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2021年11月24日 イイね!

10年ぶりの東北旅 (その4) 各地の計画・対策を考える編

10年ぶりの東北旅 (その4) 各地の計画・対策を考える編
  10年ぶりの東北旅

  4本目は、各地の再開発(復興)計画や津波対策について
  自分なりの理解を試みました


  今回も長く、そして堅いです、予めご了承ください(礼






  三陸をずうっと回ってきたのは、震災遺構とかのスポットを辿るだけではなく
  各地自治体の再開発(津波対策と土地利用)計画を、比較の形でみてみよう、
  という狙いもありました

  まぁ、今の時代、ネットをちょっと探れば
  そのような情報はいくらでも部屋に居ながらで得られるわけですが
  今回はあえて事前調べせず、その先々で見たものをベースに理解を試み
  自分なりに整理できたことを連ねてみようと思います


    ※以下は、私の自分なりの認識・理解です
     誤認・間違いはたくさんあると思います
     ご指摘・ご教示いただけるとありがたいです




【巨大防潮堤で守る】

  ・岩手県、宮城県の北部に多い
  ・場所によって、一部を嵩上げ
  ・新たに利用できる土地が少ないため、高台移転ではなくこれまでの生活圏を維持

  岩手県の海岸線はリアスの出入りが本当に深く、湾が深いです
  そのため津波の波高は他の海岸部よりずっと高くなり、陸地の奥まで入り込みますし
  そもそも湾の奥は平野部が狭く、従来の市街地はほぼ飽和状態で
  ほかに利用できる土地の確保が困難です

  なので、これまでの場所をこれからも利用し続けるほかはなく、
  かといって全面を 10~15m も嵩上げするのは無理

  ということで、(たぶん消去法的に) 湾内すべてに巨大防潮堤を張り巡らせる、
  という策になったのだろうと思います



 宮古(岩手)
 巨大防潮堤を見たのはここが初めて
 壁のうえに上って、ただただ呆然と息を呑むばかりでした




 堤高は 10m
 湾のこちら側から対岸側まで、見渡せる範囲ぜんぶに白い帯が走ります
 湾に流れ込む川の河口部には、防潮堤と連結する形でこれまた巨大な河口堰が建設中でした




 防潮堤の外側は非居住区域とされ、住宅などの生活拠点は無し
 港湾施設や流通倉庫、水産加工場、道の駅施設など、いざとなったら失っても…
 というものだけが置かれます
 いっぽうで、内側の市街地はこれまでのまま です





 山田(岩手)
 ここも湾の周囲にぐるりと防潮堤 です
 山の下の白い帯、見えますでしょうか





 気仙沼(宮城)
 「おかえりモネ」 の大島の大橋から望む市街地
 とてもきれいな眺めなんですが、よく見ると、海岸線には白い帯が延々と…



 
 左端の矢印のような箇所の裏側はこんな様子  こんな場所があちこちに現れます




 このほか、大槌、釜石、大船渡なども基本の方針は同じ
 嵩上げした場所も一部ありますが、高台移転ではなく、今までの土地を巨大防潮堤で守る

 です



【高台移転】

  ・岩手県や宮城県の、平野部や周辺部が比較的広い街
  ・場所によって、一部を嵩上げ
  ・海岸線に近いエリアは居住区にせず、内陸 (山側) や、新たに切り開いた高台に
   住宅地や市街地を移転



南三陸(志津川地区)(宮城)
 浸水した区域は非居住にして、祈念公園や避難用の高台を整備
 住宅地は嵩上げしたり、周辺の山を切り開いて高台の土地を造成し、
 街の機能すべての大規模な移転を進めています
 
 町の規模に比べて広さに余裕がある、とか、周辺の山が比較的低い、
 という好条件もあったのでしょうね



  ↑ 祈念公園にあった説明図の、下段の断面図が分かりやすいです




 名取市(閖上)(宮城)
 少し内陸に入った区域 (ここも浸水した旧市街地) を5mほど嵩上げし、
 住宅や公共施設を計画的に整備
 海岸線に近い区域は非居住として、祈念公園や観光施設、港湾施設を整備
 説明図の中の、運河 (黄色いライン) をその境目としています




