• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

霧島のブログ一覧

2010年01月31日 イイね!

備忘録 10 「SW20」 ~2代目MR2の登場~ その6(最終回)

備忘録 10 「SW20」 ~2代目MR2の登場~ その6(最終回)1984年6月8日に、日本初の量産ミッドシップ車であるMR2(AW型)が発売されてから、5年――

数々の困難、葛藤。事故と苦難。昭和と言う激動の時代を乗り越えた平成元年の1989年10月17日。遂に、2代目MR2=SW型がその姿を現したのである。






※画像は、当時のカタログに掲載された『Midship Express』のピンナップ。動画は、SW20型MR2のプロモーションビデオです。ただし、動画は、全てがトヨタが作成したオリジナルのままであるのかは不明です。


~MR2 SW20の登場~

先代のAW型MR2は、自らをスポーツカーとは呼称せず、あくまでもミッドシップ・ランナバウト。即ち、『小型でキビキビ走るミッドシップのスポーティカー』と位置づけていた。

しかし、SW型MR2は、それとは打って変わり、『日本一速いスポーツカー』を目指して作られたクルマである。同じく1989年に発表され、翌年に発売された日本初のミッドシップ・スーパーカーであるホンダ・NSXや、日本初の量産ミッドシップ4WD車となるはずだった日産・MID4も、未だ開発中の段階であり、SW型MR2は日本初のミッドシップ・スポーツカーとして華々しく登場した。

トヨタ自身、SW型MR2の広報活動として、様々なイベントを企画。開催した。

まずは1989年10月17日。時刻は午後3時30分。東京はレールシティ汐留において、SW型MR2の発表会を大々的に行った。

薄曇りの天候の中、巨大なテントと、4m×3mの200インチ大型ビジョンを設置。スタッフは皆、『New MR2』のロゴをあしらった赤のブルゾンで身を固め、司会者には大石吾朗氏を起用。豊田章一郎社長も自ら挨拶を行い、黒沢元治氏の息子であり、トムスのグループAで活躍していた黒沢琢弥選手と、元F1ドライバーであるパオロ・バリラ選手によるSW型MR2のデモランも行われた。

なお、その日は芝の東京プリンスホテルにて開催されていた日産・インフィニティQ45の発表会場から、観光バス3台で報道関係者を移送するなどもトヨタは行った。

そして、10月17日から12月17日までの2ヶ月間。大型トレーラーが牽引するガラス張りコンテナに真紅のSW型MR2を積載し、計3台のトレーラーが全国のトヨタオート店、ビスタ店を巡行するという、『Midship Express JAPAN TOUR』と題する前代未聞の企画も行われた。このトレーラーは10月17日の発表会にも、もちろん登場しており、SW型MR2のコマーシャルにも使用されている。

↓MR2(SW20型)のコマーシャル↓




※使用されているBGMは、高橋幸宏の『FAIT ACCOMPLI』です。


また、10月21日から11月19日まで。全国8会場で『ニューMR2エキサイティング・フェスティバル』が開催された。さらには成城・明治学院・大東文化・一橋・青山学院・立教・成蹊と、7つの大学の学園祭と共同で『大学学園祭ミスMR2コンテスト』を行い、12月3日の『MR2スーパー・エキサイティング・フェスティバル』で決勝戦を行うなど、多額の金銭と時間、人間を費やしたイベントの数々が行われた。


~SW20の走行性能とその評価~

完成したSW20・MR2のデータは、下記の様なものであった。

全長×全幅×全高:4,170mm×1,695mm×1,240mm
ホイールベース:2,400mm
車重:1,240kg
エンジン :『3S-GTE』2.0Lターボ
最高出力:225ps(165ps)
最大トルク :31.0kg(19.5kg)

※データはターボモデル『GT』のもの。カッコ内はNAモデルのデータ。

なお、参考までに同クラス車種のデータを記載すると

・マツダ・RX-7(FC3S)

全長×全幅×全高: 4,335mm×1,690mm×1,270mm
ホイールベース: 2,430mm
車重:1,230kg
エンジン: 『13B』ロータリーターボ
最高出力:215ps
最大トルク:28.0kg

・日産・シルビア(S13後期)

全長×全幅×全高:4,470mm×1,690mmmm×1,290mm
ホイールベース:2,475mm
車重:1,120kg
エンジン: 『SR20DET』2.0Lターボ
最高出力: 205ps
最大トルク:???kg

全長×全幅×全高=3,950mm×1,665mm×1,250mm。ホイールベース=2,320mm。車重1,020kgのAW型後期モデルと比べれば、ボディサイズは全体的に拡幅されてはいるものの、同クラスの車種に比較すれば、一際コンパクトな仕上がりとなっている。車重は他車種と比較して若干重めとなっているが、この車重の重さは、隔壁の多いミッドシップの泣き所でもある。

最大出力の225psとは、2Lエンジンの出力としては世界最高のものであった。そして0→400加速では13.9秒。筑波サーキットを1分9秒台で駆け抜ける新型MR2は、有馬和俊技師の想いの通り、2リッタークラスとしては『世界最速』のスポーツカーとなったのである。

ただ、このSW型MR2(通称・Ⅰ型)は、有馬和俊技師の不安通り、その足回りの弱さ、ボディ剛性の不足などから、非常にピーキーな運動特性となってしまい、『すぐにスピンする』『欠陥車』『危険なクルマ』というレッテルを貼られることになってしまう。当時を知るプロドライバーも、『乗る時はいつもヒヤヒヤしていた』と述べたり、日常でも『交差点でスピンした』という話も存在する。

※ただし、このⅠ型に対する評価は賛否両論あり、『いくらチューニングしてもスピンする』という意見もあれば『少し足回りを弄っただけで高い性能を発揮する』という意見もあります。また、『危険』と切り捨てる人もいれば、『MR2で一番楽しかった』と言う人も居ます。いずれにせよ、Ⅰ型は高い性能を持ちながらも、それを乗りこなすには、かなりの腕前を必要とした、ということではないでしょうか。

それらの世間からの酷評もあり、SW型MR2は2年後の1991年12月にマイナーチェンジを実施。通称・Ⅱ型へと進化する。ここでは、特に足回りに関して大々的な見直しが行われ、ホイールサイズも14インチから15インチへとインチアップ。Ⅰ型を大きく上回る走行性能と、Ⅰ型から180度転換した好評価を得ることとなった。

その後もSW型はマイナーチェンジを続け、Ⅲ型ではさらなる馬力と、高速走行を視野に入れた仕上がりとなり、最終型のⅤ型では、可変バルブタイミング機構=VVT-iを装備したBEAMSエンジンを搭載し、NAモデルでも200psを発揮するまでになった。

MR2は、トヨタの評価ドライバーの中でもトップに位置するマスタードライバーの称号を持つ成瀬弘氏をして、ストラット式サスペンションの持ち主としては世界一と言わしめる程であった。しかし、年月を重ねる間、同クラスにスバル・インプレッサや三菱・ランサーエボリューションなど、280psを発揮するような2.0Lターボ車が登場し、もともと足回りやシャシー設計。ボディ剛性などに弱点のあったMR2は、馬力合戦、開発合戦などの負のスパイラルに陥ることを避け、1999年8月にその幕を降ろします。そして、MR2は、本来のコンセプトであった『ミッドシップ・ランナバウト』。決してパワーと速さだけがクルマの楽しみではない『Fun to Drive』をモットーとしたオープンモデル『MR-S』へと姿を変えることとなりました。


~スポーティからスポーツへ。トヨタの挑戦~

今や米国のビッグ3を抜き、名実共に世界一の自動車メーカーとなったトヨタは、昔から、AE86型スプリンタートレノ/カローラレビンやAW11型MR2などの『スポーティーカー』を作っても、『スポーツカー』を作ることは決してありませんでした。

『トヨタのクルマには個性がない』とは、トヨタを批判する際に良く用いられる文言です。しかし、トヨタがあるクルマを、ある一定のそこそこ高いレベルで開発し、さらにはローコストで仕上げるという能力に関してはあらゆる自動車メーカーでも群を抜いていることは紛れもない事実です。

