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霧島のブログ一覧

2011年10月27日 イイね!

久しぶりのダイエーモータースさん

久しぶりのダイエーモータースさんつうわけで久々に行って来ました、ダイエーモータースさん。もう言うまでも無く、日本でも数少ないMR2の専門店でいらっしゃいます。

ダイエーさんには去年の夏にⅢ型のエンジンオイルの交換に行って以来です。その2ヶ月後にⅢ型を全損させてしまってからと言うもの、Ⅴ型でもあんまり行こうという気力も起きず……

 しかし、昨今。Ⅴ型があれこれバランスがおかしかったり色々なもので。ちょうどエンジンオイルの交換もあったので行ってきましたよ。

 結果は……いやぁ、もうアレコレ一発でした。散々考えても調べても分からんかったことが、尋ねる所かチラッと見てもらった瞬間に答えが帰って来るのですよ。さすがは専門店……プロってやっぱり凄いんですね(汗)



 まずはスタビリンク。車高が上がってからというものの長さの調節が上手くいかず、結合部が外れたり。あるいは「歪み」が溜まり溜まってだんだん重くなったり軽くなったり……・。とりあえず「スタビリンクがゴニョゴニョ」と言うと、

「これ、テインのスタビリンクですね。足を戻したら純正のスタビリンクに戻さないとダメですよ」

 テインの車高調を付けてたと申告する前にテイン製だと看破。長さについては「短い」らしいです。てっきり長過ぎるものだと思って調整してたのにね(汗)

 次にブッシュ。先日、TRDのブッシュに打ち換えて貰ったのですが、リアのストラットロッドのブッシュがサイズが合わない!? みたいなことを車屋さんから指摘されまして……。

「大丈夫、合ってます」

 あれま、大丈夫だったのね。ちなみに「ブッシュは別に換えなくても大丈夫なものだと我々は考えています」、だそうな。要はブッシュの打ち換えするお金で換えるべき所がある、てなことだとか(滝汗)

 ショックアブソーバー。KYBのSuper Special for STREETが抜けてるっぽい。カートリッジ式なんで、カートリッジのみの交換を考えてたものの、出来る筈なのに「出来ない」とも言われたりもしてたのですが……

「減衰は抜けてる。カートリッジ式のショックだけ交換することも可能。昔、KONIのでやったこともあります」

 もう一回カヤバってのもありだとか。純正はやっぱりお高いそうですorz

 ブレーキの利きが弱い気がする。

「基本的にはパッドによる所が大きい。ただ、パッド換えるならローターも換えた方が良い。ローターのおススメはディクセル、性能は純正並・価格は純正より安い。なお、ABS装着車は非装着車に比べてブレーキの利くポイントがペダルの奥の方になってる、それはしょうがない」

 し……知らんかった……。ABS付きとABS無しでそんな違いが……。ブレーキマスターシリンダーストッパーも利くとのこと。ブレーキマスターシリンダー換えるなら、全部換えようねとのことoyz

「ボンネットのステーホルダ。ボンネットとエンジンフードのが逆にくっついてる」
「TRDのタワーバーも外してみたらいいんじゃないかな」
「ミッション、割った跡があるねぇ。LSDでも入れたのかな?」(※ない)
「ウォーターポンプ、換えてあるかどうか分からないって?」
「ところで、冷却水ちゃんと換えてある?」

 いやぁ……なんかもう散々ダメ出しされて帰って来ましたよ OTL

 とりあえず今回は資金の準備も無いのでエンジンオイルとミッションオイルの交換だけで終わり。その後は工場から事務所へ戻って雑談。

「富士チャンピオンレース、優勝おめでとうございます」
「あれも結構前のことですねぇ」(※去年)

「どっから雨天未走行車輛とか見つけて来るんですか?」
「いやぁ……たまたまですよ」

「MR-S、増えてますね」
「最近また入れるようにしてます。MR-Sも速いですよ、下手したらMR2が食われます」

「11月20日にトヨタ博物館でオフ会あるんですけど、来ませんか?」
「20日はレースですねぇ、富士の最終戦」

「昔、モモコルセアペックスが来てましたよ」
「まだ残ってるでしょうねぇ」

「Ⅴ型NAって、吸気がDジェトロから旧式のに戻ってません?」
「NAのエンジンだけはエアフロに戻ってますよ」

「ぶっちゃけ赤ヘッドってチューンしたらどれぐらい出るんですか?」
「一概には言えないけど、2Lのままならいいとこ220~230psぐらいじゃないですかね」

「C-O●E、潰れましたねぇ」
「tr●stやAP●Xiは立ち直ったけど、C-●NEはダメじゃないかなぁ」

「北海道のア●クスポーツさんがデモカーをバラして売ってますね」
「あ~ウィンドウとか出てますね」

「千葉のサンブリさん、また復活しましたね」
「工場を移転して再開したみたいですね」

「この店っていつからあるんですか?」
「15年前からです。MR2を専門にやりだしたのは13年ぐらい前」

「ところで新居浜の人のGT-S、オイル下がりで白煙噴いてるらしいですよ」
「それは聞きたくない事を聞いてしまった(汗)」
「でも元気にしてるみたいです」
「それは良かった」

 とか(爆)

 MR2の専門店ってことで、色々と面白いクルマも見られましたよ~



 Ⅴ型のGT。それもベージュマイカメタリック!

