今夜のブログは・・・
「首都高ナビマップ」を片手に読んでいただけると、さらに楽しんで頂けるものかと思います。
首都高都心環状線の銀座界隈。
皆様ご存知のように、カーブがきつく、車線の真ん中に邪魔な橋脚がある、あの辺りです(笑)
川を埋めて作ったルートなのは有名な話ですが、その河川というのが「築地川」です。
今夜はその築地川にスポットを当ててみましょう。
築地川は人工の河川ではなく、江戸時代の造成で海を埋めずに残したものが河川となったらしい。
中央区明石町(現在の聖路加国際病院のあたり)で隅田川から別れ、C1新富町出口まえの「入船橋」を通り、C1を汐留方面に沿って、浜離宮恩賜庭園の東側を通って隅田川に流れるのが、おおまかなルート。
某日、「ブラタモリのごとく」現地入り。
今回のスタート地点は首都高C1新富町出口付近。
画像中央のスロープの左車線がC1外回り、右車線が内回りからの出口線。
両側の道路は暫定出口時代のアプローチ部分の残骸。
「首都高ナビマップ」でもお分かりいただけるが、
画像のように新富町は本線から出口までの距離が異常に長い。
それはなぜか・・・
アプローチ部分の右奥に見える緑色の橋が「入船橋」である。
実は・・・入船橋の先、人知れず首都高速は延々と伸びているのであった。
つまり、新富町は「単なる出口ではなく、本線として延伸されるべき場所だった」ということ。
入船橋の反対側を見てみよう。
バスケットゴールの奥、築地本願寺方面に片側2車線の立派なトンネルが口を開けている。
このトンネルは築地川公園の下に延々と伸び、晴海通りの目の前まで貫通しているらしい。
さらに、左手の佃大橋方向にも鉄板で塞がれたトンネルが存在する。
まさにここが「幻の新富町JCT」である。
この画像のトンネルこそが「首都高晴海線の本来の姿」である。
首都高晴海線と聞くと、湾岸線から盲腸のごとく伸び、中途半端に終わっているあの路線である。
元々の計画は、新富町でC1から分岐~築地川の緑道の真下を抜け~築地本願寺の脇を通り~築地市場の脇から隅田川を渡り、湾岸線へ至るルートであった。上り線は、築地本願寺前で分岐し~晴海通りを沿って~C1銀座付近で接続という計画であった。
築地川公園に沿って足を進めると、明らかに「首都高のランプ」だと分かるものも現れる。
昭和の末期には既に完成していたらしい。
もしも開通していれば、晴海通りの渋滞解消、葛西、辰巳、有明に次ぐ湾岸地域へのJCTとして発展していたかもしれない。
用地買収や反対運動のトラブル、築地市場の移転、レインボーブリッジの開通。
いつの時点で、どんな理由で、この場所が放棄されてしまったのか、理由は定かではない。
東京都心で30年以上にわたり、巨大建築物が一度も活用されることなく眠り続けている。
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ドライブ | クルマ
Posted at
2012/03/13 21:18:01