
「ソアラ」と「セリカ」との差異化、そして決別。
グランドツーリングカー=「セリカXX」を超える後継車種。A70型スープラはトヨタのフラッグシップスポーツカーを目指して開発が進められる。
スポーツカーでありながらもインテリジェンス。スポーツカーでありながらもコンフォート、せめぎ合う二律背反。身内にこそ潜む多くのライバルと祖先を超越するという使命。
そして、また一台。スープラにとって超えるべき偉大な先達が存在したのである。それが伝説のマシン、トヨタ2000GTであった。
~昭和の伝説・トヨタ2000GT~
トヨタ2000GT、かつてトヨタが「スポーツカー」を名乗ることを許した唯一のマシンとされている。
トヨタ博物館所蔵・MF10型トヨタ2000GTの後期モデル
・直列6気筒2000ccDOHCエンジン(2Lとして日本初のDOHC)
・4輪ダブルウィッシュボーン式サスペンション(トヨタ初・日本初?)
・4輪ディスク式ブレーキ
・フルシンクロメッシュ5速マニュアルトランスミッション(日本初の5速MT)
・ラック&ピニオン式ステアリング
・リトラクタブルヘッドライト(日本初のリトラ)
1967年に発売されたトヨタ2000GTには日本初・トヨタ初となる多くの最新技術が投入されており、それはまさに最先端にして国産随一のスポーツカーであった。
この、映画「スピードトライアル」のノーカットは某nn動画に(ry
ヤマハ発動機の技術協力の元、市販前よりレースに参戦する事で鍛え上げて開発が進めれたトヨタ2000GT。1966年10月1日から10月4日にかけて谷田部高速周回路で行われたスピードトライアルでは、台風の豪雨と突風に見舞われるも3個の世界記録と13個の国際記録を樹立してみせる。
市販価格は現在の貨幣価値に換算すると1500万円~2000万円となるが、それでも売れば売るほど赤字が累積してゆく価格設定であった。
だが、このトヨタ2000GTの開発には、単にトヨタの技術力を誇示する為の広告塔としての意味だけでなく、先端技術の開発研究はもちろんのこと。次世代の技術者育成や技術の伝承と言う大きな目的があったとされている。
トヨタはこう言った技術伝承を目的としたマシンの企画・開発を約20年周期で行っており、同様のコンセプトとして、後に「トヨタ4500GT」や「レクサスLFA」と言ったマシンが開発されることとなった。
トヨタ2000GTは今なお「トヨタ」だけでなく「昭和」と言う時代の象徴的存在として扱われている。そして、後年のトヨタの自動車開発においても「トヨタ1600GT」「初代セリカXX」「2代目セリカXX」など、トヨタ2000GTを意識して造られたマシンが少なくない。
上の動画56秒付近は、昭和42年の富士24時間においてトヨタ2000GT・トヨタスポーツ800・トヨタ2000GTが1~3位を独占してフィニッシュした伝説のゴールである。
余談であるが2000GTの弟分として扱われることもある「トヨタスポーツ800(通称「ヨタハチ」)」は、実はトヨタ2000GTより開発も登場も早い。
無論、いくらトヨタ2000GTが名車とは言えども2000ccエンジンで「最大馬力150ps・最大トルク18.0kg」と言う数値は現代の水準からすれば貧相に見えるし、ブレーキングの性能においても現行のカローラにも劣るとされる。
しかし、日本自動車黎明期において。その存在感は紛れも無く「和製スーパーカー」そのものであった……
そしてA70型スープラは、このトヨタ2000GTを“越るべき存在”として開発が進められたのである。
~70型スープラのエンジン~
「開発陣にとっては全く新しいクルマであり、スタイリングはもちろんエンジンも足回りもすべて一新。トヨタの技術力を結集したクルマづくりだった。セリカとの共用を考慮しないでいいとなれば、この機会にんやりたいことを全部やろうじゃないかと意気込んだ」
70型スープラの心臓としてはセリカXXやソアラと同じく直列6気筒エンジンが搭載されることが決定。V6エンジンの搭載も検討がなされたが、騒音や振動の面で不利とされる上に信頼性の高い直6エンジンがあったことから、かなり早い段階でV6は議論だけで終わる。
「FRで最も優れたクルマ」を目指して採用されたエンジンは、3000cc直列6気筒ターボエンジ=7M-GTE。この7M-GTEは、先のセリカXXや初代ソアラに搭載されていた直6自然吸気の6M-GEをベースに、ヘッドから上を全面的に換装し、細部にも変更を加えたものである。