 集合団地も嵩上げされた区域に建てられました
 「地盤の高さ 海抜約5m」 とありますね




 震災復興伝承館の場所も嵩上げ区域
 ここは伝承館の機能だけではなく、災害発生時には駐車場と一体として
 防災・復旧活動の拠点になります






【防潮堤と高台移転の併用】 


田老(岩手)
 明治三陸や昭和三陸など過去の津波災害を教訓に、高さ10mの防潮堤を2重に整備して備えたものの
 それを超える津波によって防潮堤は破壊され越流され、大きな被害を被りました
 矢印のところが破壊された古い防潮堤 (10m)
 その向こうに、新しい巨大防潮堤 (14.7m) が建設中です








 また、ここも南三陸のように、平野部の周囲に少し低めの丘陵地があったため
 そこを切り開いて造成し、役場や病院、消防署などの公共施設や新しい団地を
 整備して、海に面した中心部から移転しています
 下の写真の右奥に、新しい住宅地や消防署、保育園などが見えますね

 14.7m もの巨大な壁を設けながらもその近辺は極力非居住とし、
 港湾施設や産業関連施設だけにしようとしていました




 国道6号線の山側は、一部嵩上げも行っていました





 陸前高田(宮城)
 高田松原津波復興祈念公園
 この一番奥に見えるのも巨大防潮堤です




 防潮堤の上
 ずっと先まで、深い湾全体にわたって続いています
 海側に見えるのは松の植樹、高田松原の再生を目指しています




 陸前高田は平野部や周辺部が比較的広いので、海岸に近いエリアは居住区にせず、
 かなり内陸 (山側) にシフトして市街地を再構築していました





【嵩上げ道路(復興道路)による多重防御】 

  ・宮城県の中南部や福島県
  ・海岸線に堤防、それに並行する形で少し内陸側に土盛りで嵩上げした道路を整備
  ・堤防と嵩上げ道路、さらにその内側の高速道路 の3重で、浸水を低減、あるいは浸水を遅らせる
  ・海岸線に近いエリアは居住区にせず、農地や産業関連施設だけとする


これは、名取の閖上から仙台空港に向かって南下していくときに気付いたもので
10年前には平場だった道が、周りより数m高い土盛りになり、
海岸線から 0.5 ~ 2 km ほど内陸に入ったところをずっと並行して
名取から岩沼、亘理、山元、福島の相馬までずっと出来ていました




道幅は広くて土盛りの幅も広く、堤防の役割を持たせているのが分かります
交差する道路も全部同じ高さまで上げて交差点にし、極力下に穴を通さないようにしています
道路の海側 (写真では左側) はほとんどが農地、建物は山側 (右側) から建てられています


現地では 「復興道路」 と呼ばれていて、じっさい、工事や復興事業の大型車両がひっきりなしに往来していました
災害時には、迅速な避難経路として、あるいは支援物資等の運搬経路として活用されるのでしょう



これは、10年前、亘理や名取あたりの高速道路 (仙台東部道路) を通ったときに見た光景で
高速道路の土盛りが堤防となって浸水を食い止め、
道路をはさんで海側と山側でまったく違った状況となっていたのが
非常に強く印象に残っていました


それは誰しもそう感じたのでしょう、
この高速道路のさらに海側にもう一本、嵩上げ道路を通し
堤防と新道路と高速道路の3本で多重的に浸水を防ごう、あるいは
防ぎきれなくても到達時間を遅らせて避難しよう、
という構想を採用したんですね

もともと海沿いの区域の土地の利用度はそれほど高くはなかったし、
言い方は悪いですが道いっぽん作ればかなり効くし多目的に使える、
とても合理的な策だと思います



後からネットで調べてみると、その構想を説明する資料がたくさん出てきました
とても分かりやすいです
 (出典:いずれも、国土交通省東北地方整備局、仙台河川国道事務所、宮城県合同の報道発表資料)













