• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

カクシカおじさん(プレミオおじさん)のブログ一覧

2013年08月31日 イイね!

西宮にある甲山(かぶとやま)に登りました (2015.6.30 写真を追加しました)

西宮にある甲山(かぶとやま)に登りました (2015.6.30 写真を追加しました)
もう何ヶ月も前のことになりますが、
2012年も暮れに押しせまったとある日、
  2012.12.9の日曜日の早朝。

もうすでに寒くなっているのに
  物静かな日曜日の真夜中からお出かけし、
  いったん中国道の西宮名塩のSAで仮眠してから

中国道の宝塚インターを降りて、道がすいている日曜日の朝っぱらから兵庫県地図とナビとをにらめっこしながら、ようやくたどり着いた先は「西宮市立 甲山公園駐車場」でした。
 

 なおここのブログのタイトル写真は、新緑豊かな季節の甲山の写真が掲載されていましたウィキペディアの甲山のページから拝借いたしました。


    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


       ≪ プロローグ ≫
 「西宮(にしのみや)」 という地名、現代の表記では“兵庫県西宮市”となりますが、“西の宮”といいますから、京の都から見て西の方角にあるお宮といういうことで、“西宮”と名づけられたというのが定説のようです。

 旧国鉄時代からJRになってもずっと “にしのみや駅” は「西ノ宮」と、2007.3.17まではその字の意味する通りの駅名で表記されていました。
    
(すでに過去の表記となったJR西日本の旧西ノ宮駅の駅票板 : ウィキペディアより)



 その“西のお宮”というのが阪神タイガースが毎年優勝祈願することで有名な、現在の広田(ひろた)神社のことを指すものと思われます。

 日本書紀によりますと西暦201年、神功皇后(じんぐうこうごう)が三韓征伐した帰途、ちょうどこの西宮付近を通りかかった折に天照大御神の荒魂(あらみたま)が現れ、「この廣田国に鎮まりたい」、とのご神託(下写真の石板)があったため、この廣田のお宮=広田神社が創建されたようです。


             (現在の広田神社 : 2012.12.9筆者撮影)


    ただ創建当時は現在の広田神社の位置ではなくて、
    もっと甲山(かぶとやま)のふもと近くに建っていたようです。

              (広田神社にあるご由緒板をそのまま撮影)




   こちら2枚の写真は、関西学院大学の時計台を後日写したものですが、
   この時計台の背後には、ぴったりと甲山がそびえ立つようになっています。


       



こちらの写真は、兵庫県道82号線のJRさくら夙川駅付近から撮影した甲山です。
こうして見ると、甲山は皆神山(みなかみやま)と同じような台形状のお姿をしていますね。

ただ残念なことに、この写真からでも分かりますが、甲山ではすでに無秩序に開発されてしまって、
山の中腹にまでマンション等が建て込んでいて、実に殺風景な姿をさらしています。


同じような例は磐梯山のふもとでも同様で、ノッポなホテルがそびえ建っていて景観は台無しです!

   2枚の下写真のように幸い山中湖から仰ぎ見る富士山は、
   ノッポなホテルなどの人工構造物が一切なくて私は大好きですね。



      (山中湖畔から仰ぎ見た早朝の紅富士 : 2014.1.16 筆者撮影)

富士山ほどではなくても、もし甲山の山頂に奥宮などがあって人々が絶えず敬い、
山全体が広田神社などの所領になっていたなら、こんなことにはならなかったでしょうに。



    戦後、日本人も自然を大切にしない人が増え、
    さらに金の亡者も増えたせいで(バブルとその破綻)、

    どれほどの美しかった日本の自然が無残にもつぶされて開発され、
    その結果として日本人の心が荒れ果てていったのか、

    国を動かしている政治家・財界人・経済人・教育者たちは、
    もっと大いに考えるべきなのではないかと思いますよ!
 

