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すた☆君のブログ一覧

2014年05月31日 イイね!

滋賀旅行記② 藤堂高虎の生誕地

彦根からちょっと南に行ったところにある、生誕地の公園に行ってきました。

結構広くて、公園の中央に池があり、その真ん中に銅像がありました。

築城の名手らしく、銅像の後ろには、石垣のモニュメントがありました。

結構、力入れているなあと、驚かされました。

きっと彼は、この町の英雄なんでしょうね。

後ろから



彼の面白エピソードなんですが、旗の丸印が、おもち なんですね。

彼は若くて貧しかった頃、戦帰りに茶店の前を通りました。

お金が無かったのですが、茶店の主人が彼らにおもちをご馳走しました。

その時の悔しさ、惨めさを忘れまいと、彼はおもちを旗印にして、苦しいときにはその旗を見て、自分を奮い立たせて、立身出世しましたとさ。







よいやさー




ところで、彼を嫌いという人を時々見受けます。

理由は、『主君を7度も変えたから』 だとか。

でも、実際にはどうだったのでしょうか。

もしかしたら、何か理由があったのかもしれません。

そう思って、改めて今回調べ直しました。

結論から言うと、彼が言われるようになった原因は、『鳥羽・伏見の戦い』で藤堂家の津藩が裏切ったから、それで高虎の評判も悪く言われるようになった だそうです。


幕末から遡って、先祖の悪口を言う そんなところでしょうか。







どりゃー



では、実際のところ『主君を7度も変えた』は、どのような経緯だったのでしょうか?

①浅井長政に足軽として仕えていましたが、『姉川の戦い』で敗れ、信長の小谷城攻めで戦死しました。

②浅井長政の二人の旧臣 (阿閉貞征と磯野員昌) に仕えていました。

①と②では、浅井家の人たちの元で働き続けた という事になります。
これは、浅井家に尽くしている といってもいいのではないでしょうか。



③織田信澄 に仕えました。
高虎は頑張りましたが、信澄は彼を嫌っていたので、頑張りに応じた加増をさせませんでした。




④豊臣家に仕えました。
③のような待遇を受けたら、主君を変えるのは当然でしょう。
豊臣秀長に仕えていましたが、死去したので、豊臣秀保に仕えました。
しかし彼は早世したので、秀吉に仕え、秀頼に仕えました。
8万石の大名になりました。



⑤徳川家に仕えました。
秀吉の死の近くから、徳川家康に仕えたいと思っていたようです。
秀吉に見切りをつけていたようです。
ここの辺りで豊臣家を捨ててと言われるかもしれません。
関ヶ原合戦後、20万石の大名になりました。
家康⇒秀忠⇒家光

で、この世を去りました。



こう振り返ってみると、どうでしょうか。大きく分けると、浅井家⇒織田家⇒豊臣家⇒徳川家

で、織田家は待遇が最悪だったし、浅井家も衰退していたので、『主君変えた!!』と騒ぐのは実際、豊臣家⇒徳川家 の1回だけではないでしょうか。





動くわけねーじゃん








藤堂高虎。

私は結構好きです。

部下を大切にしたとか。



興味のある人は、ちょっと彼について調べてみれば?








正面
Posted at 2014/05/31 17:48:26 | コメント(3) | トラックバック(0) | 藤堂高虎 | 旅行/地域
2014年05月30日 イイね!

滋賀旅行記①  彦根市  ~佐和山 石田三成の城があった山~

滋賀旅行記①  彦根市  ~佐和山 石田三成の城があった山~下のトンネルをくぐる前に遠くから写真を撮りました。

車で走ると一瞬ですが、

『ああ、ここにお城がたっていたんだなぁ』

とか

『関ヶ原合戦が終わった後、この道を通って、小早川秀秋とかが石田を滅ぼしに進軍したんだなぁ』

とか

想像しながら走っていると、胸が痛くなってきます。

写真のずっと右の方に、彦根城や琵琶湖があります。

山の右の麓には、井伊家の菩提寺があります。

井伊直政とかが眠っています。
Posted at 2014/05/30 19:05:19 | コメント(1) | トラックバック(0) | 石田三成 | 旅行/地域
2014年05月30日 イイね!

静岡旅行記 ⑤  ~三保の松原・富士山を追いかけて~

久能山を下山して、三保の松原へ行きました。

平日の夕方にもかかわらず、たくさんの観光客が来ていました。

三保の松原

続いて、清水港のまぐろ館で今朝取れたばかりの生の本マグロ丼を食べ、あまりの美味しさに舌鼓(前回載せたので飛ばします)。






富士山



晴れていたので、富士山がよく見えました。

時間の許す限り、北上して、富士山の姿を追いかけました。



帰る方向とは逆の、

逆走です。












渋滞


こんなに雄大な姿が見えるなんて、渋滞でも苦にならないだろうなぁ。





大分日が暮れてきたので、高速道路に入り、Uターンして、岐阜方面へ引き返しました。





サービスエリア




眼下に見える街の景色とかとマッチして、きれいでした。


静岡旅行、もう少し時間が合ったら、駿府城(徳川家康が生涯を閉じた場所)も行きたかったのですが、いけなくて心残りになりました。

また次回、リベンジしたいです。

^^

Posted at 2014/05/30 18:45:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旅行 | 旅行/地域
2014年05月29日 イイね!

