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霧島のブログ一覧

2012年12月28日 イイね!

2012年、ふりかえり

 結局、地球は滅亡しませんでしたね。思い起こせば、これまで何回滅亡の話を聞いたか分からんわ……。

 1052年→末法の世が来るぞーッ!
 1910年5月19日→ハレー彗星で窒息死するぞーっ!
 1970年代→氷河期が来るぞーっ!
 1990年代→温暖化で南極の氷が解けるぞーっ!
 1999年7月1日→ノストラダムスの大予言だぞーっ!
 2000年1月1日→2000年問題でミサイル発射!?
 2010年代→やっぱ氷河期が来るんじゃね?
 2012年1月25日→東海地震が来るぞーッ!
 2012年12月21日→マヤで滅亡するぞー!
 2015年9月3日→マヤは計算ミスだったぞーっ!(←New!!

 ……滅亡のバーゲンセールっすねぇ(汗) 98年6月30日の終礼とか、今でも覚えてるわ。

 そんなこと言ってる間に、来週は、もう2013年ですよ。てことで、そろそろ2012年を振り返ってもいい頃だと思う。とりあえず、今年参戦したイベントはこんな感じ↓

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 01/02 鈴鹿サーキット新春マイカーラン(三重県鈴鹿市)
 03/18 東方名華祭6(サンライフ名古屋)
 03/20 おねティ&おねツイ聖地巡礼(長野県大町 木崎湖)
 03/25 東方絢文禄 尾張の巻 第5弾(名古屋港 ポートメッセ名古屋)
    コミックライブ in 名古屋
    COS-DAY
 03/31 名阪国道 五月橋サービスエリア閉鎖(奈良県 山添村)
 05/13 コミックライブ in 名古屋 after GW 2012(ポートメッセ)
    痛車ライブ
    COS-DAY
 05/27 第九回 博麗神社例大祭(東京ビッグサイト)
 06/03 コミックコミュニケーション16(インテックス大阪)
 06/10 コミックライブ in 名古屋(ポートメッセ)
    COS-DAY
 06/28 咲 阿知賀編 聖地巡礼(奈良県吉野町)
 07/22 コミックライブ in 名古屋(ポートメッセ)
 08/11 コミックマーケット82 2日目(ビッグサイト)
 09/02 こみっく☆トレジャー20(インテックス)
 10/07 東方紅楼夢8(インテックス)
 10/14 奈良モーターフェア(奈良県営競輪場)
 10/28 GTO Party(浜名湖ガーデンパーク)
 11/04 第二回 求代目の紅茶会(京都勧業館 みやこめっせ)
    第百二十七季 文々。新聞友の会 
    第二回 科学世紀のカフェテラス
    MUSIC COMMUNICATION 6
 11/25 Candy Pop (和歌山マリーナシティ・ポルトヨーロッパ)

 12/30 コミックマーケット83 2日目(ビッグサイト)
    コスホリック 07(ホテル日航東京)

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 ……月に1度はイベントに出かけてますね。今年は随分と遊んだなあ。霧島は小さい頃から小遣いの類を貰った事がなく、基本的に遊ばせて貰えない家に育ちまして。大学に入ってからも、学業とバイトにに明け暮れて遊ぶ時間なんて全くなかった。社会に出てからも同じく、仕事仕事で休みなんてなかったし、仮にあってもイベントへ繰り出そうなんていう気が起きなかった。

 それも、今年に入ってから幸か不幸かようやく時間に余裕も出来たし、貯金もそれなりにあったから、ちょっと今年はお金を使って遊んでみようかと思ったのですよ。今年ほど遊んだ年っていうのは、生まれてこの方なかった。

 今年参戦したイベントは、同人関係ばっかだけど、自動車にもまぁまぁお金を使った。

 
 ※東方名華祭の時、万八にて。えるすさんのGTOと。

 パープルSWさんお手製の巨大リアスポイラーをゲットしてみたり、KTSの車高調を入れたり……。でも、一年中どこかの自動車関係のイベントに出かけてた去年に比べれば、あんまり自動車にはリソースを割かなかったかな……

 ただ、あっちこっち出かけるのには、ほぼ毎度MR2に乗っていった。おかげで今年は高速巡航する機会が多かった……。もう最近、SWはグランドツーリング仕様に仕上げて行こうかと思い始めたぐらい。

 そして、今年一番お金を時間をかけたのはカメラかな。
 


 カメラっつっても同人イベントてコスプレ撮ってるぐらいですが……。元々、霧島はコスプレというものに関しては快く思ってはおらず、否定的な人間だった。ただ……紅楼夢では一応、記念写真ぐらいのつもりでレイヤーさんを撮らせて貰ってたりはしてたのですよ。でも、それはあくまで、なんとなくで撮ってるに過ぎず、写真やカメラについてもそんなに興味があるわけでもなかった。


 ※ポートメッセ名古屋平面駐車場にて。隣はじぇにたんさんのSW。

 そして、ポートメッセ名古屋で3月25日に行われた東方絢文禄/コミックライブ。これが全ての始まりだった。東方以外の同人誌即売会は初めてだったってこともあり、東方コス以外のレイヤーさんを見るのも初めてで、あれこれ物珍しさに色々と撮って周ってました。

 ポートメッセの3号館。大勢の東海レイヤーさんたちの中で、ひときわ注目を集めていたレイヤーさんがおられました。すんごい可愛らしいラブプラスの高嶺愛花をやっておられた方でしたが、その方が、自分なんぞにも名刺を下さったのですよ。って言っても、みんなに配ってたんですけどね。

 「こういう風にして、写真の受け渡しって行われるもんなんだな」と思ったものの、いざ帰って撮った写真を見たら、強アンダー、乗らない色調、ノイズ、手ブレ、被写体ブレ……とてもじゃないが見れたもんじゃなかった。

 それが悔しくて恥ずかしくて……かなり凹んだっけ。色々と悩んで反省した結果、一眼レフを買って、写真を本格的に勉強することに決めた。 家では常にカメラを手元において、一眼レフが……カメラがどういうものであるかを独学で勉強していった。毎月のようにイベントに繰り出してはプラクティスを重ねて、自分よりもずっと年下のレイヤーさんに頭を下げて、腕の無いのは承知で撮らせてもらって。後日、ネットを介して撮った写真を見て貰って助言や感想を貰ったり。

 喜んで貰えることもあれば、微妙な反応のこともある。写真を渡しても逆にガッカリさせてしまうことも多かった。そもそも快く思われていと感じたことも何度となく。前までの人と、思いっきり態度を変えられたりね(ちなみに例大祭)。あの時のことは今でも忘れんわ。

 ……ただ、撮影を依頼されるようなプロ級の人たちだって、そうやって上手くなってきたのだから、ひたすら恥を偲び悔しさを押し殺しての勉強の日々。


 ※第9回博麗神社例大祭にて。

 5月には長年の夢だった博麗神社例大祭に初参戦。この時に御縁のできた3人の東方レイヤーの方々には今なお、よく貴重な意見やお話を聞かせて頂いている。みんなまだ学生さんなのに、揃い揃ってぐう聖ですよ……頭が全く上がらない。

 
 ※C82二日目。東館待機場にて。始発到着前。

 8月にはコミケにも初めて参加した。コミケは……「最高」この一言だった。あの感動と興奮を、あの時あの場で興奮と感動を共有し人たちのことを、自分は一生忘れることはないと思う。正直、人生観が変わったわ……。自分も、高校生の時にコミケに行けていれば、全く違った人生になっていたと思う。それを考えると本当に悔しい。

