2013年07月10日
さきほど帰宅して、この訃報を知りました。
休養された時の関係者のコメントなどから
おそらくはがんなのだろうと思っていましたが、食道がんだったのですか。
脳出血も併発されていたとは、いかに当時の環境とストレスが過酷なものだったのかと
唸らざるを得ません。
本社の担当幹部職であった時に、従来の想定を大きく越える津波とその被害の危険性を認識しつつ、それを過小評価していたことに対して、責任を追及する意見も向けられていますが
事故直後からの対応に全力を尽くされたことには
誰も批判や誹りをできないものであることは明らかです。
これまで世界中の誰も経験したことのない事態に直面し、
誰も経験したことのない対応・作業を責任者として指揮し、
誰も経験したことのない壮絶な現実を目の当たりにする・・・
それに対する思いがどのようなものであったのかは
私のような者には想像することさえできません。
そして、「また現場に戻って事故の収束に力を尽くしたい」、「自らの体験を後世のために残したい」という責任感にあふれた意志を持ちながら、その志半ばでこのような最期を迎えることになるとは。
その心中はいかばかりであったかと思うと、本当に心が痛みます。
心よりご冥福をお祈りいたします。
どうか安らかにお休みください。
本当にお疲れさまでした。
以下、「NHK NEWS WEB」のサイトより引用:
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東京電力福島第一原子力発電所の事故で現場で指揮を執った吉田昌郎元所長が、
9日午前、東京都内の病院で食道がんのため亡くなりました。
58歳でした。
吉田元所長は、3年前の6月に福島第一原子力発電所の所長に就任し、おととし3月11日の事故発生から現場のトップとして事故対応の指揮を執りました。
すべての電源が失われる中で、吉田元所長は、福島第一原発の複数の原子炉で同時に起きた事故の対応に当たりましたが、結果として1号機から3号機でメルトダウンが起きて被害を防ぐことはできませんでした。
吉田元所長は、その後、病気療養のため交代するおととしの11月末までおよそ9か月間にわたって福島第一原発の所長を務め、事故の収束作業にも当たりました。
おととし12月に食道がんと診断されて所長を退任しその後、去年7月には脳出血の緊急手術を受け療養生活を続けていました。
吉田元所長は、所長在任中のおととし11月、福島第一原発の事故現場が報道関係者に初めて公開された際にインタビューに応じ、「事故直後の1週間は死ぬだろうと思ったことが数度あった。1号機や3号機が水素爆発したときや2号機に注水ができないときは終わりかなと思った」と当時の思いを語っていました。
また、去年8月に長野県の出版社が福島市で開いたシンポジウムで公開されたインタビュー映像では福島第一原発の今後について「日本だけでなく、世界の知見を集めてより安定化させることがいちばん求められていると思う。それが地元の人たちにとって改善したと実感してもらえることだ。私自身も体力が戻ったら現場で力を出したい」と述べ、復帰への意欲をのぞかせていました。
東京電力によりますと、事故発生から退任までに吉田元所長が浴びた放射線量はおよそ70ミリシーベルトで、東京電力はこれまで、「被ばくが原因で食道がんを発症するまでには少なくとも5年かかるので、事故による被ばくが影響した可能性は極めて低い」と説明しています。
東京電力の廣瀬社長は「吉田さんは再び私どもと一緒に福島の復興に尽くしたいとの強い気持ちを聞いておりました。持ち前の明るい大きな声で陣頭指揮を執る姿に出会えることを心待ちにしておりましたが、東京電力の再生に向け共に働くことができず無念でなりません」というコメントを発表しました。
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双葉町長「町民を代表して感謝」
東京電力福島第一原子力発電所の事故で現場で指揮を執った吉田昌郎元所長が亡くなったことについて、福島第一原発が立地する福島県双葉町の伊澤史朗町長は「原発事故からの収束に命懸けで取り組んでこられたことに町民を代表して感謝するとともに、ご冥福をお祈りします」とコメントしています。
また、同じく福島第一原発が立地する福島県大熊町の渡辺利綱町長は「体調が回復してもう一度現場に戻ってきてくれると思っていただけに、本当に残念です。事故のあと直接会ってはいませんが、事故の直後には電話で『事故が起きてしまって申し訳ない』と話していて、責任感の強い人でした」と話していました。
強いリーダーシップで対応
東京電力福島第一原子力発電所の所長を平成9年から3年間務め、吉田元所長の大学院の先輩でもある二見常夫さんは、「東京電力や日本全体を試すように、次から次へと起こった問題を強い統率力とリーダーシップで対応してくれた。現場のスタッフに命の危険をおかして対応してもらった彼のリーダーシップは感謝してあまりある。『彼がいなかったらどうなっていたんだろう』、『東京電力の中で最適な人間がそこにいたんだ』とつくづく思う。『本当によくやってくれた、ありがとう』ということに尽きる」と話していました。
そのうえで、「事故のあと、直接、ことばを交わすことはなかったが、2、3度メールをやり取りした。その中で、吉田元所長が、『自分の体験したことを後世に残したい』という強い意志を記していて、私もぜひ書いてくれと伝えた。その直後に、食道がんだと公表され、結果的にその記録が完成しなかったのは非常に残念だ」と話していました。
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Posted at 2013/07/10 00:08:53 | |
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Never walk alone | 日記