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2011年10月21日

「スープラの系譜」 第06回 ~「JZA」 70から80へ~

「スープラの系譜」 第06回 ~「JZA」 70から80へ~ 2011年2月19日。その日は、A70型スープラの発売から20年目にあたる日であった。

トヨタのフラッグシップ=スープラ。その20周年を記念して、愛知県は長久手のトヨタ博物館に全国各地から60台にも及ぶスープラが集まった。

フルノーマルの70型や80型はもちろんのこと、TRD3000GTを始めとするフルエアロ仕様からガルウィング化スープラ。痛車に逆輸入車の左ハンドル仕様スープラ。今となっては珍しい5ナンバーのスープラまで。多種多様なスープラが押し寄せた。

そんなスープラの大軍の中を歩く、一人の初老の男性がいた。男性の名は都築功。都築こそが、和田明広・岡田稔弘と言った名主査たちの跡を継ぎ、70型スープラの開発主査に就任。さらにはトヨタが名実ともに「スポーツカー」を名乗ることを許した唯一のマシン・「JZA80型スープラ」を造り上げた人物であった……

~都築功と幻のマシン=“222D”~

 1980年代も終わりに近づく頃のことである。都築はクサっていた。

 何故か。都築がリーダーとなって進められていたビッグプロジェクトが突如として中止になってしまったからである。

 都築は愛知県刈谷市出身。名古屋大学工学部卒業。さらに大学院にて修士課程を修了後、1969年にトヨタ自工へ入社。駆動系の設計開発部門に配属され、セリカに搭載された日本車初となる5速マニュアルトランスミッション(除く、トヨタ2000GT)の開発を担当することになる。

 ※なお、この時セリカの5速MT開発チームの中には「ハチロク」や「セラ」と言った名車を造り上げることになる金子幹雄がいた。

 都築は大学・大学院時代における専攻は空気力学。なかでも「境界層コントロール」と呼ばれる、空気が車体に沿って綺麗に流れず剥離を引き起こすメカニズムが研究テーマであった。

 大学時代の専攻とは全くかけ離れた駆動系開発に配置されながらも、都築は日本初の5速MT開発のみならず、「リバース阻止機構」と呼ばれる不用意にリバースにギアが入らないようにする機構を開発し特許を取得するなど目覚ましい活躍を見せていた。

 1975年には製品企画室へど異動となり、後に70型スープラ開発主査となる和田明広主査の元でコロナの設計開発に携わる他、1980年代には吉田明夫主査の元で日本初のミッドシップ車であるAW型MR2の駆動系開発も担当した。

 そんな都築に一つの指令が下される。それはMR2をベースとしたラリーカーの開発であった。

 1981年。FISA(国際自動車スポーツ連盟)は、1983年よりWRCのレギュレーションを新たなカテゴリーに移行することを決定していた。これが伝説の「グループB」である。

 『連続した12ヶ月間に20台の競技用車両を含む200台を生産すれば、20台の競技用エボリューションモデルを製作出来る』というグループBのレギュレーション。表向きでは幅広いメーカーの参戦をうながすものであったが、実際にはそれまで以上に高性能なラリー専用車の製作が可能となったのである。

 結果。このグループBカテゴリーにおいて、それまでの常識では考えられなかったようなマシンが、次々に登場することになった。世界中の自動車メーカーがWRCに送り込んだマシンたちは、この規定を最大限利用し、市販車の領域を大きく踏み越えたものであった。

 極めてレギュレーションの緩やかなグループBにおいて華々しい活躍を遂げていたマシンと言えば、大馬力のエンジンをリアミッドシップに搭載した『ルノー5ターボ』や『ランチア・ラリー037』。そして、世界初のフルタイム4WDシステムを搭載し、圧倒的なまでの走行安定性と悪路走破性を誇る『アウディ・クワトロ』であった。

 そして1984年にはプジョーがミッドシップレイアウトと4WDシステムの二つを併せ持つ究極のマシン・『プジョー205 ターボ16E1』をツール・ド・コルスより投入。ランチアやアウディを大きく突き離す、圧倒的なまでの性能を見せつけていた。

 『ミッドシップレイアウト+ハイパワーターボエンジン+フルタイム4WDシステム』。この組み合わせが、WRCの主流となり、また頂点に君臨するであろうことは、誰の目に見ても明らかであった。

 トヨタもWRC制覇を目指してセリカ・ツインカムターボで参戦し、それなりの戦果はあげていたものの、FRレイアウトのセリカではあらゆる意味で戦力不足の感が否めなかった。