 まあ……写真の腕に関しては日進月歩。明らかな定型句のコピペメッセに唇を噛んだことは数え切れない。結局、本当に写真を喜んでくれてるかどうかってのは、写真の扱いを見れば分かるもんでさ。それが人物写真の怖いところ。

 ……でも逆に。自分の撮った写真を各人のブログはもちろん、mixiやTwitterなどのアイコンとして――自身の顔として使って貰えるってのは、写真を志した者として本当に誉れ高いことなのですよ。

 そして先日、こんなことを言ってくださった方もおられました。「●●さんはきっと誰よりも正しく撮影について学んだ方なんだろうなと思っています。これからも技を磨いて沢山のレイヤーさんを楽しませてあげてください!」。

 自分たち、カメラをやってる人間がコスイベントで何を考えて撮っているか。秀逸な被写体さんを探すことももちろんですが、加えて、その人が喜んでくれるような写真を撮りたいと。自分が見出したモデルの方に認めてもらえるような作例を作りたいと、そう思って会場を回っているのですよ。

 人物写真とは、自己満足に終わるものではなく、相手に喜んで貰ってこそですから。そしてそれが、自身の技術と実力の確認であり、証となるのだから……

 写真を勉強してきてよかった。カメラを手にとってよかった。恥も随分とかいたし、金や時間もかなり消費した。多くのレイヤーさんにも迷惑をかけた。でも、自分の選択は間違いではなかった。

 最近は少しずつ「撮ってくれ」という依頼を頂くことも少しずつ増えてきて……今までは腕に自信がなくて逃げ回ってきたけど、もっとちゃんと期待と信用に応えられるようにならないとな……

 今年も残りわずか。まだ自分には冬コミとコスホリックが残っているけど、たぶん今年のブログの更新はこれで最後だと思う。本当は書きたいことも、もっとたくさんあったんだけどね……MR2の系譜?ああ、やっぱり年内には終わらんかったwww てか、じっくりゆっくり今年を振り返りたかったけど、現在進行形でめちゃ忙しくて、手抜き乙。


 本年は皆様に本当にお世話になりました。本当にありがとうございました。どうぞ皆様にとって来年が良き年となります様、心よりお祈り申し上げます。



 では、霧島は今日の夜勤が明けたら、冬コミに逝ってきまっす。

1日目:雨か雪
2日目:黒バスに喪服の死神()
3日目:カスラジにオウム

 今年の冬コミは地獄やでぇ…

Posted at 2012/12/28 13:33:18 | コメント(5) | トラックバック(0) | 雑記 | 日記
2012年12月20日 イイね!

もうすぐ冬コミですね

 「今年はK-5Ⅱsを買ったから、もう何も買わないと言ったな? あれは嘘だ」


撮影:PENTAX K-5Ⅱs
レンズ:smc PENTAX-M 1:2 50mm
ISO:1600
F値:5.6(確か)
SS:1/40

 買っちまった……買っちまったよ……PENTAX FA31mm F1.8AL Limited。数あるペンタックスのレンズ中、描写力において最高位に君臨するとされる単焦点レンズ(値段的にも)。ペンタックスFAリミテッド三姉妹の三女の通称くりくりちゃん。

 いやだってさ。今のFAリミテッドレンズはベトナム製になってるわけでして……その日本製のブラックモデルなんてもんが出てたら手に入れるしかないでない。高かった……高かったのぜ……。定価?下手したらSW20のミッションがオーバーホールできる(震え声) 発売して長いし、中古なんでそこまでは高くなかったですけども。

 K-5Ⅱs+FAリミテッド。ニコンD800E+ニッコールナノクリコートや、キヤノンEOS 5D MarkⅡ+Lレンズに対抗するためにはこれしかない……! 31mmって言ったら、35mm判では完全に広角のレンズなのだけれども、APS-C機でならだいたい46mmぐらい。つまり標準レンズとして使えるってことですよ。

 元々は、至高のポートレートレンズであり、ペンタックス最高ランクの描写力を持つFA77mm リミテッド・とろとろちゃんも欲しかったのだけれど、どうしても77mmをAPS-Cで使うと、人間を撮るのには焦点距離を持て余してしまうのですよ。FA77はフルサイズが出ないと、正直使い物にならない。ぬことか撮るには最高でしょうけどね。ペンタのフルが発表された今、FAリミテッドは値上がりする可能性もあったんで……それも購入した一因っすね。

 てか本当はペンタックスQ10を買うつもりだったんだ……



 さようなら……さようなら……俺のQ10ちゃん……(血涙) 画質は確かに期待できないかもしれないけど、あんなに使って楽しいカメラって他にないと思う。キタムラで触った時、感動したもん。……まあ、今やってるQ10オリジナルウォッチプレゼントキャンペーンが終わるまでには買っちゃうかもですけどね(ゲス顔)


 そして気がつけば、今年も残り11日ですよ。ということは……そう、もうすぐ冬コミなのですよ! 今年も冬コミは29日~31日の三日間。C83まで、もはやカウントダウン状態ですね。ちゃんとカタログも買ってきましたよー


撮影:PENTAX K-5Ⅱs
レンズ:PENTAX FA31mm F1.8AL Limited
ISO:200
F値:1.8
SS:1/125

 そしてFA31のムダ遣いをしてみる。しっかし。開放させるとピントがめちゃ薄で、狙ったポイントに合焦させにくいのなんの。APS-C視野率約100%倍率0.92でコレだからなぁ。やっぱりフルサイズ機のファインダーが無いとFAリミテッドは使いづらいや。

 さてはて。今回も東方Projectは二日目ですよー。夏コミと同じく東の3ホールと6ホール。でも、今回、東方のサークルは2492と、随分と数を減らしましたね……

 2372(C77)→2394(C78)→2774(C79)→2774(C80)→2656(C81)→2694(C82)→2492(C83)

 神霊廟が頒布されたC80の頃をピークに、徐々に減って行ってるようで……。でも逆に東京の博麗神社例大祭や大阪の東方紅楼夢は、どんどん増えて行ってますけどね! 東方バブルはまだまだ終わらない模様。今回は東方の新作・東方心綺楼の体験版も頒布されることですし。……これは死人が出るな。てか、広江礼威先生、あなたは東方のエロ同人なんて描いてないで、早くブラックラグーンの続き描いてください。

 ……それにしても東方Wiki主催、2013年春開催予定の第10回東方シリーズ人気投票が延期。次回は2014年春の予定となったのは解せぬ……せっかく某キャラの某キャラのごとき凋落ぶりが拝めるとおもったのに。


 自動車関連の同人誌は1日目っすね。AE111・アバルト・フィアット・トゥデイ・オート三輪・ランエボ・スイスポ・アクシオ・ラリーにジムカーナ・サーキット……今回も色んな同人誌が頒布されるみたいですよー。でも、霧島は2日目しか行けないorz

 ミリタリーやカメラ、鉄道。プリキュアも1日目っすね。写真・カメラ(サークル数、およそ30)の中でいくつかある秋葉原写真集ってのは面白そう。俺も日本橋写真集とか作ろうかな。 だが、真のフォトグラファーなら西成区や信濃町の写真集を出すべき。霧島はヘタレなのでやりません。 西成区でカメラなんて持ち歩いてたら、ヤのつくおにーさん(見張り)から注意される。信濃町でカメラなんて持ち歩いてたら、創●学会にストーキングされますもの。