 ベージュマイカはTMCJオフとかでも滅多に見ないんですよねぇ……。しかもGTでこのお値段は買いですねぇ。



 お分かり頂けるだろうか?

 まさかまさかのMRスパイダー、それもⅣ型ベース!  MRスパイダーの中でも一番タマが少ないとされるⅣ型スパイダーですよ。世界に7台だっけ? Ⅴ型ベースより少なかったんじゃないかと(8台)。

 昔ダイエーさんに、Ⅴ型ベースのスパイダーがありましたねぇ。て言うかあのⅤ型スパイダー、ハイパーレブのムックにも載ってたアレでは(汗)

 他にもなんと左ハンドル仕様のSW21のⅡ型とか入庫してましたよ。カバーが掛かって見られなかったですけど。オーナーさんが北米で乗ってた車体で、日本に持って来てレストア中だそうな。

 しかし、やっぱりダイエーさんは専門店だから、どうしても「敷居が高い」って言うイメージがあるんですよねぇ……。それを言ったら「それは悲しいですね……」だそうな。

 まぁ元が中古車ショップだから、別にMR2に限らず、どんなクルマでも診てくれるそうな。ちなみに社長さんはベンツにも乗ってるそうな。

 ただ、霧島がダイエーさんは良いなと思ったのはチューニングをあまり薦めないことですかねぇ。

 ダイエーさん自身はレースでも実績があるし、オリジナルのパーツ(けっこう高い)も製作してる。でも、まずはノーマルありきってことで下手にいじるよりは純正状態で乗ることを薦めるショップなんですよね。霧島もⅢ型の時、ノーマルに戻すの薦められましたよ。

 いずれにせよ、世界でも希少なMR2専門店。これからも長く続いて行って欲しいもんです。


 おまけ



 頼まれ物のダイエーモータースさんのオリジナルパーツのパンフレットです。コレ、ダイエーさんのホームページにも基本的には載ってないんですよね……

 何部か貰って来たので、トヨタ博物館オフででも、欲しい方がいたら差し上げます。
Posted at 2011/10/27 20:57:21 | コメント(15) | トラックバック(0) | MR2 | 日記
2011年10月25日 イイね!

探し物はなんでっか?

探し物はなんでっか?最近、少し予定が詰まり過ぎて軽くぶっ倒れてた。もう睡眠なんて、ほとんどクルマの中でしたよ……やっぱりMR2は寝辛いのでーすー。

んで、MR2。スタビリンクの長さを調節してもらったものの、やはりステアリング周りの調子がよろしくない。

最初はハンドルも軽いのだけれども、しばらく走ってるとやたらと重くなって来て(重くなると言うよりもものすごい勢いで反発してくる)、全切り出来なくなる。

それでも無理して切り込むと「ゴンッ」とか言う衝撃と共にステアが切れる。フロントタイヤが一瞬、横にスライドするような感覚も……

 調整してもらおうにも、純正の長さが分からんからなぁ……つうことで純正スタビリンクを探しに解体屋ですよ。

 結果から言えば、幸か不幸か今回はSW20は見つからんかったのですけどね。こないだまであったⅢ型GT-Sも、もう処分されてたしorz

 つうことで、解体屋で見かけた面白い(?)クルマでも……



 マツダ・ユーノスプレッソ。AZ-3との違いがよう分からんが、ユーノスのエンブレムが付いてたしプレッソでいいでないの? しかもMT車。つかプレッソとか初めて見たし……。

 ちなみにこのプレッソ。だいぶ前に見た奴なので、もう今は無いです。



 これだけだと車種がよう分からんけど、Z30型のソアラ。

 型式名から察するにJZエンジンが載っていた模様。1JZか2JZかまでは確認せんかったですけど、既にエンジンはハイエナされてますた。

 スカイラインとかも、大抵はエンジンが持ってかれてるなぁ。やっぱり需要があるんだろうねぇ。こないだ見たターボのSW20の3S-GTも無かったし……

 

 嗚呼……遂にこの代のセリカも解体屋に流れるようになったか……ZZT230型セリカ。

 でも、もぎ取らせてくれる気無さそうな車体だったから、海外に輸出するのかもね。つか一時、ST202セリカを大量に見たのだけど、今は全く。カレンとかもホントに沢山あったのにね、今はさっぱりです。



 Z32型フェアレディZ。32Zは、常時3~4台は解体屋にありますねぇ。そして何故か大概はオートマのTバールーフ仕様。

 しかしこのZは珍しくMTモデルだったかな?



 そしてこれが噂のVG30DETTツインターボエンジン! 国産史上、初の280psを達成した名機ですねぇ。

 32Zは数多くあれど、VG30DETT搭載モデルってのはあんまり見かけないのですよ。でも、やっぱりVGエンジンは取り外すのが大変なのか、それとも需要が無いのか、いつも残ってますねぇ。チューニングベースとしてはイマイチなのかね?



