昨日は、東日本大震災から12年。
たまたま異業種の震災経験談の講演を伺う機会がありました。
勤務先と自宅が離れており、勤務先の別部署が自宅近くにもあって、そちらの応援をしていた講演者A先生。
人名に関わるお仕事のため、2勤務通しで対応していたとのこと。
計画停電について、とっても大変だった。
あとは、身内や関係者との連絡も大変だった。
たしかに、連絡と計画停電って大変でしたよね。
当時の我が家は、3次拠点病院のそばというか、同じ区画に自宅があったため、停電とは無縁でした。
連絡、本当に繋がらなかったのはとても記憶に残っています。
当時は、テレフォンカード持って、公衆電話で連絡する!ってのが良いと言われていましたよね。これを現在の我が家に置き換えると・・・
テレフォンカードを持って公衆電話から連絡はできると思うけど、自宅が停電対応できていません。。。
黒電話じゃないし、電気がないと繋がりません。。。
このあたりは、要改善ですかね。伝言保存という手段もあるけど、使い方がわかりません・・・
もう一人の講演者B先生からは、
ライト持っていて良かった。とポケットラジオも。
たしかに便利!
こちらについては、MTB乗りで、ライトは常備している。
ポケットラジオもほぼ持ち歩いている!
震災を振り返ると・・・
新潟の震災新潟県中越地震をエリア担当2週間で経験して、その後、新潟県中越沖地震さらには岩手・宮城内陸地震と地震を経験したんだけど、本当に大変でした。道路寸断、パジェロで物資を猪苗代経由で運搬したこともありました。あの経験があったからこそ、東日本大震災への対応もそれなりにできたんじゃないかな。
物流寸断、担当じゃなかったけど、他メーカーの仲間と情報共有して、輸送できる環境を繋いだりとかもしたっけ。
今でももしもを想定していて、通勤経路を3ルート確保しています。
震災発生時にはお互いが助け合う必要があるでしょ。四駆乗りなら、乗車定員に余裕があることが多いし、視線も意識も高い方が多いでしょうから、率先して有事の際には対応できるようにしていたらいいなと感じています。もちろん、四駆乗りだけでなく、ミニバン乗りでもセダン乗りでも席が空いているなら途中まででも乗せてあげるよという意識があったらいいように思います。
あれから12年。
ケロシンストーブやストーブを所有し、薪も炭もストックあり!
ローリングストックも実践し、さらには我が家だけじゃなくて、兄弟家族や両親のテントや寝袋を所有するようになりました。これだけあれば、取り合い発生しないもんね。
そうそう、NHKのHPに下記のものがありました。興味がある方は、ぜひ!
https://www.nhk.or.jp/ashitanavi/article/10027.html
新潟県中越地震から18年 4つの教訓をいまに伝える
教訓その1
「支援には時間がかかることもある。地域や自宅に備蓄を」
教訓その2
「避難時の車中泊 エコノミークラス症候群に注意」
教訓その3
「主役は住民 その土地に合った復興を」
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Posted at
2023/03/12 20:31:54