 鉄道では、鉄道擬人化本を出すサークルが150以上あるのは、まあいい。何だよ、「中央線×総武線」とか「丸の内×銀座」とか「東北新幹線×JR宇都宮線」って……。そして「宇都宮×高崎」の人気っぷりときたらもうね。鉄ヲタと腐が合わさって最恐に(ry

 コスプレ関連は今回、3日目です。サークル数は300オーバー。霧島がお世話になってるレイヤーさんがROMを出すらしいのですが、大晦日は年越しで仕事なのぜ……orz

 ちゃんと行き帰りの夜行バスも予約しましたよー。行きはもちろん京都駅発のコミックマーケット有明直行便。ビッグサイトへの到着予定は朝の4時半。寒いだろうなぁ……防寒具もあれこれ買い揃えてまっす。

 とりあえず開戦したら、東6ホールに突入。ツの島を中心に各個撃破。後に東3へ転戦。全ての首級を挙げたらコスプレ広場っすな。今回のコススペース、ものすっごい拡大されてる……周りきれんぞ、コレ。東館外周・西館外周・西館アトリウム・東2Fエントランス・西4F屋外展示場が増えたんだけど、あんな所でコスできるとは思わんなぁ。みんないつもの庭園&西の屋外展示場に行くんじゃないかなぁ。

 夏コミや例大祭などでお世話になったレイヤーさんも何人か来られるので、御挨拶にも回らんといかん。とりあえず最終の16時まで粘った後、お台場の日航ホテルへ移動して、そこで行われると言うコスホリック07ってイベント(R18)に参戦する予定。あの世界的有名レイヤー・うしじまいい肉大先生や、かの超有名AV女優であるつぼみ嬢も出現するそうな。胸が熱くなるな。まぁ撮影料1回1分3000円とか言うのには吹いたけど。

 コスホリは途中で抜けて、秋葉原へ移動。またマクドあたりで飯でも食って、東京駅から夜行で関西に戻るって行程ですかね。ちなみに大晦日~1月3日まで、フルで 仕 事 で す 。ああ……どなたか紅白で、水樹奈々御大の勇姿を代わりに見届けてやってくれは頂けませぬか……


 今回の冬コミ、一つ懸念が。2日目はジャンプ系の日でもあるのですけど、例の黒バス事件で脅迫状が来て……黒バスサークル260ぐらい(だっけ?)が全部締め出されることになったんですよねえ。そしてそれに伴って、一般参加者の手荷物検査やるとか何とか。……15万人も来るのに、どうやって検査するんだYO! 別に検査をやるのは全く構わんのだけど、それのおかげで入場が大幅に遅れるのだけは勘弁してくらはい。

 まあ……個人的には毒ガスよりも、行き場を失った腐女子たちが暴動を起こさないかの方が心配ですけどね。


 今年も残りわずか。果たして2012年のうちに世界は滅亡するのか? C83は無事に開催されるのか? 安部政権の行く末はどーなる!?今年中にMR2の系譜(AW編)は完結するのか!? てか年賀状、まだ書いてないぜ!(絶望)

 迫る年末。各々方、心静かに――


Posted at 2012/12/20 19:18:20 | コメント(6) | トラックバック(0) | ヲタク | 日記
2012年12月14日 イイね!

「MR2の系譜」 AW編 第02回 ~プロトタイプMR2 “730B”~

「MR2の系譜」 AW編 第02回 ~プロトタイプMR2 “730B”~ 「常識では考えられないようなクルマが、トヨタにはあってもよいのではないか」

 1979年、トヨタ自動車五代目社長である豊田英二は、製品企画室の主査たちを集めて、そう語った。

 
 カリフォルニア・ロサンゼルスより帰国し、実験部出身でありながらも主査となっていた吉田明夫。吉田は、米国滞在の中で得たヒントを元に、ある一台のクルマを考案していた。

 この時、吉田が企画した車のコンセプトは、成熟した自動車社会と、複数台保有時代ににおいて求められるセカンドカー。「ミッドシップが大前提」「複数台保有時代の自分専用車」「個性的で斬新なスタイル」「高性能志向で高い操縦安定性」、そして「乗る楽しみを与える車」であったという。

 このような本格スポーツとはまた違う、こういった概念のクルマならば、米国で地場を固めたばかりのトヨタブランドでも、それなりに市場を得ることが可能である。一方で、日本ではまだセカンドカーの概念が浸透してないものの、沈滞気味の国内市場における刺激剤として最適であり、また、そのようなクルマとクルマ社会の“芽”を育ててゆく必要がある。そう吉田は考えたという。

 既に開発コンセプトはもちろん、マーケティング面でのデータもまとめてあった。それらに加えて、スケッチや使用するコンポーネントを指定した仕様書を作成し、提出する。他の主査たちからも、各種の提案書が出されたが、それらはあくまで既存の車種のマイナーチェンジにおけるインパネやデザインの変更と言った程度のもので、全くの新車種の開発という形を提案したのは吉田の企画書のみだった。

 「製品にならなくてもいいから、先行試作車を一台作らせて欲しい」。吉田の嘆願もあり、この企画は1980年1月25日、豊田章一郎副社長も同席した技術企画会議において承認され、開発コード730Bの名で、開発・製作が始まった。

 だが、トヨタにおいて、ミッドシップカーを作る上で一つの問題が存在した。ポルシェ914やフィアットX1/9などは、エンジン横置タイプのFF車のコンポーネンツを流用することによって、比較的容易に、かつ安価にMR車を開発することを可能としたものであった。しかし、当時の国産車の主流はFRであり、そもそもFF車というものがほとんど存在せず、ミッドシップ車に流用できるエンジン・パワートレーンが存在しなかったのである。

 ……そんな中、この問題を解決する一つの事件が、トヨタ内部で起きていたのである。

~FF化の波と、4A-Gユニットの開発~

 ……西暦が1980年代に移る頃。日本車とトヨタは大きな転機を迎えようとしていた。

 1970年代より、乗用車は駆動方式を従来のFRからFFへと移し、世界的にFF化の波が押し寄せていたのである。そんな時代、トヨタ自動車に揚妻文夫という人物がいた。5代目カローラ開発主査となった揚妻文夫技師。揚妻は、乗用車がFFとなることの必然性と必要性を痛いまでに感じていたのである。

 しかしながら、当時の4代目のカローラはいまだにFR。そもそもトヨタにはエンジン横置き型のFF車という技術自体が存在せず、FRの機構を流用したエンジン縦置きのFF機構を持つ「ターセル/コルサ」しかFF車が存在しなかったのである。

 「このままでは、いずれ世界に太刀打ち出来なくなる」

 そう確信した揚妻は、5代目カローラのFF化をトヨタ上層部に提言する。しかし、トヨタ上層部は揚妻の提言を頑として撥ね退けたのである。反対した役員の中には、パブリカ・カローラ・セリカの生みの親であり、トヨタ自動車伝説の人物である長谷川龍雄専務の姿もあった。