 出た! マツダの黒歴史 古き良き時代の栄光の証、ユーノスコスモ! よく考えたらコスモとか初めて見たような……・。

 ひょっとしたら伝説のロータリー・20Bが拝めるかと思ったのですけれども、残念ながら13B搭載モデルでした。



 いやでもしかし、コスモ……笑っちゃうぐらいに内装がゴージャスですよ。GT-Rエゴイストもビックリのオールタン色。コスモの運転席なんて滅多に座る機会ないですよwww



 んで、今回の極めつけ。FD3S型RX-7……しかも京都府警のパトカー仕様……

 いやぁ、FC3Sなら嫌って言うぐらいに解体屋で見かけるのですけど、FDを見たのは初めてでしたねぇ。その手のクルマは、海外に輸出されるからっぽいらしいですけど。

 このFDも、さすがに日本では売れないので海外に輸出するそうな。嗚呼、モッタイナイモッタイナイ……ちなみに後ろのバンが履いてるのはタイプRのホイールだったりする(笑)

 でも良く考えたらFDでもZでもGT-RでもNSXでもGTOでもパトカー仕様が存在するのに、MR2のパトカー仕様って無いですよねぇ……まぁ別にいーんですけど。


 今回は天気も悪かったし時間も無かったから、あんまり綺麗な写真が撮れなかったねぇ。

 解体屋のおばあちゃんとも喋ったけど、最近は解体屋もパーツ単位でのばら売りはしなくなってるとのこと。 目ぼしいクルマは海外へ輸出。バラ売りするにしても、モギトリ方式では無くてネット通販で売る販売方式が増えてきているそうな。

 平日であることや雨上がりであることを差し引いても、今回の解体屋行はお客さんが少なかった。もう秋も終わりやね……

Posted at 2011/10/25 15:30:03 | コメント(10) | トラックバック(0) | 解体屋 | 日記
2011年10月21日 イイね!

「スープラの系譜」 第06回 ~「JZA」 70から80へ~

「スープラの系譜」 第06回 ~「JZA」 70から80へ~2011年2月19日。その日は、A70型スープラの発売から20年目にあたる日であった。

トヨタのフラッグシップ=スープラ。その20周年を記念して、愛知県は長久手のトヨタ博物館に全国各地から60台にも及ぶスープラが集まった。

フルノーマルの70型や80型はもちろんのこと、TRD3000GTを始めとするフルエアロ仕様からガルウィング化スープラ。痛車に逆輸入車の左ハンドル仕様スープラ。今となっては珍しい5ナンバーのスープラまで。多種多様なスープラが押し寄せた。

そんなスープラの大軍の中を歩く、一人の初老の男性がいた。男性の名は都築功。都築こそが、和田明広・岡田稔弘と言った名主査たちの跡を継ぎ、70型スープラの開発主査に就任。さらにはトヨタが名実ともに「スポーツカー」を名乗ることを許した唯一のマシン・「JZA80型スープラ」を造り上げた人物であった……

~都築功と幻のマシン=“222D”~

 1980年代も終わりに近づく頃のことである。都築はクサっていた。

 何故か。都築がリーダーとなって進められていたビッグプロジェクトが突如として中止になってしまったからである。

 都築は愛知県刈谷市出身。名古屋大学工学部卒業。さらに大学院にて修士課程を修了後、1969年にトヨタ自工へ入社。駆動系の設計開発部門に配属され、セリカに搭載された日本車初となる5速マニュアルトランスミッション(除く、トヨタ2000GT)の開発を担当することになる。

 ※なお、この時セリカの5速MT開発チームの中には「ハチロク」や「セラ」と言った名車を造り上げることになる金子幹雄がいた。

 都築は大学・大学院時代における専攻は空気力学。なかでも「境界層コントロール」と呼ばれる、空気が車体に沿って綺麗に流れず剥離を引き起こすメカニズムが研究テーマであった。

 大学時代の専攻とは全くかけ離れた駆動系開発に配置されながらも、都築は日本初の5速MT開発のみならず、「リバース阻止機構」と呼ばれる不用意にリバースにギアが入らないようにする機構を開発し特許を取得するなど目覚ましい活躍を見せていた。

 1975年には製品企画室へど異動となり、後に70型スープラ開発主査となる和田明広主査の元でコロナの設計開発に携わる他、1980年代には吉田明夫主査の元で日本初のミッドシップ車であるAW型MR2の駆動系開発も担当した。

 そんな都築に一つの指令が下される。それはMR2をベースとしたラリーカーの開発であった。

 1981年。FISA(国際自動車スポーツ連盟)は、1983年よりWRCのレギュレーションを新たなカテゴリーに移行することを決定していた。これが伝説の「グループB」である。

 『連続した12ヶ月間に20台の競技用車両を含む200台を生産すれば、20台の競技用エボリューションモデルを製作出来る』というグループBのレギュレーション。表向きでは幅広いメーカーの参戦をうながすものであったが、実際にはそれまで以上に高性能なラリー専用車の製作が可能となったのである。

 結果。このグループBカテゴリーにおいて、それまでの常識では考えられなかったようなマシンが、次々に登場することになった。世界中の自動車メーカーがWRCに送り込んだマシンたちは、この規定を最大限利用し、市販車の領域を大きく踏み越えたものであった。

 極めてレギュレーションの緩やかなグループBにおいて華々しい活躍を遂げていたマシンと言えば、大馬力のエンジンをリアミッドシップに搭載した『ルノー5ターボ』や『ランチア・ラリー037』。そして、世界初のフルタイム4WDシステムを搭載し、圧倒的なまでの走行安定性と悪路走破性を誇る『アウディ・クワトロ』であった。

