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霧島のブログ一覧

2011年07月26日 イイね!

ベストモータリングVIDEO SPECIAL VOL.21 『黒沢元治のスーパードライビング』

ベストモータリングVIDEO SPECIAL VOL.21 『黒沢元治のスーパードライビング』 昨日、待ちに待った小包が届きまして。

差出人は、お世話になっている正岡貞雄先生。言わずと知れた「ベストカーガイド」創刊責任者にして「ベストモータリング」創刊責任者を務められたお方でいらっしゃいます。

霧島の「ベスモの、ガンさんのニュルアタックを見たことが無い」との発言に驚いた正岡先生が、「すぐ送ります、必見です」と、当時の編集長が直々に送って下さったわけでございます。ありがたやありがたや……(汗)

 ビデオマガジン「ベストモータリング」では、90年代初頭より、NSX・GT-Rと言った国産最速クラスのマシンをドイツ・ニュルブルクリンクサーキットに持ち込んでテスト&アタックを敢行しており、その模様を収録したのがこのビデオ。

 「世界で誰よりもニュルブルクリンクを走り込んだ男」とも言われる黒沢元治によるニュルアタックは、ベスモファンの間では語り草となっているのでございます。2000年代に入ってから、ガンさんが02NSX-Rで叩き出した7分56秒733のラップタイムは伝説ですね。

 さて。早速、封を開けてみる。経年劣化と日焼けによって色の褪せが見受けられるパッケージ。それもそのはず、裏面には1991年10月発行と書かれている。まさしく20年の年月を超えて今に残された歴史的遺産である。

 パッケージを開くと、一枚の付箋に何やら書かれている。

「腰を抜かさないように! 局長」

 ボールペンで綴られた流麗なメッセージ。何とも心憎い演出ではないか。達筆過ぎて読めなかったとか言うのは、自分が平成育ちである証左である(嘘

 いつもならばビデオは14インチの小型ブラウン管テレビで観賞するのであるが、今回は地デジ化に備えて購入した「世界の亀山ブランド」に役だって貰う。あ、ウチの家、今テレビ映りませんので(爆)

 今となってはビデオデッキすら珍しい存在らしい。クルマ好きの知人たちにベスモのビデオを貸そうとしても、「ビデオデッキが無い」と遠慮されてしまうことが多い。ちょっと寂しい。

 そんなこんなで、急に降りだした豪雨を疎ましく思いながらも、ベスモの再生を開始した――


~ベストモータリングVIDEO SPECIAL VOL.21 『黒沢元治のスーパードライビング』 ~


「世界最速の座をかけて…… ベストモータリングが誇るニュルブルクリンクテストの全貌を特別編集!!」
「最強のアタック in ニュルブルクリンク」


 「ニュルブルクリンク」。ドイツ北西部・ラインラントに位置する「ニュルブルク城」を取り囲む形で建設されたサーキットである。

 そのオールドコースとも呼ばれる北コース=「ノルドシュトライフェ」。全長20km以上。170にも及ぶコーナー、そのほとんどがブラインド。高低差は300メートル、路面のアップダウン、荒れとうねりは世界最高。

 ジャンピングスポットを飛んでからのコーナー進入。石畳が敷かれた強バンクコーナー・“カルッセル(大逆転の意)”、非常に狭いエスケープゾーンなど世界に例を見ないコースレイアウトを有している。

 コースの中に3つの街があると言う、巨大なサーキット。その発祥は1927年(日本歴では昭和2年)。世界恐慌直前の時代、村興しや雇用対策の一環として建設が開始され、作業員も失業者を集めて行われたと言う。

 当時は現代のような重機もなく、全て手作業で建設が行われた。舗装の下には1m四方の天然石が基盤として埋め込まれており、その不揃いの基盤は凄まじいまでに路面の凹凸=アンジュレーションを引き起こし、そこを走るマシンには始終異なる「入力」がもたらされる。

 「1m走ると路面が違う」「右と左のタイヤで路面が違う」。黒沢元治はそう語る。ニュルを走ることでマシンの受ける負荷は想像を絶するものであり、その一周は通常走行の2000kmにも相当すると言う。

 完走するには非常に強い剛性と耐久性が要求され、並のクルマならば一周する間もなくバラバラに分解してしまうとまで言われている。

 実際、ホンダがNSX開発におけるテストコースを検索するにあたり、黒沢元治の提唱によってレジェンドをノルドシュトライフェで走らせた所、ボディの曲げ剛性が足りず、走行中にサイドのウィンドウが大きな音を立てて外れてしまったと言う。

 あまりにリスキー過ぎてフォーミュラレースの開催が行われなくなったと言うロードコンディション。その苛酷さから、ボディやサスペンションを煮詰めるにはこれ以上無いと言うサーキットであり。古くから世界中の自動車メーカーによって自動車開発の「聖地」としての歴史が紡がれてきた。それはもちろん日本車にとっても同様である。

 そんなニュルブルクリンクも、1980年代の時点ではまだ無名も同然だった。そのパイオニア的存在となったのは、黒沢元治とタイヤメーカーのブリヂストンである。

 1984年、当時のニュルブルクは田舎の村で人口はたったの300人。サーキットもたまにポルシェがテストをする程度であったと言う。(※当時、トヨタは既にMR2等でテストを行っていた!)

 ドイツでは、メーカー指定のタイヤ(ブランド・サイズ)を履いていなければ保険金が降りない。それ程までに、タイヤと言うものはドイツ車にとって重要な部品として認識されているのである。そして、それがスポーツカーならば尚更である。

 そんな厳格かつ熾烈なドイツの自動車環境において、ポルシェが純正で装着するタイヤへの採用を目指して黒沢元治とブリヂストンはニュルブルクリンクへと乗りこんだのであるが、本題とは離れるので省略する。その辺りは「Xa CAR」、2011年8月号に詳しいので、そちらを参照されたい。

 敷居の高いイメージもあるニュルブルクリンクであるが、地元では普通の「有料道路」扱いで、一周13マルク(後に14ユーロ、現在は22ユーロらしい) でどこの誰でも走ることが出来る。

 むろん速度は無制限。スポーツカーやバイクはもちろんのこと、観光バスからキャンピングカーまでが入り混じって走行するのである。しかしそれでも、皆のマナーが良い為に、驚くほどに事故が少ないと言う。

