
1987年(昭和62年)。第27回東京モーターショーのトヨタブースにて、Y2プロジェクトの総決算となるコンセプトカー「AXV-Ⅱ」が出品される。かつてない形のガルウィングを装備したAXV-Ⅱは来場者たちから多くの注目を集めることとなった。
その好評ぶりもあって、トヨタ上層部からも早期の市販化を求める声がかかることとなった。
豊田章一郎社長も「1年以内に発売してはどうか」と述べたが、世界初となる形式のガルウィングドアにおける実用性や品質、耐久性の考証。量産能力の確保の問題等から、発売は2年後と決定される。
そして「ヤングプロジェクト」は、日本初のガルウィングとなる量産市販車の開発を目的とする「Y3」へと移行していったのである。
~グラッシーキャビンの加工~
Y2、そしてY3のボディ上体となる『グラッシーキャビン』、それは大きく湾曲した巨大な3次元ガラスで構成されている。左右のガルウィングはもちろんんこと、リアハッチも同様である。
単に、その形のガラスを造れば良いという訳では無く、特にリアハッチにおいては熱線やヒンジ、アンテナやダンパーステーを取り付ける必要性があり、19箇所の孔を開ける必要性があった。
果たして、そのようなガラスが造れるのか? 造れたとしても採算は採れるのだろうか? Y3がグラッシーキャビンに使用する曲面ガラス製造のパートナーとして選定したのは旭ガラスであった。
旭ガラスとは、明治40年(1907年)に創立されたメーカーで、日本で初めて板ガラスの工業化に成功した名門企業である。
「大丈夫、どんな形状のものでも造れないことはありません。どんなガラスでも造ってみせます!」
そんな風に豪語した旭ガラスの担当者も、実際にグラッシーキャビンの図面を見せられた時は驚いたと言う。
トヨタと旭ガラスは何度も協議を重ねた末、当時はまだ珍しかった「液圧プレス加工」と言う新技術を導入することによって、量産性と量産コストを解決。世界一のガラスハッチを造り上げることに成功した。
~ガルウィングの開閉~
ドアとルーフを一体化させたY3のガルウィング。それは当然、ドア本体の重量を著しく増加させ、開閉には大きな力が必要となる。
ガルウィングの開閉をアシストする為に、反発力の強いガス式ストラットダンパーが採用された。さらに、気候の変動によるガス圧力の変化から来るアシスト力の強弱変化を最低限のものとするため、「温度補償ステー」と呼ばれる機構も開発された。
ドア内部に設置された「温度補償ステー」は、ダンパーに封入されたガス圧の膨張と収縮をオイルの膨張と収縮に変換し、温度補償ステーが伸び縮みする。それによって温度補償ステーの作用点が移動することによってドアダンパーの着力点も移動し、気温変化によるドア開閉アシスト力の変化を「補償」するものであった。
厳冬のトヨタ士別テストコースにおいても雪に埋もれた状態でも耐寒テストが行われ、気温が-10度の時と66度の時を比較しても、ドア開閉の操作力は最大で2kg前後の変化に押さえられている。
これらの構造により、ガルウィングの開閉は非常に軽く、「カチッ」とスイッチを操作するかのようなフィーリングで開放することが可能となったのである。
(とは言えど、近年では経年劣化によってダンパーがヘタる個体も存在し、ドアを全開放してもドアが自然に落下してくると言う現象も発生するようになっている。この状態のドア&ハッチは『ギロチン』などと呼ばれ、セラ乗りたちの間から恐れられていると言う……)
ガルウィング最大の懸案事項ともよべるドアの振り出しにおいても、上部への振り出しは62センチ。横方向への振り出しはなんとわずか43センチと、横方向においては、むしろ普通車よりも必要とするスペースを断然少なくすることに成功している。普通車で40センチしか振り出せないのならば、乗り降りはまず不可能である。
その他にも、雨天時対策として十分な水量を排水出来るレインガーターや タワーパーキングを考慮したドアプロテクター、凍結防止の為のゴムストリップなども忘れられてはいない。
余談ながら、ガルウィング用のスキーキャリアまでもが開発されたのである。このキャリアは、なんと装着したままでもガルウィングを開閉出来ると言う優れものであった。
~グラッシーキャビンと衝突安全性~
ボディ全体をガラスで覆ったグラッシーキャビンには、どうしても万一の時の安全性……特に横転時の乗院の安全の確保において不安がつきまとう。
しかし、単にガラスだけでルーフが構築されているというわけではなく。タルガトップとTバールーフを組み合わせた構造が骨格となっている為、意外にも横転時における耐衝撃性は強い。
横転させてルーフが激しく損傷を見せたとしても、ガルウィングの開閉は正常に行われるまでに剛性は高められ、逆さに引っ繰り返る=転覆した場合においても、大人が這い出せるだけのスペースがウィンドウに確保されている。なお、リーダーの金子幹雄も、自らこの転覆からの脱出実験を行った。
80年代より、トヨタは何処の国産メーカーよりもボディの剛性と耐久性には力を入れて来た。「ボディのトヨタ」などと呼ばれたように事実として当時のボディの造りの良さはトヨタが他を突き離していた。
このグラッシーキャビン構造のクルマもまた、そのトヨタから「合格点」を貰えるクルマであったのである。
~ボディ外皮~
ボディカラーとして、『グリニッシュイエローマイカメタリック』『ダークグレーマイカメタリック』『シルバーオパールメタリック』『ミディアムブルーマイカメタリック』『ワインレッドマイカ』『ライトターコイズマイカメタリック』の6色を設定。エクステリアの色に応じてインテリアの色も仕様が変更となる。
ソリッド系だとボディ面の肉厚さが失われるとして、敢えてソリッド系のボディカラーを排し(※後にソリッドも追加される)、面の張りを十分に表現出来るメタリック系でラインナップが固められた。
これらの色は、トヨタ車はもちろんのこと、世界中を見ても稀な色合いのカラーばかりであるが、デザイン側の主張で「思い切りやらせて貰った」のだと言う。
中でも『シルバーオパールメタリック』には、メタリックの粒子に異粒子2酸化チタンの結晶を混入させると言う日本初の試みが行われ、これによって角度と光線の具合で見た目の印象が大きく変わると言う。
シルバーオパールメタリック以外の色においても、季節や時間帯によってボディが『魅せる』色合は刻一刻と変化し、そのことが逆にコマーシャルフィルムの撮影においてもスタッフを悩ませた。
また、ガルウィングやボディカラーだけでなく。トヨタ初となるプロジェクター式ヘッドライトを採用するなども行われ、これもまた見た目の精悍さを引き立てるのに一役買っているのである。
これらのように、コンセプトである「ライブ&パフォーマンス」にのっとり、「見られること」を意識して、世界初・国産初となる試みがエクステリアには多く採用されている。
しかし、セラは決して外部からの見た目だけを重視したクルマという訳ではなかったのである――
(第06回へ。全07回で完結出来そうやね…・・)
参考文献:
・「CARトップ ニューカー速報No.27 SERA」/交通タイムス社
・「モーターファン別冊 ニューモデル速報 第82弾 SERAのすべて」/三栄書房
・「別冊CG 日本のショーカー 1981~1989年 東京モーターショー」/二玄社
・「ベストモータリング」1990年5月号/2&4モータリング社
関連リンク:
・
「セラの系譜」 第01回 ~ヤング・プロジェクトの誕生~
・
「セラの系譜」 第02回 ~ライブ&パフォーマンス~
・
「セラの系譜」 第03回 ~ガルウィング~
・
「セラの系譜」 第04回 ~コンセプトカー・AXV-Ⅱ~