 そして1984年にはプジョーがミッドシップレイアウトと4WDシステムの二つを併せ持つ究極のマシン・『プジョー205 ターボ16E1』をツール・ド・コルスより投入。ランチアやアウディを大きく突き離す、圧倒的なまでの性能を見せつけていた。

 『ミッドシップレイアウト+ハイパワーターボエンジン+フルタイム4WDシステム』。この組み合わせが、WRCの主流となり、また頂点に君臨するであろうことは、誰の目に見ても明らかであった。

 トヨタもWRC制覇を目指してセリカ・ツインカムターボで参戦し、それなりの戦果はあげていたものの、FRレイアウトのセリカではあらゆる意味で戦力不足の感が否めなかった。

 そんな中でトヨタは、セリカに替わる新たなWRCマシンの開発を決定。そのベース車輛として選定したのは、1984年6月に発売を控えていた日本初のミッドシップ車『MR2』であった。

 その開発リーダーに選ばれたのが都築功。まだ課長でありながらも都築は役員直轄でMR2のラリーカー開発を行うことになるのである。

 AW型MR2は、カローラ初のFF車であるAE82型をベースに造られたミッドシップである。都築はこれに、2000ccターボエンジンである「3S-GTE」を搭載。さらに、トヨタ初となるフルタイム4WDシステムを実装させる。それが幻のグループB仕様MR2=“222D”であった。


※トヨタ博物館所蔵の222D。2000年代初頭までテストドライバー育成の教材として使用されていた第二次試作車の12号車である。

 222Dは、エンジン横置きの第一次試作車。続いてエンジン縦置きの第二次試作車が製作される。

 222Dは、シルエットこそAW型MR2の面影を残しているものの、エンジン搭載方法を変更したことによりホイールベースは延長され、トランスミッションはパイプフレームに懸架されたエンジン後方に突出した形で設置される。さらに、オイルクーラーへの巨大なエアインテークがルーフに装着されるなど、もはやMR2からは大きくかけ離れた様相となっていた。

 最終的なスペックは全長3985mm、全高1880mm。ボディの大半はFRP製であり、重量はわずか1100kg。重量配分は47:53。

 フロント、195/65R16。リア、215/60R16の、当時、例を見ない前後異径タイヤ。 サスペンションは、MR2シリーズには最後まで採用され無かったダブルウィッシュボーン。0:100~40:60まで可変するトルク配分型フルタイム4WDシステム。

 リアミッドに縦置きにマウントされたエンジンの最高出力はなんと500ps以上、最大トルクはおよそ60kg/mを発揮していたと言う。

 1980年代のマシンとしては異常としか言いようのないスペックを有する222D。その性能に関しては諸説あるものの、世界最高クラスのパワーと走破能力を持っていたことは間違いない。そして実際、222D開発現場においても、222Dに対する期待の気持ちは大きかった。

 222Dの標的は、1985年の最終戦RACラリーよりランチアが投入した『ランチア・デルタS4』。

 鋼管スペースフレームとケブラー素材で構成されたボディに、スーパーチャージャー+ターボチャージャーの組み合わせで400psを発揮するエンジンをミッドシップレイアウトに搭載。

 その性能は凄まじく、モナコのF1コースにおいてエキジビション走行を披露した際には、下手なF1マシン以上のタイムで走行して見せたと言う。

 だが、デルタS4はあまりの高性能ぶりに、WRCのアイルトン・セナとも称されたヘンリ・トイヴォネン以外にその乗りこなせるドライバーが居ない程であった。

 ホモロゲーション取得の為の量産型222Dのパーツ調達も進められ、また、グループBに続くグループSに対応する222Dの構想も、まだ企画段階ではあるが始まることとなり222Dの開発は順調に進んでいたかのように見えた。

 しかし、222Dの運命を決定づける一つの事件が起きてしまう。

 1986年シーズンのツール・ド・コルス。SS18 コルテ-タベルナ。スタートから7km地点。トイヴォネンの駆るランチア・デルタS4がコースアウトし、崖下に転落。爆発、炎上したのである。

 トイヴォネンの『ランチア・デルタS4』は、車体側面を木の幹が貫き、炎上。サスペンションとパイプフレームだけを残し、マグネシウム製のホイールとケブラー、プラスチックで構成されたボディのデルタS4は、跡型も無く焼けて無くなった。

 ドライバーのヘンリ=トイヴォネン。そしてコ・ドライバーのセルジオ=クレストは死亡――

 事故現場は、ゆるい左カーブ。コースにはブレーキ痕が一切残っていなかった。事故原因は不明。ただ、この事故が。あまりのグループBマシンの性能の高さが一因となっているのは、誰の目にも明らかであった。

 この事故を受け、FISAでは緊急会議を開かれた。そして2日後には、1986年をもってグループBを廃止し、グループS構想も白紙撤回することを決定したのである。

 ――結果、222Dの開発は中止。都築が精魂を込めて造り上げたグループB仕様MR2は永遠にお蔵入りとなってしまったのである。


~JZAスープラの誕生~

 222Dの開発が中止となり、社内で行き場を失った都築は、有馬和俊主査の元でフルモデルチェンジを行うMR2の開発現場において“下働き”をしていたと言う。

 そんな都築の元に、新たな辞令が下りる。それは現行の70型スープラのマイナーチェンジ。そしてスープラのモデルチェンジの開発であった。

 こうして都築は1989年、A70型スープラ開発主査に就任することになった。

 222D開発中止の悔しさを都築はスープラへとぶつけることになる。

 まずは既存の7M-GTEエンジンnに替わり、70型スープラに新開発の2500cc直列6気筒ツインターボエンジン「1JZ-GTE」を搭載。国産最強の280psを発揮するまでにチューンナップする。これは、3000ccのZ32型フェアレディZや2600ccのR32型スカイラインGT-Rに比べて、最小排気量での280ps達成であった。