 「ニュルを走れたら、世界のどんな道でも走れる」。そんなニュルブルクリンクに、ベストモータリングは「GT-R」「NSX」「ポルシェ911ターボ」を持ち込んだのである。


~Attack 00. introduction~

 コースの紹介も兼ねて、黒沢元治はポルシェ911ターボに一人の人物を乗せて走行を開始した。ナビシートに座る人物は正岡貞雄。当時のベストモータリング編集長である。

 序盤のS字コーナー区間、「Hocheichen」を抜け、シュヴァルツのポルシェはニュルの深奥へと向かって行く。丘陵地帯を開発して造られたニュルブルクリンクは、筑波サーキットとも富士スピードウェイとも鈴鹿サーキットとも全く異なる。

 先の見えない上り下り、連続するブラインドコーナー。そして、路面の凹凸……アンジュレーションが凄まじさが、インカーカメラからでも嫌という程に「視えて」しまう。

 それはサーキットと言うよりも、ワイディングである。しかも、そこを時速100km超のスピードで駆け抜けてゆくのだ。

 緊張の様子を隠せない正岡編集長。むろん、正岡編集長とて単なる素人では無い。45歳にしてA級ライセンスを取得し、富士スピードウェイからマカオまで、多くのレース経験を積んだ「業界最速の走り屋」の一人である。

 初めは言葉数の少なかった正岡も、「Aremberg」「Exmuhle」「Karussell」と駆けぬけてゆく中、次第に興奮気味に喋り出す。

 ゴール直前のニュル最長のストレート。ポルシェターボの速度は250……260……時速270km/hに到達した。

 そして、目の前には超高速コーナーが迫る!

「これ全開で行くんですか!? うわあああああああっ!」

 絶叫する正岡。

 ……しかし、その走りですらも黒沢にとっては本気の全開ドライブなどではなかったのである。


~Attack 01. NISSAN BNR32 SKYLIINE GT-R~

 1989年9月12日。満を持して登場した「スカイラインGT-R」をベストモータリングはドイツへ持ち込み、テスト&アタックを行った。(※おそらく「BMビデオスペシャルVOL.6 THE 疾る! スカイラインGT-R 」の時の映像である。)

 GT-Rは、260km/hスケールのメーターを付けてのチャレンジである。

 280psを発揮する2600cc直列6気筒ツインターボエンジン・「RB26DETT」と、高度な電子制御4WDシステム・「アテーサET-S」で武装したR32型GT-R。その加速力は国産随一のものであり、スタート直後から140、160、180km/hとスピードは留まる所を知らない。

 ニュルの長閑な光景と、黒沢元治のゆったりしたステア操作に騙されて、まるで80km/hでゆっくりと走行しているように錯覚するが、実際のスピードはその2倍3倍。少しでも長いストレートがあれば、200kmを軽く超えてくる。

 ニュル最長のストレートでは250km/hをマーク。さらにそこからわずか数秒後には120km/hまで減速してゴール手前のコーナーへと突っ込んでゆくのだ。

 ラップタイムは8分22秒38。GT-R神話、完全復活。16年の時を経て蘇ったスカイラインGT-Rは当時、量産車最速であったポルシェのラップタイムを見事破ってみせたのである。


~Attack 02. NA1 NSX~

 1990年に登場したNSX。NSXとは「New Sportscar X」の略であり、フォーミュラレースの最高峰であるF1において名を馳せていたホンダが造り上げたフラッグシップ・リアルスポーツカーである。

 シャシーはホンダ・「レジェンド」をベースに。他に例を見ないアルミモノコックボディ。そして、ミッドシップレイアウトにマウントされるエンジン。ホンダ自慢のVTECによって、3000cc水冷V型6気筒DOHC24バルブの『C30A』は自然吸気ながらも280psを叩き出す。

 NSXの登場。それは紛れも無く誰もが待ち望んだ国産スーパースポーツ――“スーパーカー”の誕生だった……

 黒沢元治も開発に深く関わったNSX。その左ハンドル&2~4速がクロスしたヨーロッパ仕様を用いてテストが行われた。(。(※おそらく「BMビデオスペシャルVOL.15 THE 疾る! HONDA NSX」の時の映像。)

 GT-Rのようなハイパワーターボでは絶対に出せない、ノーマルアスピレーション特有の甲高いエキゾーストを響かせながらNSXは走る。

 回転は常に6000rpm以上をキープ、レッドゾーンにあたることも珍しくはない。

 悪路における走行安定性においては、4WDのGT-Rに比べて絶対的に不利なはずのMRであるにも関わらず、NSXは2WDとは思えない走りを見せた。

 「路面がちょっと濡れてるなぁ……」と零しながらも、速度は100kmを軽く超えている。ただ、ニュル最長のストレートでは7000回転からが伸びない。NAだから伸び辛いのか、安定性の問題から踏めないのかは不明である。

 きちんと確認は出来なかったが、ストレートでは3台中で一番遅かったのではないかと思われる。

 しかしそれでも、NSXが叩き出したタイムは8分16秒15。GT-Rのタイムを6秒差で破り、国産最速の座に輝いたのである。


~Attack 03. 964 Porsche 911 turbo~

 そして、NSXによるアタックから1年が経過した1991年9月20日。91年のモデルチェンジでさらなるパワーを手に入れたポルシェターボを持ち込んで、世界最速の座を掛けたアタックが敢行されたのである。

 速い――!

 GT-RやNSXと比較して、明らかに「速い」のである。いや、スピードそのものは変わらないのかもしれない。しかしポルシェターボの加速感は、他の2台と比べて圧倒的なのである。

 それもそのはず。ポルシェターボの3300cc空冷式水平対向6気筒SOHCターボエンジン・『M30』は最大馬力320ps、最大トルクは45.9kgにも及んでいるのだ。 「280ps/36.0kg」のGT-R、「280ps/30.0kg」のNSXとは段違いの出力である。

 しかも、それだけのパワーユニットを、トラクションにおいて非常に有利となるRRレイアウトにマウントしているのだ。

 その加速力はまさに暴力的。どこからでもどのようなシチュエーションからでも、画面の奥へ奥へと突進してゆく……!