 ※カローラ初のFFとなった5代目カローラ。それの1500ccモデル。

 カローラFF化の為には、新規の技術開発はもちろんのことであるが、多くの生産設備の新設を行わなければならなかったのである。その額は、実に1200億円に上った。

 揚妻が何度説得を試みても、上層部は首を縦に振らなかった。だが揚妻も自らの信念を譲らず、自らの独断でFFカローラの設計図を引くように指示を下した。

 こうした揚妻の姿勢が上層部の反感を買い、揚妻をカローラ開発主査から降板させるという声まで降りて来た。思い余った揚妻は、副社長・豊田章一郎に直談判。FF化の必要性を訴える。その説明は実に3時間以上に渡ったと言うが、技術部門のトップであった豊田章一郎は揚妻の意見を熱心に聞き、揚妻への支援と協力を約束した。

 揚妻の再度の説得もあり。やがてはトヨタ上層部も世界的なFF化の流れとFF車の重要性を把握・理解し。FFに反対するどころか、むしろFF化を推進するようにまでなっていったのである。

 
 揚妻も、単にFF化を推進するだけでなく。5代目カローラにおいて、主力となるセダンとリフトバックタイプのみをFFとし、それ以外のクーペやワゴン・バンタイプは従来のFRとして残すことを提言。これによって従来の設備を流用することが可能となり、生産コストは700億円にまで削減することに成功したのである。

 そして、トヨタ内部では新たなトヨタの主力となるFFの為のパワートレーンの研究と開発が進められることとなった。その過程で生みだされたFF向け直列4気筒エンジンの2リッターモデルは「3S」。1.6リッターモデルは「4A」と名付けられた。


 ※トヨタ・4A-GEUエンジン。横置きを前提に開発されたユニット。整備重量123kg。

 ……来たる1983年5月。かくして5代目カローラはトヨタ初の本格的FF乗用車として華々しくデビューする。その中でも、FR方式を残したカローラのスポーティモデルには、スポーツユニットである「4A-G」エンジンが搭載され、AE86の型式名が与えられることになる。

 最大出力130ps/最大トルク15.2kg。当時の最新技術であるDOHC16バルブツインカムを採用し、軽量、コンパクトな設計ながらも、非常に俊敏な吹け上がりと厚いトルク、省燃費性をも併せ持つ4A-Gエンジン。かくして、730Bに使用されるエンジン・トランスミッションは、4A-Gユニットに決定したのである。

~先行試作車 730B~

 730Bのエンジンは、まさに開発途中であった4A-Gの使用が大前提となった。後にAE82型と呼ばれることになる5代目カローラのエンジン・トランスミッションを流用すれば、MR車のパワートレーンが出来上がる。そして、続く課題はボディであった。

 試作車のボディ製作は、まず実寸大のクレイモデルを製作し、それを100mm間隔で輪切り状にする形で採寸し、図面化する。それを元に、車体設計の技術者が部分ごとに製作していくというのが常であった。だが、これは非常に手間と時間がかかる方式であった為、吉田は設計部は一切介さず、製品企画室と現場の人間だけで、実寸大のクレイモデルから直接、鋼板製の試作車を製作することを思い立つ。

 当時、トヨタの試作部には、技能オリンピックで金メダルを獲得するような鈑金職人が何人もいたと言う。


 ※2010年11月10日の中日新聞より。730Bのボディを手がけた藤川武男氏。(手ブレorz)

 吉田は、現場を離れて班長職や管理職に就いていた彼らを泣き落とし、730Bのボディ試作を嘆願した。彼らは、クレイモデルから必要な寸法だけを測って、型板を製作。これを台にして、鋼板からボディパネルを叩き出してみせたという。


 ※730Bのボディ製作の過程を示した図

 実際の工程は全て手作業。古くからの時代の鈑金作業の通り、ハンマーと当金を用いて、少しずつ冷間圧延鋼板を成型してゆく。当金の位置、ハンマーの角度と、力加減、間隔。そして溶接……あらゆる過程において、ほんのわずかなズレと狂いが、全てを台無しにしてしまう。全ては人間の経験と勘に依存する。そんな非常に高度な職人技によって、製作が進められた。

 彼らは日曜日返上で作業を行い、たった一ヵ月半で試作車のボディが完成してしまったと言う。この時、730Bのボディを手がけた一人であり、国内外から「ゴッドハンド」と呼ばれた藤川武男は、その30年後の2010年11月、厚生労働省より「現代の名工」として表彰されることになる。

 また、吉田には730Bにどうしても採用したいる技術があった。それは、デジタルメーターである。1980年、デジタルメーターは世界各国のコンセプトカーに搭載・発表されていたものの、いまだ市販に至った例はなかった。

 1970年にはフランスのシトロエンが各ステイタスをデジタル風に表示するメーターを既にシトロエンGSに実装・販売を行ってはいたが、これはあくまでもアナログの指針を、数字が記された樹脂製のドラムに置き換えたボビン式と呼ばれるもので、これはデジタルではなく機械式の範疇を出るものではなかった。


 ※シトロエンGSのメーターパネル

 市販車輌として世界初のデジタルメーター。吉田はMR2でこれを実現しようとしたのである。とは言えど、まだトヨタにもデジタルメーターにおける技術も研究も、全く存在していなかった。

 吉田は、補器課へと度々足を運び、デジタルメーターを実現・開発できそうな人物の検索を開始。遂には、そんな人材を発見することに成功する。


 ※1980年8月。トヨタ・東富士テストコースで目撃された730B。ベストカーガイドによってスクープされた。

 730Bの開発は、トヨタにとって数多くの「初」となる技術・開発・方法論となる事項ばかりであった。だが吉田は、社内の隠れた有能な人材を次々に見つけ出し、これらを具現化してみせる。こうして730Bの開発は進められていった。

~730Bの完成、そして879Bへ~

 吉田と、多くの技術者たちの尽力によって730Bは遂に完成する。


 ※トヨタ博物館所蔵の730B。海外ではSA-Xの名で知られている。

 730Bには二つのバージョンが存在し、一台目は1980年に、二台目は1981年に製作されたという。ここでは仮に1980年モデルを730B前期型、1981年モデル730B後期型と呼ぶが、前期型にはキャブレター仕様の4Aエンジン(詳細不明)が、後期型には電子式燃料噴射装置・インジェクター仕様の4A-Gが搭載されていたとされる。なお、初期の4Aエンジン搭載市販車種には、キャブレター仕様は存在せず、キャブ仕様はAE95型の4A-Fを待つことになる。

 もちろん730Bには、吉田がMR2の目玉としたデジタルメーターも実装される。


 ※730Bのメーターパネル類。

 730Bは、あくまで先行試作車輌でありながらも、ラジオやエアコンまでもが装備されていた。また、一説では、リアに設置されたビデオカメラによって、CRTカラーモニターにバックビューを表示させることが出来たともいう。(※写真では確認できないが)

全長:3,835mm
全幅:1,620mm
全高:1,175mm
ホイールベース:2,320mm
フロントタイヤ:165/70R13
リアタイヤ:185/70R13

 ホイールベースこそ市販型のAW型MR2と同じであるものの、全高は75mmも低く、リアもトランク・エンジンフード・ガラスが一体型となったハッチバックスタイル。エンジンも市販型に比べて、さらに前方のミッドシップにレイアウトされており、そして何よりも特筆すべきはその重量で、市販型のMR2に比べて百数十kgも軽量であったと言う(単純計算で820kg程度)。

