• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+
イイね!
2013年06月20日

「MR2の系譜」 AW編 第09回(最終回) ~222D、グループB仕様MR2~(後編)

 時に、1980年代。過激化するWRC・“グループB”は世界中を熱狂の渦に巻き込んだ。

 ランチア、アウディ、プジョー、ルノー、シトロエン、ポルシェ、フォード、日産、マツダ、三菱、そしてトヨタ……。世界中の自動車メーカーが、己の技術力と威信を。そして世界最速の栄誉と称号かけて、熾烈なまでのラリーカー開発競争を繰り広げた。

 スポーツカーの理想、「ミッドシップレイアウト」。グラベルの絶対神、「フルタイム式4WDシステム」。そして、500馬力オーバーを叩き出す「ハイパワーターボエンジン」……この三つを兼ね揃えた者こそがグループBを制する。極めて緩やかなグループBのレギュレーションの中、数々のモンスターマシンが世界中を駆け抜けた。

 そして、日本車を牽引する国産メーカーとなっていたトヨタ。トヨタもまたグループBの覇者たらんと、日夜、研究開発を続けていたのである。

 まずはグループB攻略の第1フェイズとして、FRのセリカに改造を加えたセリカツインカムターボを送り込む。そしてその間に、第2フェイズとなる、ミッドシップのMR2を4WDターボ化したグループBの決戦兵器を作り上げる……。これがトヨタのグループB戦略であった。

 開発リーダーとなったのは、初代MR2の駆動系を担当した都築功。


 ※2011年2月19日、トヨタ博物館で行われたスープラ25周年記念講演での都築功先生。霧島の222Dに関する質問にもお答え頂きました。なお、胸に付けたバッヂはbB、現在の愛車はプリウスとのこと。

 与えられたコードは「222D」。そして1984年、通称「グループB仕様MR2」の開発が始まる――

~222D、第1次試作車~

 セリカが社内の激しい非難にさらされながらも確かな戦績を挙げる中、222Dの開発は進められる。都築だけでなく、後にA80型スープラの開発主査となる片山信昭を始め、初代MR2のマスターテストドライバーを務めた成瀬弘も222Dの開発に参加した。


 ※生前、レクサスLFAのステアリングを握る成瀬弘。2010年6月23日、死去。

 特に成瀬の車両評価スキルは群を抜くものがあり、成瀬は10メートルから20メートル、222Dを転がしただけで、「都築さん、このクルマはココが悪いよ」と指摘してみせたという。それは、単に車の挙動がどうこうというだけでなく、その挙動がどういう原因で発生しているのか、それをどう調整したらいいのかまで的確に分析したものであったと言う。

「私(都築)が横に乗ってテストコースに出ていくと、コーナーで『いまこういう挙動が出たでしょ? これはここが悪いからだ』と言うわけ。車の重心やサスペンションの動き、遠心力の働きまで考えた理屈を言うんです。それを聞いてこの人は並みの人じゃないなと思っていたわけです」

 まずは翌1985年の春。7台の222D第1次試作車が完成した。


 ※222D・第1次試作車。ボディカラーのブラックは、ヨーロッパでテストされたモデルであることを示す。

 エンジンの3S-GTEとトランスミッションを共に横置きでミッドシップレイアウトに配置し、当時開発中であったフルタイム式4WDシステムを搭載した第1次試作車。このマシンのスペックの詳細は不明だが、最大馬力は600ps。最大トルクは60kg/cm前後にも及んだと言う。

 5月にはヨーロッパのTTEへと輸送され、同年4月にセリカを駆り、サファリラリーで優勝を飾ったユハ=カンクネンのドライブによってシェイクダウンが行われることになった。


 ※2007年、英国グッドウッドフェスティバルにおいて、デモ走行を行う222D・第一次試作車両。

 オランダのユーロサーキットを始め、スコットランドの森林コース、ノックヒルサーキット。果ては英国陸軍の悪路試験路まで。ターマック、グラベル双方で行われた走行試験において、多くの問題が浮き彫りとなった。