 黒沢のステア操作も、他の2台とは明らかに異なり忙しない舵角修正を要求されている。しかし、「扱いにくい」とされるポルシェターボを黒沢は見事にてなづけてみせた。

 高速コーナーでは、リアヘビーの重量配分からくるヨーモーメントが、リアを外へ外へと持って行こうとする。RRはリアがブレイクしてからスピンに至るまでの過程が非常に早いのだ。映像からでも振り子のようにリアが振られる姿が見てとれる。

 だが黒沢は、グリップさせることすらも難しいであろうコースを、後輪をわずかにスライドさせる程度ので抑え込みながら、プロスキーヤーのシュプールのようにタイヤ痕を描いてブラインドの奥へと消えてゆく……

 リアタイヤを縁石に乗せてしまった時ですら何事もなかったかのように、繊細、どこまでも繊細な修正で最低限のロスに留めてしまうのである。それも軽く時速100kmを超えるハイスピードでだ。

 ただ、ポルシェ911はタイトコーナーを苦手とするようで、強バンクコーナー「カルッセル」のコーナリングスピードにおいて、他の2台に比較して若干の遅れを見せた。

 だがポルシェは、その世界最高のストッピングパワーとトラクションを武器に、何処からでも鋭く止まって見せ、どこからでも鋭く立ち上がって見せた。

 そして最後のストレートでは、290km/hを達成。ストレート途中において工事中であることからスピードダウンを余儀なくされながらも8分8秒73のタイムを弾き出し、国産最速の2台を完膚なきまでに叩きのめして量産車世界最速の座に返り咲いたのである……


「クルマの本性を全て曝け出すニュルブルクリンク。今回、比較したGT-R・NSXはポルシェにタイム的には敗れたが、その動力性能・ハンドリングは既に肩を並べるレベルまで達していることが分かった」

「ポルシェを破る日本車、その日はもうそこまで来ている。量産車世界最速を掛けたチャレンジは、これからがさらに熱くなる……!」



 ……あのスーパーアタックから、20年の時が過ぎた。

 MR2、スープラ、アルテッツァ、レクサスLFA。インプレッサ、ヴィヴィオRX-R。ランサーエボリューション。NSX、NSX-R、S2000。スカイラインGT-R、GT-R……

 20年の間に、ニュルを駆け抜けた日本製スポーツカーは数え切れない。

 2011年には、世界で最も過酷な耐久レースとされる「ニュルブルクリンク24時間」に、トヨタ・レクサスLFAとスバル・WRXが参戦。LFAは見事に完走を遂げ、WRXはクラス優勝まで果たした。

 今やニュルを知らない自動車メーカー、クルマ好きは探す方が難しい。しかしその反面、「ニュルブルクリンクのラップタイムこそが全て」などと考えるメーカー・ユーザーが現れて来たのもまた確かな事実である。

「スポーツカーは後輪駆動のNAでこそ。四駆やターボは速く走る為だけのものだから好きではない」

 ニュルブルクリンクの開拓者・黒沢元治は常々語っている。

 黒沢元治のドライビングの真髄は、クルマを速く走らせることだけではない。「クルマ」と「道」を楽しむことにこそあるのである。

 ニュルと闘うのではなく、ニュルを味わい楽しむ。あれだけの路面変化と路面からの入力を全て把握し、「路面とクルマ」と一体化出来たなら、ニュルに勝る楽しい「道」は世界中の何処を探しても見つからないだろう。

 そして、4本のタイヤを通じて「道」を楽しむには、後輪駆動のNAであることが必須である。そう黒沢元治は伝えたいのではないだろうか。

 黒沢元治が富士グランドチャンピオンレースで戦っていた頃、黒沢のチームでメカニックを務めていた一人の男がいた。その人物の名は成瀬弘。後にトヨタのマスタードライバーとなり、「マイスター・オブ・ニュルブルクリンク」と世界中から賞賛されることになる男である。

 成瀬弘は生前、次のようなことを述べていたと言う。

『今までのMR2(※SW20型のこと)はね、僕はストラットサスペンションの持ち主としては世界一だと今でも思っています。ハンドリング、ステアリング、乗り心地と、ニュルのコースで乗ってもヨーロッパの道でもそれらのバランスでは極めてよく出来ているクルマですね。
 ターボはね、やっぱり足が負けてるとこがある。認めるよ。でもNAだったら本当に世界最高だってば。一緒にニュルを走ったポルシェも『なんでこんな安いクルマがこんなに走るんだ』って感動してたから』

 ……余談であるが、SW20型MR2とポルシェ911はドライブフィールがよく似ていると言われる。そこに、どこか黒沢元治とポルシェ911の組み合わせ。そしてニュルアタックを透かして見ることは出来ないだろうか?

 MR2は、路面の環境変化をダイレクトに受けるクルマの一台である。そして、MR2をパートナーとして選んだ者ならば、ステアリングを通じて日々のドライブの中にも路面のアンジュレーションを味わい、楽しむことを無意識のうちに知っているであろう。

 単に絶対的な走行安定性や絶対的な加速力。絶対的な操安性があることが、必ずしもクルマの楽しさに繋がるとは限らない。

 「クルマ」と「道」と「人」が限りなく一つになる一体感。それこそが、日本車に欠けていると言われて久しい「クルマの味」なのであり。そしてニュルブルクリンクが、ポルシェが、MR2が、黒沢元治が、成瀬弘が、ベストモータリングが“日本”に教えてくれたことなのではないだろうか――?

 創造、限りなく。

 日本車とニュルブルクリンクの対話は、まだ始まったばかりだ。



Posted at 2011/07/26 15:33:12 | コメント(8) | トラックバック(0) | ベストモータリング | 日記
2011年06月15日 イイね!