 以前の三峯神社参拝の
ブログの後半
で詳しく触れましたが、
    
( 三峯神社参拝のブログはこちら →
         https://minkara.carview.co.jp/userid/1144014/blog/27849094/
 過去の歴史では、森林を大切にしない国は衰退の道を歩んでいますね。 

 まあ、日本の戦後教育とマスコミ
   …特に朝日新聞と、公共放送なのに朝日に追随しているNHK…
 が大いに狂っていて、 自虐史観(じぎゃくしかん)に囚われた人たちが、
 この日本に跋扈(ばっこ)している限りは、良くならないのかもしれませんが。



      ≪さらなる追記≫
 最近つとに自然災害が多発していますが(2014年度)、
   この甲山の麓でも傾斜が激急! なのにもかかわらず、
   どんどんどんどん家やらマンションが建っています。

 なぜあんな災害が起これば危険だといえそうな場所に、
   家やらマンションが建てることができるのか、建築許可がなされるのか
   私から見れば実に不思議です。


 最近の強烈な自然災害は、
   経済効率優先主義となり、まさに自然を冒涜している
   現日本人たちへの、天からの警告そのものだとしか思えませんね。

 災害が起こるから砂防ダムを、という発想は、血税を使いながら自然破壊
    しているのと同じで、箱物ばかり作りたがる行政連中も問題だが、

 それよりもドイツみたいに宅地開発に厳しい制限をし、杜は森として守り、
    居住地はもっと安全な場所に、効率よく整備していく時が
    来ているのではないでしょうか?
 
 
     

   ちなみに埼玉県の秩父の山奥深くに所在する、
   三峯(みつみね)神社の参拝のブログは こちら になります。
      → https://minkara.carview.co.jp/userid/1144014/blog/27849094/


   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 


 西宮や宝塚市内を通る幹線道路から、この甲山へ行く一直線の道はなく、
 そのうえ甲山へ行く道はとても 坂が激急!ですよ。この写真はその一枚です。


   そして道に迷いながら
   主に住宅街の中をくねくねと進んでやっと甲山森林公園の駐車場へ到着。

            (こちら2枚の写真は、後日2014.5.18に撮影)


   しかも到着時刻はすでに朝の8:40頃になっていました。

           (甲山森林公園の駐車場 : 2012.12.9筆者撮影)




紅葉の時期も過ぎてしまいすでに真冬に近くなり寒いので、ここを訪れる人は少なくてもの静かなので落ち着いて回れますね。そしてこの駐車場からすぐに甲山森林公園へと入れます。

           入り口には甲山の案内看板が。
     



設置看板より甲山の標高は309.4mです。
    この年、2012年の真夏に初登頂した富士山の10分の1以下の標高ですが、
    ここは海抜0m地帯ではないものの標高差は200m以上はあるでしょうか。

    残念ながら今回は真冬に近い12月の半ばの撮影なので、
    冒頭のタイトル写真のように緑あふれる写真でなく、枯れたような色彩です。

  (森林公園の入口にある自由広場から撮影した甲山 : 2012.12.9筆者撮影)






     同じく2012年に行きました、鹿児島の指宿(いぶすき)にある開聞岳(かいもんだけ)は、
     標高こそは924mだが、海抜0m地帯にそびえ立つので900m以上登ることになります。
     
           (薩摩富士と呼ばれている、独特な円錐形の形をした独立峰 開聞岳)



 だが2012年の春にここ開聞岳を訪れたときは、兵庫県からの遠距離ということもあり、登山時間が取れなくて山登りは残念ながら断念しましたが、甲山はそこまではないのでそんなに苦しまなくても登れそうです。

 とりあえず森林公園の駐車場に我がコンテ号を停めて、今回はこの少し上にある神呪寺(かんのんじ)から甲山に登ることにしました。神呪寺入口にも駐車場はありますがあえて歩いて行きました。




            神呪寺へのもよりのバス停は、甲山大師です。
       
           (こちらの写真は、後日再訪問した2013.6.24に撮影した時のものです)
 

   甲山は空海、つまり弘法大師に縁が深かったようで、
   別名「甲山大師」と呼ばれているそうで、バス停にもその名がついていますね。



    その神呪寺(かんのんじ)、またの名の甲山大師への入口はこちら、
    長い階段を登ったところにあります

    かえすがえすも真冬に行ったので、山が枯れていてちょっぴし残念です
    長い階段を昇り切ると神呪寺の本殿になります


    こちらの写真は
    新緑の季節に撮影されたらしいフリー百科事典のウィキペディアに
       掲載されていたのをお借りしました。緑が豊かで美しそうです。




   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


    そして甲山への登山道はいくつかあるようですが、
    今回はここ神呪寺から登ることにしました。




 登山道の入り口は神呪寺本堂の右端(東側)からですが、
 登山道の入り口にあたるミニ鳥居の手前には、甲山のいわれを示した石碑があります。



 そして「甲山」と書かれた扁額(へんがく)が掲げられたミニ鳥居をまずくぐっていきます。



 昨年(2012年)は古事記編纂1300年目ということで脚光を浴びましたが、
 その古事記に書かれているお話しとして、第14代の仲哀天皇(ちゅうあい てんのう)の御世、