 特にTTEから指摘されたのは、その整備性の問題であった。ミッションケースの脱着に始まり、クラッチの交換、プラグの交換、スロットル系等々、短時間で整備をこなさなければならないラリーマシンなのにも関わらず、222Dのサービス性は、極めて悪いものであった。

 そして、もう一つの問題は駆動系の脆弱性であった。222Dのあまりの高出力にアルミ製のミッションケースが保たず、用意された5セット全てがテスト中に破損。中には30分も保たずに壊れるものもあったと言う。

 また、AW型MR2とさほど変わらない、短いホイールベースにトレッドの中でエンジンを横置きにしたことにより、重量配分や操縦性などの面にも問題が発生した。

 これらは一重に、それまでトヨタに存在した設計思想、構造部品等を流用した結果であるとも言えた。エンジンが縦置きでなく横置きとなったのは、セリカやMR2を参考に、そして部品を流用することによってコストダウンを図るためでもあったが、その結果、ラリーカーとしては整備性が極めて悪いという致命的な欠陥を抱えることになってしまったのである。

~222D・第2次試作車の完成~

 試験結果を受けてトヨタは、222Dのさらなるパフォーマンスの向上を図る為、エンジンを縦置きに配置した第2次試作車の開発着手を決定する。

 エンジンの縦置き化は、サービス性と、運動性能の向上を図る上では当然の選択ではあったが、縦置きミッドシップ4WDを製作すると言うことは、構成部品の多くを専用部品として開発し直さなければならず、開発コストはもちろん、市販時の価格を高騰させてしまうことに直結するものであった。

 当時、海外のマーケティング部に所属するトヨタ社員は、性能の向上の代償として、市販予定価格が上昇し続けることに相当頭を痛めたと言う。

 そして1985年の年の末。遂に222Dの第2次試作車、8台が完成した。


 ※222D、第2次試作車両。ボディカラーのホワイトは、日本でテストされたモデルであることを示す。

 そのマシンは、シルエットこそAW型MR2の面影を残しているものの、エンジン搭載方法を変更したことにより、ホイールベースは延長され、トランスミッションは、パイプフレームに懸架されたエンジンの後方に突出した形で設置され、オイルクーラーへの巨大なエアインテークがルーフに装着されるなど、もはやMR2からは大きくかけ離れた様相となっていた。

 全長3985mm、全高1880mm。ボディの大半はFRP製。 重量は1100kg。重量配分は47:53。エンジンの最高出力は500ps以上、最大トルクはおよそ60kg/cm。フロント、195/65R16。リア、215/60R16の、当時、例を見ない前後異径タイヤ。サスペンションは、MR2シリーズには、最後まで採用され無かったダブルウィッシュボーン。0:100~40:60まで、可変するトルク配分型4WDシステム。


 ※第2次試作車のエンジンルーム。縦置きにされたトランスミッションが後方に突き出しているのが確認できる。

 222D・第2次試作車は完成後、直ちにテストに移される。その中で、強いアンダーステア傾向の是正の必要性や、エンジンのさらなるパワーアップ等、様々な問題が指摘され、さらなる開発と改良が進められていった。

 222Dの最終的な性能に関しては、様々な意見、証言がある。あるTTE関係者は「グループBセリカとの比較テストも行われたが、時代遅れのセリカより明らかに遅いコーナリングスピードや神経質な操縦性が問題視された」と語る。 逆に企画担当の責任者は「当時の他社車の緒元、テスト情報からして、222Dは抜群の性能を持っていた」と語っている。

 賛否両論の意見があるにせよ、実際、ホモロゲーション取得の為の、市販用200台分の部品の調達も進められ、222Dは、世界を掴むべく、その企画と開発が進められていった……

~グループBの暴走とグループS。そして終焉~

『連続した12ヶ月間に20台の競技用車両を含む200台を生産すれば、20台の競技用エボリューションモデルを製作出来る』

 現代のモータースポーツからすれば、考えられないような緩やかなレギュレーションの中、WRCマシンのパワーアップは、留まる所を知らなかった。しかしながら、そのあまりの馬力と性能のエスカレーションとインフレーションの中、WRCマシンの安全性を危惧する声も上がり始めており、そして、それらは実際にWRCマシンとドライバーの死亡事故として、現実のものとなってしまっていたのである。