SW型MR2が登場し、A70型スープラが販売されていた当時、黒沢元治氏は『トヨタは一度、ギンギンのスポーツカーを作ってみればいい』と述べました。

その後、実際。SW型MR2をその先鋒として、トヨタが『スポーツカー』開発に取り汲んだ時代が確かにありました。そして、そのフラッグシップとなったのが、セリカの上級モデル=セリカXXの流れを汲み、『グランドツーリング』から一転して『スポーツカー』となったA80スープラでした。スープラは、日産・スカイラインGT-Rやマツダ・RX-7(FD3S)、ホンダ・NSXの様に特殊な4WDシステムも、ロータリーエンジンも、ミッドシップレイアウトも搭載することなく、ベーシックな直列エンジンとFR駆動形式だけで、国産最強クラスにまで上り詰めました。

※ただし、MR2はSW型においてもカタログ上で『スポーツカー』を名乗ることはありませんでした。


日本には、ホンダや、日産、マツダなど、その独自、独特の技術、機構を持って『世界一』の称号を手にした個性的なスポーツカーを開発して来た国産自動車メーカーが数多く存在します。

しかしながら、スポーツカーの至高であり理想であった『ミッドシップ』を実現させたのは、そのいずれでもなく、『スポーティー』に徹して来たトヨタでありました。

ミッドシップには、日常における使い勝手の悪さという、市販上の大きな欠点があります。この欠点を可能な限り克服しつつ、さらにスポーツカーとしての性能を兼ね備えるというのは非常に困難な作業であり、これを達成するには、非常に絶妙で、優れたバランス感覚が求められます。そして、そのミッドシップ車を現出せしめたのは、バランスを考慮したクルマ造りにおいて極めて高い能力を持っていたトヨタでした。

MR2以降、ホンダのNSX、ビート。マツダのAZ-1/スズキ・キャラなどのミッドシップ車が発売されましたが、NSXはその性能の高さはあっても、極めて高価なものとなってしまい、ビート、AZ-1はスポーツカーではない『軽自動車』となりました。さらには、日産のMID4のように、市販に至らないクルマもありました。

そんな中、MR2は、販売台数10万台を超え、世界で最も売れたミッドシップ車となったのです。

もちろん、MR2がマイナーなクルマであることは否めません。しかしながら、安価で庶民にも手が届き、そして同時に速さを追求することも出来るミッドシップとして、その存在は唯一無二のものとなりました。

たかがトヨタ。されどトヨタ。決してスポーツカーの雄とは言えないトヨタが、このようなクルマを開発し、市販していたという事実は、もっと評価されるべきことではないでしょうか。


そして2009年。ライトウェイトスポーツカーが絶滅してしまった2000年代において、トヨタは二つのクルマを発表します。未発売ではありますが、一つは『FT-86 Concept』。そしてもう一つは『レクサスLFA』と呼称されています。

『FT-86 Concept』は、日産のS15シルビア以降、途絶えてしまった『FRスポーツカー』をコンセプトとしたものであり、『クルマ本来の運転する楽しさ、所有する歓びを提案する小型FRスポーツ』と位置付けられています。

また、『レクサスLFA』は、台数限定のクルマでありながも、最高速度300km/hオーバーの性能を発揮する、NSXをも超える性能と価格を備えた国産の『スーパーカー』でした。

スポーツカーにとって最も重要なファクターであるものは『トータルバランス』と言われます。スポーツカー、スーパーカー全滅の今の時代に置いて、トヨタがこのようなクルマを発表するというのは、別に不思議なことではなく、考え方によっては『トヨタだからこそ出来た』なのかもしれません。


そして、それら、トヨタのスポーツカーの魁となったのは、間違いなくSW型MR2でした。

SW型MR2。それは決して広く受け入れられるスポーツカーとはならなかった。

しかし、発売から20年が経過した今も、そのパーソナリティを超えるクルマは存在しない。




参考文献:

・「日本初ミッドシップ トヨタMR2とトヨタスポーツ」/岡崎宏司(新潮文庫)

・「トヨタテクニカルレビュー」Vol.47/オーム社

・「CG CAR GRAFFIC」1983年12月号/二玄社
・「driver ドライバー」1985年10月20日号/八重洲出版
・「CARトップ」昭和59年6月号/交通タイムス社
・「CAR and DRIVER」1990年1月10日号/ダイヤモンド社
・「ベストカー」号数不明(グループS仕様AWとMID4の記事について)/三推社
・「Best MOTORing」1990年1月号/講談社

・「ベストカーガイド増刊 オールアバウト TOYOTA MR2」昭和59年8月/三推社

・「CARトップ ニューカー速報No.23 MR2」/交通タイムス社
・「CARトップ ニューカー速報No.74 NEWスープラ」/交通タイムス社

・「モーターファン別冊 ニューモデル速報 第78弾 新型MR2のすべて」/三栄書房
・「モーターファン別冊 ニューモデル速報 第257弾 MR-Sのすべて」/三栄書房

・「J's ネオ・ヒストリックArchives『TOYOTA MR2&MR-S』」/ネコ・パブリッシング

・「I LOVE A70&80 TOYOTA SUPRA」/ネコ・パブリッシング

・「ハイパーレブ Vol.21 トヨタMR2」/ニューズ出版
・「ハイパーレブ Vol.50 トヨタMR2 No.2」/ニューズ出版
・「ハイパーレブ Vol.63 トヨタMR-S」/ニューズ出版

・「タツミムック チューニングトヨタ MR2&MR-S VOL.1」/辰巳出版
・「タツミムック チューニングトヨタ MR2&MR-S VOL.2」/辰巳出版
・「タツミムック チューニングトヨタ MR2&MR-S VOL.3」/辰巳出版


・「MR2 AW10/11」前期型カタログ
・「MR2 AW10/11」後期型カタログ

・「MR2 SW20」Ⅰ型カタログ
・「MR2 SW20」Ⅱ型カタログ
・「MR2 SW20」Ⅲ型カタログ
・「MR2 SW20 ビルシュタインパッケージ」カタログ
・「MR2 SW20」Ⅳ型カタログ
・「MR2 SW20」Ⅴ型カタログ

・「MR-S」前期型カタログ
・「MR-S」後期型カタログ
・「MR-S Vエディションファイナルバージョン」カタログ


参考サイト:

・「ウィキペディア」
http://ja.wikipedia.org/wiki/

・「TOYOTA MR2 CLUB JAPAN」
http://homepage3.nifty.com/midship/

・「MR2ちゃんねる」
http://mr2.jp/

・「ダイエーモータース」
http://www.daie-motors.com/

参考動画:

・ベストモータリング1990年1月号より。中谷明彦氏によるⅠ型インプレッション。
【ニコニコ動画】SUPERミッドシップ New MR2

・ベストモータリング1991年7月号より。
【ニコニコ動画】トヨタはなぜスポーツカーを造らない!? 1/3
【ニコニコ動画】トヨタはなぜスポーツカーを造らない!? 2/3
【ニコニコ動画】トヨタはなぜスポーツカーを造らない!? 3/3

・ベストモータリング1992年3月号より。Ⅰ型とⅡ型の比較走行ほか。
【ニコニコ動画】NEW MR2 徹底全開フルテスト!! 1/3
【ニコニコ動画】NEW MR2 徹底全開フルテスト!! 2/3
【ニコニコ動画】NEW MR2 徹底全開フルテスト!! 3/3

・ベストモータリング1994年1月号
ネット上の動画の存在は不明。Ⅱ型とⅢ型の比較走行が行われています。


その他。MR2の歴史に関連する霧島のブログ:

備忘録 01 「SV-3」 ~トヨタ・プロトタイプMR2開発秘話~ その1
備忘録 02 「SV-3」 ~トヨタ・プロトタイプMR2開発秘話~ その2
備忘録 03 「SV-3」 ~トヨタ・プロトタイプMR2開発秘話~ その3
備忘録 04 「SV-3」 ~トヨタ・プロトタイプMR2開発秘話~ その4(最終回)
備忘録 05 「SW20」 ~2代目MR2の登場~ その1
備忘録 06 「SW20」 ~2代目MR2の登場~ その2
備忘録 07 「SW20」 ~2代目MR2の登場~ その3
備忘録 08 「SW20」 ~2代目MR2の登場~ その4
備忘録 09 「SW20」 ~2代目MR2の登場~ その5
おめでとう! MR2(SW20)発売20周年!!