 当時、大和朝廷に反抗し九州に勢力を張っていた熊襲(くまそ)というのがいたのですが、
    『熊襲の背後には朝鮮半島の新羅(しらぎ)がいるから、それをたたけ』

というご神託を仲哀天皇が信じなかったために突如急死してしまい、その神なるご意志を引き継ぎ三韓征伐をしたのが、仲哀天皇のお后であった神功皇后(じんぐう こうごう)、またの名を気長足姫尊(おきながたらし ひめのみこと)だった、いうことが古事記に書かれています。

    (三韓征伐に赴く神功皇后 / 1880年 月岡芳年による版画・ウィキペディア)



その神功皇后が三韓征伐を行った後に帰省する際、
もう二度とこのようないくさが起きることのないように祈りを込めて、この西宮の甲山の山頂に 「如意宝珠(にょいほうじゅ)」 と 「兜(かぶと)」 を埋めたので、甲山(かぶとやま)という名が付けられたといわれています。

    この小さな扁額の意味するところは、このような故事によるようです。
    その扁額、上の写真から甲山の扁額を大きくトリミングしてみました。




 甲山の扁額が掲げられた小さな鳥居をくぐるとすぐに登山道の入り口となりますが、
 まず甲山の案内図があります。



            案内図のすぐ横は登山道の分岐点がありますが、
            行きはとりあえず大回りだが階段のない右側を選択。
       



  右側(東側)を選択すると、甲山の周囲を周るような感じであぜ道を進んでいきます。


         木が折れているのか、はたまた斜めに伸びているのか分からない木もありますね。
       


 しばらく歩くと三叉路に出ました。甲山山頂へはここを90度左に折れ曲がりますが、
 もし真っすぐに行くならば甲山自然の家方面へと出るようです。



    そしてここまでは階段もなく割合平坦な道でしたが、
    ここからはどうやら階段がずっと続いていくようです。


       

       


   今日は真冬に近い12月初め、
   割合温暖な地、西宮でも寒いので汗だくだく、ということはさすがになかったですが、
   ずっと階段を登ってきたせいで息はゼーゼー、上着も脱ぎ捨てたが汗も少しかきました。

   きっと夏頃なら、汗でじゅくじゅくになり蚊などにもかまれまくり、
   ヘビなども見かけたろうと思います。いゃ~あ、真冬で良かった。 


   そして何段? いや何百段あがってきたのか、数えなかったので分からないですが、
      やっと頂上へ着いたようです。



  初めて甲山の山頂へと登りました。

  が、山頂は低く309.4m、10倍以上高い富士山とは違い、
      周囲には木々が植わっていて何も見えず、
      石が山状に積み上げられているのみで、見た目には何もなかったです。

  でも山頂には休憩用の木製のベンチシートがいくつか設置されていました。


       


     
 ちなみに同じ年に初登頂した標高の高い富士山では、五合目からは木が育たないので、
 ガスがなく視界が良ければこのように下界がよく見えます。

      (2012.8.20夕刻 富士山富士宮口登山道から撮影した駿河湾)

       

       
       (2012.8.21早朝 お鉢めぐり中に富士山頂から撮影した山中湖と南アルプス山脈)



  残念ながら周囲が見渡せない甲山の山頂でしたが、
  元々ご神体山のようなので、禿げ山でなく木々に覆われているのはいいことでしょう。

  あと他には、山頂から 「銅戈(どうか)」 が出土したとの案内板がありました。



   そうこうしながら山頂のベンチで休んでいると、
   なんと阪神地区の西宮では非常に珍しい 粉雪 が降ってきました。

これを何とか写真に収めようとしたけれど、白っぽくなっている青空に白色のごく小さな粉雪では、私の腕ではうまく写すことができず、残念ながらここでご紹介することはできなかったです。




         【2015.6.30 追記】
  2015.6.12の日、平日でしたが神戸に用事で出かけた際、
  みん友さんであるミラカスおじさんと午前中にプチオフ。




その後、午後から用事を済ませると夕刻近くになっていましたが、その間に天候は回復して晴天になり、しかもまだまだお空が明るかったので、久しぶりに甲山に登ってみることにしました。

登山の道中写真は暗い中での撮影でしたので省略、上の山頂写真は真冬で枯れた写真でしたが、ここでは新緑あふれる甲山の山頂の写真をここに追記いたします。



       






