
行って来ましたよ~トヨタ博物館。
昨日は、スープラ発売25周年の日と言うことで『トヨタ車両開発講演会・“スープラ開発裏話”』が開催され、A70スープラ最終マイチェン・およびA80スープラ開発主査である都築功先生の講演があったのですよ!
いやもうマジで良かった、最高でしたよ。
スープラと言えば古くはセリカXXの流れを汲み、トヨタのフラッグシップとして君臨してきたマシンであり。その中でもA80型スープラと言えば、トヨタ2000GTと並んでトヨタがスポーツカーと呼称することを許した唯一無二のクルマなのですよ。
登場当時、クラス世界最強となったSW20型MR2をも超える“スポーツカー”として開発されたクルマなのですから、MR2乗りとしてもA80型スープラには興味津々なのでございます。
そしてその開発主査を務められた都築先生と言えば、日本初のミッドシップ車AW型MR2や、伝説であり幻のグループB仕様MR2“222D”の開発にも携わったお方なのですよ!
講演会自体は昼の2時からだったのですが。みん友さんでGTO乗りのえるすさんが来られることや、博物館内を見て回ったり図書室でMR2の資料を物色することも考えて。また、講演会の定員が120人だと言うのに60台以上のスープラが押しかけてくるという情報も得たことから、朝10時到着を予定。
朝の6時半過ぎ。高校時代の同級生を乗っけて奈良を出発。途中の名阪国道でカルガモ走行してる3台の70スープラを追い抜かしつつ、『絶対に目的地は同じだな……』と思ってみたり。
亀山で高速に乗ってからは、運転を完全に同級生に任せてのんびり横乗りを楽しもうと思ったら、SW20のあまりの助手席の乗り心地の悪さに改めて気付かされたりで、何だかんだで3時間弱で到着したような……
トヨタ博物館に到着後。新館に入って館内にひっそりと飾られているポップを同級生に見せて、『これがプロトタイプMR2だ!』と力説してみたりしてたら、やがて見覚えのあるGTOがお出ましに……
真紅のボディに、スクープ付のワイドフェンダーと大迫力のリアウィング。極めつけはボディサイドにあしらわれた『Little Busters Extacy』のカラーステッカー
そう、これがえるす氏の中期型GTOでございます。もうこのGTO……1度見たら2度と忘れんですよ……。ちなみにピンクっぽく写ってるのはカメラのせいです。実際にはまさに不夜城レッドな赤色です。
フロントに235(確か)のタイヤとかSWだと信じられんですよ……。マフラーも、2本出し自体は、SWだったら珍しくないですけど、径がありえんぐらいにデカくて握り拳が余裕で入るんですよ(汗)
もちろん、えるすさんにも御対面。平成生まれの10代でGTOで痛車とか。どんだけ凄いんだとか思ってましたが……いや、精悍な顔した青年でしたよ……黙ってりゃ女の子(※注:生身ね)にももてるだろーに……いわゆる『残念なことになってるイケメン』みたいな感じでしたかね(爆)
……しかし最近。18の免許未取得なのに先走ってGTOを買っちゃった残念な子もいるのだとか……『期待の新人・将来は不安』。いやもぅGTO乗りパネェっすorz
そして、3人でトヨタ博物館・本館へ……もう盛り上がるのなんのwww
全然、名前も知らん古い外国車見ながら、あれやこれやで大爆笑ですよ。外国車の階でそうなのだから、日本車の階へ行った時にはもうテンションがおかしかったような……。
まぁいい所1時間ぐらいで回れるかと思ってたら、2時間半ぐらいかかりましたよ。て言うか2人とも詳し過ぎです。ここ最近でやって来た来館者の中で、一番盛り上がってた自身ありますぜwww
おかげで写真もほとんど撮ってないし、結局、図書室に行くの忘れてたと言うorz
気が付いたらもう1時。講演会会場の入場も始まってたので、席取りしておこうかと思ったら、外に大量のスープラが……てなことで、外に出てスープラを見て回ることに。
いやぁ……ヤバいですね……スープラ……。ただでさえダイナミックで迫力あるデザインなのに。みんなさらにさらにワイドボディ化したり、トゲトゲしたエアロ付けてみたり……。拳が入るマフラーなんてザラでしたよ(汗)
