2011年09月20日
「クルマを語る」
「夢のあるクルマと言うのは、高くなくても速くなくても小さな幸せを運んでくれるクルマのことだ」
自分が一番好きな言葉である。
ネタバラシをしてしまえばこれは、「ニューモデルマガジンX」の編集長を務めておられたモータージャーナリスト=牧野茂雄さんの言葉である。もっと言えば牧野茂雄さんが原作を務めた新車スクープを取り扱ったコミック「ファクトリーZ」の主人公、南雲零(モデルは牧野茂雄自身)のセリフである。
この言葉の裡にこそ、クルマ好きの本質が込められていると自分は思っている。
まず、必死でアルバイトしてお金を貯めて、中古ではあるが初めての愛車を手に入れる。感動の瞬間である。そして、高い維持費と修理代、ローンと故障の連続に泣き、笑う日々の始まりである。
毎晩毎晩、目を輝かせながらヤフーオークションを眺めては、ふと自分の財布を見て溜息をつき。しかし時には1分1秒・10円100円単位で、顔も知らない誰かとの壮絶なクリック合戦を繰り広げる。
愛車を手に入れた後も、買えるわけはないし買うつもりもないが、goo-netやカーセンサーnetで中古車の流通情報は必ずチェックする。胸のときめく一時である。
クルマが壊れてしまった時には、そのクルマを売っていたはずのディーラーへ持ち込んだってけんもほろろな対応しかされない。しかもパーツは生産中止。
仕方が無いから解体屋に足を運んで苦労してパーツを手に入れ、時にはクルマ仲間同士で中古パーツを融通し合う。
驚くべきスピードで給料はどこかへ飛んでゆく。とてもではないがサーキットなんて通うなんてことは出来ないし、まともにクルマをチューンをする金も無い。それでも時には峠やワインディングを愛車と共に駆け、風を切って走る……
高いクルマではない。速いクルマでもない。オンボロのポンコツ、動いていることすらも不思議。手取り10万少しで維持できていることすらも奇跡。
困窮する生活。クルマ好きにならなければ、一体どれほどの貯金が出来ていただろうか――?
しかし、それでも「楽しい」のだ、「嬉しい」のだ、「幸せ」なのだ。
そういう市井のクルマ好きたちの現実を、世の中の自称「モータージャーナリスト」・自称「自動車評論家」・自称「レーシングドライバー」の人らは本当に分かっているのだろうか?
ハッキリ言う、クルマなんて金持ちの道楽だ。間違いない。
だがしかし、クルマと言うのは一部の富裕層の為だけにあるのにあらず。少数派である「クルマ好き」の為だけにあるのに有らず。ずば抜けたテクニックを持つレーシングドライバーの為だけにあるのにあらず。
クルマとは、万人に広く付与されるべきものである。
幼い頃、母の死に目に間に合わなかったヘンリー=フォードが志した「馬よりも速く走る乗り物」とは何の為だったのか。
豊田喜一郎が私財投げ打ち、大財閥ですらリスクの大きさのあまりに敬遠した「純国産車」に粉骨砕身捨て身の覚悟と努力で取り組んだのは何の為であったのか。
自分はバブルの遺産そのものである2シーターのミッドシップに乗っている。ある意味、ここまで突き詰めたクルマも世界でそうそうあるまい。だが、そんな世界で唯一無二なクルマに乗っていても思う。
エコカーの何が悪いのか? ミニバンの何が悪いのか? 軽自動車やコンパクトカーをファーストカーとして使って何が悪い?
そんなに若者はパーソナルクーペに乗らねばならないのか!?
何だかんだでトヨタやホンダは一番若者を見ていると思う。ライトウェイトスポーツカーなんてのは、本当にごく一部の者たちが欲しているに過ぎないのだから……
適当に喋ったことをゴーストライターにまとめさせ、雑誌には自分の名前で掲載。あるいは単にメーカーのプレス向け資料をまとめただけ。そんなので金が貰えるならば、そりゃ自動車雑誌が売れる訳が無い。当たり前だ。
1000万もするドイツ製高級セダンを持って来てクローズドコースで振り回して「これはイイ!」なんて絶賛しても、それを誰が享受できると言うのか。
「プロドライバーになりたいなら、小さい頃からカートをやれ」。一体どれだけの少年少女がそんな金銭的に恵まれた環境に育っていると言うのか。
そもそも若者の3人に1人が、フリーター・派遣として明日も知れない非正規雇用に身をやつさなければならなくなっている経済状況を把握しているのか?
……ヘンリー=フォードが大衆車の量産化に成功し、フォード社がアメリカを代表する大企業になった頃のことである。ヘンリー=フォードは、一つの事に気がついた。それは、会社の絶好調ぶりに相反して、現場で働く工員たちに元気がないことであった。
不思議がるヘンリーを諭したのは、息子のエドセルだった。
「どれだけ働いても彼らの日当はほんのわずか。彼らは自分たちが作っているクルマを、自分で買うことすら叶わないんだよ?」
この話の真偽は定かではない。しかし、これが全てだ。なお、ヘンリー=フォードが労働者への待遇に力を入れた(入れるようになった)のは有名である。
上から目線でご高説をたれるエライさんたちは何も分かっていないし何も知らない。それで「若者のクルマ離れ(キリッ」なんて言うのだから大笑いだ。
かつては「阿」と言ったら「吽」と言ったかも知れない。ならば「ぬるぽ」と言ったら「ガッ」と言う。それぐらいの若者文化を知ってから「若者」について語ってね。分からんかったらggrks。
イギリスに「トップギア」と言う自動車番組がある。現代の若者、クルマ好きが自動車メディアを語る際には必ずといっていいほど登場する名前である。
なぜトップギアがこれほどまでにクルマ好きたちの支持を集めているのか――
どんなメーカーに対しても媚びない。レクサスLFAだろうがプリウスだろうが、ケチョンケチョンにいてこます歯に衣着せぬ言動……なるほど、それもあるだろう。
だがそれはトップギアの本質では無い。
高いクルマでも安いクルマでも、クルマの楽しさ・クルマの魅力・クルマの可能性・クルマの潜在力を「命懸け」で伝えようとするその姿勢こそがトップギアの真髄なのだ。
ボリビアスペシャルを見たか? まともに動かぬ中古のSUVで南米のジャングルを掻き分け澱んだ大河を渡り、意識と命すらも奪わんとする3000メートルの高地を走る、あの生死を賭けた冒険を――
ハイラックスサーフの壮絶極まる耐久テストを見たか? 燃やし、爆破し、海中に沈め――原形をとどめなくなるほどボロボロとなった、それでも動き続けたあのハイラックスの勇姿を――
無論、トップギアはあくまで「皮肉」の文化を持つ英国だからこそ出来るスタイルの番組である。あんなのは日本では出来ないし、やる必要も無い。
高いとか安いとか。スポーツカーだとかミニバンだとかは関係無い。「クルマで走ることは楽しいことだ、ワクワクすることだ」、それを何よりも誰よりも大切にしている。それを一番に伝えようとしている。だからこそトップギアは面白いのだ。
「最近の若い者は~」「あの頃は良かった~」「日本車なんて~」「最近のメーカーは~」
うるさい黙れ。いい加減に目を覚ませ、いつまでバブルが続いていると思っている。
早く現実を見ろ。若者と向き合え、対話しろ。
「クルマが好き」だと言うのならば。
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Posted at
2011/09/20 14:51:18
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