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すた☆君のブログ一覧

2017年08月21日 イイね!

備中高松城址

この日の最後の史跡巡り、ついにやってきた。

『備中高松城址』

・・・しかし、暑かった。




かの有名な、水攻めの舞台だ。

備中高松城址



蓮が生えている池の上に桟橋がかけられていて、天守跡へとつながっていた。

地元の人たちが当時を偲んで作り上げているという印象だった。


全部散策したかったのだが、東屋でカップルが抱き合っていたのが見え、近づけなかった。

白昼堂々と。

お前らはサルか?







天守跡らしきところへと足を運んだ。

すると、英雄のお墓があった。




清水宗治の首塚




ここは空気が違う。

神聖な雰囲気が漂っていた。

サル達への嫌気が一気に吹き飛んだ。





車に戻って、次は堤跡へ。

道が狭くて苦労した。

道細いのに、結構車が走っている。

やっぱ、岡山市は町だね。

これは、駅から歩いていくほうがいいかも。



堤跡



これは凄かった。

高さ、5メートルぐらいあるんだろうか。

戦国のロマンに感動した。




堤の手前が掘られていて、その断面が見え、いろんな跡があったが、一番驚いたのがコレ。






堤を造るのには、大量の土砂が必要。

その土砂を調達するために、お墓の土を持ってきたのだろうか。?

これは人骨か?

当時の状態で見えるというのが凄い。


なんて凄い史跡なんだろう。。。

衝撃が走った。




備中高松城址を離れ、今夜のお宿へ。

途中、こんな看板を見た。



マスカット店



徳島や香川でお馴染みのスーパーだ。

この町は、マスカット町 なんだろうか?


最近、こういう命名、多いよね。

宣伝したいの分かるけど、ちょっとおかしいよ。

続く♪
Posted at 2017/08/21 07:25:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | 黒田官兵衛 | 日記
2015年01月21日 イイね!

姫路の戦国史跡巡り④ 廣峯神社

妻鹿城横の川に沿って北上すると、途中左側に姫路城が見えました。

今度の姫路城は、屋根が白いですなぁ~。

姫路城 遠景

更に北上すると、山に突き当たり、かなりクネクネした道を結構上まで登ると、廣峯神社の駐車場に到着。

どうやらここは地元で人気の初詣スポットらしく、30台ぐらいの駐車場はほぼ満車、幸い1台だけ空いているスペースを発見しました。
^^

看板

黒田一族は、ここの神社のお札にハマグリに入れた目薬(れいこうしゅ)を一緒につけて売って、大儲けしました。

当時廣峯神社の参道には、30軒のお札を売る店がありました。

黒田一族は廣峯神社の御師(お札を作る人)たちを使って、全国の戦国大名たちの戦の情報を得ていました。

黒田はこの商品『御札+ハマグリに入れた目薬』にリベート金を払って契約して、それが大ヒットし、大儲けをしました。

まさに現代にも通じる、ビジネス成功談ですね



黒田如水(官兵衛)は関ヶ原合戦の折、瀬戸内海に3つの港を設けて早舟を整え、中央の状況を3日で豊後(大分)に伝わるようにシステムを作っていました。

彼の情報収集術は、父親からの代々の贈り物だと思われます。

官兵衛はお父さんも凄かった。



ちなみに黒田家発祥の地は、滋賀県木ノ本町(・琵琶湖の北西・黒田郷)なのですが、黒田の始祖黒田宗清(むねきよ)~6代高政(たかまさ)まで、約200年間ここに滞在していました。

しかし、室町幕府10代将軍足利よしたねに仕えていた時、1511年 『舟岡山の戦い』 で抜け駆けをして、追放され、備前福岡へ流され、ここで10年間過ごしました。

そこで、しげたかの代で商売(目薬屋・金融業)で儲けていました。

しかし、宇喜多が瀬戸内海を埋めたので海沿いの儲かる場所が儲からなくなり(儲かる場所はもっと南の海沿いに移動した為)、引越しして、播磨 姫路へ流れ着き、目薬屋でバカ売れして、大富豪になりました。

当時姫路を治めていたのは、赤松家(またここで徳島で訪れた住吉城につながります)で、御着城(この史跡巡りシリーズで最初に訪れた場所)城主の小寺政職(こでらまさもと)に仕え、黒田家は小寺家の家臣になりました。

その後、支城 姫路城代として、黒田職隆(もとたか・官兵衛のお父さん)が入って、その姫路城で、黒田官兵衛が生まれました。

家老になった時、『小寺』姓 を与えられ、黒田⇒小寺 と名前が変わりました。

ちなみに、黒田官兵衛の生まれた姫路城(館)は、今の姫路城の下にあったらしいです。

入り口


・・・前置きが長くなりましたが、日記の続き。

^^;

車でカーナビを見てみると、駐車場から神社までの山道が300メートルぐらいあるのが分かりました。

・・・入り口で写真を撮って(山を登る根性の無い私は)、早々に下山しました。

(笑)


続く♪
Posted at 2015/01/24 07:40:59 | コメント(1) | トラックバック(0) | 黒田官兵衛 | 旅行/地域
2015年01月19日 イイね!