 ところで今回、このブログを書くにあたり甲山のことを調べてみると、幾度となく山火事で焼けたことがあったようです。古くは織田信長の時代、荒木村重の乱のときに信長が西宮へと攻め込んだため、地元民が避難と抗戦のため甲山に立てこもり、それを
 信長がなんと山ごと焼き討ち? にしたらしいです。

(甲山を焼き討ちしたらしい織田信長 狩野元秀筆 : ウィキペディアより)


 あまりにも残虐非道なことをした織田信長の人生は、その後の歴史が証明するところですが、江戸時代にもここの所有権をめぐって争いもあったようですが、終戦後間もない頃の1946(昭和21)年にまたもや火災が発生し、どうやら再び禿げ山になったようです。


 古来甲山は、奈良県桜井市三輪にある大神(おおみわ)神社と同じようなご神体山だったそうですが、この昭和の大火事で禿げ山になってしまい、その後ピクニックコースとして登山道が設置されたようです。下記のホームページによると、さらにはロープウェイの設置計画まであったそうな。

さすがにロープウェイは建設されず、古来のままとはいえなさそうですが甲山は無事守られました。
  しかし残念ながら甲山の山頂には奥宮とかのお社が全く無いため、
  神聖な山だというイメージが薄れてしまっていますね。




 ちなみに甲山の歴史などは、こちらに詳しいホームページがありました(関連情報URL)
      『ちょっと歴史っぽい西宮』
   http://blog.livedoor.jp/p_lintaro2002/archives/55401589.html



   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 この粉雪がチラチラと舞っていた甲山を下ったあと、広田神社へ移動して参拝してきました。

 こちらの写真は神社の入り口(神門)になりますが、この手前にわずかに残る松並木が、
 古来は海のそばにあったと思われる神社の面影を伝えているようです。



 現在の広田神社は街の中にあるような感じになっていますが、古来は海のそばにあったようです。
 こちらの写真は神社境内にある、古来と江戸時代の西宮の様子を描いたものを撮影しました。

 土砂が堆積したり埋められたりして、海岸線が大きく変化しているのが良く分かると思います。
 江戸時代のものは現在とそう大きく変わらないようです。


    この大きな説明看板、トリミングし拡大してみました。




   3世紀ごろは海岸線が大きく内側まで入り組んでいて、
      現在の広田神社のところまで海があったことが分かると思います。
   現在この地に立てば神社の手前まで海があったなんて全く想像できないですよ。




 日本書紀によれば、神功皇后が三韓征伐から帰省の折、ここ広田の地を通ったときに天照大御神さまの荒魂が現れて、この広田の地に鎮まりたい、とおっしゃられたため、この地に神社が創建されたのが始まりとされています。

    このご由緒の石板はそう書いてありますね。


   先に触れましたが、どうやら創建当時の広田神社は今の位置ではなくて、
   奥宮にあたる甲山の近くにあったようです。


 過去水害とかでやられて幾度か遷座し、江戸時代の1724(享保9)年、現在地になりましたが社殿は太平洋戦争の戦災で被災し、現在の本殿は伊勢神宮荒祭宮の旧社殿を譲り受けて昭和31年に竣工しました(ウィキペディアより)。
 
 また十日エビスで有名な西宮神社は元来この広田神社の摂社だったのが、後年になると商売の神様として大いに繁盛していき、もうどちらが本社か分からないほど! になっているのも、ちょっと面白いですね。



西宮神社は阪神・淡路大震災で倒壊し再建されたので真新しいのですが、
やはり建物のせいもあるのか、私には古来からの広田神社のほうがより素朴に感じられます。

     (素朴な感じのする広田神社の拝殿と本殿 : 2012.12.9筆者撮影)




そのえびす総本山や十日えびすの福男選びで有名な、えべっさんの西宮神社の写真はこちらです。
西宮神社の本殿は阪神・淡路大震災で倒壊したので、新たに再建されました。

    (平成21年度の福男の写真 : 西宮神社境内に掲出されていたのを撮影)



   こちらの写真2枚は福男のスタート地点となる、西宮神社の表大門を撮影。






  こちらの写真は、阪神・淡路大震災の倒壊後新たに再建されましたご本殿写真。

         (再建された西宮神社の本殿写真 : 2014.2.19筆者撮影)


 ここの西宮神社の本殿掲載写真、
 以前はウィキペディアに掲載の写真で代用していましたが、撮影に使ったカメラのレンズのせいなのか、石畳が曲がって撮影されていたりして画質に問題があったので、後日西宮を訪れた際に西宮神社に立ち寄って撮影し、いくつかの追加写真とともに本殿写真は差し替えました。