 その運動性能は非常に軽快で、市販型よりも、もっともっとハードなスポーツカーとして製作されており、そのまま市販化されていれば、素晴らしいスポーツカーになったかもしれないという。

 ……そして1981年8月。730Bを受けて、量産と市販を前提とした試作車の開発が承認されることとなり、生産がセントラル自動車で行われることも、この時点で決定された。る。この頃、「トヨタが日本初のミッドシップスポーツカーを極秘に開発している」というのは公然の秘密となってしまっており、730Bのコードネームは、数多くのメディアによってスクープされてしまっていた。それらの状況を鑑みて、次の試作車のコードは、敢えて覚えにくいような879Bという数字となった。

 ただ、730Bはあくまでも上層部に開発の承認を得るためのプロトタイプ、コンセプトカー的な存在として作られており、実際の量産・市販を前提とした車輌とは、全く別の存在であったと言う。その為、879Bにおいては、数多くの点が変更されることとなった。

 例えばバッテリー。730Bではフロントトランクに設置されていたバッテリーは、市販型では後部エンジンルーム内に設置されることとなった。燃料タンクについても、エンジンコンパートメント内に設置されていたものが、キャビンのセンタートンネル内に設置される。

 また、ハッチバックスタイルのボディも、熱と音の問題のため、バットレスタイプに変更される。これについて吉田は、「最後までハッチバックスタイルで通したかった」と語る。

 さらに、吉田が力を入れたデジタルメーターもコストの問題で879Bでは廃案となってしまった。だが、この時に開発されたデジタルメーターの技術は他車種に受け継がれ、Z20型ソアラにおいて、日本初のデジタルメーターとして市販されることとなり、他にもA60型セリカXXや、AE86型スプリンタートレノ/カローラレビンにおいても実装されることとなった。

(第3回へ)

参考文献:
 省略します。第一回を参照のこと。

参考サイト:
・High-Geared Hobby's Works様

関連項目:
「MR2の系譜」 AW編 第01回 ~主査・吉田明夫~
フォトギャラリー 2011/02/09 トヨタ博物館収蔵 プロトタイプMR2 “SA-X” partⅠ
フォトギャラリー 2011/02/09 トヨタ博物館収蔵 プロトタイプMR2 “SA-X” partⅡ
フォトギャラリー 2011/02/09 トヨタ博物館収蔵 プロトタイプMR2 “SA-X” partⅢ

Posted at 2012/12/14 11:25:37 | コメント(4) | トラックバック(0) | MR2の系譜 AW編 | 日記
2012年12月09日 イイね!

たまには東方ネタでも

 今年も残り一ヶ月を切った今日この頃。今年のイベント予定も、あと冬コミぐらいですよ。今月はコミライも行かないし。

 そんな中、「たまには東方について書きやがれこの野郎!」っていう電波がトットリだとかオーイタだとかグンマーだとかから届いたもんだから、東方について書かざるを得ない。MR2の系譜? 年内にAW編だけでも終わらせたいねぇ(棒)

 つーことで今回は、暇潰しで東方の原作準拠で製作された懐かしの東方アニメ動画でも思い出して見ようかと。特に意味は無い。

〓東方紅魔郷 ~ the Embodiment of Scarlet Devil.〓

・タイトル:幻想万華鏡 春雪異変の章 ~東方妖々夢より~ OP
・サークル:満福神社

 日本のどこか山奥に存在すると言う“幻想郷”。そこでは、外界では忘れられた存在となった妖怪たちと、少しの人間が暮らしていた。そんなある夏の日、幻想郷を謎の紅い霧が覆い尽くす。

 この異変を解決すべく立ち上がったのは“楽園の素敵な巫女”博麗霊夢、“普通の魔法使い”霧雨魔理沙。そして二人の少女は、幻想郷の湖に浮かぶ島の上に佇む洋館にたどり着く。

 昼も夜も無い館に、「彼女」は、いた――

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 東方同人アニメサークルと言ったらコレ、満福神社。どう見てもプロの仕事です、本当にありが(ry 真偽は不明だけど、ufotableが噛んでるなんていう噂もあったねえ。

 紅魔郷で4年ぶりに復活した東方Project、Windows版の作品としては第1号(通算6作目)。これでも10年前なんだよね……でも、紅魔キャラは、東方の人気投票でも他作品を寄せ付けない人気を誇ってるあたりがやっぱりカリスマ。


〓東方妖々夢 ~ Perfect Cherry Blossom.〓

・タイトル:幻想万華鏡 春雪異変の章 ~東方妖々夢より~
・サークル:満福神社

 春夏秋冬、四季折々の姿を見せる幻想郷。長かった冬は終わり幻想郷にも春の季節が訪れる……はずだった。そして5月、降り続ける雪と、白銀に染まった幻想郷。春は、まだ来ない。

 博麗霊夢、霧雨魔理沙。そして完全で瀟洒なメイド・十六夜咲夜。幻想郷に春を取り戻すため、三人の少女が空を翔る――

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 個人的には妖が一番好きだなぁ。初プレイしたも妖だったし。最近はプレイしなくなって久しいけど、妖なら今でもノーマルノーコンできると思う。てか、初プレイしたのも9年前ですかそうですか……

 あの頃は、まだ東方も知る人ぞ知る存在に過ぎなくて(音楽がスゴイってのは噂にはなってた)、まさかここまで流行るとは思わなかったっけ。

 しかしこの動画、前置きが長いよね。16分も使って長々とプロローグなんて、どういうことなんだろうね(真顔)


・タイトル:MAD 東方 Perfect Cherry Blossom
・製作者:静かなる鎖骨

 これも、もう5年以上前に製作されたMADムービーだね。ていうかMADムービーっていう言葉自体が死語となりつつあるような。これの曲の詳細がいまだに分からない。


〓東方永夜抄 ~ Imperishable Night.〓

・タイトル:幻想万華鏡 『泡沫、哀のまほろば』PV完成版
・サークル:満福神社

 月がおかしい。中秋の名月が近づく候、本来ならば満月のはずの暦。しかし月は、ほんの少しだけ欠けていて、完全な満月にならなかったのだ。これは、人間たちにとっては何の問題も無いことであったが、月の影響を受ける妖怪たちにとっては死活問題であった。そこで妖怪たちは、人間にこの異変を解決させようとする。

 “幻想の結界” 博麗霊夢&八雲紫(ゆかり)
 “禁呪の詠唱” 霧雨魔理沙&アリス=マーガソロイド
 “夢幻の紅魔” 十六夜咲夜&レミリア=スカーレット
 “幽冥の住人” 魂魄妖夢&西行寺幽々子

 ひとりの人間と、ひとりの妖怪。そしてふたりは、夜を止める――

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 ……日本の古典、竹取物語をベースとした作品。ストーリー、演出ともに、東方トップクラスのクオリティを誇る一作。東方の主要キャラも勢ぞろいしてるしね。

 でも、この動画。個人的には完成版よりも、完成前に公開されたVer0.5の方が好きかなぁ。」


・タイトル:幻想万華鏡 『泡沫、哀のまほろば』PV Ver.0.5
・サークル:満福神社

 こっちの方が、演出や構成もスッキリしてないかな?かな?