姫路の戦国史跡巡り③ 妻鹿城址(黒田職隆・隠居の地) 

黒田職隆(もとたか)は、黒田官兵衛の父である。

妻鹿城のあった山は、母里太兵衛生誕地のすぐ後ろの山になる。

看板

この看板は素晴らしい。

無料なのが申し訳ないぐらいだ。

入り口に空き缶でも設置しとけば、みんな100円ぐらいは入れるだろうに。

せっかくなので、遠慮なく停めさせていただいた。


駐車場



駐車場からほんの少し歩くと、城山の入り口がある。



城山入り口




入ってすぐ目の前に、城址の石碑が。




妻鹿城址石碑





右には城址の地図が。




城址の地図

地図の上には、何故か息子の絵があった。

(ここはお父さんの城だろうがっ!お父さんを出せっ!)





城址の石碑の写真を撮って満足した私は(山を登る根性も無く)、早々に立ち去る事にした。



駐車場で自治会の皆様に感謝の言葉を心の中で(帰ったらブログで宣伝するからね♪と)つぶやき(お金も落とさず)、いざ出発。



大河で城山が川の向こうから映されていて綺麗だったので、自分でもその写真を撮ろうと、たぶんあれだろうなあと思われる橋に向かって、車を走らせた。





南の橋から




こうやって離れてみると、すぐ横が川という天然の堀になっていて、敵に落されにくいということがよく分かる。




南西から





橋を渡って、くるりと回ってみることにした。






城周り3





いやぁ~、これはなかなか綺麗である。






城周り4





青空と言うのがよかった。






城周り5




城の真横に来た。




ズームしてみてみると、岩盤が目に付く。






岩盤




あそこをよじ登るのはきついだろうなあ。





そんな事を考えながら、次の目的地に向かった。



Posted at 2015/01/23 03:00:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 黒田官兵衛 | 日記
2015年01月15日 イイね!

姫路の戦国史跡巡り ②母里太兵衛生誕地

御着城から海へ向かって南西に進みました。



生誕地の石碑



綺麗で新しい石碑ですね。





説明




私は黒田節の 『酒は呑め呑め呑むならば~ 』のエピソードが好きで、福島正則の名を聞くたびにコレを思い出してしまいます。


^^;


福岡市立博物館に日本号の槍があるそうなんで、いつか見に行ってみたいです。



^^









本堂




後ろの山が、黒田官兵衛の父・職隆が隠居していた城山になります。

西には大きな川、少し南に瀬戸内海という、とても魅力的な土地でした。

^^






・・・あ、戦国ファンの皆さん、ジャンジャン魅力を書き込んでくださいねー。

^^
Posted at 2015/01/16 08:26:17 | コメント(1) | トラックバック(0) | 黒田官兵衛 | 旅行/地域
2015年01月14日 イイね!

姫路の戦国史跡巡り ①御着城址と黒田家墓所 

徳島を早めに出発、姫路へと向かいました。

午前中に黒田の史跡巡り、午後~姫路城へ行きました。





狭い住宅地の間など、さまよって何とか到着。



交通案内




結構分かりやすいじゃないかっ。






石橋






全体図



城址の石碑を挟むように、黒田家の霊廟と小寺家の神社がありました。





城説明




コレを読むと、ここが赤松氏の拠点だったと書かれていたことより、今回徳島で訪れた 住吉城(赤松の城) とつながります。








御着城址石碑









石碑後ろ



石碑の後ろにお城のような塀があって、その後ろは・・・



公園



児童公園。

^^







黒田官半兵衛の顕彰碑 alt='' />



やっぱ、一番の英雄ということでしょうか。

新しいですねー。

^^









城正面



中には史料館があるそうです。






顔出しパネル



子供が喜びそうですね。

^^








建物の横に、黒田家の霊廟がありました。


住宅密集地でした。





霊廟横から








霊廟説明




黒田官兵衛の祖父と母のお墓があります。







霊廟参道







なかなか立派で大きなお墓です。





霊廟正面







家紋



コレはナカナカ細かい、丁寧な彫り物ですね。

職人技が伺えます。

^^






(多分)生母の墓






(多分)祖父の墓




公園に戻ると、おじいちゃんと子供が遊んでいました。

のどかで静かな朝でした。

^^
Posted at 2015/01/16 07:57:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | 黒田官兵衛 | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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