを発揮する。
開発には、トヨタのトップドライバーである故・成瀬弘も参加。ニュルブルクリンクでもテストが行われ、ボディ剛性等の徹底的な検討が行われる。
……まぁ、某ベストモータリングで試乗した黒沢元治がアルテッツァに乗って『ボディ剛性がねぇなぁ~』とか言ってたけど、あの人の基準はNSXか、時間も人手も手間ヒマも、そしてお値段も段違いなドイツ車ですから(汗)
鳴り物入りで登場したアルテッツァであるが、走り屋さんたちからは失望とか期待ハズレな声も少なくなかったらしい。しかし、F1にも勧請された日本随一の理論派ドライバーである中谷明彦も、中谷塾でアルテッツァを使ってたりしましたから、決して悪いクルマではなかったのでしょう。
……まぁ、他に手ごろなFRが当時は無かったと言う説もあるが(汗)
だがしかし。FRと言えば一昔前のクーペしか存在しなくなった時代。また、世の中の不況が顕著になりつつある中。セカンドカーを持って走りを楽しむなんて家族が許さないお父様方にも、FRのスポーティな走りを楽しんでもらうことに成功した。
そう言った意味では、アルテッツァは意欲作だと思いますよー。
その後、レクサスに奪い取られたのについてはノーコメントで
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1999年 初代ヴィッツ (CP10型)

スターレットの後継として登場したコンパクトカー、それがヴィッツである。
日本における若者のクルマ離れが進む中。また、不況だとか何とかで安くてそこそこの実用車のニーズが増えた中で、デミオやフィット、マーチなどの“コンパクトカー”の地位を不動のものにしたのがこのヴィッツである。
スターレットに比べて大衆車としての色合いがさらに濃くなってしまったヴィッツであるが、トヨタはキチンとスターレット=エントリーカーとしてのDNAをヴィッツにも遺すべく、ヴィッツによるワンメイクスレースを開催したり、TRDによるターボ化させたホットモデルを投入するなどを行っている。
ただまぁそれでも。モータースポーツや走り屋と言った言葉は完全に衰退の一途を辿っており、あまりヴィッツのモータースポーツ要素はコアな人以外からは注目されない。
だからこそ、あえてヴィッツのスポーティグレードであるRSとかを街中で見かけたら『おっ?』となるのは霧島だけではあるまい。
むこう5~10年ぐらいは、トヨタの主力大衆車としての地位を保ち続けるであろうよ……
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1999年 7代目セリカ (ZZT230型)

伝統と信頼と実績のセリカ。その7代目である。
『止まっていても走っている』と呼ばれるその流麗なデザインはセリカならではのもの。北米では大人気だったようである。しかし日本国内においては既に『スペシャリティカー』という言葉などは死語と化しており、日本での売り上げは、まぁまぁ、であった。
走りの面に関しても、2リッターのターボや4WDモデルがあった先代までとは異なり、軽量でアンダーパワーなZZ型エンジンを採用。足周りは当然スーパーストラット。
パワーによってガンガン走るクルマと言うよりは、『軽くて小回りが利いてキビキビ走るライトウェイトスポーティクーペ』と言った風にコンセプトチェンジが行われた模様。
ただ、当時の走り屋車と言えば。もはやインテグラタイプR無双と化していたので、このセリカが数少ない走り屋に好評となる訳でも無く。どっちかって言うと不憫な扱いを受けたクルマとなった。せめて、普通のインテグラと比べてあげてくれ(汗)
そして2006年。セリカは36年の歴史に終焉を迎える。北米ではサイオンtcが後継車種として販売されるが、それが日本で市販されることは無かった……
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1999年 MR-S (ZZW30型)

トヨタが珍しくオープン専用として作った車、それがMR-Sである。
もちろんMR-Sは日本初ミッドシップであるMR2の後継車種である。元々のMR2は、『アンダーパワーではあっても軽快なハンドリングで走りを楽しむ=Fun to Drive』がコンセプトではあったが、2代目のSW20型MR2では、最早プロドライバーのドライブを以てしても手に余るクルマとなってしまった。
また当時の2リッタークラスとしては、三菱のランサーエボリューションやスバルのインプレッサと言った280psクラスのマシンが台頭しており、245psですら許容量一杯一杯のMR2がそれに追随することには限度があった。
『パワーを上げる→剛性を固める→重くなる→またパワーを上げる……』と言った『負のスパイラル』が既に発生しており、そしてMR2がそれに巻き込まれることを危惧したトヨタは、MR2のコンセプトを大々的に見直すことになる。(ちなみに開発主査はSW20のⅢ~Ⅴの人ですぜ)
まぁ実際。ランエボもインプも車幅1800mmとかスゴいことになるし、ロードスターでも3ナンバーとかになったから、トヨタの考えは有る意味慧眼であったとも言えるんじゃないかねー。
初代のMR2。そして伝説のヨタハチを目標として、エンジンは決してパワーがあるとは言えない1ZZ-FEを採用しつつ、ボディを900kg台に抑え、MR2よりも約200kg軽くすることに成功。しかして、NAの最終型MR2に負けない走りも実現する。
原点回帰のMR-Sではあったが、マイナーチェンジの際には、日本初となるシーケンシャルMTを搭載するなどの最新技術投入も忘れてはいない。
ボクスター? ナニソレシラナイ
『軽くて小回りが利いてキビキビ走り。決してパワーは無くとも軽快かつ素直なハンドリングでスポーティな走りを、安く買えて誰もが楽しむこと出来るクルマ』
ヨタハチでトヨタが見出したそのコンセプト回り回ってこのMR-Sに結実することとなった。しかし、時は既にスポーツカー全滅時代。2007年、遂にMR-Sは生産を終えることとなる。
MR-Sの消滅……それはトヨタからスポーティクーペが失われると同時に、日本車からライトウェイトスポーツカーが絶滅すると言う意味でもあった……
そして、日本のライトウェイトスポーツカーは、終焉の時を迎えた――
...to be continued?
……え? ロー●スター?
訂正:1995年の2代目サイノスを忘れてたので追加しましたorz