〓東方花映塚 ~ Phantasmagoria of Flower View.〓

・タイトル:東方活動写真館 第二幕 東方花神楽
・サークル:東方活動写真館

 雪が解けて春が訪れ、花々が咲き乱れる幻想郷。だが、その春はあまりにも美しすぎた。桜、向日葵、野菊、桔梗……様々な季節の花々が、一斉に開花しているのだ。

 博麗霊夢、霧雨魔理沙、十六夜咲夜。半人半霊の庭師・魂魄妖夢、月の兔・鈴仙=優曇華院=イナバ。五人の少女が、花々の狂い咲く幻想郷を駆ける――

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 花映塚は特殊なんですよね。他作品と違って対戦型のSTGなのですよ。うん、がんばってExtraクリアしたさぁ。……処理落ちしてたんだけども(汗)


・タイトル:幻想万華鏡『華鳥風月』PV
・サークル:満福神社

 そして花では、旧作のキャラである幽香(風見幽香)が登場するという熱い展開。あと、たまにはメディスン=メランコリーさんのことも思い出してあげてください。


〓東方文花帖 ~ Shoot the Bullet.〓

・タイトル:『明星ロケット』OP風
・製作者:むらしん

 妖怪の山に住む烏天狗の射命丸文(あや)。幻想の伝統ブン屋として、文々。新聞の執筆に追われる射命丸は、弾幕を切り取る不思議なカメラを片手に、今日もネタを求めて妖怪たちに取材を強行する。
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 番外編の“文”。ストーリー性はあまりないけど、ひたすら弾幕を攻略していくってスタンスが面白いですよ! コレに出てくるぐーやの「金閣寺の一枚天井」の鬼畜っぷりは有名。


・タイトル:最高最速シャッターガールPV
・製作者:じぇふ

 これは3年前かあ。もっと昔だと思ってたよ。そういやCOOL&CREATEだとかビートまりおだとか、そんな人たちもいましたっけねぇ。東方アレンジの黎明期を支えたサークルっすな。


〓東方風神録 ~ Mountain of Faith.〓

・タイトル:東方風神録 にせOP
・サークル:紅葉ブラシ同好会

 「博麗神社を明け渡せ」。木々の葉の色づく秋、霊夢の前に現れた、もう一人の巫女・東風谷早苗。妖怪の山に突如として出現した神社に住まう神の使いを名乗る早苗は、霊夢に幻想郷における信仰の譲渡を迫る。

 いまや博麗神社も、信仰心を失いつつあったのも事実。それを憂える霊夢は、山の神様と話をするべく、妖怪の山へと向かった。

------------------

 ニコ動が、まだ(RC)だった頃にうpされた動画じゃなかったかなぁ。今でこそ、活動写真(キネマ)館やら満福神社みたいなハイクオリティ東方アニメ製作サークルの台頭で、いささか見劣りしてしまうけど、当時これは十二分に衝撃的だったんだぜ?

 風神録の頃からだね、東方が爆発的に大ヒットし始めたのは。そりゃあなんと言っても、我らが東風谷早苗さんの初登場作品ですからーっ!


・タイトル:東方活動写真館 終幕 東方白昼夢
・サークル:東方活動写真館

 東風谷早苗――祀られし風の人間。人の身でありながら神、神の身でありながら人。現世の人間でありながら、幻想となった風祝(かざはふり)の少女。 

 早苗にも家族が居ただろう、友人が居ただろう、仲間が居ただろう。そして、温かく楽しい「普通の女の子」としての生活があっただろう。だが彼女は、信仰と愛する神々の為、現世を捨てて幻想へと身を委ねた――

------------------

 現実世界では女子高生巫女だったとされる早苗さん(※二次設定ね)。早苗の悲壮な運命と早苗が心の奥に押し殺した多くの思い出。そして強い決意の裏に隠された儚い涙を想うと、滂沱の涙が零れ落ちてくるのを禁じえないのである(何

〓東方地霊殿 ~ Subterranean Animism.〓

・タイトル:幻想万華鏡 『月に叢雲花に風』PV
・サークル:満福神社

 雪の降る冬。博麗神社の近くで、急に間欠泉が吹き上がる。温泉で一儲けを企む霊夢であったが、間欠泉とともに吹き出てきたのは異形の者たち……地霊であった。

 吹きあがる“地霊を”止めるため、霊夢と魔理沙は妖怪たちの支援を得て、地底へ飛ぶ。地下へと潜った二人がたどり着いたのは、妖怪からも忌み嫌われるような妖怪たちが隠れ住む“旧都”だった。

------------------

 先生! お空がまだ倒せません! 地霊殿むずかし過ぎだろ常考……ZUNさんが初心者を殺しにかかってきたのかとマジで思った。2ボスのパルスィ、5ボスのお燐、6ボスのお空。全作品中で最強の○面ボスと呼ばれてるとかなんとか。


・タイトル:東方闘犬劇
・サークル:impulse

 これもけっこう昔の動画だったと思うけど、いつの間にかDVDで発売されたのね……そりゃコレは金を出して買う人もいるだろうなぁ。


〓ダブルスポイラー 東方文花帖〓

・タイトル:東方PVD2 『Infinite World』
・サークル:SOUND HOLIC

 ああ……早苗さんが可愛すぎて生きるのがつらい……じゃなくて。

 射命丸文の前に立ちはだかる、もう一人の烏天狗の記者、姫海棠はたて。二人はライバル、互いの新聞の発行部数を競い合う――
------------------

 東方アレンジの超大手であるサウンドホリックまでもが遂に東方の同人アニメに手を出した。デフォルメ的な作品が多い中で、わりと珍しいガチアニメ。

 しっかし。なんで射命丸のカメラはレンジファインダー機、それもライカM3っていう風潮なんだろうね……。そこは旭光学工業(現ペンタックス)が作った日本初の一眼レフ・アサヒフレックスⅠで行こうぜ!

 カメラを東方自機に例えてみると、

 キヤノン:霊夢。使い手を選ばぬ万人向け。
 ニコン:魔理沙。玄人指向の上級者向け。
 ペンタックス:早苗。常識に捉われない変態向け。
 ソニー:咲夜。隠れた高性能、だが主役になれぬ。
 オリンパス:妖夢。もっと評価してやれよ!


〓東方香霖堂 ~ Curiosities of Lotus Asia.〓

・タイトル:「東方活動写真館 終幕 東方恋隣童」
・サークル:東方活動写真館

 魔法の森の入り口にある古道具屋・香霖堂(こうりんどう)。店主である、人間と妖怪のハーフである森近霖之助(りんのすけ)は、外の世界で忘れられ幻想郷へと流れ着いた、使い方のよく分からない道具を拾い集めて売る生活を送っていた。そんな霖之助の元へと、人間・妖怪、多くの者たちが訪れる。
------------------

 東方Project中、唯一の男性キャラである森近霖之助が登場する作品。白状すると、香霖堂ってまだ読んだことないんだよねえ。

 「儚月抄」「三月精」「鈴奈庵」……東方の公式コミックもあれこれと増えたもんだ。


〓秘封倶楽部〓

・タイトル:東方活動写真館 第二幕 OP
・サークル:東方活動写真館

 近未来の日本。京都の大学に通う、宇佐見蓮子とマエリベリー=ハーン(愛称:メリー)。霊能とオカルトを探求するサークル“秘封倶楽部”のメンバーである蓮子とメリーは、メリーの「結界の境目が見える程度の能力」を通じて、幻想の世界を垣間見る。

 そう。自分たちとは違う世界に生きる多くの妖怪たちと、少しの人間たちの物語を。幻想郷の開闢を――

------------------

 もうここまで行くと、相当コアな領域ですよ。いやだって東方本編には全く出てこないキャラ&ストーリーですから。なので、秘封の薄い本ってやっぱり少ないけど、その分、秘封ファンはとんでもない東方廃人が多い。そして彼らはのたまうでしょう、「蓮メリちゅっちゅ~♪」と。



 とりあえずはこんなもんかな? 他にも東方星蓮船、東方神霊廟やら、格ゲー製作サークルの黄昏フロンティアとタッグを組んだ東方萃夢想、東方緋想天、東方非想天則、東方心綺楼があったりする。

 ああ、各々の動画に使われてる曲については、東方アレンジ同好会の会長が解説してくれると思うんで、省略ってことでー。

Posted at 2012/12/09 14:34:08 | コメント(1) | トラックバック(0) | ヲタク | 日記
2012年12月06日 イイね!