 1985年シーズンの第5戦ツール・ド・コルス。アッテリオ=ベッデガのドライブするランチアラリー037が立ち木に激突、ベッテガが死亡。第8戦アルゼンチンラリーでは、アリ=バタネンのプジョー205ターボ16E1がクラッシュ。バタネンは瀕死の重傷を負った。


 ※ランチアラリー037、1983年シーズンのマニュファクチャラーズチャンピオンに輝いた。

 それらの事故を受け、同1985年9月。FISAは『グループS』と呼ばれる構想を発表。この『グループS』は、度重なる事故を受け、ラリー車の安全性が配慮されたものであったとも言われるが、そのレギュレーションには『10台のプロトタイプを製作すればホモロゲーションの取得が可能』、つまり、たった10台のワンオフマシンを製作すればWRCに投入可能と言うものであり、ただでさえ過激であったグループBの規制をさらに緩和し、グループB以上の高性能マシンの開発を容易にするものであった。

 この決定を受け、トヨタはグループS仕様モデル。いわゆる『グループS仕様MR2』の製作を新たに計画。これには、NAエンジンの3S-GEを搭載することが計画された。

 そして、当時開発中であった『グループB仕様MR2』=『222D 第2次試作車』は、そのままの方向で開発、改良が継続されることになり、ホモロゲーション取得の為の、市販用200台分の部品の調達も進められて行った。

 一方で、グループBマシンのポテンシャルの高さは、その後も悲劇を起こし続ける。1986年シーズン第2戦スウェディッシュラリーよりWRCに参戦したフォードRS200、450馬力のターボエンジンをミッドシップレイアウトにマウントし、トランスアクスルタイプの4WDシステムを搭載するRS200は、0-60mph加速は、なんとわずか2.8秒というモンスターであった。なお、このタイムは日産の2012年型GT-Rと同等のタイムである。そして、このRS200が、WRC史上、屈指の悲劇を引き起こすことになる。

 第3戦ポルトガルラリー。ヨアキム=サントスのRS200が、コース上にいた観客を避けようとしてコントロールを失い、コースサイドの群集へと突進。40名以上の死傷者を出す大事故が発生する。


 ※高性能化するグループBマシン。それらの“暴走”は、多くの事故を引き起こすようになる。

 しかし、FISAは事故の原因を、あくまでもポルトガルラリーの主催サイドの管理に責任があるとの見解を示し、グループBマシンの過剰なまでの性能の高さが原因であるとは認めなかった。しかし、グループBの方向を決定づける事故が、遂に発生してしまう――

 1985年の最終戦RACラリーより、ランチアが投入したランチア・デルタS4。鋼管スペースフレームとケブラー素材で構成されたボディに、スーパーチャージャーとターボチャージャーを組み合わせ、400psを発揮するエンジンをミッドシップレイアウトに搭載。さらに4WDシステムで武装したこのマシンは、WRCのアイルトン=セナと呼ばれたヘンリ=トイヴォネンのドライブによって、F1モナコGPが開催されるモンテカルロ市街地コースでのエキシビジョン走行において、当時の予選グリッドで6位に相当するタイムを叩き出したと言う。


 ※ランチア・デルタS4と、ヘンリ=トイヴォネン。グループBマシンの性能は、もはやF1マシンをも凌ぐものとなっていた。

 トイヴォネンの駆るランチア・デルタS4は、1986年のラリー・モンテカルロでも圧倒的な勝利を収めていた。 だが同時にデルタS4は、あまりの性能の高さ故に、ヘンリ=トイヴォネン以外に乗りこなせるドライバーが居ない危険なマシンでもあった。

 そして、悲劇は起こった。続く第5戦ツール・ド・コルス。SS18 コルテ-タベルナ。スタートから7km地点。トイヴォネンの駆るランチア・デルタS4がコースアウトし、崖下に転落。爆発、炎上したのである。