また、夢をみる ~BestMOTORing, again~

 筑波サーキット、午前8時。
 シグナルタワーが仕事場と頑張る編集長がスウィッチを赤にON。睨み合うドライバーと編集長。
1秒、2秒……青のスウィッチを跳ね上げる!
 猛獣が一団となって1コーナーへ向かう。ドドッドッ。

「Oh, My God!」

 正岡は月に1回、確実に祈る。3月6日、午前8時10分、外気温は4度。その朝も敬虔に祈った。


     ――ベストモータリング内封“リトルマガジン”1995年5月号「ドキュメント『筑波バトル』」より



 本日より、「みんカラSPECIAL BLOG」にて。「音羽の古局長」こと、正岡貞雄先生のブログが開始されました。

 正岡貞雄先生とは、講談社出身の雑誌編集者で。「ベストカーガイド」(現・ベストカー)の創刊に尽力され、初代編集局局長に就任。

 その後、ビデオマガジン「ベストモータリング」の創刊にも奔走され、2&4モータリング社初代社長に就任。ならびにベストモータリング初代編集長を務められたお方です。

 ブログタイトルは、「ベストモータリングを創った男のブログ つれづれなるままにクルマ一代」。かつて正岡貞雄先生が執筆されていたベストモータリングの回顧録「ベスモ疾風録」をさらに発展させ、掘り下げたもの……とでも言えば良いでしょうか。


 て言うか、もうそろそろバラしてもいいかな……。一部のみん友さんは既に御存じでしょうし、ベストモータリングの公式ブログである「ベスモ・ブログ」(5月31日で閉鎖、現在閲覧不能)内で、局長こと正岡さんもチラリと書いてましたので気付いてる人もいるかもですが。

 霧島が「みんカラ」で書いたベスモのレビューがきっかけとなり、何故かベスモ初代編集長の正岡貞雄さんと御縁が出来まして……色々と勉強させて頂いている所です。

 霧島が急に「主査 中村健也 ~日本を造った男~」なんていう誰も読まないであろう小難しいブログをまとめだしたのも、正岡貞雄先生から中村健也主査についての御教示を頂いたからなのでございます。

 ……まぁ自分が偉大な先人と「知り合い」になったからどうって言うのは全然無いですけどね。別に自分がエラくなった訳でもスゴい訳でも何でもないし(汗)


 別に霧島は、自分のブログで何かを主張するとか活動するとかそういうつもりは全然無いし、PV稼ぐとかランキング狙うとかも目立つとかも逆に死ぬほどキライだし。のんべんだらりと好きなことを好きなように書いて来ましたよ。

 クルマの話を中心に自分が日々感じたことや知ったこと、気になったことを自身のデータベース的な備忘録としてまとめておいて。それを他の人が読んで「面白い」と言ってくれたらそれはそれでやっぱり嬉しいし、自分の知らない事を他の方が教えてくれたらそれはありがたいこと、なんて考えながら書いております。

 今まで、MR2の歴史に始まって222DだとかMID4だとかスタリオン4WDだとか。MR2のあること無いことをダラダラと小難しくて理屈っぽくて長ったらしい文章として、超が付く程の自己満足で書き殴って来たけれども。

 まぁそれはそれで、一応は自分の努力が認められたと言えば認められた。報われたと言えば報われたのかね、と。ちょっとだけ感慨深い。

 霧島は、元はと言えばライトノベル作家を志してただけに、「文章」と言う所から見出されたのは「書き続けて来て良かった」と、何だかホッとしましたかね。


 正岡先生がおっしゃるには、霧島が書いたブログ――ベストモータリングの「R33GT-R広報車事件」のブログを読んだのがきっかけで、みんカラへの参戦を決めた、と言うようなことも書かれておられます。……いやまぁ恐悦至極で恐縮しまくりなんですけど……(滝汗)

 
 別に自分は、正岡先生の太鼓持ちするつもりも無いし、「取り巻き」みたいなのも大キライだけど。やっぱり自分もベストモータリングにはクルマの楽しさと魅力とカッコ良さを散々教えて貰ってきたわけですよ。

 だったら、正岡先生が充実した「みんカラ ライフ」を送れるようにするのが、我々ベスモファンの使命であり、せめてもの恩返しであるかな、とか思ったりもするわけです。

 霧島のみん友さんにも、ベスモファンの方やコレクターの方。ベスモ読者の方が数多くおられます。是非とも、正岡貞雄先生のブログを一読してみて欲しい。

 日本車と日本自動車雑誌の変遷と共にあり続けて来た正岡貞雄先生が、どのような光景を見て、どのような情熱を以て“クルマ”と。そして多くのクルマ好きたちと接して来たのか……


 いつの時代も変わらぬ、我々クルマ好きたちの“本質”が、きっとそこにある筈だから――


Posted at 2011/06/15 17:29:38 | コメント(3) | トラックバック(0) | ベストモータリング | 日記
2011年05月06日 イイね!

ベストモータリング・1996年1月号 『全開バトル特集! 1.6L 『ライバル対決』 最終戦!!』

ベストモータリング・1996年1月号 『全開バトル特集! 1.6L 『ライバル対決』 最終戦!!』 昨日。都立程久保高校野球部の女子マネージャーである、宮田夕紀さんがお亡くなりになられました。

宮田さんは身体が弱く、一年前より入院生活を続けておられました。そして、病床の床にありながらも、程久保高校野球部員たちとの面談を行うなどの活動を続け、部員たちからのの信頼は絶大なものでありました。

 しかし、甲子園予選の準決勝が終わった夜。決勝戦を目前として急逝されました。心より御冥福をお祈り申し上げます。

 いや、まぁ。「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」の話なんですけどね(汗)

 しかし……「けいおん!」が終わり、マミさんがマミられてから生きがいを失った霧島に生きる希望を与えてくれたのは紛れもなく宮田さん(cv 花澤香菜)の存在でありました……嗚呼、神は無慈悲だ……わたしはこれから何を糧に生きて行けは良いのか……!(爆)

 て言うか。現実にみん友さんが不治の病で冒されて入院してるから、人ごとではないんですけどね……

 ……それ以外にも昨日は踏んだり蹴ったりの日で。霧島もリアルでエライ目に遭いまして……まぁ 今日は出勤拒否の人とか、電車が急に停まったとかあったんじゃないですかねぇ……連休明けとか5月病とか関係なしにorz

 おまけに国から「税金払え!」ってな封書が来たので開けてみたら。昨年の秋に全損させてしまったⅢ型NAがまだ生きていることになっていて驚愕してみたりと、本日はもうやる気のカケラもございませぬ。

 まさに放心状態、やる気ナッシング。鬱です、冗談抜きに。こんな状態で小難しい話ばっかり書いてたらソウルジェムが浄化し切れなくなるので、「空の境界 伽藍の洞」でも観賞しながらベスモのレビューでも書くことにしませう。

