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2025年09月07日 イイね!

ぼくたちが「カリ城」を映画館で観たのは、いつ、どこだったのだろう・・・


 皆様、ご無沙汰しております・・・m(_ _)m 。






 さて今回は、みん友様のブログで拝見し、また色々と話題のこの動画をネタとして一文をしたためる予定でしたが、文章をあらかた書き終えたところで小輩のミスにより吹っ飛んでしまい、しおしおのパー状態に・・・





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 なので気を取り直して、今日はこの映画の極私的ネタにしたいと思います。

 以前にも拙ブログのどこだったかみん友様へのコメントだったかに書いたことがありますが、ひと様に自慢できるなにものもない(レパードも売却して久しいしなぁ・・・)わたしの数少ない自慢が「小学3年生の12月、学校の友達と連れだって久留米の『映画館で、リアルタイムに』カリ城を観た」事であります♪。

 wikipedia;
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%B3%E4%B8%89%E4%B8%96_%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%81%AE%E5%9F%8E
によると、カリ城が劇場公開開始されたのは「1979年12月15日」「東宝の配給」であったとのこと。



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 ぼくたちが映画館に行ったのは「12月の日曜日」。当時ぼくたちは、CMでバンバン事前広告され話題だった「戦国自衛隊」がいよいよ劇場公開されたとのことで早速みに行こうとしたつもりが、横並びで建っていた2つの映画館の一方で「カリ城」をやっており、2つの映画館のポスターを見てどちらにするか皆で迷った末、「戦国自衛隊は小3のぼくらには、やはりちょっと難解なんじゃないだろうか」と考えてカリ城を選択し、結果大満足した訳ですが、wikipedia;
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E5%9B%BD%E8%87%AA%E8%A1%9B%E9%9A%8A_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

によれば、戦国自衛隊が劇場公開開始されたのも同じ「1979年12月15日」、こちらは「東宝・東映の配給」であったとのことです。


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そして翌日の月曜日は学校で映画の話題で大いに盛り上がった記憶がありますので、このカレンダーからすると、ぼくらが映画を観たのはおそらく「1979年12月16日の日曜日(23日の可能性もありますが、それだと2学期の終業式の後になってしまう可能性大)」だったのでしょう。




 ところで当時ぼくたちが行った映画館。場所は今でも覚えていますが、以前の拙ブログ;https://minkara.carview.co.jp/userid/549571/blog/46616119/ にも書いた元タイホー六ツ門店、そこの再開発工事現場(1983年に「ショッパーズ久留米店」として開業。現 くるめりあ六ツ門)の裏手に並んでいた映画館でした。同店の開業前に2館とも閉館し、同店の立体駐車場となりましたので、ぼくたちが映画を観てほどなく閉館したようです。



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 1975年の国交省空中写真をみても、確かに映画館っぽい建造物が2つ並んでいるのが確認できます。

 この映画館が何であったのか、それを解く鍵は、
 https://www.highmart-kurume.co.jp/highmart/pdf/natukashimap_naka.pdf

 https://hekikaicinema.memo.wiki/d/%B5%D7%CE%B1%CA%C6%BB%D4%A4%CE%B1%C7%B2%E8%B4%DB

の2つにありました(up主さま、貴重な情報ありがとうございます)。



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 上記に掲載されている昭和32年頃の地図によれば「久留米東映」と「寿座」の2館が同地には存在していたようです。東映はともかく「寿座」は分からんなあ・・・と思いましたが、上記の記事によると、

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寿座はのちに「(久留米)有楽座」となり、1982年頃閉館となった模様です。


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 久留米東映は同時期に六ツ門のアーケード街に移転、閉館後も現在までその面影をとどめてはおります。久留米東映で「東宝配給」のカリ城を上映する筈はありませんので、久留米有楽座でカリ城が、久留米東映で「東宝・東映配給」の戦国自衛隊が上映されていたと推察できる=ぼくらが行った映画館は久留米有楽座であろう、と判断できました!



