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すた☆君のブログ一覧

2020年10月05日 イイね!

白鷹城(明智城) ~恵那市明智町~

白鷹城(明智城)を訪れました。

ロド

麓には4台分ぐらいの駐車場がありました。

東側の登山口は、急な斜面の階段から始まりました。

早朝でしたが、既に一人来ていました。

登山口

横堀を横切ると、貯水池がありました。

奥側のくぼみでろ過して、手前のくぼみの下からろ過された奇麗な水が沸き出てくる仕組みです。

自然ろ過装置、先人たちの知恵が見受けられます。

貯水池 自然ろ過装置

木々の間から木漏れ日が差し込んできて、奇麗でした。

腰曲輪

二の丸 虎口 ~ 本丸へ登ります。

虎口 本丸へ

結構広かったです。

本丸 看板

1272年に遠山明智氏の始祖景重が明智を本拠地とし、戦国時代には現在の本格的な山城が構えられました。

本丸の説明板を読むと、1575年遠山一行は、武田軍と戦った と書かれていました。

この歴史から見ると、明智光秀は 遠山明智氏 ということになりますね。

本丸

駐車場から本丸までは、15分ぐらいでした。

登りやすかったです。

二つ続けての山城攻略でしたが、どちらも駐車場から山頂までが近く、ちょうどいい感じの登山でした。

最近、膝が痛いんで、いいトレーニングになりました。
Posted at 2020/10/04 17:08:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | 明智光秀 | 旅行/地域
2020年10月04日 イイね!

落合砦(土岐明智城・多羅砦) 明智光秀産湯の井戸

ここは、天正二年「明智城の戦い」で、武田勝頼が織田信長から奪還した遠山領になります。

その落合砦(土岐明智城 多羅砦)に 「光秀公 産湯の井戸」があるというので、今回訪れてみました。

ロド(早朝でガラガラ)

ここが明智光秀生誕地らしいです。

落合砦が多羅砦と呼ばれる所以が気になりました。

上石津町は、多羅城(西高木家陣屋跡等、町内5か所)が明智光秀の生誕地だと主張して、玉・細川ガラシャ(光秀の娘)の三女の名前は「多羅」だから上石津に由来する とも言っていましたので。


三の曲輪 光秀公産湯の井戸

お城の井戸だけあって、大きくて立派ですね。

駐車場から徒歩1分で着きました。

出丸 二の曲輪① 

砦の山頂も、5分ぐらいですぐ着きました。

登りやすかったです。

出丸 二の曲輪②

砦の山頂は、まあまあ広かったです。

空気は冷たく澄んでいて、快適でした。

展望

麓の村が見えました。

あの辺りに、武田勝頼軍が攻めてきたのでしょうか。

この戦で勝利した武田勝頼は、父信玄の後継者であることがふさわしいという武勇を世に広めました。

明智光秀よりも、「織田信長と武田勝頼の戦」の方が気になった史跡でした。
(笑)
Posted at 2020/10/04 15:33:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | 明智光秀 | 旅行/地域
2020年06月28日 イイね!

「明智光秀生誕の地 多羅城」展へ行ってきました。

「大垣市上石津郷土資料館」 で、「明智光秀生誕の地 多羅城」展をやっているらしいので、早速行ってきた。

パンフ

このテーマを聞いて、まず多くの人たちは寝耳に水だろうが、上石津町の人たちはずっと以前からこれについて研究をしている。

結論から言うと、「なぜ多羅城が明智光秀の生誕地?」だというのかというと、主に二つの根拠があるらしい。


資料館前 

根拠①
東京大学史料編纂所の「大日本史料」の中に、「明智光秀は、享禄元年(1528年)八月十七日、上石津郡多羅に於いて生まれる、多羅は進士家の居城也」 
と書かれている。
これは日本史研究のための最も信頼できる資料集と言われている事実。

*「進士家」とは、将軍家の料理係「進士流」のことを意味し、光秀の兄晴舎が「進士流の後継者」として、将軍義輝に仕えていた。


根拠②
江戸時代の学者 塙保己一(はなわほきいち)の著書「続群書類従」の明智系図の中でも、「光秀は美濃多羅城で生まれる」と書かれている。

この2点になります。


旗 高木家 島津

さらに加えると、こちらもあります。

「光秀の親の出自」
古文書「明智氏血脈 山岸家相伝系図書」によると、
明智光秀の実父(=山岸信周)は「石津郡多羅城」の城主で、明智光秀の実母(市の方)がそこに嫁いだ。
市の方は 明智城主 明智光綱の妹。
妊娠した市の方が里帰りして、明智城で光秀を生んだ。
との事。

生誕地とは、「母の体から出てきた一瞬の場所を言うのか?」それとも、「生まれ育ったところをいうのか?」云々。

「多羅という土地」
1355年に足利尊氏が明智頼兼(明智の祖)に、多羅の領地を与えた。




「明智城落城と多羅城」
「麒麟がくる」では、斎藤義龍が明智城を攻撃したとき、明智光秀はすぐに越前の朝倉氏の元へ落ち延びましたが、実際は、父の家(石津郡多羅)に身を寄せ、
妻子を父に預け、光秀は諸国を旅し修練し、その6年後 1562年に越前朝倉義景に仕えた との事です。

「細川ガラシャと多羅」
明智光秀の娘、細川ガラシャの娘(光秀の孫)の名前は、「多羅」です。
これは偶然でしょうか?
ガラシャはお世話になった「多羅の地」を忘れまいと、娘にこの地名をつけた

と私は考えます。

多羅城

「明智光秀の子供」
長男「晴光」は、山崎の戦いの後、祖父信周によって「大野郡」の山林に身を隠して生き延びた。
後に、出家して、妙心寺の住持となって、父「光秀」を弔い続けた と言われています。