   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



       ≪ 後日編 ≫
 前回ここ甲山を訪問したのが木枯らしも吹くころの2012.12月でしたので、木々も枯れていて物寂しい様子でしたので、翌年の2013年 6月 24日に知人と大阪へ出かけるついでに、再び立ち寄ってきました。

 6月末ともなれば新緑が育ってきていて深緑色の美しい姿となっていましたが、ただもうこの頃になると室外は蒸し暑くなっていたので、時間の都合もあり登山はご遠慮しておきました。

 ではここから以下、簡単ですが新緑の花咲く甲山と神呪寺の様子をアップしていきます。



   まず甲山森林公園の入り口を入りますとすぐに甲山が望める自由広場へと出ます。
   そこでまず写真を1枚パシャリと撮影しました。

   梅雨明けのような天候で、残念ながら晴天とは言えなかった甲山です。



   そしてシンボルゾーンへ向けて歩いていきますと、
   野外ステージへと降りる道すがらに紫陽花がいっぱい咲いていました。
   こんな感じです。



   まだこの頃はマクロ撮影できるシグマDP3メリルの購入前でしたが、
   広角のDP1メリルでも極力被写体に寄って撮影。


       

   よく見るとカマキリみたいなのが1匹いました。もっと接写して撮影。





   そしてすぐに甲山森林公園のシンボルゾーンである、記念碑広場へと到着。
   平日の昼間なので誰もいなくて邪魔にならないので、三脚を立てて甲山を撮影。

   池の水が空のためみすぼらしくなるのであまり近寄れず、遠くから撮影しました。

   この噴水、たまたま通りがかった人が教えてくれましたが、
     平日は噴水は閉められているとのことで、ちょっと残念。 


ちなみにこの彫刻は「愛の像」と言うそうで、彫刻家の新谷秀夫さん作だそうです。
彫刻自体は国内では数少ない白大理石で作られていて、台座はポルトガル産赤御影石で、
  「愛」の文字作品は山口県産白大理石との記載がホームページにありました。

  高さは8.6mだそうです (台座4m、作品4.6m)。



フリー百科のウィキペディアには噴水されている写真がありましたので代わりに掲載です。



          こちらはさらに後日の2014.5.18の日に私が撮影した甲山です。
          もう少し後ろに引いてから撮影すれば良かったと後で後悔しました写真です。
       




     そして次に前回訪問時と同様、神呪寺へと行きました。
         まず駐車場へと車を停めると長い階段が。


       何段あるのか数えるのを失念しましたが、階段を登り切るとご本堂と背後には甲山が。
       
       


    横にはお寺の象徴ともいえる釣鐘があります。


       



              1突き10円だったのか50円だったのか忘れましたが、
            せっかくなのでお金を支払って突いてみました。ゴ~~ン。



    夜景ではないですけど、最後に神呪寺から見た西宮付近の街並みです。

               (2013.6.24に撮影した西宮の街)


         (こちらは2015.6.12の夕刻近くに撮影した西宮の街)


次回のブログは
2013年 夏の旅行 白川郷訪問・白山スーパー林道走行・白山登山等を予定しています。
Posted at 2015/06/30 00:34:32 | コメント(2) | トラックバック(0) | 旅行記 近畿・北陸 | 旅行/地域
2013年01月16日 イイね!

また再びの天橋立の散策と、DP1 Merrillにて撮影です

また再びの天橋立の散策と、DP1 Merrillにて撮影ですここへご訪問の皆様、
 おくばせながら明けましておめでとうございます。

昨年のお正月の日には
  京都銀閣寺のブログをアップできる元気もありましたが、
今年はなんと情けないことですが
  風邪と発熱にやられてしまって、
  ようやく今年初のブログをアップできました。
 
 今年初のブログは、昨年2012年の11月末ごろに行きました天橋立を取り上げようと思います。


 なお時々書いていることですが、ここのブログに掲載できる1写真当たりの容量2MB以内の制限(2013年時点)のために、細かなものがたくさん写っている写真は特に画像の圧縮劣化が激しく、元画像と見比べると時々ため息が出ます。

 掲載写真により画質の差の違いがかなり見受けられるのはこのためでして、元写真の美しさが現時点でお伝えできないのがとても残念ですが、これはいずれ時節が解決してくれることに期待して、掲載写真とともに元画像も大切に保存しています。


