
1986年(昭和61年)2月19日。A70型スープラは遂にデビューを果たす。
トヨタの新たなフラッグシップ“スポーツカー”を目指して開発された70型スープラ。
しかし……
~“スポーツカー” スープラの誕生~
1986年2月6日。東京は飯倉のラフォーレミュージアムにおいて、70型スープラの発表会が行われる。つい2週間前に2代目ソアラの発表もあったことから会場には多くの報道陣が詰めかけた。
「スープラとはラテン語で『超えて』といった意味だが、90年代に向けて、これまで以上に海外活動に力を入れ、国際的な土俵で世界中の優秀なクルマを超えるものとして、品質や価格の点でも満足できるものと、と言う願いを込めた」
発表会にあたって、豊田章一郎社長はこのように述べた。開発責任者の和田明広主査も、次のっように述べる。
「トヨタ2000GT以来の、もっとも設計に自由度の大きい4輪ダブルウィッシュボーンのサスにより、高速直進性、高速コーナリング特性、振動、騒音、そしてのりこごちという相反する要素を高いレベルで両立させている」
ポルシェ944、そしてトヨタ2000GT。世界中の最高ランクのFRスポーツカーたちを超えるスポーツカーとして生み出されたスープラ。そして、マスコミに配布された資料にも、「高級フラッグシップスポーツカーを開発テーマにした」と記されていた。
確かに、230psを誇る3000cc直列6気筒ツインターボエンジンや、トヨタ2000GT以来となる4輪ダブルウィッシュボーンサスペンション。Cd値0.32の空力性能にリトラクタブルヘッドライトなど、スープラに詰め込まれたメカニズムとデザインの数々は、どこからどう見ても「スポーツカー」そのものであった。
そして実際、和田明広主査も「より運動性能を高めたスポーツカーが狙い」であったと述べている。しかしながら、和田主査はスープラ発表の段階になって次の様に述べた。
「え? スポーツカーと書いてある? だとすると販売サイドから叱られるかもしれない。スポーツカーというとマーケットが限定されると心配する向きがあるからだ」
スポーツカーとしてスープラを開発しておきながらも。ここに来てスープラをスポーツカーと呼ぶことに対して難色を示したのだ。
だが、それと同時に「われわれとしては今回こそ、スポーツカーと言っても恥ずかしくないクルマづくりを目指した」とも述べているのである。
「トヨタはスポーツカーを造らない」。これはクルマ好きたちの間で度々言われる言葉である。そして、このスープラ発表における一連の流れの中に、トヨタのスポーツカーに対しする考え方が見え隠れしているであろう。
スポーツカーは乗り手や買い手を限定するものである。多くの人々にそのクルマを楽しんで貰う為には、スポーツカーとしての性能を与えたとしてもスポーツカーとは呼んではいけない。だが、それは和田明広主査の言葉から察するにセールス上における意味合いが強かったようである。
そして結局、トヨタはカタログ上においても70型スープラをスポーツカーと表記することを敢えて避け、「あくまでもグランドツーリング」という姿勢を貫くことになったのである。
あくまでもスポーティカーのレビン・トレノ、MR2。あくまでもスペシャリティカーのセリカ。あくまでもハイソカーのソアラ。
それらに習って70型スープラもまた、スポーツカーを名乗ることを許されなかった。
では、トヨタが考えるスポーツカーとは何であるのか。どのようなクルマならば名実ともにトヨタ製スポーツカーの称号を与うるに足るのであるか。
その答えが得られるのは、7年後に発売される80型スープラの登場を待つことになる。
~スープラの変遷~
1986年2月に登場した70型スープラには、実に多くのバリエーションが存在する。エンジンだけでも、7M-GTE、1G-GTE、1G-GE、1G-Eと4種類が存在。グレードに至っては上から「3.0GTターボ」「GTツインターボ」「GT」「G」「S」と、5種類にも及んだ。北米仕様と違って、日本仕様はまだ全車5ナンバーサイズ(のハズ)
・3.0GTターボ (3000ccターボ・7M-GTE)
・GTツインターボ (2000ccターボ・1G-GTE)