ロド 斜め

甲冑ボランティアでお客さんとお話ししていると、いろんな歴史談議に発展します。

その流れで「上石津町は明智光秀の生誕地と言われています」というと、大体の人は「嘘でしょ? あっち 美濃の東でしょ?」と言っていました。

ですが最近になって、年配の初老の男性から「本当らしいよ。親の生誕地だよ。里帰りしてた時に生まれたって。」

と言われて、地元ながら正直、嬉しく思いました。


ロド 横 遠景

このテーマは面白いので、今後もあちこちでかけて、研究したいと思います。

さて、次はどこに行こうかな。

^^
Posted at 2020/06/28 23:09:09 | コメント(0) | トラックバック(0) | 明智光秀 | 旅行/地域
2020年06月24日 イイね!

「麒麟がくる 岐阜 大河ドラマ館」へ行ってきました。

今年の大河ドラマは、岐阜が中心なので、いろんな史跡へ行きたいと思っていたところに、コロナが・・・。

でも、あちこちが慎重に営業を再開され始めたので、さっそく行ってきました♪

チケット

と言いつつ、実は最初の目的地は、岐阜市の大型プラモデル店巡りでした。

^^;

グフ

目的の 「ドム MG」はありませんでしたが、とりあえず「グフ」で満足。

岐阜市のプラモ店は、金華山の周辺にあったので、その麓を走っていると、「麒麟がくる 大河ドラマ館」の大きな宣伝が目に入りました。

せっかく遠方まで来たし、時間もあったので、ぶらりと寄ってみた というのが真相です。

A(^^;)

岐阜市歴史博物館

新型コロナの影響下ということで、物々しい体制でした。

まず、手のひらで検温。

ソーシャルディスタンスは当然で、数メートルあるけば係員(市の職員の応援?)が。

屋外で入場チケット(600円)を購入したら、建物に入ってすぐの、ゲートを通過する前に、コロナチェック表に「住所と氏名と電話番号」を記入させられました。

正直「はあ?」と思いましたが、クラスターが発生したら後を追って連絡したりするんでしょうね。


なんだかんだで、ようやく入場できました。

セット 全体

平日ガラすきだったんで、のんびりできました。



大画面シアターがよかったです。

光秀役の長谷川さん使用品ではない同じ甲冑

衣装で一番印象的だったのは、ドラマで信長が釣り船から降りた時に着ていた”汚い衣装”かな。
^^;

道三役の元木さん使用の甲冑

これは実際に元木さんが撮影で着ていた甲冑で、ガイドさん曰く

「よく見るとあちこちに傷がついています。」

との事なので、よく見てみると、兜とかに傷が入っていました。



高政

大河ドラマ以外にも、岐阜市の戦国史跡の出土品とか、古代の甲冑の展示とかもあり、当然のごとく、隅々まで見て回りました。

A^^:

五人

1時間ぐらい いたかな。

館内のガイドさんがとても親切にしてくれ、説明してくれたりして、とても居心地がよかったです。

クーラーも寒いぐらい効いていて、とてもよかったです。



光秀横丁 土産屋

ここは信長がメインなはずなのに、光秀を前面に押し出しているところに笑えました。



光秀の自販機

面白いんで、立ち止まり、水を購入。

散策がてら、駐車場まで移動。

ロープウェイ入口

この前来た時、斎藤家の旗、こんなにあったっけなぁ?


山内一豊とちよの婚礼の地

また金華山、登りたいなぁ。

金華山と岐阜城

季節柄、アジサイがきれいでした。

空堀とアジサイ

何度見ても、この空堀は立派ですね。

空堀

駐車場から長良川が見えました。

「長良川の戦い」って、あの辺かな?


長良川

父と子が戦って、父親が子供に殺されるって、切なくなりますよね。

自分も、そうならないように、心がけたいです。
(笑)



ロードスター 金華山の麓。


久しぶりの一人旅でした。


車内 水


ここにドリンクを置くのは、買ってから初めて。
(笑)


信長のバス

帰りに、信長のバスが先導してくれました。


やっぱり私は、戦国が大好きなようです。

また、いろんな史跡めぐりをしたいです。
Posted at 2020/06/25 12:23:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 明智光秀 | 日記
2019年12月20日 イイね!

京都旅行②「明智光秀の首塚」

太秦映画村を出た後、二つほど、久し振りに戦国史跡巡りをしました。

まず一つ目は知恩院の近くにあり、細い道を突き当たったところの駐車場に停めて、歩いて目的地へと向かいました。

小川(北方向)

お店の角に道案内がありました。

車は入れないほどの細道でした。
標識

天正10年 1582年 6月2日、明智光秀は本能寺の変を起こし、織田信長を急襲しました。

御堂 全体

13日 山崎の戦い(天王山の戦い)で秀吉に敗れた光秀は、近江 坂本城を目指しました。

アップ

その途中、伏見区 小栗栖の竹藪で、地元の農民に襲われ重傷。



自害して、家臣に首を討たせました。

説明

15日 首が発見され、18日~晒され、その後、ここに埋められたそうです。

石碑

塚のすぐ横に小川が流れていて、夕陽に照らされてとても綺麗でした。

小川 南側

Posted at 2019/12/20 19:25:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | 明智光秀 | 旅行/地域

プロフィール

「[整備] #ロードスター パナソニック カオス アイドリングストップ専用 N-80、ターミナルアダプター https://minkara.carview.co.jp/userid/572723/car/2397340/8414803/note.aspx
何シテル?   10/29 04:58
旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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