※霧島の備忘録。「SW20」 ~2代目MR2の登場~は、今回で終わりです。貴重な資料を提供して下さった方、当時のことを教えて頂いた方、コメントを下さった方。そしてこれを読んで頂いた方々へ、最大の謝辞を申し上げます。ありがとうございました。

Posted at 2010/01/31 19:51:16 | コメント(4) | トラックバック(0) | 備忘録・MR2の歴史 | 日記
2010年01月10日 イイね!

備忘録 09 「SW20」 ~2代目MR2の登場~ その5

備忘録 09 「SW20」 ~2代目MR2の登場~ その5スポーティカーであったAW型を脱却し、次代のMR2は、スポーツカー。それも日本一速いスポーツカーが目指された。

そして、ベースとなった車輛も、ファミリーカーであるカローラから、WRCでも活躍していたセリカへと変更された。

NAと、スーパーチャージャーモデルを有する4A-Gユニットから、NAとターボモデルの3S-Gへと、背中の心臓も移り変わり、2リッターのエンジンとしては、クラス最強の馬力を手に入れるまでになった。

それらの駆動系開発と同時に、エクステリア、インテリアデザインの面での開発も進められていた。

※画像は、SW型MR2のイメージスケッチの一部です。

~SWのボディデザイン~

内部のメカニカルの面だけでなく、内外装のデザインでも、苦心に苦心が重ねられた。

『90年代の夢を感じるスポーツカー』を合言葉に、トヨタ本社の量産開発部門、先行開発部門、東京スタジオ、セントラル自動車の4チームによってデザインコンペが行われた。(5チームという記述もあり)

エキサイティングかつ、ディスティンクティヴ。しかしながら、ラグジュアリー性を強調するのではなく、さっぱりとした感じでありたいという想いが有馬技師にはあった。有馬技師は、フィレンツェ、トリノ、ケルンと、古いヨーロッパの街を歩き、ルネッサンス以降の彫刻を見て回り、ヒントを得た。

エクステリアデザインのテーマは『パワー・サーフェス』。疾走するスポーツ選手の鍛え抜かれた筋肉のイメージである。それも、男性の筋肉美というよりは、鍛えられた女性の筋肉の質感をイメージされている。これは、オリンピックの中継のける女性ランナーの姿態にヒントがあったという。

ミッドシップはそのレイアウトの特殊性ゆえに制約が多く、デザインが難しいと言われている。実際、日産がMID4を開発した際にも、デザインには相当の苦労があったという。

SWに関しても例外ではなく、なかなか『これだ!』というスタイリングが固まらず、ピッタリのデザインが決まらないならば無理にMR2を続けなくとも良いという意見も上層部から降りてきていた。

有馬技師はデザイナーにとにかく沢山のイラストを描かせ、40以上の5分の1モデルを製作したという。

最終的には東京デザイン分室の案がベースとなり、その形状が決定されたた。角ばったボディであったAW型に比べ、SW型は曲面を多用したデザインとなり、サイズに関しては、AW型と比べて、全長が220mm、全幅が30mm拡張されている。これはスタイリング成形はもちろんだが、ラゲッジスペースの拡張の為という意味も少なくない。全体的なデザインにおいて、ミッドシップ=スーパーカーというイメージも残しつつも、意識的に奇をてらわないデザインとなっている。

※これも、多くの人たちに受け入れられるクルマ造りを目指す、トヨタらしい結論と言えるでしょう。

フロントビューに関しては、ボンネットにエンジンがないミッドシップならではの、キャビンを強く前進させ、フロントガラスを寝かせたデザインとなっている。ただし、ボンネット内にはスペアタイヤとラジエーターが収納、設置されており、キャビンを前進させるとスペアタイヤの角度が高くなってフロントノーズが高くなってしまう。それを避けてスペアタイヤを寝かせるとラジエーターが前進してロングノーズとなってしまう、などの苦労があった。

ルーフに関しては、タルガトップも検討されたが、結局はAWの後期型と同じくTバールーフが設定されることになった。

リアビューでは、リアガラスが平板であったAW型に対し、SW型では成形の難しい曲げガラスを採用することとなった。

エンジンルームからの振動と騒音を抑えるために、エンジンとキャビンを隔てるバルクヘッドには制振鋼板を使用し、4重積構造で仕上げられている。エンジンルーム上部をガラスで覆うなどの案も検討されたが、換気の問題から廃案となった。エンジンルームへのサイドエアインテークも、AW型では運転席側にのみ設置されていたが、SWでは両サイドに設置した。

また、各種デザイン案、並びにクレイモデルではリアスポイラーのないデザインであったが、ドイツ・アウトバーンにおける200km/hを超える走行テストにおいて横風安定性が良くないことが判明し、これに対処するためにリアスポイラーを開発。経営陣に提案、承認をうけて装着することとなった。結果的に、リアビューに関して一番時間を費やしたのが。このスポイラーまわりであった。

※リアスポイラーの装着に関しては、装着していたAW型において批判の声も一部であり、また、デザインの関係上、SW型では装着しない方向性で進められていたそうです。なお、Ⅰ型のSWは、静岡県袋井市のヤマハテストコースにおける中谷明彦氏のテストで換算数値で227.5km/hを記録しています。ちなみにAW型(前期)は、茨城県つくば市の、今は無き谷田部の高速テストコースにおける黒沢元治氏のテストで187.98km/hを達成しています。

ボディはコンピュータ解析により、骨格結合部の補強が効果的に行われ、高張力鋼板の多様もあり、軽量化と高剛性の実現を可能とした。合成に関しては、曲げ剛性はAW型とは変わらないが、ねじり剛性に関しては44%高くなっている。2重メッキ鋼板や、合金化亜鉛メッキ鋼板も多用し、防錆性も高められた。

※ただし、SW型は、最初から最後まで、ボディ剛性に関しては批判がつきまとうことになりました。

エアロダイナミクス面では、CD値=0.31をマーク。ちなみにマツダ・FC3S型RX-7で0.32.FD3S=0.33、日産・S13シルビアで0.30、S14=0.34、S15=0.33、R35GT-Rで0.27と、日本のスポーツカーとしては、低い部類に入っている。フロア下部にはフロントアンダーカバーやフロントタイヤスパッツ、センターアンダーカバー、リヤスパッツなど、徹底したフラット化が行われ、揚力はゼロに近くなっている。直進安定性に大きな影響を持つヨーイングモーメント係数も重視され、トヨタ車の中ではベストというレベルまで到達している。

ボディのメインカラー・イメージカラーはレッドとし、ホワイト、ブラック、グリーン、そしてオプションでクリスタルパールマイカⅡを設定。また、そろそろ黄色のスポーツカーも出てくるのではないか、という読みのもと、珍しいイエローも設定された。

~SWのインテリアデザイン~

SW型では、インテリアデザインにはエクステリアデザイン以上に苦労があったと言う。SW型のインテリアは『ア・マン・イン・ダンディズム』をキャッチコピーに様々な試行錯誤が繰り返された。スポーツカー、ましてや制約の多いミッドシップであることもあり、インテリア開発においても難航を極めた。

そんな中、事故は起こった。天候は雨。袋井市のヤマハテストコースにおけるMR2のテスト中、有馬技師の乗るテスト車がコーナリングに失敗。横転したのである。

有馬技師は、一命は取りとめたものの、頸椎を痛めて入院生活を余儀なくされる。

入院中、もともと本を読むことが何より好きだった有馬技師は、さまざまな書物を読み漁った。それは、クルマに関する書籍ではなく、哲学的なものが多かったという。

その中に、阿含経を解釈した本があった。阿含経とは、釈迦の言動を弟子たちが暗記によって伝えた、仏教の中でも最も古く、原始仏教最高の聖典とされるものである。これを読み進める内に、有馬技師は釈迦が実に科学的な人物であることを知り、中でも、『己れが何ものにも変えがたくいとおしいと同じように、他人もまた己れを世の中で最も愛おしい。だから、己れの愛おしいことを知るものは、他のものを害してはならない』という釈迦の言葉に感動したという。