「MR2の系譜」 AW編 第01回 ~主査・吉田明夫~

「MR2の系譜」 AW編 第01回 ~主査・吉田明夫~ 時に1973年。一人の男が、アメリカ合衆国南カリフォルニアに降り立った。

 男の名は吉田明夫、トヨタ自動車の技術者である。これが全ての始まりだった。

 1984年、AW型MR2発売。1989年、SW20型MR2発売。1999年、ZZW30型MR-S発売……30年にも及ぶトヨタ・ミッドシップヒストリー。日本初のミッドシップとして登場したMR2シリーズ、その本質と根源は何であったのか。如何なる歴史と系譜によって綴られて来たのか。そのコンパクトなボディにエンジニアたちが込めた思想は、哲学は、情熱はどのようなものであったのか――

 「背中にはふたりを酔わせるハートがある」

 “MR2の系譜”、本稿を2009年に他界された初代MR2開発主査・吉田明夫技師。そして、2010年に急逝された、歴代MR2シリーズマスターテストドライバー・成瀬弘技師に捧ぐ。

~吉田明夫、アメリカへ~


 ※2008年。トヨタ博物館にて、AW11型MR2のイグニッションを回す生前の吉田明夫主査。現在、故人。

 吉田は1928年(昭和3年)、現在の愛知県豊田市に生を受けた。1958年(昭和33年)にトヨタ自動車に入社した吉田は実験課へと配属され、乗用車における振動や騒音のテストを担当。初代カローラの開発実験にも携わり、初代カローラの開発テストでは、フロント足回りからの騒音はセッティングではなく設計に原因があると主張し、パブリカ・初代カローラ・初代セリカ・トヨタスポーツ800などを手がけたトヨタ自動車稀代の主査・長谷川龍雄と真っ向から渡り合ったという。

 日本と日本車が目覚ましい発展を遂げてゆく中、破竹の勢いであった日本車の前に壁が立ちはだかる。1970年に北米で提唱された大気浄化法改正法、通称「マスキー法」である。環境問題が取り沙汰される中、このマスキー法に定められた自動車の排気ガスの環境基準は世界一厳しく、これをクリアするのは不可能とまで言われるものであり、世界を席巻せんとする日本車にとって大きな障害となるものであった。

 だが、1972年、ホンダがCVCC(Compound Vortex Controlled Combustion)の開発に成功。これを実装したシビックを投入することによって、世界で初めてマスキー法をクリアしてみせた。続いて1973年には、マツダもロータリーエンジンにおいて、この法律をパスしてみせる。

 もちろんトヨタ自動車でも、このマスキー法を突破すべく研究開発が進められていた。そんな中で、トヨタは北米に排気ガスの基準をクリアするためのテスト施設を建設することを決定。北米へと派遣されることになったのは吉田であった。

 1973年、渡米した吉田は南カリフォルニアのロサンゼルス、レドンド・ビーチに部屋を借りる。70年代のアメリカ西海岸は、独特の若者文化が花咲く中心地であったと言う。後に映画「キャノンボールラン」のラストシーンとして登場するのもこの場所である。

 ロサンゼルス・テクニカルセンター所長となった吉田は現地の若者たちを見ながら、「ここの若者たちにトヨタ車を買ってもらうならどんな物が良いか」ということを考えたと言う。

 70年代、南カリフォルニアの若者たちが好んで乗っていたクルマにはイギリス製のスポーツカーが多かった。それらは、決して絶対的な高性能を有してはいないものの、小型で軽量、小回りの利く小粋なスポーツカーであった。例えるならMGミジェット、例えるならロータス・エランがそうであった。


 ※初代ロータス・エラン(1962~1975)

 現代のようなモノコックボディではなく、フレームとボディが別々に構築されるロータス・エラン。かつてのイギリスには、このようなオープンカーが数多く存在し、それらは北米においても数多く輸入されていた。もちろん構造上、ハードユースに耐えられるクルマではなかったにも関わらず、荒く無茶に乗り回したアメリカ人たちによって事故が多発。このようなスポーツカーは衰退の憂き目をみる。それから20年近くを経て、このコンセプトを最新の技術で復刻したのがマツダ・ユーノスロードスターである。

 そして、1970年代と言えば空前のスーパーカーブームが巻き起こった時代であった。1968年にはフェラーリ・ディーノが発売され、1971年にはデ・トマソ・パンテーラが登場。同71年にはランボルギーニ・カウンタックが発表される。

 とは言え、それらは若者たちに手が出せるようなクルマであるはずもなかったのも事実。そんな中で、一台のクルマが登場する。それはフィアットX1/9であった。


 ※フィアットX1/9(エクスワンナイン)の北米モデル

 1972年に発売されたX1/9は、フィアット128の直列4気筒エンジン由来のパワートレーンを、ミッドシップレイアウトに移設。FF車の技術を応用することによって安価に製造することを可能とした小型のMR車であった。このような、FFのパワートレーンを流用すれば、比較的簡単にミッドシップ車を作ることができるというのは、1969年に登場したポルシェ914によって知られていたのである。


 ※ポルシェ914。フォルクスワーゲンの部品を流用することによって作られたMR車である。

 フィアットX1/9は、カウンタックを手がけたマルチェロ=ガンディーニによってデザインされたミッドシップ車ということもあり、その姿はまさに「ミニ・スーパーカー」と呼ぶべきものであった。そのX1/9が、アメリカの若者たちに大きな人気を博したのは言うまでもなかったのである。

 さらに、吉田は若者たちの嗜好を次のように分析した。

「要するに彼らの選択の条件はこうなんです。彼女を乗せる程度だから、座席は2人分で充分。そして車体は小回りが効いて扱いやすい。できればオープンであれば言うことはない。帰国してから、この知見を生かす機会があったらいいなあと思っていました」

 自動車が社会に浸透し切った中、ファミリーカーの次に求められるのは、パーソナルユースとして用いる小型のセカンドカーの存在であった。また、吉田自身も毎日のようにステアリングを握り、ロサンゼルスのフリーウェイを走った。非常に混雑するロサンゼルスを走って吉田は、鈍重で大型なクルマの使いにくさと、無駄の多さを痛感したと言う。

 そんな北米における自動車文化と自動車社会のあり方を元にして、吉田は新たなクルマのコンセプトを練り始めたのである。


 吉田がアメリカに渡ってから1年が経過した1974年。結局、マスキー法はアメリカ国内の自動車メーカーからの猛反発によって廃案となる。一説には、マスキー法は北米市場を侵食しつつあった日本車を排除するためのものであったとも言われている。