このエンジンを搭載する「MA70型スープラ」は、最大馬力230ps・最大トルク33.0kgの国産最高クラスの出力を発揮するまでになった。なお、この7Mエンジンはトヨタ2000GTに搭載された「3M」エンジンの流れを汲むエンジンでもある。
3000ccだけでなく2000ccのグレードとなる「GA70型スープラ」も用意され、こちらは直列6気筒2000ccツインターボエンジンとなる「1G-GTE」を採用。2000ccで5ナンバーサイズボディと言えども、185ps・24.5kgの出力は2リッターの自動車としては国産最強の出力であった。
他にも、2000ccのNAモデルとして「1G-GEU」「1G-E」が搭載されるモデルも設定、2リッターのNAとは言えど最高速度220km/hを叩き出すだけのポテンシャルを有していた。
~70型スープラのサスペンション~
サスペンション開発においてはヨーロッパレベルの乗り心地と操縦安定性が目指される。当時のトヨタは「PEGASUS」と呼ばれる機構のサスペンションを主力としていたが、「まだまだヨーロッパのレベルには遠かった」と開発主査の和田明広は認めている。
1983年(昭和58年)、70型スープラ開発の為、「欧州操安性乗り心地調査隊」が結成される。
各部署から選抜されたメンバーたちが渡欧、ポルシェ944やフェラーリなどをドライブし、研究を行ったと言う。
「世界一のハンドリングマシン」とも称されるFR、ポルシェ944。
某日本車が似てるのは気 の せ い で す 。
走行性能と乗り心地の両立はトヨタが古くから目標として来たことである。しかし、それをさらに高いレベルで両立させるには、従来の主流であるマクファーソンストラットではなくダブルウィッシュボーンの存在が必須であった。
結果、足回りには4輪ダブルウィッシュボーン式サスペンションを採用することになる。この4輪Wボーンとは、実にトヨタ2000GT以来の採用であった。
「ともかくヨーロッパで売り物になるクルマにしなければならない」
それは単純にヨーロッパにおいて「とにかく商品として成立する」ということでは無く、「ヨーロッパ車と比べても十分に誇れるだけのもの」と言う意味であった。
スープラのメインマーケットはもちろんのこと北米であり、ヨーロッパへの輸出台数はそれほど多くはない。しかし、スープラはより高い次元の足回りを追求し、4度の渡欧テストを行った。
サスペンションだけでなくタイヤも重要視され、タイヤに特化した実験部隊も組織される。このタイヤ部隊はグッドイヤー社と共に、スープラ専用タイヤの開発にも取り組んだ。
悪路テストコースに持ち込んでの、ノイズ・バイブレーション・ハーシュネスの徹底的な試験も行われた。
厳しい実験の数々に晒されて、スープラは「嫌と言うほど」壊れ、その度に設計をやり直したと言う。
公道テストも困難を極めた。ヨーロッパの道々はもちろんのこと、アメリカのフリーウェイ、中近東、酷寒のカナダ……。アウトバーンでは危うく転覆事故を起こしかけるなど、多くのトラブルに見舞われた命懸けのテストが行われた。
……そして来たる1986年。同時進行で開発が行われていた2代目ソアラとほぼ時を同じくして、新生スープラは完成する。
「トヨタ3000GT」。A70型スープラの誕生だった。
(第05回に続く……)
参考文献:
省略。第3回までのを参照して下さい。
関連リンク:
「スープラの系譜」 第01回 ~スープラの系譜~
「スープラの系譜」 第02回 ~ソアラとスープラ~
「スープラの系譜」 第03回 ~70型のパッケージング~
おまけ:
・トヨタ1600GT……トヨタが作った、コロナベースのマシン。スカイラインとの激闘が超有名
・トヨタ2000GT……トヨタがヤマハの技術供与の元で作り上げたスーパーカー
・トヨタ3000GT……MA70型スープラのキャッチコピー
・トヨタ4500GT……1989年東京モーターショー出品のエクスペリメンタルスポーツカー
・トヨタ2000SR……トヨタが作ったハイブリッドスポーツコンセプト
・TRD2000……TRD製作のカローラセレスに3S-GEエンジンを搭載した限定モデル
・TRD2000GT……TRD製作のSW20型MR2をワイドボディ化させたモデル
・TRD3000GT……TRD製作のJZA80型スープラをワイドボディ化させたモデル