 しかしながら、40年以上も前に閉館した映画館の外観、昔の久留米・筑後の写真本をみても見当たらないなあ・・・となかば諦めておりましたが、



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「そういえば亡父の卒業アルバムに、総和30年代の久留米の歓楽街の写真があったよなあ・・・」とふと思い出して覗いてみたところ、




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 なんと、昭和30年代の有楽座の写真が載っていました!!



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 この写真が撮られた頃は「5つの銅貨」「夜を楽しく」という映画が上映されていたようです。Wikipedia;
 https://ja.wikipedia.org/wiki/5%E3%81%A4%E3%81%AE%E9%8A%85%E8%B2%A8

によるこれらの映画の本邦公開年からすると、この写真は1960年に撮影されたものでしょう。また前者はジャズ・コルネット奏者レッド・ニコルズの半生を描いた作品らしく、その他にも「サッチモは世界を廻る」とかも上映していたようで、洋画中心の上映館(昔「トランザム7000」を観たのもここだったのかしら・・・)&店主はジャズ好きでもあったのでしょう。
 なお一方の久留米東映では「旗本退屈男 謎の暗殺隊」(同じく1960年公開)などを上映していたようです。



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 今では人通りも少なくうら寂れたこの路地も、映画産業が隆盛を誇った昭和30年代を中心に、かつては栄華を極めた時代もあったのだなあ・・・と感無量ですが、なんにせよ40年以上前の謎解きができたので満足しております。一緒に(大人の引率もなくw)映画に行った悪ガキ共、小学校の卒業以来ほぼ会うこともありませんが、みんな元気でしょうか。


 しかしながら、こんなブログを書いていたら・・・


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 子供の頃に何回か連れて行ってもらい、亡父も「久留米で一番美味い」と言っていた伝説のラーメン屋「萬里」、もう一度食べたくなって仕方がありません(苦笑)。ではでは。

Posted at 2025/09/07 12:09:07 | 昔の追憶 | 日記
2022年12月25日 イイね!

幼少時の追憶 その②;タイホーとオアシスとイチコーのルーチェと。



 クリスマス&コロナ禍の中、こんな超ローカルでおかしな追憶記事を書いている自分、本当に「なんだかなぁ」と思いつつ(苦笑)、書き進めさせて頂きます・・・ 




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 わたしはtwitter民ではありませんので直接お礼はできないのですが、まずはじめに、このような貴重な資料の存在を知らしめて下さいました;

 https://twitter.com/supertaiho

 の主の方に深謝申し上げますm(_ _)m 。

 なお、今は無きこの地元スーパーの概略につきましてはwiki;

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%9B%E3%83%BC_(%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88)

 などに詳しいのでご参照下さいませ。




 さて、今では見るかげもありませんが、昭和時代のK市において繁栄を誇っていた「六ツ門」界隈。


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 (写真はwikiより拝借)

 井筒屋デパート(2009年閉店)や・・・・



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 (写真は上掲書より拝借)

 あけぼの商店街~サンロード六ツ門といったアーケード街。またその一角には・・・



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 (*適切な写真がないため本書より低画質変換の上紹介しますが、関係者より著作権のご指摘があれば削除させて頂きます)

「栄養通り」という、柳橋連合市場や旦過市場のミニ版のような市場などで賑わっておりました。




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 そしてかつて「ショッパーズダイエー」であったこの店舗。ここには昭和53年まで・・・



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 (写真は上掲書、およびいつもの航空写真1975年度版より拝借)

 上記の地元スーパー本店が存在しておりました。

 わたしは、この店舗写真をずっと探していたのです・・・・(泣)。長らく忘却の彼方にありましたが、たしかに隣には駐車場があったような記憶が、この写真を見て脳裏の奥底から浮上して参りました。そしてこのスーパー、

 https://minkara.carview.co.jp/userid/549571/blog/41229775/

にも昔話を少し書いたことがありますが、ここの1階入口付近には、いずれも当時珍しかった「瓶入りスコール」の自販機(これは、流石にネット検索しても今のところ画像が見つかりません)や・・・