MR2開発主査となった時、有馬技師が最も気掛かりだったのは、自己表現、自我に対する考え方が日本人とアメリカ人ではかなり食い違っていたことだったという。これらの異なる二つの意識に対応出来るようなもの。その答えが見つからずに有馬技師は悩み続けていた。

有馬技師は、この釈迦の言葉から、『思い切り自己主張を貫くことのできるクルマであっていいのだ。そのときこそ、他人を思いやるゆとりが生じる。これからのスポーツカーとしてMR2の次世代カーに必要なものなのだ……』という結論を得た。

有馬技師は、この感動をデザイナーに伝えると共に、デザイン化所属で、2代目マークⅡやカローラのインテリアを手掛けた御園秀一技師に、『茶室のようなインテリアにしたい。心が静かになるようなのが本当のスポーツカーのインテリアなのだ』と指示をした。

これには、真逆のインテリアイメージを持っていたスタッフたちも戸惑ったと言う。御園技師は、これを、冷静にコントロール出来ることが大事なクルマであり、非日常性も大切。そういう意味で乗ると本来の自分を取り戻せると言う感覚。茶室のように、にじり口を入るとイッキに違う世界になる、そういうイメージであると解釈し、インテリアデザインに取り汲んだ。御園技師は、ダンディでシック、ソフィスティケイトされた中に熱いものを感じる室内にしたいと考えたという。

センターコンソールとインパネを一体化させ、メーターフードは丸く、円滑なデザインとした。ステアリングホイールと相似形のフードデザインを目指し、サテライトスイッチも検討されたが廃案となった。ちなみに、メーターフードの滑らかなライン取りに関して、時計のレイアウトはかなり苦労したポイントであるという。

また、オーディオとシフトレバーの位置取りに関しても、米国での交通事情、たびたびステーションの切り替わるラジオ事情などを考慮し、オーディオの操作性を優先させて、オーディオを上部に配置したという。

インテリアのカラーには、ブラックを基調とし、高級グレードにはオプションでブルーを設定。輸出用にはレッドも用意された。

結果として、ガンダムチックだったAW型のインテリアに比べ、SW型のインテリアは、視認性と操作性を重視し、特に、高速走行時における視認性を重視した高めのインパネに、低いドライビング・ポジションという『非日常性』を抑えつつも、非常にシックな仕上がりとなった。

~SWのユーティリティ性~

SW型に関しては、スポーツカーを目指しながらも、初代AWに比較して、日常の使い勝手も大幅に向上された。


ステアリングに関しても、全グレードにパワーステアリングが設定されなかったAW型とは違い、SW型には電動ポンプによる油圧式パワーステアリングが装着されることになった。さらに、車速センサー及び舵角センサーからの信号を読み取り、低速時にはアシストを多く、高速時にはアシストをカットするという車速感応式が採用された。ミッドシップにパワーステアリングは必要かどうかという点に関しては議論があったが、据え切り時のことを考慮して、パワーステアリングが装備されるに至った。ただし、もともとフロントが軽量なミッドシップであるということもあり、パワーステアリングのアシストは全体的に弱めに設定されている。なお、当時では、ミッドシップにパワーステアリングを採用したのはSWが世界初である。また、ステアリングの動きに連動してフォグランプが左右へと向きを変えるステアリング連動フォグランプを世界初で装着することになった。

また、ミッドシップにおいて最大の欠点でありネックでもあるラゲッジスペースも、パワーと並んでユーザー達からの要望があった点であり、改善がなされた。運転席後部には10リッターのリヤストレージボックスを新たに設置。シート後方のリヤコンソールボックスとリアトランクの容量は、AWに比較して50%アップし、ゴルフバッグ2つを載せることが可能になった。なお、リヤトランクにはラゲッジルームランプも新設された。

運転席と助手席の中間を走るセンタートンネル内・燃料タンクに関しても、容量の30%アップが図られている。


こうした様々な試行錯誤、苦心と苦労。困難の中、遂に次代MR2=SW型が完成したのである。


(その6に続く……はず)


参考文献:

・「日本初ミッドシップ トヨタMR2とトヨタスポーツ」/岡崎宏司(新潮文庫)

・「トヨタテクニカルレビュー」Vol.47/オーム社

・「CG CAR GRAFFIC」1983年12月号/二玄社
・「driver ドライバー」1985年10月20日号/八重洲出版
・「CARトップ」昭和59年6月号/交通タイムス社
・「CAR and DRIVER」1990年1月10日号/ダイヤモンド社
・「ベストカー」号数不明(グループS仕様AWとMID4の記事について)/三推社
・「Best MOTORing」1990年1月号/講談社

・「ベストカーガイド増刊 オールアバウト TOYOTA MR2」昭和59年8月/三推社

・「CARトップ ニューカー速報No.23 MR2」/交通タイムス社
・「CARトップ ニューカー速報No.74 NEWスープラ」/交通タイムス社

・「モーターファン別冊 ニューモデル速報 第78弾 新型MR2のすべて」/三栄書房

・「J's ネオ・ヒストリックArchives『TOYOTA MR2&MR-S』」/ネコ・パブリッシング

・「I LOVE A70&80 TOYOTA SUPRA」/ネコ・パブリッシング

・「ハイパーレブ Vol.21 トヨタMR2」/ニューズ出版
・「ハイパーレブ Vol.50 トヨタMR2 No.2」/ニューズ出版
・「ハイパーレブ Vol.63 トヨタMR-S」/ニューズ出版

・「タツミムック チューニングトヨタ MR2&MR-S VOL.1」/辰巳出版
・「タツミムック チューニングトヨタ MR2&MR-S VOL.2」/辰巳出版
・「タツミムック チューニングトヨタ MR2&MR-S VOL.3」/辰巳出版


・「MR2 AW10/11」前期型カタログ
・「MR2 AW10/11」後期型カタログ

・「MR2 SW20」Ⅰ型カタログ
・「MR2 SW20」Ⅱ型カタログ
・「MR2 SW20」Ⅲ型カタログ
・「MR2 SW20 ビルシュタインパッケージ」カタログ
・「MR2 SW20」Ⅳ型カタログ
・「MR2 SW20」Ⅴ型カタログ

・「MR-S」前期型カタログ
・「MR-S」後期型カタログ
・「MR-S Vエディションファイナルバージョン」カタログ

参考サイト:

・「ウィキペディア」
http://ja.wikipedia.org/wiki/

・「TOYOTA MR2 CLUB JAPAN」
http://homepage3.nifty.com/midship/

・「MR2ちゃんねる」
http://mr2.jp/

・「ダイエーモータース」
http://www.daie-motors.com/

その他。MR2の歴史に関連する霧島のブログ:

備忘録 01 「SV-3」 ~トヨタ・プロトタイプMR2開発秘話~ その1
備忘録 02 「SV-3」 ~トヨタ・プロトタイプMR2開発秘話~ その2
備忘録 03 「SV-3」 ~トヨタ・プロトタイプMR2開発秘話~ その3
備忘録 04 「SV-3」 ~トヨタ・プロトタイプMR2開発秘話~ その4(最終回)
備忘録 05 「SW20」 ~2代目MR2の登場~ その1
備忘録 06 「SW20」 ~2代目MR2の登場~ その2
備忘録 07 「SW20」 ~2代目MR2の登場~ その3
備忘録 08 「SW20」 ~2代目MR2の登場~ その4
おめでとう! MR2(SW20)発売20周年!!



Posted at 2010/01/10 17:54:40 | コメント(3) | トラックバック(0) | 備忘録・MR2の歴史 | 日記
2010年01月03日 イイね!