TRD3000GT仕様から、ヴェイルサイドエアロ、トップフューエルのエアロも居たかな? ガルウィング化スープラに痛車仕様。70だ逆輸入車の左ハンドル仕様とかもありましたね~。他にも5ナンバーのスープラがあることを初めて知りました。
もう……みんな金のかけ方がハンパ無い……。これに比べたらMR2のオフなんてどれだけ慎ましいか(笑)
そんな中アレコレ見てたら、どうも見覚えのある初老の男性がスープラの大群を見て回ってる……。もしやと思って『都築先生ですか?』と聞いたら『先生じゃないけど都築です』とのお答え。
『スープラじゃなくてMR2に乗ってるんですけど、確かMR2の駆動系開発とかグループB仕様MR2の開発も担当されたんですよね?』と聞いたら、その通りとのこと。『今日も少しだけそれについて話すけど、(MR2に乗ってると聞いた時点で)やっぱりそれを聞きに来たんだと思った(笑)』との御言葉(汗)
一つだけ質問。『グループS仕様のMR2が存在するという噂があるのですけど、本当なんですか?』と聞いたら、『グループBのはエンジンを縦にしたり横にしたりで色々やったけど、グループSの時には自分はスープラに移ってたから知らない』とのお答えを頂きました。
まぁ、後々の講演の話と総合して考えると。やっぱりグループS仕様のMR2と言うのは実在はしないみたいです……。つまり、222DをグループS仕様と呼ぶのは間違いである、という確証が持てましたよ!
30分前に会場に入ったら、席の大半が全て埋まってる……。席を捜してたら、一番後ろの関係者席に座ってた都築先生が自ら空いてる席を案内して下さると言う……(汗)
ちょうど席が真後ろだったので、サインも頂きました。
霧島秘蔵のコレクションの一つ。『トヨタビデオカタログ スープラ』ですよ! ちなみにNAのSZに6速MTモデルが登場したときのビデオカタログも持ってます☆
いやもうこれは家宝ですよ……
講演が始まった時には、立ち見の人もけっこう居ましたね~。知ってる話も有りましたが、色々と初めて聞く話も多かったですよ~。
都築先生は1944年・刈谷出身。トヨタではスープラ以後、なんとファンカーゴ・ラウム・bBの開発主査も担当されていたとか……それは知らんかった。『自分はトヨタの中では変わった人間だったから、変わったクルマを担当させたら面白いのではないかと、上は考えてこういった車の担当になったのではないかと思っている』そうな。
最初の30分はトヨタの“開発主査構想”についてのお話でした。トヨタでは、主査と呼ばれる役割の人にある程度の権限と責任を付与し。そして主査が車両開発のコンセプトや開発の過程をまとめるという形式が取られおり、今では他社も同じような形式ですが、当時としてそういう開発形式をとっていたのはトヨタぐらいだったそうな……
初代MR2の開発に駆動系担当として携わった後。まだ課長の立場でありながらも役員直轄でラリーカーの4WDターボ仕様MR2の開発を担当したそうな……。そしてグループB消滅後、行き場を失くしてSW20開発に有馬和俊主査の元で下働きをしていた、と。
そんな中、スープラ最後のマイナーチェンジの開発を担当する際。3リッターから2.5リッターに排気量を下げたにも関わらず、国内最強の280馬力を達成。レカロのシートやビルシュタインのショックアブソーバーなど、マニアックな部品を標準で装備することにしたそうな。
そして、来る80スープラでは兄弟車のソアラがハイソカーからスポーティ指向に変わったことから、スープラをソアラと被らぬよう、もっともっとスポーツ志向に振ってみたらどうかと指示されたとか。そして『300km/hで手放し運転出来る直進安定性と、コーナリングで意のままに操れる性能』の両立を目指したそうな……。
……そんな中。『直線で安定性の高いクルマと言うのは、コーナーでは曲らない』とおっしゃった時、隣の隣に座ってる某・GTO乗りの人が何やら難しい顔して重々しく頷いてたようなw