 そんな中でトヨタは、セリカに替わる新たなWRCマシンの開発を決定。そのベース車輛として選定したのは、1984年6月に発売を控えていた日本初のミッドシップ車『MR2』であった。

 その開発リーダーに選ばれたのが都築功。まだ課長でありながらも都築は役員直轄でMR2のラリーカー開発を行うことになるのである。

 AW型MR2は、カローラ初のFF車であるAE82型をベースに造られたミッドシップである。都築はこれに、2000ccターボエンジンである「3S-GTE」を搭載。さらに、トヨタ初となるフルタイム4WDシステムを実装させる。それが幻のグループB仕様MR2=“222D”であった。


※トヨタ博物館所蔵の222D。2000年代初頭までテストドライバー育成の教材として使用されていた第二次試作車の12号車である。

 222Dは、エンジン横置きの第一次試作車。続いてエンジン縦置きの第二次試作車が製作される。

 222Dは、シルエットこそAW型MR2の面影を残しているものの、エンジン搭載方法を変更したことによりホイールベースは延長され、トランスミッションはパイプフレームに懸架されたエンジン後方に突出した形で設置される。さらに、オイルクーラーへの巨大なエアインテークがルーフに装着されるなど、もはやMR2からは大きくかけ離れた様相となっていた。

 最終的なスペックは全長3985mm、全高1880mm。ボディの大半はFRP製であり、重量はわずか1100kg。重量配分は47:53。

 フロント、195/65R16。リア、215/60R16の、当時、例を見ない前後異径タイヤ。 サスペンションは、MR2シリーズには最後まで採用され無かったダブルウィッシュボーン。0:100~40:60まで可変するトルク配分型フルタイム4WDシステム。

 リアミッドに縦置きにマウントされたエンジンの最高出力はなんと500ps以上、最大トルクはおよそ60kg/mを発揮していたと言う。

 1980年代のマシンとしては異常としか言いようのないスペックを有する222D。その性能に関しては諸説あるものの、世界最高クラスのパワーと走破能力を持っていたことは間違いない。そして実際、222D開発現場においても、222Dに対する期待の気持ちは大きかった。

 222Dの標的は、1985年の最終戦RACラリーよりランチアが投入した『ランチア・デルタS4』。

 鋼管スペースフレームとケブラー素材で構成されたボディに、スーパーチャージャー+ターボチャージャーの組み合わせで400psを発揮するエンジンをミッドシップレイアウトに搭載。

 その性能は凄まじく、モナコのF1コースにおいてエキジビション走行を披露した際には、下手なF1マシン以上のタイムで走行して見せたと言う。

 だが、デルタS4はあまりの高性能ぶりに、WRCのアイルトン・セナとも称されたヘンリ・トイヴォネン以外にその乗りこなせるドライバーが居ない程であった。

 ホモロゲーション取得の為の量産型222Dのパーツ調達も進められ、また、グループBに続くグループSに対応する222Dの構想も、まだ企画段階ではあるが始まることとなり222Dの開発は順調に進んでいたかのように見えた。

 しかし、222Dの運命を決定づける一つの事件が起きてしまう。

 1986年シーズンのツール・ド・コルス。SS18 コルテ-タベルナ。スタートから7km地点。トイヴォネンの駆るランチア・デルタS4がコースアウトし、崖下に転落。爆発、炎上したのである。

 トイヴォネンの『ランチア・デルタS4』は、車体側面を木の幹が貫き、炎上。サスペンションとパイプフレームだけを残し、マグネシウム製のホイールとケブラー、プラスチックで構成されたボディのデルタS4は、跡型も無く焼けて無くなった。

 ドライバーのヘンリ=トイヴォネン。そしてコ・ドライバーのセルジオ=クレストは死亡――

 事故現場は、ゆるい左カーブ。コースにはブレーキ痕が一切残っていなかった。事故原因は不明。ただ、この事故が。あまりのグループBマシンの性能の高さが一因となっているのは、誰の目にも明らかであった。

