10年ぶりの東北旅
4本目は、各地の再開発(復興)計画や津波対策について
自分なりの理解を試みました
今回も長く、そして堅いです、予めご了承ください(礼
三陸をずうっと回ってきたのは、震災遺構とかのスポットを辿るだけではなく
各地自治体の再開発(津波対策と土地利用)計画を、比較の形でみてみよう、
という狙いもありました
まぁ、今の時代、ネットをちょっと探れば
そのような情報はいくらでも部屋に居ながらで得られるわけですが
今回はあえて事前調べせず、その先々で見たものをベースに理解を試み
自分なりに整理できたことを連ねてみようと思います
※以下は、私の自分なりの認識・理解です
誤認・間違いはたくさんあると思います
ご指摘・ご教示いただけるとありがたいです
【巨大防潮堤で守る】
・岩手県、宮城県の北部に多い
・場所によって、一部を嵩上げ
・新たに利用できる土地が少ないため、高台移転ではなくこれまでの生活圏を維持
岩手県の海岸線はリアスの出入りが本当に深く、湾が深いです
そのため津波の波高は他の海岸部よりずっと高くなり、陸地の奥まで入り込みますし
そもそも湾の奥は平野部が狭く、従来の市街地はほぼ飽和状態で
ほかに利用できる土地の確保が困難です
なので、これまでの場所をこれからも利用し続けるほかはなく、
かといって全面を 10~15m も嵩上げするのは無理
ということで、(たぶん消去法的に) 湾内すべてに巨大防潮堤を張り巡らせる、
という策になったのだろうと思います
宮古(岩手)
巨大防潮堤を見たのはここが初めて
壁のうえに上って、ただただ呆然と息を呑むばかりでした
堤高は 10m
湾のこちら側から対岸側まで、見渡せる範囲ぜんぶに白い帯が走ります
湾に流れ込む川の河口部には、防潮堤と連結する形でこれまた巨大な河口堰が建設中でした
防潮堤の外側は非居住区域とされ、住宅などの生活拠点は無し
港湾施設や流通倉庫、水産加工場、道の駅施設など、いざとなったら失っても…
というものだけが置かれます
いっぽうで、内側の市街地はこれまでのまま です
山田(岩手)
ここも湾の周囲にぐるりと防潮堤 です
山の下の白い帯、見えますでしょうか
気仙沼(宮城)
「おかえりモネ」 の大島の大橋から望む市街地
とてもきれいな眺めなんですが、よく見ると、海岸線には白い帯が延々と…
左端の矢印のような箇所の裏側はこんな様子 こんな場所があちこちに現れます
このほか、大槌、釜石、大船渡なども基本の方針は同じ
嵩上げした場所も一部ありますが、高台移転ではなく、今までの土地を巨大防潮堤で守る
です
【高台移転】
・岩手県や宮城県の、平野部や周辺部が比較的広い街
・場所によって、一部を嵩上げ
・海岸線に近いエリアは居住区にせず、内陸 (山側) や、新たに切り開いた高台に
住宅地や市街地を移転
南三陸(志津川地区)(宮城)
浸水した区域は非居住にして、祈念公園や避難用の高台を整備
住宅地は嵩上げしたり、周辺の山を切り開いて高台の土地を造成し、
街の機能すべての大規模な移転を進めています
町の規模に比べて広さに余裕がある、とか、周辺の山が比較的低い、
という好条件もあったのでしょうね
↑ 祈念公園にあった説明図の、下段の断面図が分かりやすいです
名取市(閖上)(宮城)
少し内陸に入った区域 (ここも浸水した旧市街地) を5mほど嵩上げし、
住宅や公共施設を計画的に整備
海岸線に近い区域は非居住として、祈念公園や観光施設、港湾施設を整備
説明図の中の、運河 (黄色いライン) をその境目としています
集合団地も嵩上げされた区域に建てられました
「地盤の高さ 海抜約5m」 とありますね
震災復興伝承館の場所も嵩上げ区域
ここは伝承館の機能だけではなく、災害発生時には駐車場と一体として
防災・復旧活動の拠点になります
【防潮堤と高台移転の併用】
田老(岩手)
明治三陸や昭和三陸など過去の津波災害を教訓に、高さ10mの防潮堤を2重に整備して備えたものの
それを超える津波によって防潮堤は破壊され越流され、大きな被害を被りました
矢印のところが破壊された古い防潮堤 (10m)
その向こうに、新しい巨大防潮堤 (14.7m) が建設中です
また、ここも南三陸のように、平野部の周囲に少し低めの丘陵地があったため
そこを切り開いて造成し、役場や病院、消防署などの公共施設や新しい団地を
整備して、海に面した中心部から移転しています
下の写真の右奥に、新しい住宅地や消防署、保育園などが見えますね
14.7m もの巨大な壁を設けながらもその近辺は極力非居住とし、
