
そもそも彼は楽観主義者だ。
実は苦労はしていても本人は苦労していると思っていない。
「若いうちの苦労は買ってでもしろ」と聞いたことがある。人生こんな楽でいいのか。いつかとんでもない艱難辛苦に出逢った際に、心折れてしまうのではないか。
ならば若いウチに苦労をしておこう、と彼は考えた。
実は彼には遠距離恋愛中の彼女がいる。熊本と広島の遠距離恋愛、自宅に自分の電話すらない彼は10円玉を10枚、100円玉を5枚持って、大学構内の公衆電話から電話するのが唯一の彼女との連絡方法だ。10円を10枚持つのは100円を使い切った後、名残惜しくも10円10枚分の会話で「気持ちのケジメ」をつけるためだ。貧乏とは切ないものだ。
高校を卒業して、お互い離れ離れになってから恋愛スタートするなど、普通はやらない。若いって言うのは…。
そして熊本の大学に通いながら一人暮らしをしている彼は、大抵の熊本の大学生にありがちなバイク乗りだった。
高校を卒業して直ぐに大学で一人暮らしを始めた彼は、阿蘇とオフロードバイクにのめり込み、一コマ空くと必ず阿蘇や金峰山(熊本市内にある山、最寄りの峠、林道となる)に走りに行く様になった。
熊本のバイク乗り、いや彼は日本、いや世界でも有数の阿蘇という素晴らしいステージを知っているが、対局といってもいい北海道にとても興味があった。
九州というのは真ん中に九州山地があって、何処にいても山が見えるのが当たり前である。地平線などは見たことがない。
当時のバイク乗りの聖地とも言われた北海道を走ってみたいと常々思っていた。
そして彼には中学時代から仲の良かった友人が関東にいた。夏休み、彼らと合流して何かをやりたいと思っていた。
色々な要素を盛り込んで、彼が考え出した「若いうちの苦労」は野宿での下道日本一周。
熊本から広島の彼女のところまで自走、彼女と直接会いたい。
関東にいる友人に会って一緒に走りたい。
そして自らの希望である北海道を目指し、そして野宿で一周したい。
そんな希望を全部盛り込んだらそうなった。
苦労のポイントは、基本は野宿旅、高速道路は使ってはならない、という自分ルールだ。
実は彼には心の師と仰ぐ野宿ライダーがいた。寺崎勉氏だ。オフロードバイクで林道を走りながら野宿をしている様子を毎月買うバイク雑誌で読むのを楽しみにしていた。
彼の野宿ライフ、ツーリングスタイルに大きな影響を受けていた彼は、旅の相棒にするなら絶対にオフロードバイクと決めていた。
彼の初めてのバイクは、XL200Rというホンダの200ccのオフロードバイクであった。
エンジンは4サイクル2バルブで18psしかなく、ライトも小さく暗かった。コレでは日本一周など到底できないと思った彼は、バイトで貯め込んだ金で新しい相棒を買うことにした。
日本一周するのだから、もちろん何処でも走れるオフロード、ソコソコの馬力で信頼性が高く、何よりライトが明るくなくてはならない。
そこで選んだのが、ホンダXLR250 BAJA。バッテリーレスでライトポッド2連、印象的なフロントビューはまさにトンボ。
エンジンはホンダの4バルブ250cc単気筒で熟成されたRFVC。標準のXLR250Rに長く採用され、CB250クラブマンにも載せられているエンジンだ。馬力は28馬力とそんなに強いとは言えないが、今までが18馬力と気が遠くなるくらい非力だったので、必要充分に思える。
先代のXLは友人が15万円で引き取ってくれた。コレを頭金に残りをバイト代で埋めた。
XLR250R BAJA「トンボ」君は阿蘇の林道を中心に念入りに慣らし運転し、リアのスプロケットを少し大きめのものに交換され、リアタイヤを舗装路中心、しかしオフロードもいける比較的ブロックが大きく、しかし平らなデザインのモノに換装され、準備は万端に整った。
さあ、走り出そう。
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さて、始まりました日本一周野宿シリーズ。
これは妄想ですけど、前から描いてみたかったものです。
誰の話か、フィクションなのかノンフィクションなのかは一切明かしません(笑)
たまーに、通常ブログの間に紛れ込ませて行くこととします。
次は大分から山口編(予定)です。
あ、ちなみにタイトル写真は先日、エリーゼで阿蘇に行った時の写真です!
Posted at 2016/10/30 23:23:31 | |
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野宿日本一周 | 日記