こうして見てきたように、各地の復興計画と津波対策は
それぞれの地勢、規模、産業の状況など様々な要素が複合的に考慮されて
その地域ごとの色、というか特徴をもったものが選ばれていった、ということが分かりました


最初は巨大防潮堤の、絶望的なまでに圧倒的な存在感にただ呆然とするばかりでしたが
一つひとつ現地を見ていくうちに、「こういうことかな」 と感じたことを後から確認して、
より深く理解できた気がします



ただ、現地で感じたことの中には、非常に悩ましい、難しいこともありました

  宮古で初めて巨大防潮堤を見たときの
  「海が見えない」「生活の中に海が無い」
  という第一印象


これまで、日常生活の中での癒し、心のよりどころ、愛郷心の源、etc.な存在だった(であろう)
海の姿が見えなくなり
それで心の中にぽっかり穴が開いたような感覚が生まれるんじゃないか、
心の平穏や情緒の安定は保たれるのか、
愛郷心やアイデンティティは保たれるんだろうか…


それから、これは禁断のひとこと なのかもしれませんが
「14.7m を作って、18m が来たら…」


あの巨大な壁を見て、同じように感じた方もいらっしゃるのではないかと思います


まずは人命、命あってのものだね、というのが当然で
当事者でも何でもない通りすがりの私が不躾に
「 これでいいんでしょうか?」
なんて訊いていいはずもないですが、
泊まった先のお宿の人たちと話してたなかで
やはりそういう不安というか迷いみたいなこともやはり出てきたりしました



あまりにも大きく、深く、複雑で、重く、安直に語ることのできないことなので
このへんについては今はまだ誰にも言えることではないだろう、
としか言えないです



長い、いえ、クソ長いのを最後までご覧いただき、ありがとうございました

次は最後
軽く、楽しくいきます





Posted at 2021/11/24 23:30:30 | コメント(4) | トラックバック(0) | お出かけ | 日記
2021年11月20日 イイね!

10年ぶりの東北旅 (その3) 各地のいま編

10年ぶりの東北旅 (その3) 各地のいま編

  10年ぶりの東北旅

  3本目は、10年経った震災の直後と今 でまとめました


  長いです、予めご了承ください(礼








10年も間があいてしまったのですが
あの時に見てきたところがどうなっているのか、というのがずっとあって
初めてのところもあわせて、三陸海岸を北から南へと
延々と下ってきました


久慈 (初めて)
 「あまちゃん」 の舞台
 三陸鉄道の久慈駅、駅前デパート、新しい拠点施設 YOMUNOSU、三鉄の島越
(しまのこし) 駅に行きました
 小袖海岸は走っただけで、時間が足りなくて海女センターはパスでした

















宮古 (初めて)
 宿泊した 「浄土ヶ浜旅館」 の目の前が宮古漁港でした
 このカーブした高架橋の下を、多数の車や漁船が押し流されていった映像は
 誰しも見覚えあるはず





気仙沼 (再訪)
 当時派遣されていた福井の保健福祉チームへの連絡・応援のため、
 気仙沼中学校・小学校に開設されていた避難所を訪れていました

 中学校の校庭
 応援の車両や、物資や資材を収めたプレハブが所狭しと並んでいたなぁ
 小学校のほうは新築されてすっかりきれいになっていました




 市民会館
 10年前はちょうど、さとう宗幸さんが避難所への慰問に来ていました
 生で聴いた 「青葉城恋唄」、沁みました
 建物も改築リニューアルされきれいになっていましたが、この部分は当時のままでした




 市街地を見渡せる場所に、復興祈念公園ができていました
 当日気仙沼に来ていたサンドウィッチマンの2人が避難したのもこの近くだったそうです




 モニュメントは帆船のセイルをモチーフにしているとのことですが
 中に入ると祈りに合わせた手のひらの中にも思えて、とても美しい
 気仙沼湾、かなえおおはしも望めます