 トイヴォネンのランチア・デルタS4は、車体側面を木の幹が貫き、炎上。サスペンションとパイプフレームだけを残し、マグネシウム製のホイールとケブラー、プラスチックで構成されたボディのデルタS4は、跡型も無く焼けて無くなった。



 ドライバーのヘンリ・トイヴォネン。そしてコ・ドライバーのセルジオ・クレストは死亡――

 事故現場は、ゆるい左カーブ。コースにはブレーキ痕が一切残っていなかった。事故原因は不明。ただ、この事故が。あまりのグループBマシンの性能の高さが一因となっているのは、誰の目にも明らかであった。

 この事故を受け、FISAでは緊急会議を開かれる。そして2日後には、1986年をもってグループBを廃止し、グループS構想も白紙撤回することを決定したのである。

 ――結果。トヨタが開発していた『グループB仕様MR2』である222Dの開発は中止。都築は失意の内に、222D開発責任者の座を降りることになる。そして同時に、計画されていた『グループS仕様MR2』も、計画のみで実際の開発が行われることはなくなってしまった……

~222Dの行方~


 ※2011年、「WRC+」誌が222Dの取材を行った際の貴重な映像。

 計画中止後。全部で15台(11台との説もある)製作された222Dがどうなったのかはよく分かっていない。

 そのうち、222D-8。つまり、第2次試作車として造られ、ヨーロッパへ送られた8号車は、ドイツ・ケルンにあるトヨタのTMGファクトリーの倉庫にて。少なくとも1995年までは埃に塗れた状態で放置されているのが確認されている。


 ※222D第一次試作車両(右)と第二次試作車両の8号車(左)が同時に並んだ貴重な写真。

 そして、日本でテストが行われた11号車・222D-11。これは、西暦2000年頃までトヨタにて、テストドライバー育成の教材として使用されており、一部の関係者の間で噂になっていたというのである。 

 11号車は引退後、トヨタ博物館に引き取られることとなった。222Dは、今も遠く異国の倉庫にて。そして、博物館のバックヤードで、永い眠りについているのである――


 ※トヨタ博物館所蔵の222D・11号車。

 余談であるが、222Dの開発テストに立ち会い、後にトヨタ博物館広報グループ長となる松木秀夫は222Dについて、こう語る。

「確かに形は似ていますが、厳密に言うとMR2はベース車両ではありません。名称も別のものにする予定だったんです。結局、名付けられず、『222D』のままでしたが」

 222Dに与えられるはずであった真名。もはや、それを知る術はない。


~222Dの遺産、平成の夜明け~

 グループBの終了、グループSの白紙撤回。それに伴う222Dの開発中止……だが、WRC自体は無くなったわけではなく、その後もグループAカテゴリによって継続されることとなっていた。トヨタもラリーカーの開発、そしてチャンピオンの獲得を決して諦めはしなかった。そして、222Dの遺した技術とデータからも、多くの名車たちが生まれていったのである。

 確かに222Dそのものは開発中止、販売中止と言う憂き目に会ってしまったが、実は、222Dと同じエンジン、同じ4WDシステムを搭載したマシンが開発されていたのである。

 開発コード・595D。後にST165 セリカ GT-FOURという名を与えられたこのマシンは、1990年、カルロス=サインツのドライブによって、トヨタと222Dの悲願であった、日本車初のドライバーズチャンピオンを獲得する。


 ※ST165 セリカGT-Four。日本車として、初のドライバーズチャンピオンをもたらした。

 1992年シーズンから、トヨタはモデルチェンジを敢行したST185型セリカGT-Fourを投入。カルロス=サインツのドライブによって再びドライバーズチャンピオンを獲得。さらに1993年シーズンにはトヨタに復帰したユハ=カンクネンによって、ドライバーズチャンピオンとマニュファクチャラーズチャンピオンのダブルタイトルを獲得してみせる。