ウルトラマン展  滋賀県・佐川美術館

ウルトラマン展  滋賀県・佐川美術館滋賀の守山にある美味しいケーキ屋さんめがけて走っているとき、道の駅でポスターを発見、面白そうだし時間もあったんで、ちょっと立ち寄ってみました。


美術や彫刻には全く興味がないのですが、ウルトラマン展は面白かったです。

ウルトラマンは、初代~ ウルトラセブン、帰ってきたウルトラマン、ウルトラマンタロウ、ウルトラマンエース、ウルトラマンレオとアストラ、ウルトラキング ウルトラマン80 のマスクや銃や隊員の衣装や怪獣の巨大フィギュアなどありました。

撮影に使われた、数十年前の飛行機の模型があって、あまりにもつくりが雑なので、

『これがTVになると本物みたいに見えるんだなあ』と、映像のマジックに驚かされました。


また、こぶしが異様に大きなウルトラマンフィギュアとかあって、

『ああ、これが変身の時にくるくる回るシーンに使われていたんだなあ』とか思ったりして、とても面白かったです。



ウルトラマン展、凄かったですがそれ以上に凄かったのが、この美術館の周りの水の巨大プールというか、お堀というか。。。

深さは20センチぐらいで、広いのなんのって、自分の家の周りにもこういうの作りたいなあとか、思いました。
(笑)




Posted at 2014/05/29 16:15:55 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2014年05月29日 イイね!

静岡旅行記④ 久能山東照宮~徳川家康の墓~

続いて以前から行きたかった 久能山東照宮へ行きました。

ここには、徳川家康のお墓があります。

ただ、お墓は皆さんご承知の通り、日光東照宮です。

家康が死んだ直後は、ここに葬られていましたが、その後家康の遺言により、日光へと移動されました。


とすると


今ここのお墓は形だけ?

お墓の下には何もない?


麓のみやげ物やで駐車場を借りると、お店の方が簡単にガイドしてくれたので、ちょっと核心をついた質問をしてみました。


『ここのお墓には、家康の骨は埋められているんですか?』


すると、『家康の骨を分骨して、ここにも埋めてあるらしい』との事でした。







7年前にきたいちご屋に再びやって来ました。

いちごやと久能山

あの頃は歴史には全く興味がなかったので、見えていませんでした。

すぐ後ろに、久能山があったんですねぇ。

あそこの山頂に、徳川家康が眠っていたんですねぇ。



当時、どえらいたくさん、観光バスが入って行っていて、

『いったい、あそこには何があるんだろう?』

『この地方で人気の神社でもあるのかな?』

ぐらいの意識しか持っていませんでした。


見えてなかったんですねぇ。。。












階段は1159?段ぐらいあるそうなんですが、階段の高さが低いので、そんなに思ったほどたいしたことありませんでした。

ただし、最後の50段は段差が高くて、きつかったです。


久能山は、海岸にあるので、登るときれいな海がみえます。







ここの山頂に徳川の博物館があり、そこも今回の旅行の楽しみの一つでした。

島左近のかぶとがある と以前本で読んで楽しみにしていったんですが、展示されていませんでした。

徳川家康の遺品がたくさんありました。

家康が使ったはさみが、重要文化財の扱いで展示されていました。

・・・天下取ったら、どこにでもあるような普通のハサミでも重要文化財になるんだなあ(その基準がくだらないなぁ)と思いました。

家康や徳川将軍たちのかぶとや甲冑が展示されていましたが、どれも作り直されていて、きれいすぎて、正直がっかりしました。

作り直していない手を加えていない、家康の手垢がついたボロボロの甲冑を展示して欲しかったです。

でも、家康が持っていたというカラクリ時計は大変見ごたえがあり、一番良かったです。





のぼり坂




東照宮というだけあって、豪華絢爛なハイカラな中国っぽい建物がありましたが、私は特に興味もなかったので、ほとんどみませんでした。



最後の階段50段を登ると、家康のお墓がありました。



家康の墓



それにしても、昔の人はこんなに高い山の上に、よくこんなものを造ったもんだなあと、感心させられました。

やっぱ、昔の人は凄いです。

^^



Posted at 2014/05/29 01:22:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | 徳川家康 | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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