 さらに、222D開発で交流のあったドイツのビルシュタイン社のショックアブソーバーを70型スープラに導入。加えて、まだ今ほどには有名では無かったレカロ社のシートを標準装備とする。

 「スポーツカー」として開発が進められながらも、結局はスポーツカーを名乗ることを許されたかった70型スープラ。都築が70型スープラに施した改良は、「あくまでグランドツーリング」とされたスープラを「リアルスポーツ」へと磨きあげる為のものであった。

「だからRと言う名前を付けました。2.5GTツインターボRとね。GT-Rとしちゃうとスカイラインさんに申し訳ないもんですから」

 後に都築はこう笑ったと言う。

 1990年8月、JZA70型スープラが発売となる。



 グレードは全6種類。3000ccの7M-GTEエンジンがラインナップから消滅。完全に2500ccの1JZ-GTEがとって変わることになる。また、ワイドボディ装着車がメイングレードとなった。

・2.5GTツインターボリミテッド (1JZ-GTE、ワイドボディ)
・2.5GTツインターボR (1JZ-GTE、ワイドボディ)
・2.5GTツインターボ (1JZ-GTE、ワイドボディ)
・2.0GTツインターボ (1G-GTE、ワイドボディ)
・2.0GTツインターボ (1G-GTE、5ナンバーナローボディ)
・2.0GT (1G-GE、5ナンバーナローボディ)

 1991年8月には小改良が施され、リアシートへの3点式シートベルト装着やサイドドアビームの追加など、安全対策が図られることになる。(※グレードに変更なし)

 都築の手によって70型スープラはさらなる性能を手にすることになる。しかしモータースポーツの場においては16年ぶりに復活を遂げたスカイラインGT-Rが猛威を振るっており、それを止めることは最早誰にも叶わなかった。


 そんな中、都築は70型スープラの改良と同時進行で、次期スープラの構想を練り始めていた。それが「SPORTS OF TOYOYA」、JZA80型スープラであった……



(第07回に続く……)

参考文献:

省略。第3回までのを参照して下さい。

関連リンク:

「スープラの系譜」 第01回 ~スープラの系譜~
「スープラの系譜」 第02回 ~ソアラとスープラ~
「スープラの系譜」 第03回 ~70型のパッケージング~
「スープラの系譜」 第04回 ~トヨタ2000GT、そしてスープラ~
「スープラの系譜」 第05回 ~“トヨタ3000GT” A70型スープラ誕生~

トヨタ博物館 都築功スープラ開発主査講演会!

備忘録 11 「幻の日本発・ミッドシップ4WD」 その1 ~はじめに~
備忘録 12 「幻の日本発・ミッドシップ4WD」 その2 ~トヨタ・222D 第1回~
備忘録 13 「幻の日本発・ミッドシップ4WD」 その3 ~トヨタ・222D 第2回~
備忘録 14 「幻の日本発・ミッドシップ4WD」 その4 ~トヨタ・222D 第3回~
備忘録 15 「幻の日本発・ミッドシップ4WD」 その5 ~トヨタ・222D 第4回(終)~
Posted at 2011/10/21 13:39:14 | コメント(1) | トラックバック(0) | スープラの系譜 | 日記
2011年10月20日 イイね!

はらじゅく!

はらじゅく!意味不明に忙しい今日この頃。

先週は土曜日が夜勤で、日曜は夜勤明けで大阪直行の東方紅楼夢。さらに月曜日は東京まで日帰りで、帰ったら夜の11時ですよ……しぬるorz

 それでまぁトーキョーですよトーキョー、2回目の。前回、東京へ行った時は、東京駅周辺やら豊洲あたりに行ってたのですが、案外東京も普通の街だなぁとか思ったのが東京のファーストインプレッションだったわけでした。

 そして今回の打ち合わせは原宿であったのですよ、原宿。品川で降りて山の手線とか初めて乗りましたよ。大阪環状線以外にグルグル回る路線があったんですね!(爆)

 ……あと、京都→品川で新幹線の往復分の切符を買って。原宿駅で乗り越し精算しようとしたのはナイショ。帰りも原宿→品川の切符を買いかける所だったのはもっとナイショ。しらねーよ、23区内ならどこでも降りられるとか。

 で、原宿ですけど……すごく……都会です。いや、別に建物がデカイとか人が多いとかじゃないのですよ。そんなのは京都大阪と大差ないです。

 何が都会って、街ゆくおにゃのこがみんな例外なくすっげぇお洒落なんですよ。シャレオツって奴ですよ、なこちさん。皆、ファッション雑誌に載ってるような凝ったかわいらし~格好してんですよ、まぁファッション雑誌なんて読んだことも無いけどね。

 奈良はもちろん、京都や大阪でもこんな光景見たこと無いさぁ。名古屋でも無かったかね。「東京は若者文化の最先端」ってホントだったんだね! いやぁ、オラびっくらこいただ~

 他にも「ルイ・ビトン」だとか「タグ・ホイヤー」だとか「バーバリー」だとか。名前しか聞いたことの無いようなブランドの店がそこらじゅうに並んでるんですよ。ビトンって奈良ファミリーみたいなデパートの中にしかないんじゃなかったの!?