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 (写真は、当時の自販機のオモチャw のオークション画像をキャプチャー)

 「オロナミンC」の自販機、そして・・・



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 (写真はメーカーHP;https://www.hoshizaki.co.jp/company/history.html  よりキャプチャー)

 現在に至るまでここでしか見た事のない、伝説の「オアシス」の自販機がありました。確か、一杯20円だか30円であったように記憶しております。


 そして店内は、1Fが食料品、2Fはたぶん衣類など、そして3Fがおもちゃなどの売場であったと記憶しており、上階には・・・・



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 上掲の;
 https://minkara.carview.co.jp/userid/549571/blog/41229775/
 にも以前書いたように、1人分の幅しかない狭いエスカレーターで上っていったものです。



 幼稚園の年長であった昭和51年か52年、知人の方に3階のおもちゃ売場で買ってもらったティントーイ。既にもっと新しい車種のものもあったに違いないのに、あえて「これ、他では見た事ない!」とコーフンして買ってもらったのが、そう、




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 (写真は某オクの出品画像よりキャプチャー)

 イチコーの初代ルーチェセダンでした♪。旧車好きの心、これだけは本当に三つ子の魂の頃から現在まで全く変わるところはない!と、断言できるものです。





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 閑話休題。そんな懐かしいタイホー六ツ門本店、上掲書によれば昭和40年に増改築されたという比較的新しい建築物であったにもかかわらず・・・・




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 六ツ門地区の再開発のため昭和53年11月に閉店(当時も十分に多くのお客さんで賑わっていた記憶があり、経営難というより、ここにも書かれておりますように創業者の地域開発への貢献のためあえて「一歩引く」判断であったものと信じられます)し、跡地には「ショッパーズダイエー」ができて賑わっておりましたが、今では・・・(以下略)。





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 タイホーではその他、学生時代の通学路にあった西町店や・・・



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 十三部店や自衛隊の近くにあった国分店、また、



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 以前の拙ブログ;

 https://minkara.carview.co.jp/userid/549571/car/1357988/4489051/photo.aspx

 にも記載した、愛しのスクラップヤードを消滅させた憎っくき店舗である(苦笑)八軒屋店などが懐かしく思い出されます・・・






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 タイホーの、というよりその創始者であった故・靍田松男氏の経営理念、正に「これに尽きる」といった感であり、今でも色褪せることはありません。




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 (写真向かって右から2番目が靍田氏。真中はこれもK市の戦後の発展に多大な貢献を果たした近見元市長)


 氏は占守島の戦い~シベリア抑留から帰国した真の苦労人であり、経営難に陥っていた旧・十合ストアの経営再建を引き受けタイホーとして発展させ、その他、今に続く「水の祭典」や歩行者天国の開催に尽力するなど様々な地域貢献を行った事でも知られるなど、地域で一目置かれる存在であったそうですが1994年没。その後「経営の柱」を喪ったタイホーは徐々に衰退し(各店舗に訳わからんサブネームを付けるなど、その末期は迷走の極みでした)、イオン九州への店舗譲渡という形で2008年に消滅、今や記憶の彼方です・・・








 湿っぽく終わるのも何ですので(汗)、タイホー~ショッパーズの時代からその道向かいに存在するラーメン屋さん。店舗は建て替わり、味も臭い(笑)も時代を反映してややマイルドにはなりました(幼少時のここは、それこそ100m手前からとんこつスープの臭いが漂っていたものです)が、今も健在なのは喜ばしい事です!! ではでは。

Posted at 2022/12/25 11:30:05 | 昔の追憶 | 日記
2022年12月01日 イイね!