・GT (2000ccNA・1G-GE)
・G (2000ccSOHC NA・1G-E)
・S (2000ccSOHC NA・1G-E)
1986年6月には、発表当初の噂通り、タルガトップモデルとなるエアロトップ仕様が上位3グレードに追加される。
1987年1月には、遂に待望のワイドボディモデルが「3.0GTターボリミテッド」として追加され、合計6グレードとなる。
・3.0GTターボリミテッド (3000ccターボ・7M-GTE/ワイドボディモデル)
・3.0GTターボ (3000ccターボ・7M-GTE)
・GTツインターボ (2000ccターボ・1G-GTE)
・GT (2000ccNA・1G-GE)
・G (2000ccSOHC NA・1G-E)
・S (2000ccSOHC NA・1G-E)
1988年1月にはGTツインターボをベースとした特別仕様車「ブラックリミテッド」が200台限定販売される。
1988年8月には自然吸気2000ccSOHC直列6気筒エンジンであった「1G-E」を廃止。代わりに1G-FEエンジン搭載モデルを追加する。3000ccモデルは全車ワイドボディ化。
・3.0GTターボリミテッド (3000ccターボ・7M-GTE/ワイドボディモデル)
・3.0GTターボ (3000ccターボ・7M-GTE/ワイドボディモデル)
・2.0GTツインターボ (2000ccターボ・1G-GTE)
・2.0GT (2000ccNA・1G-GE)
・2.0G (2000ccNA・1G-FE)
また、グループAのホモロゲーション取得の為に、国産最強の270psを叩き出す「3.0GT ターボA」を500台で限定発売したのも、この1988年8月のマイナーチェンジである。
1989年1月には特別仕様車「ブラックスープラGTツインターボ」を300台で限定販売。ベースは2.0GTツインターボである。(たぶんね・・・)
1989年8月には、廉価版の「3.0GTターボS」を追加。税制改革に伴い、2000ccモデルにもワイドボディモデルが追加される。合計7グレード。
・3.0GTターボリミテッド (3000ccターボ・7M-GTE/ワイドボディモデル)
・3.0GTターボ (3000ccターボ・7M-GTE/ワイドボディモデル)
・3.0GTターボ S(3000ccターボ・7M-GTE/ワイドボディモデル)
・2.0GTツインターボ (2000ccターボ・1G-GTE/ワイドボディモデル)
・2.0GTツインターボ (2000ccターボ・1G-GTE)
・2.0GT (2000ccNA・1G-GE)
・2.0G (2000ccNA・1G-FE)
これらの多くのマイナーチェンジの間に、スープラ開発主査は和田明広主査からソアラ開発主査の岡田稔弘が兼任することに。なお、和田明広主査は後にトヨタ自動車の副社長に就任する。
また、モータースポーツの世界ではグループAにおいて1987年シーズン第4戦(第3戦?)の菅生ラウンドから「ミノルタ・スープラ」が参戦。見事にデビューウィンを飾る。
1988年には「ミノルタ・スープラ」に加えて「ダンロップ・スープラ」も参戦。ミノルタが開幕戦では3位につけるも、その後は決して華々しい活躍は無かった……
「スープラはしょせんGTカー、トヨタにはスポーツカーは造れない」。そんな嘲笑が自動車界に広まりつつあった。
やがて長かった昭和が終わりを告げ、時代は平成に。そして1990年代に突入する。時の流れに従い、70型スープラもまた進化の時を迎えることになる。
グランドツーリングからスポーツカーへ。“J”と“Z”の2文字を携えて、「スポーツ・オブ・トヨタ」の胎動が静かに、静かに聞こえ始めていた……
(第06回に続く……のかなぁ(汗))
参考文献:
省略。第3回までのを参照して下さい。
関連リンク:
「スープラの系譜」 第01回 ~スープラの系譜~
「スープラの系譜」 第02回 ~ソアラとスープラ~
「スープラの系譜」 第03回 ~70型のパッケージング~
「スープラの系譜」 第04回 ~トヨタ2000GT、そしてスープラ~