 昼食後は「ブルガリ」の喫茶でコーヒー飲んだんだけど……いや、店に入った瞬間、店員が皆一様にお高そうなスーツ来て、いかにも高級店って感じで構えて立ってるんですよ……。あんなのに比べたらレクサス店とかもはや×××ですよ。

 カフェに入っても平日の昼間だと言うのに、いかにも出来るビジネスマン風な人やら、時間と金を持て余しまくってそうなセレブなマダムだとかばっかりなんですよねぇ。場違いにも程がある自分www

 メニュー見ても、ちっちゃなチョコレートが1コで1500円とかなんなの……そんな高い菓子は喰うたことがない。そうか、これが噂のスィーツ(笑)ってやつか!

 出て来るコーヒーも……うん、コーヒーもね……。ビックリした。確かに味はコーヒーなんですよ、でも全然苦くないし酸味も無い。滅茶苦茶舌触りも良くてまろやかなんですよ。「こんなに美味いコーヒー」が世の中には存在したのか、と……

 噂に聞く竹下通りとかも歩いた日には、ね……ここは本当に日本なのかと……。新京極や心斎橋がいかに泥臭い田舎の繁華街だったのかを思い知らされましたよ……東向きとか餅飯殿とか小西なんてもう、イモですよ……船橋商店街なんて原始時代の遺跡にしか見えない……

 嗚呼……関西って田舎だったんだね。関西に住んでたら、心のどこかで関西と関東は対極的な存在だと誰もが少しは思ってるに違いないけど、そんなことはなかった。大阪ですら「地方」ですよ……そりゃトーキョーの人は、他の地域の人を「地方(笑)」扱いするわ……

 かるちゃあしょっくですよ、かるちゃあしょっく。文明開化! 文明開化じゃぁ!


 まあそんなことはどうでもよろしい。

 そもそも霧島は東京って言ったら秋葉原と有明のビッグサイトしか思い浮かばない人間だったのだけど、そんなこともどうでもよろしい。

 で、スタビリンクですよ。スタビリンク。

 足回りをリフレッシュしてから1日でスタビリンクとサスのシェルケースの接合部が外れてしまって、それをもう一度くっつけたんですけど、また外れたのですよ。今度はシェルじゃなくてスタビライザーとの結合部です↓



 いやぁ……困ったもんです。

 基本的には車高が劇的に上がってスタビリンクが長すぎたんでしょうね……。それでスタビライザーにものすっげぇテンションが掛かってたみたいです。恐らく、やたらめったらステアリングが重くなった原因もそこにあるのではないかと。

 一応、スタビリンクを短くして貰って緩み止めも塗付して。ピロボールも潤滑剤吹きまくって貰ったら、コツコツ言う異音はしなくなりましたし、ステアも少しは軽くなりました。しかし、それでもたまにステアを全切り出来ない位にステアが反発してくることがあるんですよねぇ……

 あと、何と言うか……えらく車体がロールするようになったような……(汗) 乗り方の問題もあるんでしょうけどね。

 スプリング自体は、ほぼトヨタ純正品が確定したので車高も純正状態のハズ。するとスタビリンクも純正と同じ長さに戻さんといかんのですが……何分、純正スタビリンクの長さが分からない罠。

 そもそも、ローダウンを前提に作ってあるテインの社外スタビが果たして純正状態と同じ長さに調整出来るのかが怪しい。でも、純正より社外の方が断然リンクの径が太くて頑丈そうなんですよね……て言うか純正リンクは貧弱すぎるだろう、どう見ても……

 スタビリンク、解体屋にあるかなぁ……て言うか解体屋も長いこと行ってないや。おお忙しい忙しい……

 あ~、そろそろエンジンオイルも換えないと……。あ、ミッションオイルもか。久しぶりにダイエーさんでも行って色々聞いてみるかね。
Posted at 2011/10/20 20:46:51 | コメント(4) | トラックバック(0) | 雑記 | 日記
2011年10月16日 イイね!

第七回、東方紅楼夢。お疲れさまでした~

第七回、東方紅楼夢。お疲れさまでした~紅楼夢ですよ紅楼夢。今日は第7回東方紅楼夢だったのですよ!