港湾施設や産業関連施設だけにしようとしていました
国道6号線の山側は、一部嵩上げも行っていました
陸前高田(宮城)
高田松原津波復興祈念公園
この一番奥に見えるのも巨大防潮堤です
防潮堤の上
ずっと先まで、深い湾全体にわたって続いています
海側に見えるのは松の植樹、高田松原の再生を目指しています
陸前高田は平野部や周辺部が比較的広いので、海岸に近いエリアは居住区にせず、
かなり内陸 (山側) にシフトして市街地を再構築していました
【嵩上げ道路(復興道路)による多重防御】
・宮城県の中南部や福島県
・海岸線に堤防、それに並行する形で少し内陸側に土盛りで嵩上げした道路を整備
・堤防と嵩上げ道路、さらにその内側の高速道路 の3重で、浸水を低減、あるいは浸水を遅らせる
・海岸線に近いエリアは居住区にせず、農地や産業関連施設だけとする
これは、名取の閖上から仙台空港に向かって南下していくときに気付いたもので
10年前には平場だった道が、周りより数m高い土盛りになり、
海岸線から 0.5 ~ 2 km ほど内陸に入ったところをずっと並行して
名取から岩沼、亘理、山元、福島の相馬までずっと出来ていました
道幅は広くて土盛りの幅も広く、堤防の役割を持たせているのが分かります
交差する道路も全部同じ高さまで上げて交差点にし、極力下に穴を通さないようにしています
道路の海側 (写真では左側) はほとんどが農地、建物は山側 (右側) から建てられています
現地では 「復興道路」 と呼ばれていて、じっさい、工事や復興事業の大型車両がひっきりなしに往来していました
災害時には、迅速な避難経路として、あるいは支援物資等の運搬経路として活用されるのでしょう
これは、10年前、亘理や名取あたりの高速道路 (仙台東部道路) を通ったときに見た光景で
高速道路の土盛りが堤防となって浸水を食い止め、
道路をはさんで海側と山側でまったく違った状況となっていたのが
非常に強く印象に残っていました
それは誰しもそう感じたのでしょう、
この高速道路のさらに海側にもう一本、嵩上げ道路を通し
堤防と新道路と高速道路の3本で多重的に浸水を防ごう、あるいは
防ぎきれなくても到達時間を遅らせて避難しよう、
という構想を採用したんですね
もともと海沿いの区域の土地の利用度はそれほど高くはなかったし、
言い方は悪いですが道いっぽん作ればかなり効くし多目的に使える、
とても合理的な策だと思います
後からネットで調べてみると、その構想を説明する資料がたくさん出てきました
とても分かりやすいです
(出典:いずれも、国土交通省東北地方整備局、仙台河川国道事務所、宮城県合同の報道発表資料)
こうして見てきたように、各地の復興計画と津波対策は
それぞれの地勢、規模、産業の状況など様々な要素が複合的に考慮されて
その地域ごとの色、というか特徴をもったものが選ばれていった、ということが分かりました
最初は巨大防潮堤の、絶望的なまでに圧倒的な存在感にただ呆然とするばかりでしたが
一つひとつ現地を見ていくうちに、「こういうことかな」 と感じたことを後から確認して、
より深く理解できた気がします
ただ、現地で感じたことの中には、非常に悩ましい、難しいこともありました
宮古で初めて巨大防潮堤を見たときの
「海が見えない」「生活の中に海が無い」
という第一印象
これまで、日常生活の中での癒し、心のよりどころ、愛郷心の源、etc.な存在だった(であろう)
海の姿が見えなくなり
それで心の中にぽっかり穴が開いたような感覚が生まれるんじゃないか、
心の平穏や情緒の安定は保たれるのか、
愛郷心やアイデンティティは保たれるんだろうか…
それから、これは禁断のひとこと なのかもしれませんが
「14.7m を作って、18m が来たら…」
あの巨大な壁を見て、同じように感じた方もいらっしゃるのではないかと思います
まずは人命、命あってのものだね、というのが当然で
当事者でも何でもない通りすがりの私が不躾に
「 これでいいんでしょうか?」
なんて訊いていいはずもないですが、
泊まった先のお宿の人たちと話してたなかで
やはりそういう不安というか迷いみたいなこともやはり出てきたりしました
あまりにも大きく、深く、複雑で、重く、安直に語ることのできないことなので
このへんについては今はまだ誰にも言えることではないだろう、
としか言えないです
長い、いえ、クソ長いのを最後までご覧いただき、ありがとうございました
次は最後
軽く、楽しくいきます