 小・中学校や市民会館は、矢印の小山の上にあって、難を逃れていたのでした





陸前高田 (初めて)
 奇跡の一本松と旧陸前高田ユース
 この一帯が高田松原津波復興祈念公園として整備されています




津波伝承館 「いわてTSUNAMIメモリアル」 のエントランス
当時の記録、資料、データ、最新の知見をふんだんに、そして未来への決意を力づよく盛り込んだ、かなり渾身の施設です
ぜひ行かれることを強くお勧めします






南三陸(志津川)(再訪)
 役場防災庁舎の周辺
 下が当時、上が現在です

 防災庁舎のところだけ当時の高さのまま残し、周囲はすべて嵩上げしたうえで祈念公園と避難用高台にしています

 下の写真を撮ったのは上の ◎印のあたり、すっかり様変わりしています




 
大川小学校(石巻市)(初めて)
 ここはどうしても自分の目で確かめたかったです
 なぜ裏山に避難誘導しなかったのか…




 児童でもそれほど無理せず登っていけそうなポイントがいくつか 目に留まりました
 大の大人が11人もいながら何故その判断ができなかったのか、現場を見れば見るほど分からなくなりました




 学校の敷地内には、亡くなった子供たちに向けたメッセージがたくさん、教育委員会によって記されていました
 そのメッセージに込められた親御さんたちの思いはもちろんそのとおりなのですが
 他の被災した学校や施設と比べて明らかに数が多く、ウエットウエットな演出には、他のことを考えさせないように…という意図的なものを感じてしまいました



名取市(閖上)(再訪)
 閖上小中学校(閖上プラザ)
 当時の閖上中学校の場所に設けられました
 亡くなった生徒の慰霊碑も建てられています








メモリアルパーク
閖上プラザで出会った学校の社会学習のバスと、ここでも一緒になりました
モニュメントの高さは、この地での津波高と同じ (8.4m) だそうです





双葉町、大熊町、富岡町 (初めて)

国道6号線
路肩や、道路沿いの建物や施設、交差する道路などはほとんど封鎖されていて
滞留できないようにされています
通行自体も車に乗車してのみ、歩行者や自転車は通れません












現在でも帰還困難区域は7市町村にまたがっており、その外側でも
まったくひと気がなく生活活動の行われていない区域が広がっています

本当に時が止まっています









近づけるのは1kmほど手前の検問ゲートまで

関係者や作業員が行き来するバスがひっきりなしに通っていました












10年経ったいまでもこの地域の状況は、過酷としか言いようがなく
ほかの言葉・表現が浮かびませんでした
予期していたよりもずっと重く苦しい気分を抱いて、恥ずかしいですがまるで逃げるようにここを後にしました


最後までご覧いただき、ありがとうございました


(その4) に続きます




Posted at 2021/11/20 16:19:53 | コメント(3) | トラックバック(0) | お出かけ | 日記
2021年11月16日 イイね!

10年ぶりの東北旅 (その2) 自然と文化編

10年ぶりの東北旅 (その2) 自然と文化編

   10年ぶりの東北旅

   2本目は「自然と文化」という括りでまいります

   
    ※たっぷりと長いです、予めご了承ください(礼




今回の目的のひとつ、「北海道・北東北の縄文遺跡群」 のお勉強
今年の7月27日に、世界遺産に認定されたばかりです

対象となる遺跡19か所のうちのひとつ、「大湯環状列石」
ストーンサークルです





秋田県鹿角市立の「ストーンサークル館」 という展示解説施設が併設されています








とても大規模な遺跡で、直径40メートルを超える大きなストーンサークルが2つも並んでいます
  (万座環状列石:52メートル  野中堂環状列石:44メートル)
しかもこの2つのサークルの中心を結ぶ線を延長すると、夏至の日の日没の位置になる という
こういう古代遺跡では定番! の天文学上の属性もはずしてません(^_^)