東の「博麗神社例大祭」。西の「東方紅楼夢」と並んで称される、二大東方オンリー同人誌即売会。その第七回なのですよ。第五回、第六回に続いて今年も行って参りました。

前日は朝の4時まで夜勤。そこから一度帰宅してシャワーだけ浴びて大阪へ直行……

 朝5時半に京都府木津川市を出発。阪奈道路の下りでアルファードと追っかけっこしたり、大阪市内で信号の多さに辟易したり。海底トンネルの料金所に100円玉を投げ入れたり(※分かる人には分かる)して、朝の7時には無事に大阪咲洲へと辿りつきました。

 MR2を停めたのは、痛車が集まることで有名なNPCのコインパーキング。まだ紅楼夢の開場までは3時間以上あると言うのに既に駐車場には「いかにも」なクルマ達がたくさん。みんカラやら何やらで見覚えのあるクルマもちらほら……

 とりあえずNPCに入ったら、昨年も見た覚えのあるスーパーブライトイエローのSW20が目に入りまして(みん友さんのみん友さんのみん友さんだ……・)、そのちょうど前のスペースが空いていたのでそこにⅤ型NAを停めますた。

 関西は昨夜までの雨天が上がり、気持ちの良く涼しい朝。MR2を降りてふと隣を見るとダイハツのコペン。もしかしてと思うと、鳥取ナンバー。「やっぱり」と思った瞬間、「霧島さんですね」と話しかけられる。ええ、みん友のYUSAKUさんのみん友さんで、コペン乗りのRyoooooooさんでございました。

 初めましてのハズなのに、前々から互いに互いのことを知っていると言うwww ネットの世界は広大である。



 ダッシュボードのスクスクハクタク。旅のお供は二十歳過ぎの幼女……じゃなくて(汗) スペーサーを噛まして少し浮かしたボンネット。オドロキの軽に16インチホイールの」組み合わせ。グリルに輝くEURO-Rのエンブレム。コペンかわいいよコペン。

 夜勤明けではるばる鳥取からの長旅、お疲れさまでございました~

 NPCを見渡してみると、こんなクルマも……



 もはや言わずもがな。taker@type-AKさんのEP3型シビックタイプR!

 「彼女のカレラ」より岬愛華仕様のフルラッピング原作者公認痛車だったのが、先日に事故で大破したと思ったら、更に更にパワーアップして大復活を遂げておりました。

 takerさんと前回お会いしたのは、それこそ昨年の紅楼夢でのNPC(笑) ちゃんと覚えて下さってましたよ~。

 さらに、九州は大分からフェリーに乗ってYUSAKUさんがやって来ました。来ましたが、残念ながらEO3は大分にお留守番だとかなんとか。て言うかYUSAKUさん……6月には滋賀県豊郷までやって来て、8月は東京へ夏コミに行き、そして大⑨州祭りを控えているのに……行動力パネェっす。takerさんとも1年と2カ月ぶりぐらいにお会いできたようでて何よりでございます。



 そしてこちら、YUSAKUさんのみん友さんのちゅるやさんのZ34型フェアレディZ Version NISMO!

 純正で19インチホイールとか、オーディオだけで霧島のⅤ型が2台買えるぐらいの額が掛かって居るだとか……(滝汗) スクスクハクタクの数=財力の差!?(違)

 ちゅるやさんの御厚意で、コックピットにも座らせて貰いましたよ。レカロの低い着座位置に高い配置のメーター類。いやもうぶっちゃけ前がほとんど見えんのですが……

 さらに、サイドシルがこれでもかこれでもかと言う位に太くて……どうやって乗り降りしたらいいのかもワカンナイ(爆) 貴重な体験をさせて頂きました、ありがとうございます。



 他にはこんな謎のSW20も停まってました。

 Ⅲ型のGT-S。リップスポイラーをアンインストールしたバンパー。欧州仕様の混色ウィンカー。それに嵩上げされた純粋リアスポイラー!?

 残念ながらオーナーさんにはお会いできませんでしたが、このリアスポについては是非ともお話をお聞かせ頂きたかったですね~!

 もう同人誌を買いに来たのかクルマのオフ会に来たのかよく分からなくなって来るwww とりあえず9時半頃にはインテックスの待機列に並びました。いつも通り、この時間帯だとスカイプラザの下ですね。ここが雨風や日光も凌げて一番良いですね。

 開場までの1時間。何故か前に座ってた名前も知らない参加者の人と大盛り上がりwww 東方の話しじゃなくて、何故か遊戯王だとかマジック・ザ・ギャザリングが話題に上る謎……


 そして待ちに待った10時30分。前方から湧き起こる拍手! ついに開戦の瞬間(とき)は来たれりである。

 10分少し待たされて、ようやく戦場(バトルフィールド)への突入である。互いに互いの健闘を祈りながら、皆が各々の戦いの場へと散って行った……

 東方アレンジを漁ると言うYUSAKUは6号館。Ryooooooさんも同じく。だが霧島は5号館のサークルから殲滅を開始する。

 島々の間に蠢く人・人・人……。しかし今回は3館での開催ということで人口密度はそれほど高くない。

 これなら行ける……!っと、一気に5号館の奥へ……そう、目指すは「す」の島。早苗さんのスペースである!

 事前に作成したデータベースを元に、ターゲットの薄い本を求めて彷徨い歩く。まぁ結果的に言うと、早苗さん本はほとんど買わなかった。だってアダルト向け同人誌が多かったし、この手のエロは基本外れだから。

 早々に早苗さんスペースを離れて次なる島々へ。pixivでよくお見かけする絵師さんにもご挨拶してきましたよん。

 5号館の始末を終えると次は4号館へ。しかし4号館、超有名サークルや絵師さんが多く集まっており、人口密度が5号館より明らかに多い……

 5号館をHARDの弾幕だとすれば4号館はルナティック! シャッター前サークルには長蛇の列が屋外へと続いて行く……。あ、今年も3年連続でT-RAy先生の所のブツは買えませんでしたorz

 結局、5号館はあまり回れませんですた。事前の予定の4割ぐらいだったかね、買ったのは。

 要所要所だけ抑えて5号館を離れる。続いて向かうは6号館!