備忘録 08 「SW20」 ~2代目MR2の登場~ その4

備忘録 08 「SW20」 ~2代目MR2の登場~ その41984年6月8日に日本初のミッドシップ車であるAW型MR2が発売されてから2年――

遂に、次代MR2の開発企画が持ち上がった。開発主査に選ばれたのは、AW型においてボディー設計を担当した有馬和俊技師であった。

あくまで、軽くて小回りが利き、キビキビ走る=『ランナバウト』を追求したスポーティカーであったAW型とは打って変わり、新型MR2は日本一速いスポーツカー。しかし、決して高価なものではなく、多くの人がオーナーとなり、楽しむことの出来るクルマであることが目標とされた。

時に1986年。ホンダが国産初のミッドシップスーパーカー=『NSX』を、そして日産が国産初のミッドシップ4WD=『MID4』の開発を裏で進める中、『スポーツカー』それも『ミッドシップスポーツカー』というトヨタの挑戦が始まった。

※画像は、SW型に搭載されている3S-Gエンジンです。当時、ターボモデルの3S-GTEが絞り出す225psとは、2Lクラスとしては最強の出力であったそうです。NAモデルである3S-GEも、当時ホンダが製作していたVTEC搭載の2Lエンジン出力=160psを僅かに上回る165psを発揮していました。

~SW20のエンジン・3S-G~

まず、新型MR2を開発していく上で、最重要の課題となるのがパワー、つまり馬力であった。

先代のAW型は、AE82型カローラをベースとし、そのエンジンにはトヨタがエンジン横置きFF車を前提として開発した4A-Gが搭載されていた。しかし、スポーツモデルを意味する 『G』の文字を関するユニットではあっても、元はと言えば『ファミリーカー』に搭載されているエンジンであり、パワー不足の感は否めず、さらなるパワーを求める声は、ユーザーたちからはもちろん、各トヨタ販売店からも上がって来ていた。

※AW型は、決してパワーで振り回すクルマでも『スポーツカー』を目指していたわけでもないので、トヨタにとっては決してカローラをベースとし、4A-Gを搭載したことは間違いでも失敗でもなかったはずです。なお、パワーで劣るユニットを以て『Fun to Drive』を追求するというコンセプトは、後のMR-Sへと継承されていきます。

それらの要望を踏まえ、新型MR2、即ちSW型はST16#型セリカをベースとして開発されることとなった。なお、ST16#シリーズの中でも、ST165型セリカと言えば、フルタイム式4WDと2Lターボユニット=3S-GTを搭載し、GT-FOURのグレードを冠してWRCでも活躍していたクルマである。1.6LNA、あるいは1.6Lスーパーチャージャー仕様であった4A-Gを搭載していたAW型から、SW型にはNAモデルにはST160型の2LNAが、ターボモデルにはST165型の2Lターボの3Sエンジンを横置きに搭載されることになった。なお、SW型に先だって開発が進められていた、セリカも参戦していたグループB参戦の為(後にグループS仕様に変更)に4WD化が施されたAW型には、既にこの3S-GTが縦置きで搭載されていた。

ただ、3S-GTも、決してセリカ用のものを流用したわけではなく、従来のパーツをそのまま使用したのはクランクシャフトやコンロッド位のもので、シリンダーヘッド、シリンダーブロックなど、ほとんどの構成パーツは新設計となっている。

※SW型開発に伴って3Sの新設計を行ったのか、それとも次期セリカの為に新設計を行ったものをSWに流用したのかは確認出来ておりません。ただ、吸排気管の取り回しの関係上、FFであるセリカ用をそのまま流用する事は不可能であったのは確かです。特に排気管の取り回し上、セリカに比較してエンジンの排気圧を下げつつも、セリカと同等の出力を得ることに成功しているそうです。

吸気ポートの形状やバルブ径、バルブタイミングやバルブリフトなども変更され、さらなる出力を目指して設計されている。また、4つのシリンダーからのタービンへの排気を、二分させて導入し、タービンにも軽量かつ丈夫なセラミック製を用いるなど、ターボの効率とレスポンス向上もなされている。なお、このツインエントリー・セラミックターボはトヨタが独自開発した、世界初の技術である。

※当時における、他のターボ車と比較した時、SWはターボの立ち上がりが鋭いと評価されています。

エンジンサウンドに関しても、音響心理学によって心地よいサウンドを追求したという。エンジンサウンドについては、2009年に発表された『レクサスLFA』のエンジンサウンドにおいて、楽器メーカーでもあり、トヨタのエンジン製作に深く協力してきたヤマハの協力のもと、『天使の咆哮』と呼ばれるサウンドを作り上げたという話がある。

また、MR2は海外も重要な市場となっており、さらなる中低速トルク向上のため、北米モデルでは2.2Lハイメカツインカムの5S-FEを、英国モデル(欧州ではなく、英国のみ)では2Lハイメカツインカムの3S-FEが搭載されることになった。

~SWの足回り~

エンジンの排気量、馬力の向上に伴い、足回りの設計も試行錯誤がなされた。当初、SW型の開発では、サスペンションをAW型のストラット式からダブルウィッシュボーン式への変更が検討された。SW型開発において、エンジンがフロントボンネット内には存在しないミッドシップならではの、キャビンを強く前進させたデザインにしたいと言うこだわりによって、ダブルウィッシュボーンのアッパーアームが室内に飛び出してしまうなど、様々な苦心はあったが、実際にダブルウィッシュボーン式の試作車を製作して何度も何度も試走が行われた。

しかし、FFやFRと違い、ノウハウの蓄積がないミッドシップという未知の領域への挑戦であるということや、結局は狙った通り性能が出ないことなどもあり、ダブルウィッシュボーンの採用は見送られ、ストラット式が採用されることになった。ただ、ミッドシップのハンドリング質感の味付けという、誰もが知らない回答への追求や、オーバーステア傾向の処理など、北海道の士別テストコースはもちろん、アメリカやヨーロッパでのテストが徹底的に繰り返された。

一応は、サスペンションとボディ結合部のブッシュを2重構造にして、高速時の直進性の確保と操舵時の正確追求を図り、また、AW型では見送られたタイヤの前後異径についても、フロント:195/60R14・リア:205/60R14という形で採用されることになった。

ターボモデルには、4輪ABSとTCSが標準で装備。ABSは、4つのタイヤそれぞれを独立して制御する4チャンネル方式で、これは1989年10月に発売されたセルシオに先駆けて開発されたシステムである。

※その後もSWのABSは進化を重ね、特にⅣ型に採用されたスポーツABSなどは、その性能の高さから、ワンメイクスレースでの使用が禁止される程にまでなりました。なお、Ⅴ型においては、4チャンネルから3チャンネル方式へと変更され、軽量化が図られています。

しかしながら、有馬技師は、このSWの足回りに『不満がないわけではない』と語ったという。

※実際問題、通称Ⅰ型のSWは、特に足回りの点で後に酷評という酷評を浴びることになります。



(その5に続きます)


参考文献:

・「日本初ミッドシップ トヨタMR2とトヨタスポーツ」/岡崎宏司(新潮文庫)

・「トヨタテクニカルレビュー」Vol.47/オーム社

・「CG CAR GRAFFIC」1983年12月号/二玄社
・「driver ドライバー」1985年10月20日号/八重洲出版
・「CARトップ」昭和59年6月号/交通タイムス社
・「CAR and DRIVER」1990年1月10日号/ダイヤモンド社
・「ベストカー」号数不明(グループS仕様AWとMID4の記事について)/三推社
・「Best MOTORing」1990年1月号/講談社

・「ベストカーガイド増刊 オールアバウト TOYOTA MR2」昭和59年8月/三推社

・「CARトップ ニューカー速報No.23 MR2」/交通タイムス社
・「CARトップ ニューカー速報No.74 NEWスープラ」/交通タイムス社

・「モーターファン別冊 ニューモデル速報 第78弾 新型MR2のすべて」/三栄書房

・「J's ネオ・ヒストリックArchives『TOYOTA MR2&MR-S』」/ネコ・パブリッシング

・「I LOVE A70&80 TOYOTA SUPRA」/ネコ・パブリッシング

・「ハイパーレブ Vol.21 トヨタMR2」/ニューズ出版
・「ハイパーレブ Vol.50 トヨタMR2 No.2」/ニューズ出版
・「ハイパーレブ Vol.63 トヨタMR-S」/ニューズ出版