 トヨタも、ホンダからCVCCの技術を購入するなどして、環境性能の向上に成功することとなり、1974年半ば、吉田は日本へと帰国する運びとなった。

 それから5年後の1979年(昭和54年)、吉田は製品企画室の主査に任ぜられる。製品企画室とは、設計部門と実験部門を統括して新車開発をまとめあげる部門であり、主査とは新車開発においてコンセプトに始まって、設計やデザイン、コンポーネンツの選定や性能の決定、生産工程の構築やマネジメントまでにおいて多大な権限と大きな責任を負う役職であった。

 本来、製品企画室は設計部門出身の人間が配属される場所であり、実験部門出身の吉田が製品企画室主査に抜擢されたのは、異例の人事であった。

 当時、トヨタは昭和53年の日本国内の排ガス規制を達成。また、世間における神経質なまでの環境問題に対する態度も沈静化しつつあり、暗黒の時代から自動車と、一度は鳴りを潜めていたスポーツカーに対する関心が再び高まりつつあり、中でも1978年にマツダが発売したSA22C型RX-7は大きな注目を集めていた。そんな情勢にあって、トヨタでも次代のクルマと、スポーツカーのあり方の模索が行われていた。

 そんな1979年。当時のトヨタ自動車社長であった豊田英二が、製品企画室の主査全員を集めて、異例のスピーチを行った。テーマは「トヨタの現状」についてであったという。その中で5代目社長となっていた豊田英二は、主査たちに次のように述べたという。

「従来の発想では考えられないようなコンセプトの車輌が、常識では考えられない一味違った車種が将来のトヨタにはあってもよいのではないか」

 1913年、豊田英二は豊田佐吉の弟である豊田平吉の次男として生を得た。英二は、太平洋戦争以前より、トヨタの自動車開発と技術研究。量産のための資本・資材・機材の調達と量産体制の確立に尽力し、伝説の主査・中村健也と共に国産乗用車第一号とされる初代クラウンを開発成功に導いた人物であった。また、「主査」の役職を考案し、中村健也をトヨタ初の主査に任命したのも豊田英二である。

 「主査の皆さん。どうか一度、真剣に考えてみて欲しい」。無数の修羅場を中村健也と共に乗り越えて、誰よりもクルマ作りの難しさを目の当たりにしてきた豊田英二は、一時間に渡るスピーチの中で、次代を担う主査たちに語った。

 「レドンド・ビーチでのアイデアを実践する時が来た」。英二の言葉を聞いた吉田は思ったと言う。

 そして、日本初ミッドシップ・MR2の開発プロジェクトはついに動き出した――


参考文献:(長いので今後省略します)

・「トヨタMR2 E-AW10/11系」 新型車解説書 並びに追補版
・「トヨタMR2 E-SW20系」 新型車解説書 並びに追補版
・「トヨタMR2 E-SW20系」 整備書 並びに追補版

・「MR2 AW10/11」前期型カタログ
・「MR2 AW10/11」後期型カタログ

・「MR2 SW20」Ⅰ型カタログ
・「MR2 SW20」Ⅱ型カタログ
・「MR2 SW20」Ⅲ型カタログ7
・「MR2 SW20 ビルシュタインパッケージ」カタログ
・「MR2 SW20」Ⅳ型カタログ
・「MR2 SW20」Ⅴ型カタログ
・「MR2 SW20」ドイツ版カタログ
・「MR2 SW20」北米版カタログ
・「MR2 SW20」 社内限定セールスマニュアル
・「MR-S」前期型カタログ
・「MR-S」後期型カタログ
・「MR-S Vエディションファイナルバージョン」カタログ

・「GORO」1982年 1月14日号/小学館
・「GORO」1984年 1月26日号
・「GORO」1984年 6月28日号

・「CG CAR GRAFFIC」1983年12月号/二玄社
・「CG CAR GRAFFIC」1985年12月号
・「CG CAR GRAFFIC」1987年12月号

・「driver ドライバー」1985年10月20日号/八重洲出版

・「J's Tipo」1998年1月号
・「AUTO PLUS」2000年9月号
・「J's ネオ・ヒストリックArchives 『TOYOTA MR2&MR-S』」/ネコ・パブリッシング(おススメ)
・「I LOVE A70&80 TOYOTA SUPRA」
・「CAR magazine」2012年7月号(おススメ)

・「Racing on」2004年8月号/ニューズ出版
・「Racing on WRC 2001 VOL.3」

・「日本初ミッドシップ トヨタMR2とトヨタスポーツ」/岡崎宏司 新潮文庫

・「ベストカー」号数不明(グループS仕様の記事について)/三推社
・「ベストカーガイド増刊 オールアバウト TOYOTA MR2」昭和59年8月/三推社(おススメ)

・「ベストカー・クロニクル」/講談社BC

・「Xa Car」1999年8月号/三栄書房
・「モーターファン別冊 ニューモデル速報 第29弾 MR2のすべて」
・「モーターファン別冊 ニューモデル速報 第46弾 MR2のすべて」
・「モーターファン別冊 ニューモデル速報 第78弾 新型MR2のすべて」
・「モーターファン別冊 ニューモデル速報 第257弾 MR-Sのすべて」
・「モーターファン別冊 illustrated Volume32 特集 ミッドシップ 理論と現実」(おススメ)

・「CARトップ」昭和59年6月号/交通タイムス社
・「CARトップ ニューカー速報No.23 MR2」
・「CARトップ ニューカー速報No.74 NEWスープラ」

・「トヨタテクニカルレビュー」Vol.47/オーム社

・「CAR and DRIVER」1990年1月10日号/ダイヤモンド社

・「Best MOTORing」1990年1月号 (Ⅰ型初登場)/2&4モータリング社
・「Best MOTORing」1992年3月号 (Ⅱ型初登場)
・「Best MOTORing」1994年1月号 (Ⅲ型初登場)
・「Best MOTORing」1995年8月号 (ビルシュタインパッケージ登場)
・「Best MOTORing」1996年9月号 (Ⅳ型初登場)
・「Best MOTORing」1998年4月号 (Ⅴ型初登場)

・「ハイパーレブ Vol.21 トヨタMR2」/ニューズ出版
・「ハイパーレブ Vol.50 トヨタMR2 No.2」/ニューズ出版
・「ハイパーレブ Vol.63 トヨタMR-S」/ニューズ出版

・「タツミムック チューニングトヨタ MR2&MR-S VOL.1」/辰巳出版
・「タツミムック チューニングトヨタ MR2&MR-S VOL.2」/辰巳出版
・「タツミムック チューニングトヨタ MR2&MR-S VOL.3」/辰巳出版

・「ROAD&TRACK'S Guide the ALL New TOYOYA MR2」(おススメ)
・「TOYOYA MR2 Japan's First Mid-Engined Production Car」
・「HPBooks TOYOTA MR2 PERFOMANCE」

 ……他。

資料提供:(下記のお二人には、大変貴重な資料を提供して頂きました。ありがとうございます)

・アルティマ♪ 様
・つの@SW20 様

車輌協力:(今後も、どなたかに協力をお願いすることがあるかもです)

・しょっぺた 様

Posted at 2012/12/06 19:17:07 | コメント(1) | トラックバック(0) | MR2の系譜 AW編 | 日記

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