2016年10月01日
電気自動車は乗ってみると静粛で力強く、速くて快適だったりする。
ただそれは内燃機関に慣れた身ゆえに新鮮さを感じている部分がかなりあって、それを差し引けば旧来のドライビングプレジャーとは程遠い世界であることは、ある電気自動車を計2週間ほどお借りして理解できた。
電気自動車に乗った後の911のエンジンの瑞々しいことといったら!
エンジンのメカニカルノイズや振動、シフトダウン/アップの音の変化、クラッチを踏む感触…生物感に満ち溢れており、「生身の拡張としての機械」感に甚だしく、これが自分にとっての、正に「Pleasure」なんだなぁと思う。
それにバッテリーの充電のめんどくささと言ったら…とてもとても…。
行く先々で「燃料があるかどうか」気にしなければならない乗り物なんて、とても日常使いとして安心感を感じることはできない。特に東日本大震災後に避難を経験した身にとっては、「燃料補給がまずできないorする場所がない」というリスクはとることはできない。
それでも自分の体を時代に合わす意味で購入したとしても、それはかなりの散財になるだろう。
あれを買う人はその辺に無頓着か気にしないでいられる方々だけだろう。
大きな問題は電気自動車のリセールと耐久消費財としてのリサイクル性の悪さだ…。
まずリセール。
搭載されているリチウムイオン電池は急速充電をメインに使っていれば、5%/年の割合で間違いなく劣化する。
3年で15%、5年で25%…燃料タンクが縮小していく自動車なのだ。
ただしこれは理論値であって、その実際の性能は搭載された電池の品質に依存する。
携帯電話や家電製品でもたまに電池が膨らんだりすることがあるが、あれと同じなのだ。
要するに電池の劣化具合を誰も正確に知ることができない。
よって買取業者は相当にリスクを差し引いて値段付けをする(まさにそれは始まっている)。
電池なんて安いものでは?って…とんでもない。
ある電気自動車はPC用のセルを連結して使用しており、セルが壊れたらその部分だけ交換すればよいというのがデビュー当初の話だったが、それは実現したのか?
今交換するならば全部乗せ換えonly、5~600万円だそうだ…。
そんなことでは中古3年落ちで買う人は悲劇に会う可能性がある。
よって電池全部交換のリスクを含みつつの車両買取価格は二束三文とならなければならない。
ガソリン車等だって3年乗れば半額以下になる車は多数あるのに、さらに電池交換代を引かれるわけだから、内燃機関の車よりずっと資産価値は低くなるはず。
(だからそれ以上で買い取ってくれるなら、買う側が間違っているのでさっさと売ったほうが良いことになる)
次にリサイクル性について。
まずリサイクル云々いう前に環境負荷を最大限に抑えるための最も優秀なプランは実に簡単である。
それは「今ある自動車をできるだけ長く使うこと」だ。
「現在所有されている車の数+市場にある数+今年生産された車の数」だけで、人類が十分使える分だけの車両数がある。だからそれらをこれから30年使いつくしてみて、30年後に再生産するのはどうだろう?
多分、地球環境は見違えるほどよくなるに違いない。
それをやらないのはもちろん金の問題があるからだ。
ハイブリッド自動車は環境負荷が少ないとある営業マンは言う。
じゃあ「初代プリウスがなんで市場にほとんど無くなったの?最新のリチウムイオン電池のリチウムを含んだ完全リサイクル方法は確立したの?」と問えば、そうなんじゃないのですかと聞いてくる。
そんなわけないし…。
ただ、時代の方向性は政治主導で電気自動車化に突き進んでいく。
我々が大好きなポルシェやらを作る国、ドイツは2011年に原発の廃炉を含むエネルギー政策を根本的に変更した。
メルケル首相はこう言う。
「原子力発電所を安全に運転させることができるかどうかについて、首相として責任が持てない。日本から送られてきた福島事故の映像を見て、自分の原子力についての考え方が楽観的すぎたことを悟った。
福島事故は、全世界にとって強烈な一撃でした。この事故は私個人にとっても、強い衝撃を与えました。大災害に襲われた福島第一原発で、人々が事態がさらに悪化するのを防ぐために、海水を注入して原子炉を冷却しようとしていると聞いて、私は“日本ほど技術水準が高い国も、原子力のリスクを安全に制御することはできない”ということを理解しました。
(中略)
確かに、日本で起きたような大地震や巨大津波は、ドイツでは絶対に起こらないでしょう。しかしそのことは、問題の核心ではありません。福島事故が我々に突きつけている最も重要な問題は、リスクの想定と、事故の確率分析をどの程度信頼できるのかという点です。なぜならば、これらの分析は、我々政治家がドイツにとってどのエネルギー源が安全で、価格が高すぎず、環境に対する悪影響が少ないかを判断するための基礎となるからです…。」
なぜ被災国の日本が同じことを言えないのか、民度の差に愕然とするがこのことはさておき…ドイツは今後「政治主導」で「環境負荷の低減もしくはニュートラル化」を目的とした産業政策に、この時大きく舵を切っている。その結果として、あれほど馬鹿にしていたハイブリッド化の急速な進展や電気自動車への現在の膨大な開発投資につながるわけだ。
そのほかにフランスはパリ市内を(欧州のくせに)ディーゼル禁止の方向だし、欧州各所でロードプライシングや内燃機関自動車の市内乗り入れ制限+有料化が検討されている。
いつかは電気自動車の時代は来るだろうと思っていたら、もうすぐそこに来ているわけである。
ただ気に入らないのは電気自動車に「自動運転」の方向性が加味されてきたことだ。
ミッションEについていえば、日本での報道は「やたらと速い」風の紹介が多いが、ポルシェのプレゼンテーションでは、走行性能の部分は少ない。
例えば「キーを介在してメインテナンス情報をポルシェ社とオーナーで相互通信したり共有できる」とかそういう類の機能紹介に内容の大部分を割かれている。この手の車ではテスラが先行していると思われているが、それを研究したポルシェは、テスラが案外「アメ車的」な作りであることを発見し、この分野でNo.1になれると踏んだようだ。
それ以外にも道路インフラをどのように有効に使っていくかという議論がある。
もう道路は予算がないから作れないし、作ってもその後のメンテ費用等だけでは経済波及効果が偏ってしまう。
円滑な道路交通を実現し、事故損失や渋滞損失の削減、経済の流れをよくするためには、内燃機関車両よりも代替期間の短い車である電気自動車化を推進するのが一番。
そのためには「自分でステアリングを握って好きな方向に行くドライバー」は排除が必要。
完全自動運転で道路上に適切な間隔とスピードで一糸乱れず整然と並んで進んでいく道路環境を目指すべきとされているようだ。
こんな環境まっぴらごめんである。
もうそこには「趣味としての自動車」は存在しない。「移動空間としての部屋」があるだけだろう。
自分は好きな場所に自分で運転していきたい。
自分が生きている間はこんな世界が来ないことを切に願うが…数十年後にそういう世界が来たとして、その頃に運転免許(自体が存在するかどうか…?)を取得する世代の若者は、今のキャッチコピー、例えば「駆け抜ける歓び」等を見て「昔はそういう楽しみ方があったんだよね…車って自分で動かすものだったんだよ~」なんて笑う時代になっているのだろうか…。
Posted at 2016/10/01 21:58:50 | |
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