・「タツミムック チューニングトヨタ MR2&MR-S VOL.1」/辰巳出版
・「タツミムック チューニングトヨタ MR2&MR-S VOL.2」/辰巳出版
・「タツミムック チューニングトヨタ MR2&MR-S VOL.3」/辰巳出版


・「MR2 AW10/11」前期型カタログ
・「MR2 AW10/11」後期型カタログ

・「MR2 SW20」Ⅰ型カタログ
・「MR2 SW20」Ⅱ型カタログ
・「MR2 SW20」Ⅲ型カタログ
・「MR2 SW20 ビルシュタインパッケージ」カタログ
・「MR2 SW20」Ⅳ型カタログ
・「MR2 SW20」Ⅴ型カタログ

・「MR-S」前期型カタログ
・「MR-S」後期型カタログ
・「MR-S Vエディションファイナルバージョン」カタログ

参考サイト:

・「ウィキペディア」
http://ja.wikipedia.org/wiki/

・「TOYOTA MR2 CLUB JAPAN」
http://homepage3.nifty.com/midship/

・「MR2ちゃんねる」
http://mr2.jp/

・「ダイエーモータース」
http://www.daie-motors.com/

・「GAZOO.com」
http://gazoo.com/top/gazootop.aspx

その他。MR2の歴史に関連する霧島のブログ:

備忘録 01 「SV-3」 ~トヨタ・プロトタイプMR2開発秘話~ その1
備忘録 02 「SV-3」 ~トヨタ・プロトタイプMR2開発秘話~ その2
備忘録 03 「SV-3」 ~トヨタ・プロトタイプMR2開発秘話~ その3
備忘録 04 「SV-3」 ~トヨタ・プロトタイプMR2開発秘話~ その4(最終回)
備忘録 05 「SW20」 ~2代目MR2の登場~ その1
備忘録 06 「SW20」 ~2代目MR2の登場~ その2
備忘録 07 「SW20」 ~2代目MR2の登場~ その3
おめでとう! MR2(SW20)発売20周年!!



Posted at 2010/01/03 19:31:46 | コメント(2) | トラックバック(0) | 備忘録・MR2の歴史 | 日記
2009年12月17日 イイね!

備忘録 07 「SW20」 ~2代目MR2の登場~ その3

備忘録 07 「SW20」 ~2代目MR2の登場~ その3初代MR2であるAW型へのユーザー達からの要望。それは即ち、『スポーツカー』としてのMR2への期待そのものであった。

そして1986年、春。遂に新型MR2開発の企画がスタートした。AW型の開発主査である吉田明夫技師に替わり、新型の開発主査となったのは、AW型においてボディ設計を担当した有馬和俊技師であった。

※余談ですが、AW型のシャシー駆動系を担当し、AWをベースとしたWRCグループB仕様(※注・「CARトップ ニューカー速報No.74 NEWスープラ」内による記述。恐らく、グループSの間違い)の4WDマシン開発にも参加していた都築功技師は、SW型開発においては、企画立ち上がりまでは関わっていましたが、1989年2月から、A80型スープラの開発主査となりました。また、都築技師は、1993年の3月より、スープラに合わせてソアラも担当することになったそうです。あと、当備忘録内で、吉田技師の名前を今まで『昭夫』と表記していましたが、『明夫』が正しい表記です。失礼しました。

走りを楽しむ『Fun to Drive』のランナバウトであった『スポーティーカー』を目指したAW型とは打って変わり、新型となるSW型は、『スポーツカー』としての開発することが決定された。

『日本一速いスポーツカー』を目指す。それが有馬技師の決意であった。

※画像は、MR-S販売終了時。2007年3月20日~6月17日まで。お台場のMEGA WEB・ヒストリーガレージにて開催された『トヨタミッドシップスポーツヒストリー展』に展示されていたAW型MR2です。SW型じゃないのは高画質画像が無かったからです……。ていうか、ウィキペディアからの転載です。


~『スポーツカー』とは何か~

『スポーツカー』とは何なのか。これは、多くのアマチュアドライバーや自動車愛好家はもちろん。レーシングドライバーやモータースポーツジャーナリスト達が議論を交わし、そして自らの内で反問し続ける命題である。

トヨタはAE86型スプリンタートレノ/カローラレビン。AW型MR2に代表されるように、『スポーティカー』の開発においては大きな成功を収めて来た。これらを『スポーツカー』と呼ぶかは個人の自由だが、少なくともトヨタはこれらのクルマを『スポーツカー』とは呼んでいない。

しかし、SW型MR2は、『スポーティカー』を脱却し、『スポーツカー』として開発されることになった。では、トヨタ2000GT以来、長らく『スポーツカー』開発してこなかったトヨタは、『スポーツカー』をどのようなモノと定義し、SW型MR2をどういった存在として位置付けようとしたのだろうか。

※コラ。今、誰か『ヤマハ(笑)』って言ったでしょ!?

有馬技師が、SW型MR2の広報資料として雑誌に寄せた『私のスポーツカー論』というものがある。少し長いが、引用してみることにする。

『スポーツカーは、スペシャルティカーや高性能スポーツセダンの居住性をある程度犠牲にして、またレーシングカーに公道で走るのに必要な法律用件を与えて、スタイルと動力性能と操縦安定性能を特化させた車で、2座か2+αであり、高価なエクスクルーシブスポーツカーと量産スポーツカーに大きく分類される。
 また量産スポーツカーは、ラグジュアリースポーツカーと、ミディアムスポーツカーとライトウエイトスポーツカーに分類できる。
 今回の新MR2はミディアムスポーツカーのアフォーダブルな所に位置づけた。
 スポーツカーは、気晴らし、楽しみのできる車、気分転換のやりやすい車(中略)つまり心の遊びができることが要求される。
 また、スポーツカーはレーシングカーのようにサーキットを走れる必要がある。レーシングカーは運動神経の特別優れた、勘のよい、徹底的訓練を受けた、特定のドライバーに合わせてサスペンションがチューンされている。
 しかしスポーツカーは、ある程度訓練をうけた、不特定多数の普通の人でもサーキットを安心して滑らかに走れる必要があり、プロのドライバーが自由自在に奥深く操縦できるようになっている必要がある。
 自分の身体で地球と宇宙(ニュートンの運動法則)を感じとるような、非日常的な異次元空間感覚を楽しむ身体の遊びができることを要求される(以下略)』

これをどう解釈するかは人それぞれだろうが、要旨をまとめると、

スポーツカーとは『居住性をある程度犠牲』にして『スタイルと動力性能と操縦安定性能を特化』させ、『レーシングカーをベースとして、公道を走れる様に法的束縛を与えつつも、レーシングカーのようにサーキットを走れる』必要がある。しかし、『レーシングカーのように特別な人間にしか操縦出来ないのではなく、一般人でも安心してサーキットを走ることが出来る』、『非日常的な感覚を楽しむことが出来る』クルマである。

そして、スポーツカーには『エクスクルーシブスポーツカー(exclusive=排他的な・高級な・上流の・入手し難い)』と『量産スポーツカー』があり、『量産スポーツカー』は『ラグジュアリー』『ミディアム』『ライトウエイト』の3クラスに分類出来る。

SW型MR2は、『量産スポーツカー』の『ミディアムスポーツカー』。それも『アフォーダブル(afflrdable=手頃な・入手可能な)』な存在。

ということである。


※『エクスクルーシブスポーツカー』と、『ラグジュアリー』をどう区分けするかは意見が割れると思います。なお、1989年発行の雑誌『モーターファン別冊 ニューモデル速報 第78弾 新型MR2のすべて』において、『大排気量のスーパーカー』は『ラグジュアリー』に分類されると解釈しています。

それに従えば、『エクスクルーシブスポーツカー』には、『マクラ―レンF1』『ブガッティ・ヴェイロン』『フェラーリ・F40』『レクサスLF-A』などの様に、販売価格1000万円以上のスーパーカーの中でもさらにずば抜けて高価(※順に、1億円、1億6000万円、4650万円、3750万円)であり、生産台数も限定的で、極めて希少な存在(???台・300台・1311台・500台)なクルマが該当すると思われます。