 後ろに写ってるのは知る人ぞ知る「ブルヴァール」の公式同人誌……ヤフオクでマイリスだけしといて敢えて落札せず。1000円を500円まで値切ってから落札した一品。他の号、誰か持ってたら譲っておながい。

ベストモータリング・1996年1月号

 ベスモの1996年シリーズには、神号が多いのは周知の事実。その先陣を切ったのがこの96年1月号ですな。コンテンツはこんな感じですたよー↓

・「インテグラRが主役か!? 真剣勝負!! 筑波無差別級バトルロイヤル」
・「全開バトル特集 登場NEWミラージュ&ランサー 1.6L『ライバル対決』最終戦!!」
・「編集部内部抗争!? 元祖『実戦インカーバトル』ミラージュカップで勝負でござる!!」

 てな感じです。まぁ、この3つのバトルは、どれもこれもベスモの歴史に残る名バトルばかりですな~。

 まず一つ目の「筑波無差別級バトルロイヤル」。1995年10月16日、ホンダが満を持して送り出した“FFフォーミュラ”ことインテグラタイプRが遂にデビューした。

 当然ベスモでも、先月号である95年12月号にて筑波バトルにインテRを持ちこんだ……のだが。バトル一周目にして、土屋圭市の駆るインテRの側面に、黒沢琢弥の駆るインプレッサが追突してしまい、あえなくリタイアとなってしまう……

 「JTCC事件」と名付けられたこの事故。「バトルをやり直せ!」と言うハガキが編集部に山のように届いたとか届かなかったとかで、ベスモではインテRの再バトルを行う。このバトルに集められたのは……

・HONDA DC2型 インテグラタイプR 3ドア (土屋圭市)
・MAZDA FD3S型 RX-7 タイプRバサースト (大井貴之)
・NISSAN R33型スカイラインGT-R V-Spec (中谷明彦)
・TOYOYA JZA80型 スープラ RZ-S (黒沢琢弥)
・HONDA NA1型 NSX (服部尚貴)
・PORSCHE 911 カレラ2 (黒沢元治)

 ……と。1.8リッターNAのインテに対し、その他はスーパーカーだったり280psのハイパワーターボだったりと、格上のマシンばかり。

 天気は薄暗い曇り、筑波のコンディションは「かなり滑る」セミウェット。また、黒沢元治が担当したポルシェが、コーナリング中に2速のギア抜けが起こる症状が出ているなど、不穏な空気の漂う中、バトルは始まった……!

 ロードコンディションは最悪。インテが、セブンがリアをスライドさせてしまう中、インテグラタイプRはストレートこそ他のハイパワーマシンに“わずかに”見劣りはするものの、コーナリングスピードに至っては、ホンダのフラッグシップであるNSXを追い立てる程の性能を見せた……!

 駄目押しに雨まで降りす始末。路面の悪化に苦しむハイパワー車たちに対し、インテRはさほどラップタイムの落ちを見せずに安定した走りを見せていた……

 そして、再び事件は起こった。

 最終ラップ、トップを走っていた黒沢元治のポルシェの3速が入らなくなってしまっていた。最終コーナーのコーナリング中にも、突如としてミッショントラブルが発生、黒沢元治はポルシェを思わず右へと寄せる。しかしそこには、ポルシェのインを刺した中谷GT-Rが居た……!

 とっさにステアを右に切り、ポルシェとの接触を避ける中谷明彦。しかしコース外のグリーンへ飛び出し、GT-Rは大きく挙動を乱す。

 目の前に迫ったガードレールを避けるべく、ハーフスピン状態からの大カウンター。ただでさえ重量のある33Rである。しかし中谷は暴れる33Rを抑え込み、ピットロードとコースを区切るグリーン上を走り抜け、クラッシュを回避。それどころかポルシェを抜き去り、見事にトップでゴールしたのである。

「中谷さんすご~い!」、「さすがレーシングドライバー!」。大絶賛する服部尚貴と土屋圭市。黒沢元治も、「中谷が自分の全てを出し切ってマシンを抑えた。立派だったよ」と称賛を送った。

 当の中谷は「勘弁してくれよ~」と溢しつつ、焦りの色も全く見せない。ましてや、その神業的緊急回避テクニックを誇ることもなく、普段と変わらぬクールなままで冷静的確にインプレッションまでこなしたのであった。

 ……この事件は、ベスモ関係者・視聴者間においてベスモ屈指の名シーンとして記憶され。長らく語り草となっている。

 そして、これがきっかけかどうかは不明であるが。後にベストモータリングスペシャルにて「中谷明彦の死なない運転テクニック」が発行されることになったのである。


 おっと、「伽藍の堂」が終わった。藤乃が可愛かったですね、ごちそうさまでした。では次は「俯瞰風景」で……


 2番目のコンテンツである「テンロク王座対決」。長年、三菱が発売してきたミラージュ。その新ミラージュがコンパクト化して登場した。

 同じテンロクであるEK型シビックSiRⅡ、AE111型トレノ。そして、テンロクセダンであるランサー、シビックフェリオ、スプリンターマリノを交え。テンロク王座決定戦の火蓋が切って落とされた!

 筑波バトル以外でも、ゼロヨンやジムカーナでテストが行われ。ジムカーナテストではトレノを駆る大井貴之副編集長が、百戦錬磨のジムカーナチャンピオンたちを相手にトップタイムをマークしたりと見所も多い。

 筑波バトルを制したのはもちろんシビック。セダンクラスにおいても、やはりシビックが勝利した。後のインプレでは、皆が口を揃えて「シビックシビックシビック」とのたまうシビック無双となってしまった程である。

 しかし、あえてスプリンターマリノを押した中谷明彦や、トレノを押した大井貴之のコメントも見逃してはならないポイントである。主役であるミラージュは……「トレノは2~3年前の足、ミラージュは5~6年前の足」と評されるわ「ルノーカルタス」だとか意味不明な評をなされて可哀そうになるぐらい……

 ミラージュは……ミラージュはやれば出来るいい子なんだよ! 今でも学生の間では大人気の一台だよ!……たぶん(滝汗)


 「なるほど……確かにこいつは魔的だ……」。嗚呼、名言ですなぁ。書店員時代、霧島があれこれ工夫して、カラキョウを売りまくったのは良い思い出である……


 そして、この号の極めつけは、最後の「ミラージュカップで勝負でござる!!」である。

 侠(おとこ)を売ると言う極道の掟に従い、任侠の道を歩み続けてきた「辺須紋組」……。時に1996年、「辺須紋組」の組長である正岡貞雄は、まもなく還暦を迎えようとしていた……。

 「2代目組長となるのは誰なのか?」。それは口には出さずとも、誰もが気になる所であった。
 
 有力後継者候補は、代貸・大井貴之と、同じく代貸・田部靖彦……

田部 「アトメヲツグノハ、ダレガエェンカイノゥ?」
大井 「それは……実力のあるモンと決まっとるでやんしょ」
田部 「ジツリョクイウテモ、イロイロアルカラノゥ」
大井 「なら……速さで勝負じゃッ!」
田部 「ノゾムトコロヤネ。 エッへッへッへッ・・・!」

 そう。組長の座を狙う二人の間で、遂に跡目抗争が勃発したのである……!