小ネタ連発 その②;いよいよ師走ですね! 交通安全の願いをこめて・・・


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 この写真を掲載させて頂きます(笑)。



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 いまでも仮面ライダーが町の交通安全のシンボルとなっているらしい大分県玖珠町ですが、そのルーツは、1970~80年代にかけてR210沿いに存在したこの看板にあるのです!! 今回、この伝説的?看板を写真に残していた方が他にもおられないかネット検索してみましたが、どうもおられないようですので(汗)、時代の記録として掲載させて頂いた次第です。




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 ちなみにあの看板写真は1985年、中3の夏にふと思いたって(苦笑)久留米-湯布院間をチャリで往復した際に撮影したもの。これは今は無き水分峠レストハウスを背景にした当時の愛機モンテカルロ。峠超えに備え4灯ヘッドランプなどを外したライトウェイト仕様(笑)。拙ブログに掲載している古の旧車写真の何枚かはこの際に撮影したものです。当時から厨2病気質全開のわたしでしたが(爆)、中3だけあって1学年分くらいはましな記録を残していたものだと、今にしてあの頃の自分をほめてあげたいです(笑)。そういえばこの看板の近所にも・・・



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 写真の柿の種や亀の井バスの日野ブルーリボンの廃車体などがありましたね。
 後者も写真を撮っていた筈でしたが、どこにいったのやら・・・



 何はともあれ皆様「スピードおとせ」で安全運転を! ではでは。


Posted at 2022/12/01 18:59:14 | 昔の追憶 | 日記
2022年05月05日 イイね!

連載記事のエピローグに代えて;憧れは、それと知らないうちに手に入れて、それと知らないうちに手放してしまっていたのだと、後で気がついても手遅れだったという話。。。



 GWもいよいよ終わり。皆様は有意義にお過ごしになられましたでしょうか?

 みん友様ならご存じのように、わたしはこのGWをまったりと、久しぶりの連載記事;
 
 https://minkara.carview.co.jp/userid/549571/car/1357988/5066627/photo.aspx


 https://minkara.carview.co.jp/userid/549571/car/1357988/5067001/photo.aspx


 https://minkara.carview.co.jp/userid/549571/car/1357988/5067509/photo.aspx




 https://minkara.carview.co.jp/userid/549571/car/1357988/5069053/photo.aspx


の執筆に費やすことができて満足しております(家族はどうだったかは知りませんw)。


 今回、かつての日本のプラモ史を辿っていく中で様々な発見をしましたが、最後に最大の(そして最高に落ちこんだ・・・)気付きがありましたのでエピローグに代えさせて頂きます。








 以前より記しておりますように1986年、例の「スロットレーシングモデルバイブル本」でその存在を認識してから、コグレのカー・プラモデルはわたしにとって永遠の憧れです。




 (*写真は某オクよりキャプチャー)


 その数年後の1988年、高3の学園祭でプラモ展示を行った際の自分の筆頭出品モデルは、学校近くの寂れた文具店で発掘・購入したバンダイ1/16のインディ・ローラ・フォードでした。言うまでもなくこのモデルは・・・














 (*画像は某CG誌1966-12号より)


伝説のイベント、1966年の日本インディで J. スチュアートが優勝したマシンのモデル化であります。




 (*画像はAucf●ee からのキャプチャー)


 このモデル、古いキットにもかかわらず、ほぼ素組みでの出品でしたがなかなか雰囲気の素晴らしいものであり、例の本で、






 
 往年のバンダイのカー・モデリングの技術力も認識していただけに「さすがバンダイだなあ」と感心し、自室に飾っていたものの大学進学により実家に放置状態となり、そのうち少しずつ部品が欠損、最終的には実家の取り壊しの際に処分してしまいました・・・




 ・・・時は流れて20年後。今回の連載に向けて勉強をする中で、

 https://ameblo.jp/akasikogorou/entry-12617072803.html


 バンダイはコグレの金型を継承する形でプラモデル業界に参入したこと、そして・・・
 
 https://ameblo.jp/porsche356a911s/entry-11891254809.html

 
にある1967年の広告写真を見ると、件のインディ・ローラ・フォードは同社の「インディ500 シリーズ」として、同社の最終期に発売されたようであることが分かり、さらに某オクで最近出品のあった商品により、





 現存も確認できました。


 タイトルは正に、今のわたしの正直な感想です。あれのオリジナルがコグレであったと知っていたならば、決して捨てたりはしなかっただろうと・・・(泣)。




 往年のコグレ製品や当時買いそびれた幾多のプラモを今、買い直す気はわたしにはありませんが、このバンダイ製のローラ・フォードはできれば是非、買い直してみたい製品です。
 できれば2個買って、1個は自分で「あの当時のように」素組みし、そしてもう1個は当時妄想したごとく、プロモデラーの手に委ねて・・・




 (*写真はwikipediaより拝借)


 「Hondola」こと、RA300(あの、1967イタリアGP仕様)に大改造してもらいたい!