『量産スポーツカー・ラグジュアリー』には、『ランボルギーニ・カウンタック』に代表されるスーパーカーがこの部類らしいです。日産・『GT-R(R35型)』や、ホンダ・『NSX』もこの部類に入れて良いと思われます。

『量産スポーツカー・ライトウエイト』には、ホンダ・『シビック』『CR-X』などの排気量2.0L未満の軽量スポーツカーや、マツダ・『ロードスター』やトヨタ『MR2(AW型)』『カローラレビン/スプリンタートレノ』などの『スポーティーカー』も含まれるようです。(エントリーカー的なスポーツカー、と解釈すれば良いでしょうか……)

そして、SW型MR2が含まれると言う、『量産スポーツカー・ミディアム』には、ホンダ・『インテグラ』、マツダ『RX-7』など、ライトウエイト+中排気量クラスの組み合わせであるクルマが含まれると思われます。日産・『シルビア・180SX』も恐らくここなのでしょう。また、日産・『フェアレディZ』や、トヨタ・『スープラ(A80型)』などの、大排気量の大馬力であり、内装、外装共に豪奢なスポーツカーも、恐らく『ややアフォーダブルではない』ミディアムと思われます。


スポーツカー論そのものや、各々のカテゴライズに関しては賛否両論があるであろうが、少なくとも、有馬技師は、上記のような持論の元、SW型MR2のコンセプトを構築した。

日本一の速さを目指しつつも、決して高価で特別な存在ではない『アフォーダブル』なクルマ。『スポーティカー』から脱却し『スポーツカー』を目指しつつも、SW型MR2は、決してランナバウトの精神を忘れてはいなかったのである。

こういった、矛盾し合う多数の要素を内包したコンセプトを根幹とし、SW型MR2開発の、試行錯誤が始まった。

(その4に続きます、たぶん……)

参考文献:

・「日本初ミッドシップ トヨタMR2とトヨタスポーツ」/岡崎宏司(新潮文庫)

・「CG CAR GRAFFIC」1983年12月号/二玄社

・「CARトップ ニューカー速報No.23 MR2」/交通タイムス社
・「CARトップ ニューカー速報No.74 NEWスープラ」/交通タイムス社

・「モーターファン別冊 ニューモデル速報 第78弾 新型MR2のすべて」/三栄書房

・「J's ネオ・ヒストリックArchives『TOYOTA MR2&MR-S』」/ネコ・パブリッシング

・「I LOVE A70&80 TOYOTA SUPRA」/ネコ・パブリッシング

・「ハイパーレブ Vol.21 トヨタMR2」/ニューズ出版
・「ハイパーレブ Vol.50 トヨタMR2 No.2」/ニューズ出版

・「タツミムック チューニングトヨタ MR2&MR-S VOL.1」/辰巳出版
・「タツミムック チューニングトヨタ MR2&MR-S VOL.2」/辰巳出版
・「タツミムック チューニングトヨタ MR2&MR-S VOL.3」/辰巳出版


・「MR2 AW10/11」前期型カタログ
・「MR2 AW10/11」後期型カタログ

・「MR2 SW20」Ⅰ型カタログ
・「MR2 SW20」Ⅱ型カタログ
・「MR2 SW20」Ⅲ型カタログ
・「MR2 SW20」Ⅳ型カタログ
・「MR2 SW20」Ⅴ型カタログ

参考サイト:

・「ウィキペディア」
http://ja.wikipedia.org/wiki/

・「TOYOTA MR2 CLUB JAPAN」
http://homepage3.nifty.com/midship/

・「MR2ちゃんねる」
http://mr2.jp/

・「ダイエーモータース」
http://www.daie-motors.com/

その他。MR2の歴史に関連する霧島のブログ:

備忘録 01 「SV-3」 ~トヨタ・プロトタイプMR2開発秘話~ その1
備忘録 02 「SV-3」 ~トヨタ・プロトタイプMR2開発秘話~ その2
備忘録 03 「SV-3」 ~トヨタ・プロトタイプMR2開発秘話~ その3
備忘録 04 「SV-3」 ~トヨタ・プロトタイプMR2開発秘話~ その4(最終回)
備忘録 05 「SW20」 ~2代目MR2の登場~ その1
備忘録 06 「SW20」 ~2代目MR2の登場~ その2
おめでとう! MR2(SW20)発売20周年!!


Posted at 2009/12/17 20:46:10 | コメント(3) | トラックバック(0) | 備忘録・MR2の歴史 | 日記
2009年12月13日 イイね!

備忘録 06 「SW20」 ~2代目MR2の登場~ その2

備忘録 06 「SW20」 ~2代目MR2の登場~ その2トヨタが1984年に発売を開始したAW型MR2は、日本初のミッドシップ車として大きな注目を浴び、国内外においてカー・オブ・ザ・イヤーを受賞するなど、一世を風靡することとなった。

ミッドシップとは、当時の流行であったスーパーカーにも多く見られたように、スポーツカーとしてのステイタスでもあった。しかしながら、トヨタはMR2を、敢えて速さを競う『スポーツカー』というコンセプトとしては開発はせず、トヨタ自身がMR2をスポーツカーと呼称することは無かった。

だが、MR2のオーナーたちは、『スポーツカー』としてMR2に対してさらなる走行性能。特にパワーを強く求めていた。トヨタはこれらの声を踏まえ、AW型のマイナーチェンジではスーパーチャージャー搭載モデルを投入し、『応急的に』それらの声に応えた。そして、それと同時に次代のMR2の開発を進めていたのである。

※画像は、新型MR2であるSW20と、その開発に携わったスタッフの皆さんです。

~新型MR2・SW型のコンセプト~

初代MR2開発主任であり、MR2を企画し、実際に世に送り出したMR2生みの親・吉田昭夫技師は、新型開発企画段階では既にトヨタを退職し、自動車部品や乗り物のシートの開発を手がけるシロキ工業へとその籍を移していた。吉田昭夫技師の後を継ぎ、新型MR2の開発においてチーフエンジニアを務めることとなったのは、AW型のボディ設計を担当した有馬和俊技師だった。

飛行機好きの有馬技師は、九州大学工学部の出身で構造力学を専攻し、大学院では航空機の機体研究を行っていた。大学院卒業後は、YS-11を作った日本航空機製造株式会社への就職が決定していたが、60年安保の最中であったこともあり、飛行機に兵器産業の匂いを感じ、トヨタ自動車に就職。トヨタでは設計部門に配属され、17年もの間、コロナとマークⅡの開発に携わっていた。

新型MR2開発主任となった有馬技師に対し、吉田技師に厚く目をかけ、AW型MR2開発を積極的に後押しした豊田英二会長は、『このクルマは道楽で始めたつもりだ』と述べた。そして、AW型MR2市販化にゴーサインを出した豊田章一郎社長は『今度はスポーツカーにするんだな』と、念を押したという。

レイアウトの関係上、2シーターとなるミッドシップ車(※フロントミッドを除く。なお、リアミッドで3シーターのクルマもあります。1億円しますが……)は、人数も乗れず、荷物も積めないという、非常に実用性に欠けるクルマである。よって、これを市販化することには大きなリスクが付きまとい、実際、ホンダ、日産、マツダと言った、名だたるスポーツカーの数々を世に送り出してきた各自動車メーカーですら、ミッドシップ車の開発、販売を行うことは無かった。確実に利益を上げ、冒険はしない堅実なクルマ造りを行って来たトヨタにすれば、MR2とは極めて贅沢で、道楽的極まりない存在である。

もちろん、道楽だけでクルマは作れない。そこに利益が生まれなければ商品として成り立たない。自動車業界における利益追求において、過去も現在も大きな影響力を持つのは北米市場である。現に、セリカ、スープラ、NSX、S2000、フェアレディZと言った名車たちは、いずれも北米市場を意識して製作されている。これは、MR2も全く同じであった。