はじめに『スポーツカー』について考えていく際。居並んだ10数人のエンジニアの中で『私に任せなさい。自信がある』と言ってのけた人物がいたそうです。それが、故・成瀬弘さんだったそうです……
スープラ開発にあたり都築先生は、アメリカの映画に倣い“トップガン”を選出。彼らは、レーシングドライバーよりも速く走れるテクニックを持ち、メカニズムの機構と仕組みと実際の影響を把握することが出来、それの改善策までも指摘できる。『出来る・分かる・言える』を兼ね揃えた人材だったそうです。
その中心となったのは、もちろんマスタードライバーの成瀬弘さん。トップガンたちは、『5mmのスキマでドリフトで抜けた』とか。『普通では分からない左右コーナー挙動の違いを言い当てて。調べてみたらやっぱり、ブッシュの硬度が片方だけ柔らかいとか空気圧が片方低かった』とか、数々のエピソードがあったそうな。ちなみに成瀬弘さんなどは、1000分の1Gの違いまでも身体で感じ取ることが出来たそうです。
基本、スープラのトップガンと言ったら、3名だったと雑誌で取り上げられますが。なんか4人の顔写真が出てたなぁ……名前覚えてないやorz ちなみにレクサスLFA開発の時、成瀬さんはトップガンについて『トップに自分がいて、その下に3人。その下に5人の計9人』って言ってましたね。この体制の始まりとなったのはスープラ開発がきっかけでした。
スープラは、基本的にソアラのプラットフォームを流用して製作するよう指示されていたそうですが、この成瀬弘さんからリアサスペンションは独自のものに変更するよう指摘を受け。わざと挙動の違いを誇張したビデオを作成し、役員達にプレゼンテーションで説得して5億の予算をつけてもらったそうな……
都築先生は、昨年ニュルブルクリンク近くで事故死された成瀬弘さんについて。心底残念そうに語っておられました……
ちなみにスープラのテストは、トヨタ本社・東富士・士別のテストコースはもちろん。海外ではニュルブルクリンク。国内では筑波サーキットやスポーツランドSUGOでも行われたそうです。
開発途上のエピソードとしてはトランスミッションの話や、トラブルの“スポイラー事件”と“タイヤ事件”の2つを語ってくれました。
スープラの6速MTは日本初の6速MTですが。運転手付きで後部座席に座ることが当たり前。たまに運転してもオートマばっか。と言う役員の方々から『5速だって使わないのに6速なんて要らない!』と猛反対を喰らったそうな……
まぁ、『セリカの時『日本初の5速MT!』と売り出したメーカーなのだから6速だってトヨタが一番であるべき』、と必死に説得して、ゲトラーグの6速MTを載せることになったそうな……。ちなみにゲトラーグ、トヨタのミッションを作るアイシンよりも、小さな会社だそうです。
なお、話の中では無かったですが。正確には日本初5速MTはトヨタ2000GT。そしてセリカの5速MTを担当したのは都築先生だったんですよね。
そしてリアスポ。スープラは元々、リアスポイラーの無い状態で設計されていたのですが、高速時のさらなる安定化を図ってスポイラーを新設計。そして、あの巨大なリアスポが完成した……のですが。
あの巨大さがあまりにも派手だと言うことで、運輸省への認可がなかなか下りず。下りると思って先走って開発を進めていたら、ラインオフの一ヶ月前に『認可が下りないかも』と言う連絡があったそうな。すでにトランクに穴をあけた状態で製作が始まっていたりして、ここで認可が下りないと、ドえらいことにいなる。てなことで生きるか死ぬかで悩んだそうな……。
結局、なんとか説得して、記者発表の日に実際に乗ってみて貰って決めることに。『ダメだったらどうするんだろう?』と思う中、エライ人たちがやって来て、『これか!』とスープラに実際に乗ってみた後、何も言わずに帰ったそうな……
スープラのリアスポ。デカいけど、前後から見て全然リアガラスの視界を遮らんのですよね……。一重にそのおかげだったそうでございます。