   -----------------------------------


      《プロローグ》
 日本三景のひとつに不思議な形をした天橋立というのがあります。
   どうやら元伊勢の籠神社(このじんじゃ)の参道になるようです。

 そして天橋立は旧国名でいうところの丹後(たんご)地方に位置していて日本海に面し、
   現在は京都府の北にあたる宮津市(みやづし)に所在しています。

 私の居住地から天橋立はそんなに遠くなくてもちろん日帰りルートなのですが、こちらの地方にちょくちょく用事があるおかげで、今まで何度か用事の合間をぬって、この摩訶不思議な形をした天橋立を訪れていました。




 その天橋立、以前にもこのページ内のブログで取り上げたことがありました。
 2012.2.18付けのブログ「秋口と真冬の天橋立散策」です。そのブログは こちら です。

 その前回のブログは、私の初のデジカメDP1xを購入した直後の2011.9.23と、大雪の後の2012.2.12に訪問した時の撮影写真を元に作成しました。



 が、実は両日ともあまりお天気に恵まれず、しかも9月に訪れたときにはまだカメラ初心者だったので露出オーバーな写真やら、まだカメラを使いこなせていなかったせいで失敗写真ばかり(下写真が一例)でした。

   職場の友人にも笑われたこの露出オーバーな写真(当時のフォトギャラに掲載)。


 この写真の撮影は2011.9.23 16:40でしたが、この日は曇りで松が覆い茂った橋立内は暗めだったせいで、単純にDP1xのISOを200にあげ、しかも露出時間は0.4秒と夜間撮影みたいな設定で撮った写真がこれです。

 DP1xの背面液晶画面の明るさで判断して撮影してしまいました。
 当然露出がオーバーすぎて、もちろんRAW現像でも修正しきれなかった見事な失敗写真です。


 まあお恥ずかしい話ですが、このシグマの素人向けではないじゃじゃ馬カメラを買ったのに、露出時間もISOも露出補正の設定も意味も分からず、まだ使いこなせていなかった証拠の写真です。
 よって今回、再度訪問する機会に恵まれたのでもう一度、風光明媚なこの天橋立を取り上げることにしました。


   -----------------------------------


 ではさっそく天橋立のご紹介です。

 最初は徒歩で南側から天橋立を全区間歩いて対岸まで行き、対岸にあるケーブルカーで傘松公園まで登り、その後連絡船で元に戻ったあと、今度は天橋立駅のちょうど裏手にある天橋立ビューランドへ行って、高所から天橋立を拝見しました。

    では順に写真をアップしていきます。
    まず天橋立の入口です。

 右手に道路標識がありますが、この橋立内、もちろん徒歩と自転車はOKですが、この標識の通り原付二種=125cc以下のバイクも通行が許可されています。私が歩いているときに郵便バイクが1台走り抜けていきました。




 そして橋立の入口には全国でも珍しくなった「廻旋橋」なるものがあります。
 以前のフォトギャラにもこれは少しばかり載せましたが、撮影枚数はわずかでしたので今回はちょうどここを訪れた時に大型船が接近していて橋も廻旋していたので見逃さず、すかさず連続撮影しました。

    青いジャンバーを着た係員が橋の切れ目のところに突っ立っています


    廻旋橋が電動モーターにより動き始めました










    廻旋橋が完全に真横になりました


    そして向こうから船がやってきました








    船が完全に橋部分を通過し、廻旋橋も元に戻り始めます










    もう少しで橋が引っ付きます



    廻旋橋は元に戻って普通の連絡橋になりました。

       
           廻旋橋の接合部分の写真です。
           ちなみにこの旋回橋が出来る前は渡船だったようですよ。


   -----------------------------------


 さて元に戻った旋回橋を渡って天橋立内へと入りますと、
 ます巨大な案内図があり、もうひとつの橋「大天橋」を渡ります。




        そして宮島にもありましたが、日本三景の碑がありました。
       

    そうして天橋立独特の松林の中へと入っていきます。


 700mほど入った時点で撮影。天橋立終点まであと2kmくらい続きます。




    その先には、以前撮影に失敗したアームストロング砲が展示。
    今度はうまく撮れたようです。
      ちなみに重さは5トンとか、鉄の塊ですね。


       




   -----------------------------------


 明治時代の大砲を見たあと、さらに奥へと歩いてゆきます。
    そうすると「阿蘇の松」という銘板が。

 一瞬、熊本の阿蘇山の松?かとも思いましたが、
    碑には「阿蘇海岸に面した名松」と記していました。
    どうやら天橋立内の内海を「阿蘇」と読んでいるようなので、こちらを指すのでしょう。 





