
昨日。都立程久保高校野球部の女子マネージャーである、宮田夕紀さんがお亡くなりになられました。
宮田さんは身体が弱く、一年前より入院生活を続けておられました。そして、病床の床にありながらも、程久保高校野球部員たちとの面談を行うなどの活動を続け、部員たちからのの信頼は絶大なものでありました。
しかし、甲子園予選の準決勝が終わった夜。決勝戦を目前として急逝されました。心より御冥福をお祈り申し上げます。
いや、まぁ。「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」の話なんですけどね(汗)
しかし……「けいおん!」が終わり、マミさんがマミられてから生きがいを失った霧島に生きる希望を与えてくれたのは紛れもなく宮田さん(cv 花澤香菜)の存在でありました……嗚呼、神は無慈悲だ……わたしはこれから何を糧に生きて行けは良いのか……!(爆)
て言うか。現実にみん友さんが不治の病で冒されて入院してるから、人ごとではないんですけどね……
……それ以外にも昨日は踏んだり蹴ったりの日で。霧島もリアルでエライ目に遭いまして……まぁ 今日は出勤拒否の人とか、電車が急に停まったとかあったんじゃないですかねぇ……連休明けとか5月病とか関係なしにorz
おまけに国から「税金払え!」ってな封書が来たので開けてみたら。昨年の秋に全損させてしまったⅢ型NAがまだ生きていることになっていて驚愕してみたりと、本日はもうやる気のカケラもございませぬ。
まさに放心状態、やる気ナッシング。鬱です、冗談抜きに。こんな状態で小難しい話ばっかり書いてたらソウルジェムが浄化し切れなくなるので、「空の境界 伽藍の洞」でも観賞しながらベスモのレビューでも書くことにしませう。
後ろに写ってるのは知る人ぞ知る「ブルヴァール」の公式同人誌……ヤフオクでマイリスだけしといて敢えて落札せず。1000円を500円まで値切ってから落札した一品。他の号、誰か持ってたら譲っておながい。
ベストモータリング・1996年1月号
ベスモの1996年シリーズには、神号が多いのは周知の事実。その先陣を切ったのがこの96年1月号ですな。コンテンツはこんな感じですたよー↓
・「インテグラRが主役か!? 真剣勝負!! 筑波無差別級バトルロイヤル」
・「全開バトル特集 登場NEWミラージュ&ランサー 1.6L『ライバル対決』最終戦!!」
・「編集部内部抗争!? 元祖『実戦インカーバトル』ミラージュカップで勝負でござる!!」
てな感じです。まぁ、この3つのバトルは、どれもこれもベスモの歴史に残る名バトルばかりですな~。
まず一つ目の「筑波無差別級バトルロイヤル」。1995年10月16日、ホンダが満を持して送り出した“FFフォーミュラ”ことインテグラタイプRが遂にデビューした。
当然ベスモでも、先月号である95年12月号にて筑波バトルにインテRを持ちこんだ……のだが。バトル一周目にして、土屋圭市の駆るインテRの側面に、黒沢琢弥の駆るインプレッサが追突してしまい、あえなくリタイアとなってしまう……
「JTCC事件」と名付けられたこの事故。「バトルをやり直せ!」と言うハガキが編集部に山のように届いたとか届かなかったとかで、ベスモではインテRの再バトルを行う。このバトルに集められたのは……
・HONDA DC2型 インテグラタイプR 3ドア (土屋圭市)
・MAZDA FD3S型 RX-7 タイプRバサースト (大井貴之)
・NISSAN R33型スカイラインGT-R V-Spec (中谷明彦)
・TOYOYA JZA80型 スープラ RZ-S (黒沢琢弥)
・HONDA NA1型 NSX (服部尚貴)
・PORSCHE 911 カレラ2 (黒沢元治)
……と。1.8リッターNAのインテに対し、その他はスーパーカーだったり280psのハイパワーターボだったりと、格上のマシンばかり。
天気は薄暗い曇り、筑波のコンディションは「かなり滑る」セミウェット。また、黒沢元治が担当したポルシェが、コーナリング中に2速のギア抜けが起こる症状が出ているなど、不穏な空気の漂う中、バトルは始まった……!
ロードコンディションは最悪。インテが、セブンがリアをスライドさせてしまう中、インテグラタイプRはストレートこそ他のハイパワーマシンに“わずかに”見劣りはするものの、コーナリングスピードに至っては、ホンダのフラッグシップであるNSXを追い立てる程の性能を見せた……!