野中堂環状列石








でっかいです
しかも2重円
中心部には、日時計のような配置の石群もあります





万座環状列石








石の数も多く、ほんとに大きいです
日本にもストーンサークルがあると知ってはいたけれど、こんなに立派なものとは…
イギリスのストーンヘンジやエイブベリーストーンサークルをみていても、本当に驚きました




まだまだ解明されてない謎が多いですが、これまでの研究結果からは
この環状列石は縄文人の集落の共同墓地で、
上の写真でみられるひとかたまりの石群が1つの家族の墓
それらが集まり全体として1つの大きな環をつくっている
のだそうです
また、環の内側へ出入りする通路のような配列の石もあり、環の内で祭祀のようなことも行われていた
と考えられているそうです



ストーンサークル館には、縄文土器をはじめ、石器や土偶、装飾品などさまざまな出土品が展示されてます
なかでもおもしろいのが、この石板




「もののけ姫」 にでてくる 「木霊」 のようでかわいらしい
掘られた小さな穴、その数が
口は1、目は2、胴のところに3,4,5、背面に6 と、数を教えるおもちゃ教材のような使われ方をされていた、と考えられているそうです




館内の展示、屋外の列石、それぞれ
解説スタッフによるガイドツアーが行われています
たいへん詳しく説明してくれるので、ぜひ参加されるのがおススメです(^_^)


世界遺産認定の他の遺跡 (青森の三内丸山遺跡や亀ヶ岡石器時代遺跡など) は諸般の事情で見られなかったのは残念でしたが、ここだけでも非常に見ごたえがあり、勉強になりました




続いては 秋田と岩手にまたがって広がる 「八幡平国立公園」

鹿角側から 「八幡平アスピーテライン」を、NA tS号の能力をいかんなく発揮させながら駆け上がり、
あっという間に山頂レストハウス前に到着(^_^)

クルマを置いてさっそく、山頂や八幡沼を辿るトレッキングルートを登ります



NA tS号は、左下の建物から3台目 です(^_^)


気持ちの良い遊歩道
天気もこの上ない快晴で、至福のお散歩でした








その名のとおりの 八幡 「平」 には、広々とした高層湿原が広がっています




湿原をさらに進んでいくと…





こんなスケールの風景、5年前のニュージーランド以来でしょうか

隣の二人連れの会話
  「すげぇ、スイスみたい!」
  「スイス行ったことあんの?」
  「いやないけど、すごい」
思わず私も頷いてました(^_^)


2時間ほどの爽快トレッキングのあとは、「樹海ライン」 の往復と 「アスピーテライン」 の岩手県側をこれまた爽快にドライブ
濃霧で何もできなかった前回のリベンジを、完璧な形で果たしました(^_^)




次のお勉強が、目的の3つ目 「奥州平泉」
ここも2度目の再訪です

中尊寺や毛越寺など華麗で多様な仏教文化を花開かせた奥州藤原氏についてだけでなく、
今回はちょうどその直前に
高橋克彦の歴史小説  「火怨 北の燿星アテルイ」「炎立つ」 を読んだところだったので
奈良時代、坂上田村麻呂と闘った蝦夷族や、その血を引く安倍一族のゆかりにも触れてみたい、と思っていました





とは言いつつも、やっぱりまずはなにより中尊寺、金色堂

朝早かったこともあり人は少なく、覆堂の中でも暫くのあいだ貸し切り状態
当時の藤原氏の力と、あらゆる装飾技術の粋を尽くした絢爛豪華でいてなお荘厳な金色堂を眼前にして、いろんなことに想いをはせていました