『タイヤ事件』。スープラでは当初40扁平タイヤの装着を目論んでいたものの、『トップのメーカーだから我慢しろ!』てな御言葉で運輸省の認可が下りず。当初は輸出仕様のみ40扁平になってしまったそうな……
雑誌では『45扁平タイヤはターボのスープラでは脆弱。45のままスープラを出したのは早計』と散々非難されたそうですが。都築先生は『ターボ失くしてスープラ無し。どのみちサーキットを走る人はブレーキもブレンボだとか何やらにみんな変えるだろう』と考え、45扁平のままの発売を決定。決して40認可前に45扁平で出したのは間違いでは無かったと思っているそうです。
……ちなみに。『某社が3000GTというクルマで日本初の45扁平の認可を受けたから、今度は40はトヨタが一番。その申請の過程を調べて、必要な期間は1年だと分かった』とおっしゃってましたが、これまた隣の隣が大笑いしてましたね~。3000GT、つまりGTOの輸出名ですww
そんなこんなで80分が過ぎ、全然時間が足りない感じで御座いました。まとめとして今でも都築技師は『あのタイミングであんなクルマを作ってもよかったのか? あの時が本当に旬だったのか』と悩むことがあると語っておられました。
最後に、質疑応答の時間も設けられ、『北米でスープラの商標が再申請されたことについて』とか『何故に前期ではミラーに電格機能がなかったのか』とか質問がなされてましたね~
霧島ももちろん質問しましたよ~。『80スープラが発表された時。都築先生として、本当はここをこうしたかったとか、もっとここを煮詰めたかった、という所はありますか?』、と。
都築先生、『だから先生はいいって』と笑いながら。『ソアラのプラットフォームの使用しなければならなかったのが残念で、リアサスペンションの新開発はせめてもの抵抗だった』と答えられました。
そしてもう一つ。『今のLFAの様に本当はトランスアスクルを採用して前後の重量配分を改善したかった。これもソアラのプラットフォームを使用しなければならなかった為』だったそうです。
最後のトランスアスクルの話を聞けた時、思わず霧島はニヤリとしましたね~!
絶対的な時間が足りなかった為、尻すぼみ的な感じに収束した講演会でしたけれども、大満足ですよ。本当は質問の時『222Dと成瀬弘さん』について質問しようと企んでたんですけどね~
講演会終了後。一緒に写真も撮って貰いましたよ、えるすさん、シャッターありがとうございます。
何故か肩まで組んで下さると言う……マジで恐縮です(汗)
意外と、サインとか貰う人はいなかったですね~。そう言えばファンカーゴのパンフレット持って来てサイン貰ってる人もおられました。ちなみに↑の写真、都築先生がスーツに付けておられるバッヂはbBのロゴでした。なお、都築先生、今はプリウスに乗っておられるそうな(笑)
その後は、えるすさんのGTOでご飯食べに王将へ。
GTOのリアシート……まさに座敷牢です。SWの後ろとあんま変わらないんじゃないですかwww
しかし、GTOのインパネはカッコいいですよ……。スープラのインパネもいいけど、GTOのあの絶壁は素晴らしいですよ~。
エンジンも、あの重低音……さすが3リッターツインターボ。2リッターNAには出せない音ですね~。トルクが鬼だから加速も凄いし、1.7トンある巨大なボディがびっくりするぐらいキビキビ動くんですよ! 誰だ、GTOはダメなクルマとか言った奴はwww
『GTOを悪く言う人は、絶対にGTOに乗ったことが無い。乗ってみたらこんなに良いクルマなのに。GTOに乗れれば、どんなクルマだって乗れる』
とは、えるすさんのお言葉です。いや、マジでそう思ったw
まぁ、テールランプ外すのに、50本ぐらいネジを外さないといかんというのは、機械屋の三菱的にどうかと思いましたが(笑)
あと、このGTOに乗ってると。すれ違う人やらクルマやらが。みんなこっちの方をジロジロチラチラ見て来るんですよ。何ででしょうね~?(爆)
そんなこんなでホント楽しかったです。
スープラとGTOがマジで欲しくなる、そんな一日でした。