 東方アレンジやグッズがメインの6号館。6号館に入った瞬間、ここでYUSAKUさんからのTELで一度、合流する事に。

 YUSAKUさん、早くも大量のアレンジCDをゲット。手持ちの袋からはち切れんばかりでCDが溢れている。あなた、被弾し過ぎなのぜwww

 ていうかSOUND HOLICの所で「文」を買おうと思ったら、何故かサンホリの机には何もないし誰も居ない謎……あれは何だったのか(汗) 後で見たら出現してたけどね。


 気がつけば時間は12時。早くもフラフラになりながら、一度会場を出て昼食に行くことに。4号館横のレストラン「ニューミュンヘン」。YUSAKUさんはジャンボカレーで、霧島はラーメンセット食べましたよ。安くは無いけど、某・豊●小学校のボッタクリメニューよりは良心的だったのぜ(爆)

 腹ごしらえを終えると、再び会場に突入。霧島はカメコするべくコスプレ撮影登録へ。YUSAKUさんは再び人の波に埋もれてゆきますた。

 6号館の隅っこで登録用紙に記入してると、Ryoooooさんがやって来る。いやぁ……見事な被弾っぷりでした、おめでとうございます(爆)

 スカイプラザ下の屋外がコスプレスペースだった前回と違って、今回は撮影し辛かったねぇ。どうしても狭いし光量も少ない。スペースのあちこちについたてが置かれていて、そこで撮影してる人が多かったけども、どうもやり辛かった……

 霧島も、この日の為に導入した新兵器、Panasonic LUMIX FZ-20 セミ一眼レフ(古ッ!)を片手にカメコやってましたよ。

 今回のコスは、輝夜と紫コスしてる人にかわゆい人が多かったですね~。撮影10人待ちとか、もう撮れねぇよ。昨年、クオリティタカスなおりんりんの人が、今回もおりんりんで来てましたっけね。霊夢でもかわゆい娘が多かったですね~。神霊廟系でも多かった!(撮れなかったけどorz)

 つうか、どうみても小学生にランドセル背負わせてコスさせてた親が居たぞ!? て言うか幼女レイヤー大杉www それを大の男たちが撮影してる光景とか、もはや犯罪臭(爆)

 霧島も鵜の目鷹の目で かわいいおにゃのこ 秀逸な被写体(キリッ を探してますた。一人居ましたよ、 かわゆい娘 すばらしきレイヤーさんが。ちっちゃい女の子でパチュリーやってる人がいたんですよ。

 多くのカメコとレイヤーさんに混じって撮影会を眺めていた所を頼み込んで(嘘)撮らせてもらいましたよ。後で見たら、さっきまではぼっちだったそのレイヤーさんに長蛇の撮影待機列が出来てますた。ああ、我が慧眼が憎い……ッ! 邪気眼とか言うな!



 集合写真も撮ってたけど、去年と違ってあんまり集まらなかったね……。やっぱりコスはスカイプラザ下の方が良かったんでないかなぁ。

 あれこれ撮った割には不完全燃焼orz


 時刻も14時半を過ぎた所で再びYUSAKUさんと合流。うん、荷物が増えてますねwww 本当に残念ですた。

 自販機でジュース買ってベンチで戦利品の観賞会。15時のイベント終了の拍手を背に、インテックスを後にしました。皆さん、お疲れさまでした~!


 そして今回の狩の成果(ゲート・オブ・バビロン)はこんな感じ……



 40近いサークルを事前にピックアップしたけど、実際に回ったのは20と少し。薄い本は合計25冊。残弾も50%以上でした。本当はもっと回りたかったけど、これぐらいで良いんでないかな?

 で、帰宅後。一つ一つをチェックしてみるが……。だいたい同人誌ってのは30冊かって1冊か2冊に「当たり」があればよいのですよ。

 確かに絵や装丁は綺麗だけど、中を読んだら作品への愛も創作への情熱もない。単に「東方」を使って商売しようとしてるだけって言う同人誌も少なくないのですよ、正直。でも今回の戦利品は……全部「当たり」でしたよ。自分でもビックリ。

 派手さや美麗さは無いけれども、素朴な魅力と、キャラクターへの愛に満ち溢れている同人誌ばかり。これだ! こういう同人を求めていたんですよ!

 東方紅楼夢に初参加して早2年……遂に「同人眼」を会得したようである(嘘

 霧島も同人誌作りたいんですけどね。なかなか時間が……お金が……。霧島は絵心なんて皆無だけどテキストなら書けるし、イラストの外注先ならいくらでもツテがありますしね。

 いやでも即売会ってのはイイね! やっぱりお祭りは楽しいもんですよホントホント。皆が同じ時間・同じ場所で同じ想いを共有出来る。ビバ! 同人誌!(笑)


 さてはて、次なる即売会は11月20日。何やら京都のみやこメッセで東方・なのは・同人音楽等々の合同即売会が開催されるらしいので、それに行ってみようかと。本日の残弾はそっちに回してみようかね。

Posted at 2011/10/16 20:53:42 | コメント(6) | トラックバック(0) | イベント | 日記

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