 まぁ実際。ベスモの正岡貞雄編集長も後継者問題については頭を悩ませていたようで。それを鋭く察知した田部編集次長と大井編集次長が提案した企画がコレであった。

 そんな小芝居と共に、95年のミラージュカップ・最終ラウンドである富士スピードウェイで、次期編集長の座を賭けた決戦が行われることになった……。

 田部靖彦は、元々は中谷明彦を目標としてレーサーを目指していたと言う。一度は就職した旅行会社を辞めてまでバイトをしながらレース活動を行っていた所を正岡編集長にヘッドハントされた人物である。

 田部は古くからミラージュカップに参戦しているベテランであり、もちろん優勝経験者。91年のミラージュカップ・雨の富士ラウンドでは多重クラッシュに巻き込まれ、前歯を折る重傷を負ったとかなんとか。

 対する大井貴之は、元はと言えばベストカーの名物編集員。ベストカーガイド時代にも、 おバカな 個性的な企画を連発し、黒沢元治から呆れられていたと言う逸材である。

 大井はベスモに移ってからも、八面六臂の活躍を見せ。キャスターとして黒沢元治や中谷明彦と共にバトルに参加するまでになった人物である。ミラージュカップへの参戦経験は少ない物の、優勝経験もあり、過去の富士ラウンドではポールポジションを2回獲得している凄腕である。


 しかし、富士には、田部・大井を凌ぐミラージュカップのベテランたちが数多く集っていた……。そしてその中には、かつてF1レーサーにまで推された中谷明彦の姿までもがあった……

 中谷明彦は、元はと言えば「カートップ」の編集員であり、カートップ時代にはバトル形式のカーインプレッションを提案・実現させるなどして活躍していた。

 後に独立してレーシングドライバーとなって間もない頃に正岡編集長に見出され。ベスモ創刊号よりキャスターを務め、ベスモの筑波バトルの立役者ともなった日本自動車界屈指の理論派ドライバーである。

 そして実際。「将来レースを引退したら貴方が編集長をやればいいんだよ」と正岡編集長から声をかけられたこともあると、先日カミングアウトしている……

 このままでは大井・田部どころか。編集長は中谷明彦に? などと言う中、予選が始まった……!

 ストレートの長い富士スピードウェイでは、いかに他車のスリップストリームを使うかがタイム短縮のカギとなる。大井・田部は、あまり乗り気でない中谷を巻き込んでスリップを使いあう約束をする。

 途中、大井がその連携に失敗して「大井! てめぇは汚いやつだなぁ!」と中谷にどやされながれも予選は終了。中谷は8位、大井は19位、田部は20位からの決勝戦となる。

 決勝戦は15ラップ。が、しかし……途中、大井は第一コーナーでインから他車に当てられコースアウト。すぐに復帰するもタイヤのバーストで8周目にリタイア。

 中谷明彦は、一時4位まで食い込むも、これもタイヤバースト。10位に終わる。途中、中谷が発した「ぶつけんじゃねーよ、ヘタクソ!」は、いつも冷静な中谷の内に潜む闘争心が現れた名言であろう(爆)

 そして、田部は無事に完走を遂げたものの17位……。途中、メインストレートの走行禁止であるイエローゼブラゾーンを走ってしまって呼び出しを喰らい、厳重注意を受けたそうな……


……
………

大井 「わしゃ、あのまんま行っときゃ6位に入れたのに……クソッ!」
田部 「シカシ、レースハチェッカーウケントナ? ショウブアッタワ。ワシガクミチョウツグキニナ、イッヒッヒッ…・…」

 その時だった。突如ガラリと襖が開き、子分を引きつれた人物が二人の前に姿を現した。

大井&田部 『なんやぁ!?』

 ズッこける二人。二人の前に立ちはだかった男……その人物こそ辺須紋組組長・正岡貞雄であった……!


 結局。正岡編集長は後継者を、大井編集次長にも田部編集次長にも指名しなかった。

 正岡編集長は、「編集は黒子に徹するべき」との信念の元、有望株であった大井貴之を「編集長に据えることは、キャスターとして、レーシングドライバーとして大きな人気を得ている大井を黒子とすることは、本人の為にならない」、として大井には編集長の座を譲らなかった。

 そして田部靖彦に関しては、ホットバージョンの編集長となることが決まったのである。

 まぁその辺は……正岡貞雄編集長の回顧録・「ベスモ疾風録」を読んでくれぃ。





 嗚呼、いつのまにやら「俯瞰風景」も終わって、「痛覚残留」で藤乃と式が殺し合いを始めてるよ……橙子さんのクルマはポルシェでいいのかね?ググっても出て来ないorz

 また、この号のリトルマガジンには中谷明彦がFRとMR2にについて語っている記事があるので、MR2乗りにはそれも嬉しい。その辺りは昔「MR2の功罪」ってブログに書いたっけねぇ。

 ベストモータリング96年1月号……これもまた歴代ベスモの中でも屈指の面白さと奥深さを誇る一本である。

「まがれぇええええええええええええええええええええええええ~!」

※決して、ハリボテエレジーのアレでは無い。
Posted at 2011/05/06 17:45:37 | コメント(10) | トラックバック(0) | ベストモータリング | 日記
2011年04月26日 イイね!