覆堂の隅には、この地を訪れた松尾芭蕉の句碑がひっそりを建っています
「五月雨の 降り残してや 光堂」






東北の厳しい風雪から金色堂を守るため、1288年に建てられた 「旧覆堂」
現在の覆堂に建て替えた際に、少し離れた場所に移築し、今に至っています

ここには、芭蕉の像も建っています





中尊寺から少し東、北上川のほとりの高台に建つ、「高館 義経堂」
やっぱりここもまた来てしまいます




この高館の丘から見渡す光景
とうとうと流れる北上川と、東山、そしてその間にひろがる平原
左手の奥には、安倍一族の興亡の舞台となった衣川の里

そしてここにも、松尾芭蕉の句碑  有名な
「夏草や 兵どもが 夢の跡」 です


この寂寥感
初めて目にした時から、どれだけ経ってもけっして頭から離れません





このあと、さらに東にはなれたところにあり、発掘や調査が進められている
「柳之御所遺跡」(藤原氏の政庁があったとみられている)を訪れ、
「平泉文化遺産センター」をまわってから
安倍一族の興亡の舞台となった、衣川の里へ向かいました









平安朝廷にとって異民族である安倍一族が存亡を掛けて戦いを繰り広げた古戦場跡





この地で滅んだ、安倍一族の鎮魂の碑もありました
そこにだけ、彼岸花がぽつんと咲いていたのがまた非常に印象的で
哀愁の想いをいちだんと強くさせてくれました




ほかにも、一帯に散在する史跡をいくつか回りました
時間があれば、平泉よりもう少し北の、水沢まで足を延ばして
「火恨」 の阿弖流為 (アテルイ) のゆかりの地も訪れたかったのですが
それはまた次回にとっておくことにします


たいへん長くなりました
最後までご覧いただき、ありがとうございました


(その3) に続きます




Posted at 2021/11/17 00:24:59 | コメント(4) | トラックバック(0) | お出かけ | 日記
2021年11月13日 イイね!

10年ぶりの東北旅 (その1) 旅程編

10年ぶりの東北旅 (その1) 旅程編

  少し前になりますが

  東北にドライブ旅行に行ってきました

  東北を訪れたのは この時 以来、ちょうど10年ぶりです



↑ 陸前高田の高田松原津波復興祈念公園




 目的は主に5つ
  ・ しばらくまともにクルマ走らせてないので、とにかくドライブしたいー
  ・ 世界遺産認定になった 「北東北の縄文遺跡群」 をお勉強したいー
  ・ 10年前、被災地応援で訪れた各地がどう変わったのか、確かめたいー
  ・ 平泉をあらためてじっくり確かめたいー
  ・ いいお宿、温泉に入って、美味しいものもたくさん食べたいー


 お天気にもたいへん恵まれ、充実の5泊6日
 トータルの走行距離は2,740km、通算燃費は13.3km/L でした


 まずは旅程のあらましで、以降何回かに分けてつづっていこうと思います



【1日目】
  福井~北陸道~新潟県村上市~国道7号~笹川流れ~山形県鶴岡市~酒田市~
  鳥海ブルーライン~日本海東北道 像潟IC~秋田空港JCT~秋田道~二ツ井白神IC~
  国道7号~秋田県大館市~国道103号~鹿角市 大湯環状列石遺跡~大館市泊

  
  前日の夜に福井を出発、北陸道をひたすら北上して
  新潟の村上市のあたりでリヴァプールの試合の時間になったので
  クルマを駐めて DAZN で観戦、勝利を見届け (^_^)

  そのまま少し仮眠をとって早朝から行動再開、国道7号線をまたひたすら北上

  とつじょ「鳥海ブルーライン」 の案内板を見つけ、反射的にヒルクライムドライブに突入しました
  早い時間帯だったので他にクルマもなく
  標高差 1,000m 以上の山岳ワインディングを一気に駆け抜けることができました




秋田県鹿角市あたりの田園




大湯環状列石遺跡 (ストーンサークル館)

日本にもストーンサークルあると知ってはいたけど、こんなに大規模なものとはびっくり!
ほかの縄文遺跡施設 (三内丸山遺跡など) を諸事情で見られなかったのは残念でしたが
ここだけでも見ごたえは十分すぎるほどでした