 現在のわたしの、ささやかな妄想です。




 それでは皆様、しばしのお別れを。またいつかお会いいたしましょう。ではでは・・・






Posted at 2022/05/05 21:33:30 | 昔の追憶 | 日記
2019年02月24日 イイね!

永遠の退行現象・・・




 皆様、ご無沙汰しておりますm(_ _)m 。


 また北海道の方々、今回の地震は大丈夫でしたでしょうか?





 どうかこんな輩の悪質なデマなんかに惑わされることのないよう、くれぐれもご注意下さいませ・・・・





 閑話休題。 このところ通常業務も多忙な上、所用にて、







 こんなところや







 こんなところ、はたまた







 こんなところなどに出張を繰り返しており、なかなかブログを書く気力も、my F31と接する時間もありません。一応








 リベンジのためのブツは入手済みなのですが・・・



 そういえば先日行った美らの島では、約15年ぶりに大学時代の旧友(C31ネタで出てくる、GX71クレスタTC24に当時乗っていた同級生)と再会し、これからの身のふり方を自分なりに考えないと・・・と思わされましたし、この件はいずれ「お友達限定記事」にてお話ししたいと思いますが、今日はクルマとは全然関係ない別ネタをば。





 わたしは家人から「アンタほど過去ばかり振り返って生きている後ろ向きな奴はおらんよ!」と呆れられる変人ですので、時々小さい頃に読んだ本が無性にまた読みたくなってたまらなくなる発作が発症します(汗)。


 先日もふと「小さい頃ボロボロになるまで読んで、それを参考にお菓子作りをしたクッキング本がまた読みたい!」という、訳のわからない発作をおこしました(苦笑)。

 しかし本の名前ももう忘れたし、検索するのは難しいかもなあ・・・と思いつつ「昭和 クッキング お菓子 本」といったキーワードで画像検索してみると・・・







 思いのほか簡単に引っかかってくれたので・・・







 某オクで落としてしまいました。







 主婦と生活社の「カラークッキング」というシリーズだったんですね・・・








 この本では・・・







 この「イチゴの牛乳羹」、また作ってみたい! と思い・・・







 誕生日パーティーのおご馳走に「そうそう、昔はロールサンドイッチをカラーセロファンで巻くのが『お約束』だったよなあ」と懐かしさに目を潤ませ、








 そして、お待ちかねのこの本では、











 昔、母のお手伝いをしながら見よう見まねで作ったお菓子たちの記憶が甦り、また

















 この本の一番の「見どころ」である名コラムの数々に改めて感心しました。ちなみに執筆者のひとりである桐島竜太郎(龍太郎?)という方を検索すると・・・







 なかなかの大人物であったようです。



 ・・・本当はこの本でも持って「懐かしの昭和グッズを持ちよって集まるイベント」 なんかにも参戦したいのですが、流石に九州からは行けないのでブログにてシンパシーを表明しておきたいと思います。











 ではでは。




Posted at 2019/02/24 10:43:48 | 昔の追憶 | 日記

プロフィール

「久しぶりの同型車、しかも初期型を割とご近所で発見。初期型だともう20年選手になるだけに、my Megane なんかよりずっと維持も大変でしょうが、可能な限り末永く頑張ってほしい・・・って、ヒトの事言ってる場合じゃないか(笑)」
何シテル?   09/23 07:51
ファーストカーであるメガーヌ・ツーリングワゴン1.6(2009年購入、ph. 2.5) に加え、2011年に縁あってF31レパード・アルティマターボを購入し、2...
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