さよなら、ベストモータリング

さよなら、ベストモータリング本日、4月26日。ビデオマガジン「ベストモータリング」の“最終号”が発売となりました。


創刊号である1987年12月号から数えると、実に283本目でありました。



 「ベストモータリング」創刊の立役者となったのは、初代編集長にして2&4モータリング初代社長を務めた正岡貞雄氏でありました。

 元々、正岡貞雄氏は講談社にて論壇誌「現代」の編集長も務めておられましたが、その後、講談社と関東圏の中古車販売業者とのジョイントベンチャーとして、おそらく日本初となるであろう自動車雑誌創刊の責任者を務めることとなったお方です。

 その自動車雑誌とは「ベストカーガイド」。すなわち、現「ベストカー」のことです。

 ベストカーガイドにおいて正岡氏は、創刊以前から「間違いだらけのクルマ選び」で日本自動車界を震撼させていた徳大寺有恒氏や、1974年の富士スピードウェイにおける大事故の責任を押し付けられてレース界から事実上の抹殺を受けた名ドライバー・黒沢元治など、後に日本自動車界の重鎮となる逸材を世に送り出します。

 正岡氏自身も1981年、「クルマを理解する近道はサーキットランにあり」として、45歳にしてA級ライセンスを取得し、「富士フレッシュマンレース」を始めとして数多くのレースに出場します。その正岡氏のレースにおける指導役となったのはもちろん黒沢元治氏でした。

 そしてそんなレース活動をビデオで記録し、レース後に黒沢元治邸にて再生しつつ指導を受けることとなった。その中において正岡氏は映像媒体の持つ訴求力に魅せられ「これからの自動車メディアは映像だ」と思い立ったそうです。

 すなわちこれが、日本初の自動車ビデオマガジンとなった「ベストモータリング」の発祥なのです。


 ベストモータリング創刊にあたって正岡氏は2&4モータリング社を立ち上げ、ベストカーガイド時代に培った実績や人脈を活かして自動車メーカーの協力を取り付けるなどはもちろん。レーシングドライバーとして独立して間もない中谷明彦の才能を見出しキャスターへと起用するなどの先見性も発揮されました。

 また、当時はまだまだ高価なものであったビデオ媒体を、たった1480円で販売するなどの大きな決断もあり、「ベストモータリング」は創刊号より高い売り上げを見せます。

 それ以外においても、グループAに参戦してまだ数年であった土屋圭市の起用や、後にF1ドライバーに推されることになる服部尚貴。
 
 ベストカーガイドにおいて個性的な企画を連発していた大井貴之や、後のホットバージョン編集長となる田部靖彦。ニュルブルクリンク24時間にレクサスから出場することなる清水和夫など。多くの個性的なメンバーを招集、育成、輩出することとなりました。


 一時はベストモータリングも売り上げ減の憂目を観たそうですが、後にベスモの目玉となる「筑波バトル」の企画立ち上げによってブレイクすることとなりました。なお、このバトル形式を提案したのは中谷明彦であったとも言います。

シルビア、180SX、フェアレディZ、ロードスター、SW20型MR2、FD3S型RX-7 、インテグラタイプR、シビックタイプR、インプレッサ、ランサーエボリューション、スカイラインGT-R。そしてNSX……筑波バトルに登場したスポーティカーやスポーツカーは数知れず。

 多くの事故や事件もありましたが、映像によってそれらをリアルに伝えたことによる緊張感と臨場感から、ベストモータリングは大きな人気を博しました。

 そして、1996年を以て正岡氏が編集長の座を退いた後もベスモDNAは長らく受け継がれて行きました……


 ……しかし。やがて出版業界と自動車業界は斜陽の時代を迎えます。多くの出版社が倒産し、自動車の売り上げも低迷……休刊する自動車雑誌も現れて来ました。

 本来、雑誌とは広告費によって成立するものです。しかしながらベストモータリングはスポンサーの影響や圧力を受けずに「真っ直ぐな主張」を貫くために、90年代後半よりコマーシャルのコーナーを削減・撤廃する方針を採っていました。

 講談社において「週刊少年マガジン」クラスの雑誌ですら苦境に立たされる時代。広告収入に頼らずジャーナリズムとして純粋であり続けようとしたベスモが、どれだけの逆境に立たされることとなっていたのか……?


 ……そして、遂にベストモータリングも「休刊」の時を迎えることとなりました。

 雑誌における「休刊」とは事実上の廃刊を意味します。兄弟誌であるホットバージョンも同じく休刊し、2&4モータリング社自体も解散することとなります。

 ファイナルバトルにおいて招集されたのは、「フェラーリ430 F1 RSD」「シボレーコルベットZR1」「ポルシェ911 GT2 RS」「日産GT-R」「レクサスLFA」……

 場所は富士スピードウェイ。収録には、正岡貞雄氏を始め、中谷明彦氏、大井貴之氏など。かつてのキャスターやスタッフが駆け付けたと言います。

 ファイナルバトルがどのようなものであったのかは――ここでは書かない。いつの日か、レビューを書く日も来るかも知れないが、今がその時ではない事は確かである。

 
 かくして、ベストモータリングは24年の歴史に幕を下ろすこととなりました。

 何らかの形で復活する形では企画が進んでいると言う話もあるが、この時代……果たしてそれが実現するかどうかなどは――

 「若者のクルマ離れが悪い」のか「乗りたいクルマを造らないメーカーが悪い」のか。はたまた「面白い企画を立てられなかったベスモが悪い」のか……そんなものは水掛け論に過ぎない。

 確かなことは、ベストモータリングが一つの使命、一つの時代を終えたと言うことであろう。ならば、我々が言うべきことなどは決まっているのではないか。

 「ありがとう」
 「お疲れさま」


 これから、日本自動車界に暗黒の時代が訪れることだろう。それらに対して、不満も山のように無いわけではないが、不平ばかり言っていても始まらない。

 これからの自動車社会を切り開いて行くべきは、かつて存在した「ベストモータリング」のスタッフたちでは無い。

 次は、自分たち若い人間が、クルマの魅力を次の世代に伝えていく番であると。それが今まで散々楽しませて貰っていた自分たちの責任であり義務であろう。

 「クルマが好きで好きでたまらない」者達が「クルマが好きで好きでたまらない」者達に贈り続けてきたベストモータリング。

 ベスモに関わった全ての人々の血と汗と涙に最大限の感謝と称賛の言葉を。

 
 「また、いつの日か――」

Posted at 2011/04/26 18:36:38 | コメント(5) | トラックバック(0) | ベストモータリング | 日記
2011年04月19日 イイね!