 ST185セリカGT-Fourは、翌1994年にもディディエ=オリオールのドライブによって、再びダブルタイトルを獲得。WRCに覇を成してみせた。その後も日本車勢はセリカを先駆けとして快進撃を続け、スバル・インプレッサ、三菱・ランサーエボリューションと共にWRCチャンピオンの座を独占し続けることになる……


 一方、ラリーカー開発の任を解かれた都築はMR2開発現場に戻り、主査の有馬和俊の元で下働きをしながら「クサっていた」と言う。だが、そんな都築に、ある辞令が下されることになる。それは、『現行スープラのマイナーチェンジと、次期スープラの開発』という内容であった。

 都築は、現行(70型)スープラを、280psにまでチューンナップ。さらに、222D開発において交流のあった、ドイツのビルシュタイン社のダンパーをその足に取り入れ、「あくまでもグランドツーリングカー」であったスープラをリアルスポーツへと進化させるべく、改良を施した。

 続く80型スープラでは、日本車初となる6速MTを搭載させ、馬力、空力、走行安定性能。ありとあらゆる面から『スポーツカー』を目指し、トヨタが2000GT以来、実に23年振りにスポーツカーと称することを許したマシンを完成させる。この80スープラ開発においては、同じく222D開発に深く関わった片山信昭や、成瀬弘も大きく貢献することとなった。


 ※JZA70とJZA80。222D開発中止の悔しさが、都築に2台の280馬力FRスポーツカーを作り上げる執念を与えた。

 JZA80型スープラを完成させた都築は、スープラ開発主査の座を片山に譲り、自らはファンカーゴ、bB、ラウムなどの一風変わったクルマを手がけた後、トヨタを退社。津田工業へと籍を移すことになる。


……
………

 さらに――トヨタは、ST160系セリカをベースに一台のクルマを作り上げる。それは、セリカのシャシーとコンポーネンツを流用し、222Dで磨かれたハイパワーターボエンジン・3S-GTEをミッドシップレイアウトに搭載したマシン……

 時代は昭和から平成へ。国産初の280馬力を叩き出す貴婦人・Z32 フェアレディZ、16年ぶりの復活を遂げる王者・R32 スカイラインGT-R、温故知新のオープンスポーツ・ユーノスロードスター、ザ・ロータリースポーツ FD3S RX-7、フラッグシップ・オブ・スリーダイヤモンド GTO、六連星の輝き・アルシオーネSVX、Dream comes true NSX……

 次々に登場する豪奢な国産スポーツカー。絶頂を迎えるバブル経済……

 開発コード・630D。そして、MR2の系譜は再び紡がれる――





 Next Phantasm...


(「MR2の系譜 AW編」は今回で終わりです。お読み下さった方、コメントを下さった方、色々と貴重な情報を教えて下さった方。本当にありがとうございました。次章として「MR2の系譜 SW編」を書いていくつもりのような、そうでもないような。)

※注:
※誠に勝手ながら、文中は敬称略とさせて頂いております。

参考文献:
 省略します。第一回を参照のこと。

関連項目:
「MR2の系譜」 AW編 第01回 ~主査・吉田明夫~
「MR2の系譜」 AW編 第02回 ~プロトタイプMR2 “730B”~
「MR2の系譜」 AW編 第03回 ~MR2のシャシー・駆動系~
「MR2の系譜」 AW編 第04回 ~MR2のボディ・エクステリア・インテリア~
「MR2の系譜」 AW編 第05回 ~MR2を巡るスクープ合戦~
「MR2の系譜」 AW編 第06回 ~MR2の誕生、そして~
「MR2の系譜」 AW編 第07回 ~The Powered Midship~
「MR2の系譜」 AW編 第08回 ~222D、グループB仕様MR2~(前編)
ブログ一覧 | MR2の系譜 AW編 | 日記
Posted at 2013/06/20 04:54:13

イイね!0件



今、あなたにおすすめ

ブログ人気記事

5/30(金)今朝の一曲🎶BOØ ...
P・BLUEさん

鎌。
.ξさん

5年目車検の予約^_^
京都 にぼっさんさん

箱根 奥湯本の天山♨️湯治郷に行っ ...
bighand045さん

クロスト君は納車から1年と277目 ...
Jimmy’s SUBARUさん

寒い🥶
superblueさん

この記事へのコメント

2013年6月20日 23:15
こんばんは~。
連載お疲れ様でした!