         阿蘇の松を見たあと、両脇を松に囲まれた直線の参道を進みます。
         どちらかといえば徒歩よりもレンタルサイクルで行く人のほうが多いくらいです。
       


   次は夫婦松というのがありました。
   こちらです。
  


   二本の松が仲むつまじく、根元で一心同体となっていますね。




         天橋立終点まであと残り1km。
       


 その先には「羽衣の松」と名づけられた立派な松が。



  日本昔話の「羽衣伝説」に出てくる、
    水浴びしている天女が付けていた羽衣を掛けた松のイメージにぴったりですね。
  ちなみにこの松はたいへん大きくて、写る範囲内のギリギリ後ろまで引いてから撮影しましたが、
    それでも松全体をとらえることができなかったです。




    そしてようやく松林の終点が見えてきました。



  この案内板によると天橋立は全長3.6kmだが、
  廻旋橋から松林の終点にあたる舟越の松までは2.4kmと記載されていました。


  そしてここからはケーブルカーに乗って傘松公園に移動。
  山の中腹にある傘松公園から撮影した天橋立の全景です。

  この写真を見れば分かりますが、水面の反射がすごすぎですよね。
  近々サーキュラーPLフィルターと光量減光用のNDフィルターも買っておきたいと思います。


   -----------------------------------


  傘松公園を降りたあとの帰りは時間のかかる徒歩ではなく、
     連絡船にて出発点の廻旋橋まで戻ることにしました。
     こちらは籠神社側の一の宮駅の入口です。


       

    今日乗った船はこれでした。


    連絡船の操縦席です。



           メカ好き・計器好きのわたくし、計器板部分を大トリミングで抜き取り。
           タコメーター、積算時間計、水温計、ブースト計などが読み取れます。
       



    そうこうするうちに船は発車、走行中に撮影した中の1枚です。


    そして10分ほどで対岸の駅(天橋立桟橋)に到着です。



   -----------------------------------


 で、結局天橋立内の写真はたくさん撮れたものの、
    前回訪れたときも含めて高台からの全景写真のいいのが撮れなかったので、
 今度は北近畿タンゴ鉄道の天橋立駅のちょうど裏側にある
    天橋立ビューランドへ行ってみることにしました。




       


天橋立、今まで何度か来たもののここへ行くのは初めてです。
ここは登山道は一切なく、有料のリフトかモノレールのどちらかを利用します。もちろん往復です。



    上へ登るとちょっとした遊園地です。


       


    が、おじさんのひとり旅なので乗り物よりまず写真を撮りました。これです。



  今度は晴天の絶景の天橋立の写真が撮れました。
  こちら側は水面の太陽光の反射もなく、青々とした美しい海も写真に納まりました。




  無事写真が撮れたのを確認してから周囲を見渡すと、「飛龍観回廊」なるものが。
  つい最近できたらしいです。でもって、入口のところに案内板が。


       


    ただ高所恐怖症の人はやめておいたほうがよいかも。
    しかも風が吹くと回廊が揺れます。


       


 でもここから撮影した天橋立の全景、さえぎるものが無くてとっても素敵でした。





    こうして天橋立の絶景を十分堪能したあと、ここを経つことに。
    行きはリフトだったので、帰りはモノレールに乗ってみることにしました。



    こちらの風景も高所恐怖症の方にはあまり良くないかも。


           モノレールの窓越しから撮影。
       


    やっと終点に近づきました。


    リフトの外観です。
    二車体連結ですが、定員はあまり乗れないように見えました。



   -----------------------------------

    次のブログは、ここ北近畿タンゴ鉄道の天橋立駅で撮影した
        JR183系と287系電車の写真を用意でき次第アップする予定です。

    さらにその次のブログは、昨年2012年12月の初めに行った
        兵庫県の西宮市にある甲山(かぶとやま)のミニ登山ブログの予定です。


  下の関連情報URLには、天橋立ビューランドのホームページをご紹介しています。
関連情報URL : http://www.viewland.jp/
Posted at 2013/01/16 00:14:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旅行記 近畿・北陸 | 旅行/地域
2012年07月23日 イイね!