駄目押しに雨まで降りす始末。路面の悪化に苦しむハイパワー車たちに対し、インテRはさほどラップタイムの落ちを見せずに安定した走りを見せていた……
そして、再び事件は起こった。
最終ラップ、トップを走っていた黒沢元治のポルシェの3速が入らなくなってしまっていた。最終コーナーのコーナリング中にも、突如としてミッショントラブルが発生、黒沢元治はポルシェを思わず右へと寄せる。しかしそこには、ポルシェのインを刺した中谷GT-Rが居た……!
とっさにステアを右に切り、ポルシェとの接触を避ける中谷明彦。しかしコース外のグリーンへ飛び出し、GT-Rは大きく挙動を乱す。
目の前に迫ったガードレールを避けるべく、ハーフスピン状態からの大カウンター。ただでさえ重量のある33Rである。しかし中谷は暴れる33Rを抑え込み、ピットロードとコースを区切るグリーン上を走り抜け、クラッシュを回避。それどころかポルシェを抜き去り、見事にトップでゴールしたのである。
「中谷さんすご~い!」、「さすがレーシングドライバー!」。大絶賛する服部尚貴と土屋圭市。黒沢元治も、「中谷が自分の全てを出し切ってマシンを抑えた。立派だったよ」と称賛を送った。
当の中谷は「勘弁してくれよ~」と溢しつつ、焦りの色も全く見せない。ましてや、その神業的緊急回避テクニックを誇ることもなく、普段と変わらぬクールなままで冷静的確にインプレッションまでこなしたのであった。
……この事件は、ベスモ関係者・視聴者間においてベスモ屈指の名シーンとして記憶され。長らく語り草となっている。
そして、これがきっかけかどうかは不明であるが。後にベストモータリングスペシャルにて「中谷明彦の死なない運転テクニック」が発行されることになったのである。
おっと、「伽藍の堂」が終わった。藤乃が可愛かったですね、ごちそうさまでした。では次は「俯瞰風景」で……
2番目のコンテンツである「テンロク王座対決」。長年、三菱が発売してきたミラージュ。その新ミラージュがコンパクト化して登場した。
同じテンロクであるEK型シビックSiRⅡ、AE111型トレノ。そして、テンロクセダンであるランサー、シビックフェリオ、スプリンターマリノを交え。テンロク王座決定戦の火蓋が切って落とされた!
筑波バトル以外でも、ゼロヨンやジムカーナでテストが行われ。ジムカーナテストではトレノを駆る大井貴之副編集長が、百戦錬磨のジムカーナチャンピオンたちを相手にトップタイムをマークしたりと見所も多い。
筑波バトルを制したのはもちろんシビック。セダンクラスにおいても、やはりシビックが勝利した。後のインプレでは、皆が口を揃えて「シビックシビックシビック」とのたまうシビック無双となってしまった程である。
しかし、あえてスプリンターマリノを押した中谷明彦や、トレノを押した大井貴之のコメントも見逃してはならないポイントである。主役であるミラージュは……「トレノは2~3年前の足、ミラージュは5~6年前の足」と評されるわ「ルノーカルタス」だとか意味不明な評をなされて可哀そうになるぐらい……
ミラージュは……ミラージュはやれば出来るいい子なんだよ! 今でも学生の間では大人気の一台だよ!……たぶん(滝汗)
「なるほど……確かにこいつは魔的だ……」。嗚呼、名言ですなぁ。書店員時代、霧島があれこれ工夫して、カラキョウを売りまくったのは良い思い出である……
そして、この号の極めつけは、最後の「ミラージュカップで勝負でござる!!」である。
侠(おとこ)を売ると言う極道の掟に従い、任侠の道を歩み続けてきた「辺須紋組」……。時に1996年、「辺須紋組」の組長である正岡貞雄は、まもなく還暦を迎えようとしていた……。
「2代目組長となるのは誰なのか?」。それは口には出さずとも、誰もが気になる所であった。
有力後継者候補は、代貸・大井貴之と、同じく代貸・田部靖彦……
田部 「アトメヲツグノハ、ダレガエェンカイノゥ?」
大井 「それは……実力のあるモンと決まっとるでやんしょ」
田部 「ジツリョクイウテモ、イロイロアルカラノゥ」
大井 「なら……速さで勝負じゃッ!」
田部 「ノゾムトコロヤネ。 エッへッへッへッ・・・!」
そう。組長の座を狙う二人の間で、遂に跡目抗争が勃発したのである……!
