
ニコニコで、茂木淳一実況によるカオスな競馬ゲームを観ていたと思ったら、いつの間にか『首領への道』を観る羽目になったと言う謎。
一本あたり約20分×約4本×25巻とか言う、ガ●ダムも驚きの超大ボリューム……今現在、25巻のうち5に入った所で鉄太郎とかつて兄弟の杯を酌み交わした金沢が12年振りに網走から出て来たと思ったら、大阪の十三を舞台に血みどろの争いを繰り広げんとしている所……
つか、マジで面白くて困る……。おかげで寝る時間もお休みの日も全部飛んで行くのぜ……。てか、。年内に全部観られるのだろうか!?(笑)
越智にゃん、コワいよ越智にゃん。
まぁ……社会に出てからというもの。短気ですぐキレる自己主張ばかりが強いヤクザもんみたいな50・60のオッサンに手を焼いてたのだが、もうこのVシネマ見たら全部納得ですわ……。そーゆー時代にそーゆー映画ばっか見て育ったからあんな風になったのね……。
どこぞの知事が言う通り。やっぱりフィクションが青少年に与える悪影響は多大だね、おぉ怖い怖い(違)
まぁ冗談はともかく。
家の中で山と積まれた『ベストモータリング』を観ていたらですよ。96年の1月号がちょうど、ベスモ組の幹部・大井と田部が次期組長の座を賭けて、ミラージュカップで“戦争”を繰り広げるという内容……
……じゃなくて(汗)
ベスモに封入されている“リトルマガジン”にて、95年の東京モーターショーに出展されていたコンセプトカーについて。ベスモ編集部と中谷明彦の対談が載っていたのですよ。
ちなみに対談のタイトルは『FRスポーツの時代は来るのか!?』です。そして、その一節に中谷明彦のこんな発言が……
『MR2にせよ、NSXにせよ同じ。フェラーリの355とかさ、ああいう本物のミッドシップにきちんと乗れば、挙動が解りづらいとか唐突にケツが行くとかなくって逆にドリフトしてるのがものすごく楽しいし、おまけに限界は高いし……
トヨタがMR2をしっかり作ってミッドシップの良さがしっかり出ているセッティングであれば今みたいにFRという声は出てなかったと思う。そういう意味ではMR2の功罪は凄く大きいよね。』
時に1995年。ミラージュサイボーグ、シビックSIRⅡ、レビン/トレノ、スターレット……
あらゆるスポーツカー・スポーティカーがFF化の道を辿り、もはやライトウェイトFRと言えば、マツダのロードスターと日産のシルビアを残すのみ……
ただしベスモにおいて。S14シルビアはこれでもかという位にボロクソに言われ、NBロードスターにも微妙な評価が下されています……。特にS14と日産に関しては、土屋圭一が、S14が不憫になるぐらい酷評してます……自分もS14に乗ってるのにね(汗)
そんな時代だからこそ、モータースポーツ好きの間では、FRを待望する声が高まっていた、と。
そして迎えた95年のモーターショー。そこで発表された各社のFRコンセプト。その中に果たして“本物”はあるのか!? てなことで行われた対談だったワケです。
ちなみに95年のモーターショーで発表されたコンセプトカーと言えば、マツダの『RX-01』、そしてホンダの『SSM』がありました。つまり、RX-8とS2000なワケです。
他には、左右輪の駆動力をコントロールする『アクティブヨーコントロール』や、アクチュエーターでキャンバーをコントロールする新技術なども、発表されていました。
しかし、『スポーツならFRじゃなくてミッドだ』と言う信念(?)を持つ中谷明彦は、ホンダのコンセプトには『期待したい』と述べるものの、全体的には『元々どのメーカーもFRを作っていた。ミッドシップを新たに作るならゼロからだが、FRならばリバイバルさせて、後はセッティングの問題だけ。テクノロジーを謳うコンセプトカーとしては見劣りする』と、述べるに留まっています。
そして、冒頭の『MR2の功罪』発言が出てくるワケです。
90年の1月号ではベスモ初登場のⅠ型のテストを担当し、Ⅱ型登場時も、ジムカーナテストを担当。Ⅲ型登場時には筑波バトルでMR2を担当。SW20の進化の歴史をベスモキャスターの中でも真っ先に体感して来た中谷明彦の中では、MR2に対する期待というのは大きかったのかもですね。
ちなみに、ベスモ91年5月号『FF vs FRどっちがエライ!!』の中で中谷明彦は、『(性能や楽しさ、腕を磨くにはどっちが良いか云々において)、FRとかFFとか、そんなのはあまり関係が無い』と認めつつも、『FFは嫌い』と言ってのけてます。
理由はFFは、『フロントが駆動して舵も担当して、リアは荷重を支えるだけ。バランスが悪い』だとか(笑)
この辺りの冷静かつ割り切った分析が、『とにかくFR!』と言って憚らず、『仕方なくS14に乗ってる』とか言ってしまう土屋圭一とは違った魅力でしょうね~。
それはともかく。
ただ……ねぇ……MR2に、フェラーリクラスの完成度を求めるのはさすがに……ねぇ。NSXですら、『RRに近い』と言ってしまってるのに(汗)
ちなみに当時のMR2は、SW20の完成形と言われる“Ⅲ型”が登場して3年。MR2生産中止の噂も囁かれていた時代でした。(Ⅳ型・Ⅴ型の登場を予測しない人々も少なくなかったようです。実際、注文限定生産になったし……)
ただ。FF、FFへと向かう潮流の中。ミッドシップ、そして5ナンバーのミドルクラスという世界でも稀なスタイルをあえて選択し続けるMR2に。
そして、初期の頃の酷評をあっという間に覆し、一貫した容姿のまま、進化と進歩を続けたMR2に対し、特別な感情のようなものを持っていたのは、中谷明彦だけではなかったと思います。
FR全滅時代において、中谷明彦がMR2に託したかったモノとは一体なんだったのか……
……そして、その驚異的な性能を以って万人を驚愕させ、震撼せしめるDC2型インテグラタイプRが登場したのは、ちょうどこの96年1月号が製作されていた頃のことだった。
同時に。ベスモにおいて2リッター最速の一角であったMR2は斜陽の時代を迎えるのである――
(……なぁ兄弟。このブログの落とし所はこんなもんで良かったんやろか?)
(……まぁええんとちゃう?)
↑ブ●ーポップの後書き風のつもり
Posted at 2010/12/27 21:29:34 | |
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MR2 | 日記