だが、その当時、北米市場においては、保険料の関係から、スポーツカー市場が急速に小さくなってきていた。

この現実もあって、新型MR2をどのような方向性へと持って行くかについては、様々な観点から議論が展開されたという。

そんな中、有馬技師は、

『初めてMR2を世に出した頃と現在を比べると、モノはいっそう豊かになり、それにつれてユーザーの意識も変わってきている。これまでのMR2よりもっとぜいたくに感じられるようなクルマこそ、これからのMR2ではないか』

と考えたという。

初代MR2が登場した頃と言えば、2度のオイルショックを経て、環境への配慮や省エネルギーが叫ばれる時代を経験した直後ではあったが、様々な逆境においても日本経済がさらなる進展を遂げていた時代である。

それから数年。日本経済はさらなる成長を遂げ、いわゆるバブル経済の真只中にあった。

そんな時代に登場したクルマと言えば、日産のZ31型フェアレディZ。R30、31型スカイライン。S12、13型シルビア。マツダのFB、FC型サバンナRX-7。ホンダのEF型シビック、CR-X、AB/BA1型プレリュード、初代インテグラなど。抜群の走行性能はもちろんのこと、デートカーとも呼ばれる、非常に個性的でお洒落なクルマが列挙していた時代である。

トヨタにおいても、70型スープラやセリカXX。ST165、185セリカが登場し、また、ガルウィングが特徴的なセラの開発も進められていた。

なお、SW20が発売となった平成元年=1989年には、オープンスポーツの超ロングセラーにして超ベストセラー=マツダ・ユーノスロードスターや、日産・180SX、Z32型フェアレディZ。そして、32型で16年振りに復活を遂げたスカイラインGT-Rなど、世界の自動車史上においても伝説に残る名車の数々が発売されている。(あれ?何故か日産ばっかり……)

そして何よりも、ホンダが満を持して翌年に発売することになるミッドシップ車の国産スーパーカー=NSXが発表されたのも1989年であった。

そんな時代の渦中において、ミッドシップレイアウトを採用したAW型MR2は、確かに個性的で、運動性能もかなりのものではあった。しかし、それに勝るとも劣らないクルマの数々が企画され、開発され、世に送り出されていたのである。

そして、導き出された結論は、

『ランナバウト(=Runabout)ならば、ミッドシップでなくてもいい。北米での市場縮小という現実はあるが、ミッドシップの必然性から、あえてスポーツ性を強調しよう。初代AWは、入門スポーツとしての意味を持っていたが、今度は、20歳代だけをターゲットにするのではなく、そこより上のレンジへ持って行こう』

と、いうものであった。

『エントリーカー』や『ボーイズレーサー』とも呼ばれたように、AW型MR2や、AE86型スプリンタートレノ/カローラレビンは、『スポーツカー』としては性能に見劣りはあっても、軽く、楽しく、よく走り、何よりも安価に手に入る為、クルマに初めて触れるような若者たちに広く受け入れられていた『スポーティカー』だったのである。しかし、次に開発されるSW型MR2は、そのコンセプトの、さらに上のランクを目指すとういのである。

すなわち、SW型MR2は、ドライブを楽しむ『スポーティカー』を脱却し、『スポーツカー』を目指して開発されたクルマなのである。

※『ランナバウト』とは、『小型の』という意味を持ちます。すなわち、『小さくて軽くてキビキビ走る』という意味がそこには込められています。例え、馬力がなくとも、乗っていて楽しいクルマ。それが『ランナバウト』なのです。ミッドシップではないランナバウトと言えば、マツダのユーノスロードスターの存在そのものです。なお、AW型MR2における女性オーナーの割合は、英国では40%。米国ではなんと60%にも及びます。これも一重に、AW型MR2が『バリバリのスポーツカー』ではなく、ランナバウトの『スポーティカー』であった為ではないでしょうか。ちなみに、日本で女性に人気のあったクーペと言えば、スプリンターマリノやカローラセレス、カレンなどがありますね。あれ? 何故かトヨタ車ばっかり……。

トヨタは、AW型MR2はもちろん、AE86型スプリンタートレノ/カローラレビンなどを始め、『スポーティカー』において大成功を収めて来たが、『スポーツカー』を開発した経験はなかった。そんなトヨタが『スポーツカー』を開発する決断を下したのである。そしてそれらは多くのユーザーたちが長らく求めて来たものでもあった。

『日本一速い、加速力のあるスポーツカーにしたい』

そんな有馬技師の想いが、まだ見ぬSW型MR2に込められていた。

(その3に続きます、たぶん……)

参考文献:

・「CARトップ ニューカー速報No.23 MR2」/交通タイムス社
・「モーターファン別冊 ニューモデル速報 第78弾 新型MR2のすべて」/三栄書房

・「J's ネオ・ヒストリックArchives『TOYOTA MR2&MR-S』」/ネコ・パブリッシング

・「I LOVE A70&80 TOYOTA SUPRA」/ネコ・パブリッシング

・「ハイパーレブ Vol.21 トヨタMR2」/ニューズ出版
・「ハイパーレブ Vol.50 トヨタMR2 No.2」/ニューズ出版

・「タツミムック チューニングトヨタ MR2&MR-S VOL.1」/辰巳出版
・「タツミムック チューニングトヨタ MR2&MR-S VOL.2」/辰巳出版
・「タツミムック チューニングトヨタ MR2&MR-S VOL.3」/辰巳出版

・「CG CAR GRAFFIC」1983年12月号/二玄社

・「MR2 AW10/11」前期型カタログ
・「MR2 AW10/11」後期型カタログ

・「MR2 SW20」Ⅰ型カタログ
・「MR2 SW20」Ⅱ型カタログ
・「MR2 SW20」Ⅲ型カタログ
・「MR2 SW20」Ⅳ型カタログ
・「MR2 SW20」Ⅴ型カタログ

参考サイト:

・「ウィキペディア」 http://ja.wikipedia.org/wiki/
・「MR2ちゃんねる」 http://mr2.jp/
・「TOYOTA MR2 CLUB JAPAN」 http://homepage3.nifty.com/midship/
・「ダイエーモータース」 http://www.daie-motors.com/

その他。MR2の歴史に関連する霧島のブログ:

備忘録 01 「SV-3」 ~トヨタ・プロトタイプMR2開発秘話~ その1
備忘録 02 「SV-3」 ~トヨタ・プロトタイプMR2開発秘話~ その2
備忘録 03 「SV-3」 ~トヨタ・プロトタイプMR2開発秘話~ その3
備忘録 04 「SV-3」 ~トヨタ・プロトタイプMR2開発秘話~ その4(最終回)
備忘録 05 「SW20」 ~2代目MR2の登場~ その1
おめでとう! MR2(SW20)発売20周年!!







Posted at 2009/12/13 18:15:44 | コメント(2) | トラックバック(0) | 備忘録・MR2の歴史 | 日記

プロフィール

「@辺境伯 通勤快適(?)仕様なので、距離がどんどん伸びます。じゃんじゃか傷んできます……」
何シテル?   01/30 16:31
こんにちは。基本的にはぐれ者です。 一般に広く受け入れられて支持を得ているようなものよりも、マイナーなものや、世の中から認められないもの、あまり人気のない...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/8 >>

     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

リンク・クリップ

17万kmを超えて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2014/04/30 22:55:21
アスク・スポーツ 
カテゴリ:チューニング&パーツショップ
2011/11/07 17:09:24
 
トヨタテクノミュージアム 
カテゴリ:トヨタ
2011/09/24 22:39:02
 

愛車一覧

トヨタ MR2 トヨタ MR2
〓詳細〓 ・車種:トヨタ MR2 ・型式:SW20 ・年式:平成10年5月登録 (Ⅴ型 ...
トヨタ MR2 トヨタ MR2
〓詳細〓 ・車種:トヨタ MR2 ・型式:SW20 ・年式:平成8年4月登録 (Ⅲ型) ...
その他 その他 その他 その他
弟の東京土産……って言っても、普通に奈良でも売ってる一品。 日記用の画像保管庫です。

過去のブログ

2025年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2022年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2021年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2020年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2019年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2015年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2014年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2013年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2012年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2011年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2010年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2009年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation