2011年07月15日
「主査 中村健也」 ~日本を造った男~ 第16回 (終)
第十六章 「主査」 ~健也より、次代の担い手たちへ~
トヨタにおいて、初めて健也がその任に就くこととなった「主査」。健也以後も、トヨタからは数多くの主査たちが生まれて行った。
パブリカ、ヨタハチ、カローラ、カリーナ、スターレット、セリカ、ソアラ、セラ、MR2、セルシオ、スープラ、アルテッツァ、プリウス、レクサスLFA……
トヨタの主査たちは、後世にまで残る多くの名車の数々を生み出して行った。
自動車の開発において、特定の人物にある程度の権限と責任を与えて自動車の開発の取りまとめを行わせる「主査」の制度。この「主査」は、チーフエンジニアと名前を変えた今でも、トヨタ独特の自動車開発形態としてトヨタのクルマ造りを支え続けている。
いつしか他の自動車メーカーたちも、この「主査」と同様の「主管」や「チーフエンジニア」と呼ばれる制度を導入し、自動車開発を行うようになっていた。
だが、どのメーカーにおいてもトヨタの主査制度ほどには、このシステムを機能的に活かせてはいないと言う。
「なぜトヨタでは主査がうまく機能するのか」
そんな質問に対し、トヨタの元・副社長である和田明弘は「それは中村さんが偉大であったから」と即答したと言う。
また、豊田英二も、「後世の主査たちが、(健也のクルマ造りに対する姿勢を)引き継いでいってくれた」と述べている。
普段から無口を通したと言う健也は、その言葉とその姿勢で後輩の技術者たち何を教え、何を伝えようとていたのだろうか。
健也は、確固たる自分自身の信念を持っていた。
主査の役職を与えられる前、あくまでも製造現場の一員であった頃から「国産乗用車」と、そのあるべき姿の構想を練っており、さらにはそれを実現させる為の技術力、生産力の確保に務めていた。
「技術屋はどんなことにも自分のストーリーを持て。でないと反省もなく進歩しない」
健也は後輩の技術者達に、このように言い聞かせたと言う。
もちろん、そう言った信念は主査という開発責任者になっても変わる事は無かった。
自身の考える機構や乗用車を開発するにあたって、部下や上司からの反対意見にあったとしても、決して意見を曲げようとしなかった。それは、自らが徹底的に勉学と研究を重ねた上で「可能である」と結論付けたものだからであった。
そして、現場で新技術の開発にあたる部下が健也に相談に来ても自分で考えるように突き返した。
「下手な指示は部下の独創性を殺すだけだ。部下の時間を最も浪費する人はその上司である。部下の独創性は上司に消される」
健也はそう述べていた。
その結果として開発期限に間に合わなかったとしても、決して部下を怒ることはなかった。
例えば、こんなことがあった。クラウン開発の際、デザインの担当者がデザインアイデアがまとまらず、外注するメーカーへ提出期限を切らしてしまった。謝る担当者に対して健也は、「誰か、君に時間の心配をしろと言ったかね。君は時間など気にせずに良い物をデザインすればいいんだよ。時間の心配は僕の仕事だよ」と返したと言う。
もちろん健也は部下に考えさせるだけでなく、自身で専門書を大量に購入し、読み漁って部下に助言を与えることも忘れなかった。実際、健也の出したアイデアが問題の解決につながったことも非常に多かったと言う。
「自分に力がないと人に優しく出来ないし、親切にも出来ない」
妻の瑞子は、健也からそう聞かされたと言う。
そして、製品が完成した後に問題が発生したとしても部下を叱ることはなく、健也自らが「すべて自分の指示でやらせ、こんな問題を起こし申し訳ない」と上層部に謝罪した。
健也は、自分の仕事を見事にやり遂げた部下を誉めることはあったが、人を煽てたり誉めたりして人を動かすようなことはしなかった。そんな誠実で実直な人柄から、健也は、部下たちからの厚い信頼を集めていたと言う。
また、自分が正しいと信じたことについては、「役に立つことなら乞食の言うことにも耳を傾けよ。役に立たなければ神主の言うことだって聞く必要はない」として、例え上層部からの意見であっても聞き入れようとしなかった。
健也の部下が、上層部からの言葉を預かって来ても、「あまり雑音を入れてほしくない」と言う顔をしたと言う。
あまりの健也の頑固さに経営幹部の者が「社長の話だけはぜひ聞いて欲しい」と頼み込んだことすらあったという。
製品が完成した後も、健也は足繁くディーラーにまで足を運び、製品の良し悪しや評判、クレームの調査を行った。その姿は、販売部の方からも「寸暇惜しんで、販売第一線の意見をご自身で聴取されている。あの態度には敬服する」と言われる程であった。
「『売れ筋を読む』というのは難しい。『自分はこんな車が欲しい』というお客も極めて稀です。どんなに人の意見を聞いても判らないんです。絵描きが『どの絵を描けば売れますか』と皆から聞いて、売れ筋だと思われる絵を描いても『おまえ看板描きか』と言われてしまう。自分なりのいろんな主張を盛り込んだ車をつくり『ちょっと乗ってくれますか』と乗ってもらうと、大抵の人が『これは面白い車だ。ぜひ買いたい』と言ってくれるわけです。それが主査の役割なんです。信念を持って人にモノを売るということは、『自分の心でいいと思う、本当の心が入ったモノをつくる』ということだと思う。統計の数字とういのも重要だが、僕は『自分が欲しいものは人も欲しい』という感覚でクラウンのときに『乗用車はデラックスの方が売れるぞ』とういことを主張した。自分の欲しいものをつくって、それが当たらんようなら主査には向いていないということです」
また、健也はこのようにも述べている。
「主査は、お客の代行でもあり、社長の代行でもある。お客の気に入るようにやって、社長に叱られるのは仕方がない。また、社長に気に入られるようにやってお客に叱られ、経理がいろんなことを言うこともある。そういうことを含めて、皆が『少しまずいなあ』と言われる主査はいい主査なんだ。皆が誉める主査は、あまりよい主査ではないかもしれない」
晩年の健也はインタビューにおいて、「次世代の自動車技術者に望むこと」として次の様に述べている。
「今の若い人を一口で悪口を言う時には、僕は『漫画世代』と言う。例えば、オウム真理教の連中もやったことの悪さ加減は別として、『ああいう発想でああいうふうに動けるというのは、頭の構造がシンプルな漫画世代だ』と思う。要するに、今の人たちの育ち方は、地面に足が付いてないまま、おみこしと一緒にワッサワッサと動いているような、ちょっと浮き加減というか、ものの本質を弁えてないという感じがする」
「仕事というのは『男の仕事』。『男の仕事って何だ』と聞かれるとちょっと困るけど、男というのは『男はつらいよ』の寅さんじゃないけど、やっぱり辛い。その辛さに耐えて乗り切るのが男の仕事です。『よしよし』だけで過ごしていては、多分、男の仕事は生まれない。女性は子供を生むとき命懸け、男だって命懸けの仕事をしろよ。そうすると、ものの見方がもうちょっと変わってくるんじゃないかな。特に三十歳ぐらいの人には『極限の仕事』をやらせて欲しい」
「極限の仕事をやらせるというのは、『やりたいことを』『じゃあ君、これをテーマにしてできるまで勉強していなさい』という覚悟でもないとやれないだろうと思う。実際にそういう人の使い方ができないということは、ギリギリのところへ追い込んでおらんということになるんです」
「僕らが自動車を開発していた1955年頃は、失敗すれば会社が潰れるというギリギリのところにいたから幸運にも極限の仕事ができた。その結果として、ずいぶん儲けることもできた」
そして、健也は「クルマ造り」と「ものづくり」に関して、次のように言い遺している。
「新しい物を開発するとき、何が最も大切ですか」とよく聞かれ、「それは自由です」といつも答えていた。先ごろ係長会から求められたときに、言葉不足を感じて「その自由は与えられた自由というより獲得した自由でなくてはならない」と述べた。「人々の理解を元に自由が成立するのだから、自由は与えられるものと考えるのは正しいだけど、自由に開発できるということは、時間や資金や人の和とともに、自分自身その開発に対処できる力を備えていることが必要な条件になる。この条件を満たすためには不断の研鑚が必要になる」と述べたが、何となくすっきりせず、真に必要なことを述べ得たかと気に掛かっていた。最近になって「信仰心、自信」という言葉に及ばなかったためではと思い始めた。
我々は日常の仕事をするために、開発であると否とを問わず、仕事の中身を理解し判断することが必要である。理解していると思わないまでも、少なくとも誤った判断ではないと信じられぬ限り、次に始まる仕事の勢を削ぐことになるので好ましくない。しかし、当然のことながら開発中に知らぬ事柄に出喰わすことが多く、理解できる筈のない問題でも判断しなければ動きがとれぬ場合がある。知らないこととはいえ、袋小路に首を突っ込み踠いていることも度々ある。このような迷い歩くという心理的圧迫を拒否することができないでいると、担当者の目標値を下げさせることになる。これを心理的圧迫とのみ受け取っていては、自由であると言えなくなってしまう。
経験がある、教えを受けるということの他に、耳や目で判断できぬ場合でも六感的に判断することが求められる。心理的圧迫感の強い行き詰まりを打開する力になるのは、何が正しい状態なのかを感覚的に掴めるというものである。それによって運よくこのような障碍を切り開いて、次の段階に仕事が進んでいくことを度々繰り返し、遂にある目標を捉えることができる。よく懐古録などで『苦しい判断を重ね』と第三者的表現が用いられているが、私の経験からはむしろ娯しい判断とまでは言えぬにしても、それに近い心境ではなかろうかと思う。この複雑な心境が何からくるのかを考えるとき、単に自由だからというのでは不満なのは当然です。
自分や自分の仲間たちの力に対する自信、乗り切らねばならぬことを乗り切ると信じて疑わぬ信念、自分や仲間たちの今日をつくり、この仕事を与えた背後の力に対する信仰、このような信心が自由を与え開発の仕事を乗り切らせてくれると言ったらよいのでしょうか。
聞けば判る、教えれば判るとよう言うが、眼のない人に色を見せ、耳の無い人に音をきかせることが不可能に近いことは誰にでも分かる。我々五体満足の人間で『視れども見えず、聞けども聞こえず』ということは日常経験するところです。知っているつもりが如何に当てにならぬかも日常よく見るところですが、知識経験は無用であるとは申せません。大部分の人々は、あやふやな経験、小さな経験しか持ち合わせていなかったが、それらの積み重ねが今日のトヨタを築いてきた。このことを前もって見通した人がいたでしょうか。ただ一途に執念を燃やした人々の見えない手によって導かれたと言っておきましょう。
開発を始めこれを完成させるに当たって、最も大きな力は『自由』だと申しましたが、「自由が独り歩きして、仕事を片付ける切り札の如く何にでも勝てる」というよりは、「自由を支えた力が仕事を完成させる」というほうが理解し易いでしょう。
何とも知れぬ、その自由を支える力の一つ、最大のものを信仰心と申しましたが、その力を社会的、人為的に対する信頼と受け取るか、歴史的神為に対する信仰と受け取られるかは、貴君の判断にお任せしましょう。私には、この信仰心こそが自由そのものとさえ思える。
最近、チームワークについて議論されることが多い。英雄的個人の時代は終わったと言われ、これからは組織された集団が個々の仕事を積み重ねることによって立派な業績を挙げることを建前とするため、各社とも組織の研究に余念が無いように見える。
すべての人々に仕事のイメージが理解できて、号令一下、一斉に仕事に掛かることができるような場合、日本人の集中力は世界でも第一級のもので、その成果は定評のあるところである。外国の企業がリーダーシップを執り、我々がそれを追うという形で仕事が進むとき、その生長力抜群で度々本家の企業を慌てさせるような業績も挙げてきている。このような形で社会が大きく動くとき、個人の力が極めて微々たるものであり、かつ利益追求組織の巨大な歯車が社会を動かしていると錯覚することにもなるだろう。我々が先進企業に追い付くことを黙方にしていた間は、それでも大過ぎなかったかも知れないが、このような方式の延長では不十分と思われる段階が来たように思う。
組織で仕事をする点で賞賛を受けている小さな見本、女子バレーチームや巨人軍九連覇の業績も、単に作戦の筋書を追求するだけではなく、各個人の技術鍛錬を基礎に、その人達でないとできない新しい工夫を凝らし、さらに更に磨き上げたものにしてやっと勝つチームになれるということを教えている。我々にしても創意工夫を凝らして新しいチームプレーを創造しなくては、この段階を勝ち抜くことに問題があると思う。特に今まで日本人が不得手とした研究創造の方向に見るべき成果を上げねばならない。チームの素材としての我々エンジニアの役割は、ある意味で革命といえるほどのものになるだろう。今後の企業の最終的資産は「組織化されたエンジニア群」というものになると確信しているが、手の業であると考える業であるとを問わず、これらの人々は遠い見透かしに基づいて長い時間熟成された「コク」のある人々に違いないと思う。我々エンジニアは夫々その業に習熟して「コク」のある人になるほか、他部門のことや新しい技術発展を絶えず研習して高次のチームワークを行える奥行きも幅もあるエンジニアに成長し「世界のトヨタ」の真の資産になりたいものである。
クラウンを開発していた頃はお手本があった。しかし、これからは自らがお手本としての視線を背に感じながら走らねばならない。外からトヨタを見るとアクティブだと思う。勉強は勿論、自ら考え挑戦する若々しさを失わず、他社を圧倒的に凌ぐ車を送り出してもらいたい。
僕らが主査だった頃は、全て先行開発で手本が無かった。だから自分でやらざるを得ない。先に課初して待ち伏せしていなくては、主査は辛い目に合わされた。ところが、今は有り合わせのものを組み合わせれば車ができてしまう。だから、苦しい開発作業を始めると悪い男と思われ兼ねない。トヨタは、世界の生産台数の約一割の車を生産しているのだから、義務として一割はリーダーシップは執らないといけない。トヨタが延びる会社なら二割は執らないといけない。ガスタービンの特許を調べたら、GMは重要な特許をたくさん持っていたのに驚いた。GMのリーダーシップは大したものだ。何でも世界一は難しいが、世界一というのが一割か二割は欲しい。大量生産車とか或いは現場がビックリするようなことで冒険をするのは少し問題があるが、あまり遠慮せずにドンドン冒険をして欲しい。僕はセンチュリーのリアアクスルの違う車をつくって乗っていた。
われわれの場合は、競争相手が世界中にいて、それより優れたことをやったとき、またはこれらの平均を超えたときに成功という。反対に、現実には今の設計では失敗は許されないというときには、ごく平均的なレベルで、相撲でいう八勝七敗の状態なのです。しかし、こんなことをしていたら、いずれ絶対に負けてしまう。やはり平幕力士が横綱を倒すようなときは、捨て身のことをやっている。捨て身というのは、自分が負けたときは落ちることであって、それぐらいのことをやらなければ自分より強い敵には勝てない。間違いなく敵に勝つ方法なんて有り得ないと思う。
全社を挙げて捨て身になることはできないが、捨て身がないと駄目である。例えば三割の人が捨て身で仕事をやり、その内一割の人が良い物をつくり、失敗した経験は次の基礎とする。そうして競争相手より優れたものを創り出していく。
そのためには、平均的で無難なことばかりやっていては駄目である。
……2007年(平成19年)。トヨタ自動車は、米国のゼネラルモータースを抜き、自動車販売台数において世界第一位の座を獲得した。
それは、日本の「クルマ造り」が世界のトップクラスにあることを意味するだけでなく、日本の産業・工業の「ものづくり」が世界でも指折りの水準にあることを意味するに他ならない。
自動車とは、その国の産業力と工業力の集大成である。その「日本のクルマ造り」の基礎と基盤を作り上げたのは他ならない中村健也主査であった。そしてその事実は、現代の日本を作り上げたのは中村健也主査であることを意味すると言っても過言ではない。
主査・中村健也が貫き、その背中で後世に語り継いだ「ものづくり」の心は、今なおトヨタと日本の「ものづくり」の中に深く根付き、永く生き続けているのであろうか。
それとも――
※(「『主査 中村健也』 ~日本を造った男~」は今回で終わりです。お読み下さった方、コメントを下さった方、色々と貴重な情報を教えて下さった方。本当にありがとうございました)
参考文献:
・「主査 中村健也」/トヨタ自動車(非売品)
・「創造限りなく トヨタ自動車50年史」/トヨタ自動車(非売品)
・「自動車技術を築いたリーディング・エンジニア」/公益社団法人 自動車技術会
・「指さして言う TOYOTAへ」/徳大寺有恒(有峰社)
・「モノをいう実力 才能開発集団12の栄光」/三好 徹(三一書房)
・「プロジェクトX 新・リーダーたちの言葉」/NHK
・「プロジェクトX 日本初のマイカー てんとう虫 町をゆく」/NHK
Special Thanks:
・正岡貞雄様
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主査 中村健也 | 日記
Posted at
2011/07/15 13:40:10
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