 この事故を受け、FISAでは緊急会議を開かれた。そして2日後には、1986年をもってグループBを廃止し、グループS構想も白紙撤回することを決定したのである。

 ――結果、222Dの開発は中止。都築が精魂を込めて造り上げたグループB仕様MR2は永遠にお蔵入りとなってしまったのである。


~JZAスープラの誕生~

 222Dの開発が中止となり、社内で行き場を失った都築は、有馬和俊主査の元でフルモデルチェンジを行うMR2の開発現場において“下働き”をしていたと言う。

 そんな都築の元に、新たな辞令が下りる。それは現行の70型スープラのマイナーチェンジ。そしてスープラのモデルチェンジの開発であった。

 こうして都築は1989年、A70型スープラ開発主査に就任することになった。

 222D開発中止の悔しさを都築はスープラへとぶつけることになる。

 まずは既存の7M-GTEエンジンnに替わり、70型スープラに新開発の2500cc直列6気筒ツインターボエンジン「1JZ-GTE」を搭載。国産最強の280psを発揮するまでにチューンナップする。これは、3000ccのZ32型フェアレディZや2600ccのR32型スカイラインGT-Rに比べて、最小排気量での280ps達成であった。

 さらに、222D開発で交流のあったドイツのビルシュタイン社のショックアブソーバーを70型スープラに導入。加えて、まだ今ほどには有名では無かったレカロ社のシートを標準装備とする。

 「スポーツカー」として開発が進められながらも、結局はスポーツカーを名乗ることを許されたかった70型スープラ。都築が70型スープラに施した改良は、「あくまでグランドツーリング」とされたスープラを「リアルスポーツ」へと磨きあげる為のものであった。

「だからRと言う名前を付けました。2.5GTツインターボRとね。GT-Rとしちゃうとスカイラインさんに申し訳ないもんですから」

 後に都築はこう笑ったと言う。

 1990年8月、JZA70型スープラが発売となる。



 グレードは全6種類。3000ccの7M-GTEエンジンがラインナップから消滅。完全に2500ccの1JZ-GTEがとって変わることになる。また、ワイドボディ装着車がメイングレードとなった。

・2.5GTツインターボリミテッド (1JZ-GTE、ワイドボディ)
・2.5GTツインターボR (1JZ-GTE、ワイドボディ)
・2.5GTツインターボ (1JZ-GTE、ワイドボディ)
・2.0GTツインターボ (1G-GTE、ワイドボディ)
・2.0GTツインターボ (1G-GTE、5ナンバーナローボディ)
・2.0GT (1G-GE、5ナンバーナローボディ)

 1991年8月には小改良が施され、リアシートへの3点式シートベルト装着やサイドドアビームの追加など、安全対策が図られることになる。(※グレードに変更なし)

 都築の手によって70型スープラはさらなる性能を手にすることになる。しかしモータースポーツの場においては16年ぶりに復活を遂げたスカイラインGT-Rが猛威を振るっており、それを止めることは最早誰にも叶わなかった。


 そんな中、都築は70型スープラの改良と同時進行で、次期スープラの構想を練り始めていた。それが「SPORTS OF TOYOYA」、JZA80型スープラであった……



(第07回に続く……)

参考文献:

省略。第3回までのを参照して下さい。

関連リンク:

「スープラの系譜」 第01回 ~スープラの系譜~
「スープラの系譜」 第02回 ~ソアラとスープラ~
「スープラの系譜」 第03回 ~70型のパッケージング~
「スープラの系譜」 第04回 ~トヨタ2000GT、そしてスープラ~
「スープラの系譜」 第05回 ~“トヨタ3000GT” A70型スープラ誕生~

トヨタ博物館 都築功スープラ開発主査講演会!

備忘録 11 「幻の日本発・ミッドシップ4WD」 その1 ~はじめに~
備忘録 12 「幻の日本発・ミッドシップ4WD」 その2 ~トヨタ・222D 第1回~
備忘録 13 「幻の日本発・ミッドシップ4WD」 その3 ~トヨタ・222D 第2回~
備忘録 14 「幻の日本発・ミッドシップ4WD」 その4 ~トヨタ・222D 第3回~
備忘録 15 「幻の日本発・ミッドシップ4WD」 その5 ~トヨタ・222D 第4回(終)~
ブログ一覧 | スープラの系譜 | 日記
Posted at 2011/10/21 13:39:14

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この記事へのコメント

2011年10月22日 11:47
1JZ-GTEは確かに此の時点で280馬力ですね〜 RB25DETが280馬力になったのは34になってからですから凄いな〜

70スープラもここまでくるとかなり完熟の域に入っていますね。
コメントへの返答
2011年10月22日 21:56
でもRB25が280psになった頃って、既にEJ20とか4G63も280を叩き出してましたね~。(2000ccクラスが280達成は96年、RB25は98年)

70も一時期欲しかったんですよねぇ……MR2を買う前。

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