パイプフレームに組まれた3S-GTのくだりを
読んでいると、前の会社のデモカー思い出し
ますなぁf^^;

WRCのグループB末期の話は、何となく
であはるものの記憶はあるんですが、
まさかそれが、SW20やセリカGTfourへの
伏線になっていたとは…。

エンジン横置きレイアウトベースの4WDとなる
と、どうしてもトランスアスクルAssyが大型に
なってしまうんで、クラッチOHやる際は、場合
によってエンジンごと降ろした方が早かったり
して、作業も手間がかかって大変だったりで(^^ゞ
…尤も、GT-Fourって何やるんでも手間だったり
しますが(笑)

SW編も期待してます!
コメントへの返答
2013年6月21日 10:29
どうもです~。いや、最初の予定では、4月には終わっていたハズだったのに、どうしてこうなったのやら……

そういえば、あのデモカー。前後をパイプフレームで再構成したんでしたっけねえ……SWの剛性バランス考えたら、それが一番なのかもですねえ……

グループB時代、あれこれ車両が開発されてましたが、やっぱり後々の車種への影響は色々あるみたいですよー。三菱のスタリオン4WDラリーなんかも、かなり……

エンジン横置き4WDの整備は大変そうっすね……V6横置きの三菱のGTOとか、もう見るからに……

そういやどこぞのトヨタのディーラーでは、メカニックを泣かせる二台のクルマがあって。それがセリカGT-FourとSW20だとかなんとか(汗)

SW編、いつ書き終わるのかなぁ……まだMR-S編も控えてるんですよねえ(吐血
2013年6月22日 19:49
お疲れ様でした。
当方メーカーや現場の技術者に関してはまったく知識がなかったので本当に勉強になりました。
提案なのですが、これらの記事を、同人誌のような形にしてイベントにて発表するというのは
どうでしょうか?
もしくはライターとして専門誌に執筆するとか…、そういう形で文章を発表すると言うことは出来ないものなのでしょうか?素人のたわごとであれば申し訳ありません。
コメントへの返答
2013年6月25日 13:29
同人誌は考えたことはありますが、交通費にサークルスペース、製本代などを考えたら、とてもとても……

それに何より即売会は、サークル側としてよりは、参加者として楽しみたい人間ですしねえ……

プロフィール

「@辺境伯 通勤快適(?)仕様なので、距離がどんどん伸びます。じゃんじゃか傷んできます……」
何シテル?   01/30 16:31
こんにちは。基本的にはぐれ者です。 一般に広く受け入れられて支持を得ているようなものよりも、マイナーなものや、世の中から認められないもの、あまり人気のない...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/5 >>

     123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

リンク・クリップ

17万kmを超えて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2014/04/30 22:55:21
アスク・スポーツ 
カテゴリ:チューニング&パーツショップ
2011/11/07 17:09:24
 
トヨタテクノミュージアム 
カテゴリ:トヨタ
2011/09/24 22:39:02
 

愛車一覧

トヨタ MR2 トヨタ MR2
〓詳細〓 ・車種:トヨタ MR2 ・型式:SW20 ・年式:平成10年5月登録 (Ⅴ型 ...
トヨタ MR2 トヨタ MR2
〓詳細〓 ・車種:トヨタ MR2 ・型式:SW20 ・年式:平成8年4月登録 (Ⅲ型) ...
その他 その他 その他 その他
弟の東京土産……って言っても、普通に奈良でも売ってる一品。 日記用の画像保管庫です。

過去のブログ

2025年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2022年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2021年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2020年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2019年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2015年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2014年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2013年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2012年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2011年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2010年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2009年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
ヘルプ利用規約サイトマップ

あなたの愛車、今いくら?

複数社の査定額を比較して愛車の最高額を調べよう!

あなたの愛車、今いくら?
メーカー
モデル
年式
走行距離(km)
© LY Corporation