ベストモータリング&ホットバージョンが休刊!?

ベストモータリング&ホットバージョンが休刊!?「Best MOTORing」と、その増刊号である「Hot Version」が、休刊になるらしいです。一昨日、知りました……

ベストモータリングは、1987年10月の創刊以来。自動車ビデオマガジンの先駆として新車……特に“スポーツカー”を何処よりも誰よりも早くテスト&インプレッションし続けて来た雑誌でございます。

 数年前、ニコニコ動画にベスモが“違法”アップロードされてた時代がありました。恐らくそこでベスモを初めて見た人も多いと思う。そして自らの愛車が、憧れのクルマが颯爽と筑波サーキットを駆ける姿に魅せられてベスモファンになった若い人は多いハズ……

 なお。画像は、ベストモータリングの創刊号とホットバージョンの創刊号です。


 まず初めに。、今回の休刊騒ぎに関して。何故かベストモータリング編集部からの公式なアナウンスは未だに全く見当たらないのですよ……そんな中でベスモ&ホットバージョンが『休刊』になると言う情報源と言えば……

 ベストモータリング編集部・山田栄一郎氏(と、思われる人物)が3月3日にtwitterで「月刊自動車DVD『ベストモータリング』が4月発売号をもって休刊、ツー・エンド・フォー・モータリング社は5月末日で解散することとなりました。」 と、呟いたことに端を発しているかと。

 ホットバージョン休刊についても、同アカウントで呟かれています。

 あとはベスモキャスターを務めるレーシングドライバーの服部尚貴さんがAmebaブログにて、「先日、富士でベストモータリングの最終ロケが行われました。」と、書いてることぐらいかね。

 あくまでも“噂”の域を出ないが、最終号は富士スピードウェイを舞台にレクサスLFA、日産GT-R 2011モデル、ポルシェGT2 RS、コルベットZR1、フェラーリF430 RSDのバトルが行われるらしい。

 最終ロケには、大井貴之・元副編集長や、かつてのベスモキャスターである中谷明彦さん。そして、ベストモータリング創刊に尽力された正岡貞雄・初代編集長も駆け付けたそうな……

 ソースはよく分からん。ツイッターの使い方とか見方とか霧島はよく分からんし……


 そして、これまたtwitterでは、『2&4製作としては最後ですが、また違った形での復活を計画中です!』 と言う情報が流れてたから、ベストモータリングとホットバージョンはどこかの会社に身受けされることになるのかもしれんけど……

 とにもかくにも。公式のアナウンスが全く無いのですよ、これは非常に非常に困ったことです。慌てて昨日、ベストモータリングの2011年5月号を買って来たけど、休刊とか廃刊とかは一言も出て無かったですしね……

 まさか一編集員のtwitterが公式発表なんてことはあるまい。まぁ、恐らく今頃は、最終号の編集作業とオフィスの撤収作業で忙殺されているのだとは思うけれども……


 ここ最近は自動車雑誌自体が明らかに経営が苦しいようで、走り屋雑誌では『カーボーイ』が月刊から季刊になったし。『J's Tipo(ジェイズティーポ)』も休刊になったのは記憶に新しいですね……

 『カーボーイ』と言えば、某みん友さんのおかげもあって昨年のTMCJ白樺湖オフを取材に来て下さった雑誌ですし。『ジェイズ』は、ネオヒストリックアーカイブスシリーズとかもあって、ボーイズレーサーやスポーティカー&スポーツカーを大事にしてくれてた雑誌だったんですけどね……

 『RX-7 FD3Sに男4人。エアコン禁止&ウィンドウ開放厳禁、真夏の東京→広島ロングツーリング!』なんて遊び心満載の企画をやってたのはジェイズティーポだったねぇ……他にも『フェアレディ乙(おつ)』だとか『ホンダ・52000』だとかもあったかねぇ(笑)

 自動車雑誌と言ったらぶっちぎりの「ベストカー」と次位の「カートップ」。この2大雑誌ばかりが有名だけど、「CAR and DRIVER」とか「driver」もけっこう面白いんだぜ……

 「ニューモデルマガジンX」は昔ほどの過激さが無くなっちまったかね……。他にも「モーターファン」系のムックはめっちゃ勉強になりますしね!

 それはともかく。今の御時世で「自動車雑誌」それもビデオマガジンを引き受けてくれる男気溢れる会社なんてあるのかね……「オ●ション」傘下に入ったりしたら泣くよ?(笑)

 そもそも出版業界自体が右肩下がりですからな……あの講談社ですら、あまり経営がよろしく無いと言う話も昔からチラホラ聞こえています……

 霧島は書店員時代、『雑誌の休刊とは、事実上の廃刊である』と、聞かされた記憶がありますし、あまりベスモ復活は楽観視してないのが正直な所です。


 あと2~3年もすれば。トヨタからはFT-86やGRMN Hot hatch Concept。ホンダからはCR-ZやCR-Zのガソリンモデル。マツダからはコンパクト化して原点回帰するND型ロードスター。

 それにプロジェクト再始動の噂もあるNSX後継やシルビア後継など。ライトウェイトスポーツカーが続々と登場することが期待されていただけに、それを取り上げてくれるベストモータリングが無いのはとても寂しいことです。

 ……とは言え。まだ最終号も出てないし。今後の展開についても発表されてないので、「ありがとう」も「お疲れさまでした」と言うのもまだとっておきたいですし、何とも言えない所が多いのはもちろん、文句ばっかり言ってても始まらん。

 それに我々も、いつまでも自分の父や祖父に「おんぶにだっこ」して貰っている訳にはいかないのも確かです。今まで自分たちは散々、ベスモにはクルマのカッコ良さと、そして何よりも楽しさを教わって来たわけです。

 ならば次は、自分たち若い人間が、クルマの魅力を次の世代に伝えていく番であると。それが今まで散々楽しませて貰っていた自分たちの責任であり義務であると思うのですよ。

 ……つっても。具体的に何が出来るかと言われたら、「・・・」なんですけどね(汗)

Posted at 2011/04/19 17:27:50 | コメント(6) | トラックバック(0) | ベストモータリング | 日記

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