まぁ実際。ベスモの正岡貞雄編集長も後継者問題については頭を悩ませていたようで。それを鋭く察知した田部編集次長と大井編集次長が提案した企画がコレであった。
そんな小芝居と共に、95年のミラージュカップ・最終ラウンドである富士スピードウェイで、次期編集長の座を賭けた決戦が行われることになった……。
田部靖彦は、元々は中谷明彦を目標としてレーサーを目指していたと言う。一度は就職した旅行会社を辞めてまでバイトをしながらレース活動を行っていた所を正岡編集長にヘッドハントされた人物である。
田部は古くからミラージュカップに参戦しているベテランであり、もちろん優勝経験者。91年のミラージュカップ・雨の富士ラウンドでは多重クラッシュに巻き込まれ、前歯を折る重傷を負ったとかなんとか。
対する大井貴之は、元はと言えばベストカーの名物編集員。ベストカーガイド時代にも、
おバカな 個性的な企画を連発し、黒沢元治から呆れられていたと言う逸材である。
大井はベスモに移ってからも、八面六臂の活躍を見せ。キャスターとして黒沢元治や中谷明彦と共にバトルに参加するまでになった人物である。ミラージュカップへの参戦経験は少ない物の、優勝経験もあり、過去の富士ラウンドではポールポジションを2回獲得している凄腕である。
しかし、富士には、田部・大井を凌ぐミラージュカップのベテランたちが数多く集っていた……。そしてその中には、かつてF1レーサーにまで推された中谷明彦の姿までもがあった……
中谷明彦は、元はと言えば「カートップ」の編集員であり、カートップ時代にはバトル形式のカーインプレッションを提案・実現させるなどして活躍していた。
後に独立してレーシングドライバーとなって間もない頃に正岡編集長に見出され。ベスモ創刊号よりキャスターを務め、ベスモの筑波バトルの立役者ともなった日本自動車界屈指の理論派ドライバーである。
そして実際。「将来レースを引退したら貴方が編集長をやればいいんだよ」と正岡編集長から声をかけられたこともあると、先日カミングアウトしている……
このままでは大井・田部どころか。編集長は中谷明彦に? などと言う中、予選が始まった……!
ストレートの長い富士スピードウェイでは、いかに他車のスリップストリームを使うかがタイム短縮のカギとなる。大井・田部は、あまり乗り気でない中谷を巻き込んでスリップを使いあう約束をする。
途中、大井がその連携に失敗して「大井! てめぇは汚いやつだなぁ!」と中谷にどやされながれも予選は終了。中谷は8位、大井は19位、田部は20位からの決勝戦となる。
決勝戦は15ラップ。が、しかし……途中、大井は第一コーナーでインから他車に当てられコースアウト。すぐに復帰するもタイヤのバーストで8周目にリタイア。
中谷明彦は、一時4位まで食い込むも、これもタイヤバースト。10位に終わる。途中、中谷が発した「ぶつけんじゃねーよ、ヘタクソ!」は、いつも冷静な中谷の内に潜む闘争心が現れた名言であろう(爆)
そして、田部は無事に完走を遂げたものの17位……。途中、メインストレートの走行禁止であるイエローゼブラゾーンを走ってしまって呼び出しを喰らい、厳重注意を受けたそうな……
…
……
………
大井 「わしゃ、あのまんま行っときゃ6位に入れたのに……クソッ!」
田部 「シカシ、レースハチェッカーウケントナ? ショウブアッタワ。ワシガクミチョウツグキニナ、イッヒッヒッ…・…」
その時だった。突如ガラリと襖が開き、子分を引きつれた人物が二人の前に姿を現した。
大井&田部 『なんやぁ!?』
ズッこける二人。二人の前に立ちはだかった男……その人物こそ辺須紋組組長・正岡貞雄であった……!
結局。正岡編集長は後継者を、大井編集次長にも田部編集次長にも指名しなかった。
正岡編集長は、「編集は黒子に徹するべき」との信念の元、有望株であった大井貴之を「編集長に据えることは、キャスターとして、レーシングドライバーとして大きな人気を得ている大井を黒子とすることは、本人の為にならない」、として大井には編集長の座を譲らなかった。
そして田部靖彦に関しては、ホットバージョンの編集長となることが決まったのである。
まぁその辺は……正岡貞雄編集長の回顧録・「ベスモ疾風録」を読んでくれぃ。
嗚呼、いつのまにやら「俯瞰風景」も終わって、「痛覚残留」で藤乃と式が殺し合いを始めてるよ……橙子さんのクルマはポルシェでいいのかね?ググっても出て来ないorz
また、この号のリトルマガジンには中谷明彦がFRとMR2にについて語っている記事があるので、MR2乗りにはそれも嬉しい。その辺りは昔「MR2の功罪」ってブログに書いたっけねぇ。
ベストモータリング96年1月号……これもまた歴代ベスモの中でも屈指の面白さと奥深さを誇る一本である。
「まがれぇええええええええええええええええええええええええ~!」
※決して、ハリボテエレジーのアレでは無い。