【2日目】
  大館市~鹿角市~国道282号~八幡平アスピーテライン~八幡平山頂~
  八幡平樹海ライン~松尾八幡平IC~東北道~九戸IC~岩手県久慈市~三陸鉄道久慈駅前~
  小袖海岸~三陸鉄道 島越駅~国道45号~宮古市 泊



  朝起きてお天気が最高に良いのをみて、酸ヶ湯方面への予定を急きょ変更
  八幡平アスピーテラインに突入!
  樹海ラインとセットで、超気持ちのいい山岳ワインディングと
  八幡平山頂の爽快トレッキングを楽しめました(^_^)

















「ユイちゃん、見ちゃダメだ」 「もう、遅い」 の橋梁










【3日目】
  宮古漁港~国道45号~田老町~45号~陸中山田~釜石~大船渡~陸前高田 泊



  宮古の漁港周辺や防潮堤施設をみてから、前日後回しにした田老町に戻り
  震災遺構の旧防潮堤と、新たに建設中の新防潮堤などを見てきました

  そのあとは三陸海岸に沿って南下、陸前高田の民宿で海の幸を飽食(^_^)


宮古港

後ろにぐるっとそびえる白い壁は、高さ 10m の防潮堤




道の駅 たろう










【4日目】
  高田松原津波復興祈念公園~国道45号~気仙沼市~南三陸志津川~石巻市大川小学校~
  大崎市 泊


「奇跡の一本松」 の高田松原に
津波伝承館と道の駅が併設されています




気仙沼市の復興祈念公園からの眺め

気仙沼湾横断橋 (かなえおおはし) も見えます




「おかえりモネ」 のFM放送局 「はまらいん気仙沼」 も見えます




南三陸さんさん市場

キラキラ丼は売り切れでありつけなかった、残念!



大川小学校

現場をこの目で見て、あらためて
やるせなさと憤りの思いを強くしました




【5日目】
  大崎市~東北道~一関IC~平泉(中尊寺、義経堂、柳之御所遺跡、文化遺産センター、
  衣川の里)~平泉前沢IC~東北道~宮城川崎IC~青根温泉郷 泊



  三陸から一転して内陸に入り、平泉をまる一日散策
  夜は仙台まで下がって、蔵王のふもと、伊達藩ゆかりの温泉宿 「湯元 不忘閣」 で
  まさしく 「不忘」 となる素晴らしさの温泉と料理を満喫できました

















こんなすごいお風呂がたくさん!





【6日目】
  青根温泉郷~名取市閖上~亘理~かさ上げ復興道路 相馬亘理線~相馬市~
  国道6号~浪江町~双葉町~常磐線大野駅~大熊町~福島第一原発(手前の規制ゲートまで)~
  国道288号~郡山東IC~東北横断道~磐越道~新潟中央JCT~北陸道~福井



  最終日は、名取の閖上から福島第一原発まで海沿いを南下
  10年間の閖上の変化ぶりや、かさ上げ復興道路の発想、
  
  そして、

  原発周辺地域の、いまだもって 「過酷」 としか言いようのない状況を
  この目でみてきました


















そこからは郡山まで山道を西進し (ここだけは楽しくない路だった…)
磐越道と北陸道で、夜中に福井に帰着しました


福井~新潟間は夜中、新潟以北は大半が一般道、市街地ありの山岳ワインディングあり、と
同乗者なしの単独行としてはなかなかにキツめの行程でしたが
さすがそこは NA tS 号、オールラウンドに優れた走行性能と快適性能、そして
優秀なアイサイトのおかげで
疲れ知らずの楽しいドライビングをお腹いっぱい楽しめました


長いのを最後までご覧いただきありがとうございました
次からはテーマごとにつづっていこうと思います
よろしければどうぞお願いします(^_^)









Posted at 2021/11/13 20:25:38 | コメント(7) | トラックバック(0) | お出かけ | 日記

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カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/01/25 18:12:09
これも魅力的!(≧◇≦) 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2021/01/15 10:45:18
次世代ハイブリッドコーティング剤を施工してみる 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2019/11/19 06:33:23

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