兵庫県佐用町「南光ひまわり祭り」と、各種ひまわりのご紹介

兵庫県佐用町「南光ひまわり祭り」と、各種ひまわりのご紹介
 兵庫県の瀬戸内側の西の端には
 佐用町(さようちょう)という小さな町があります。


 道路交通関係にお詳しい方なら、中国自動車道の佐用インターと中国道と鳥取道との分岐点の佐用ジャンクションがあったり、

 また高速化された第三セクター鉄道の智頭急行とJRの佐用駅もありますので、ご存知の方もおられるかもしれませんが、なにせ小さな町なので一般的にはなじみがないと思います。



 その小さな佐用町の名物のひとつが、合併前の旧南光町(なんこうちょう)の休耕田で毎年7月頃に開催される 「南光ひまわり祭り」 です。

 休耕田に平成2年ごろからひまわりを植え始めて、現在は全部合わせると100万本? 200万本?ともいわれている、たくさんのひまわりのお花祭りです。

 私は初めて、昨日の2012.7.22(日曜日)にここへ訪れました。


   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 まずここへ休日に訪れてビックリするのが駐車場待ちの車の列で、なにせこんなド田舎なのにこの時ばかりは周りの風景とは全く似合わず付近の道路が大渋滞と化し(特に佐用坂)、空いているほうから行ったものの、駐車場に入るまでに1時間はたっぷりとかかりました。

あと神戸ナンバーや大阪ナンバー、なにわナンバーとかのお車も多く、以外と他地区からの来訪者も多かったように見受けられました。


    この1枚目の写真の多数のひまわりの奥に写っているのが駐車場です
                     (期間中のみ?500円必要)。


       


残念ながら当方、正直お花と料理は全くの門外漢で残念ながら詳しいコメントは出来ず、以下順にご紹介していきますひまわりのお花も、現地に立てられていました表示看板から種類を書き上げていますので、間違いがございましたらご指摘くだされば幸いです。


なお、私がここを訪れた日は2012.7.22の日は、ひまわり祭りの終盤に近く (東徳久地区のひまわり畑の最終日)、大雨も降ったせいなのかいくつかのお花は寂しいかな、花びらが散ってしまったひまわりもあり、掲載写真も仕方なくそのまま掲載しました。



  イタリア映画の「ひまわり」ほどではありませんが、あまりにもたくさんのひまわりと、
  大勢の訪問客が訪れている様子です。



       休耕田を利用したひまわり畑なので、このような水路もありました。




 上から撮影するとたくさんの小さなひまわりでしたが、近くで撮影するとこんな感じです。
 また記念撮影用の撮影板とひまわりの迷路もありました。



       



   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


ここからは、
このたくさんのひまわり畑の中で展示されていた各種のひまわりをご紹介していきたいと思います。


 各種ひまわりにはこのような手作りと思われる品種名の看板が設置されていました。
 私はお花に関しては全くのど素人なので、この看板の通りにひまわりの品種を書きました。



                         (ソラヤ)


                        (テディベア)


        (残念ながら花びらは散っちゃっていますが、ゴッホのひまわり)


         (こちらもお花が散っていてちと寂しいですが、セーラームーン)


                         (ココア)


                      (ルビーエクリプス)


                      (サンリッチマンゴー)


                     (サンリッチパイン45)


                       (ムーランルージュ)


 こうして各種ひまわりを観察し写真にも収めましたが、ひまわりって「サンリッチマンゴー」みたいなものとばかりだと私は思っていましたが、こうしてひとつひとつ撮影してみるといろいろな種類がありちょっとビックリです。


   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 ひまわり畑を堪能したあとまだ時間が余っていたのと晴天になったので、ここからそう遠くないお隣の岡山県の備前市(びぜんし)から岡山市内までつながっている、岡山県道397号線の「岡山ブルーライン」へ行き、道中の片上大橋の近所から撮影したのが↓写真です。


岡山ブルーライン、元有料道路(旧名称:岡山ブルーハイウェイ)ですが、現在は無料開放されて普通の岡山県の県道になりました。

 その道中にてこの写真は撮影しましたが、このあたりはギリシャのエーゲ海のような雰囲気をたたえていて、私はここを通るたびにこの美しい景色に感激です。
 
Posted at 2012/07/23 22:12:36 | コメント(2) | トラックバック(0) | 旅行記 近畿・北陸 | 旅行/地域
2012年02月18日 イイね!

秋口と真冬の天橋立散策

秋口と真冬の天橋立散策 
 ここのところ大雪ばかりが続く天候で、雪国にお住まいの方はさぞかし大変だろうと思います。

 ここで取り上げる京都府の旧国名 丹後地方にある天橋立(京都府宮津市)も、岸壁の母で有名なお隣の舞鶴市も、この辺りでは信じられないぐらいの80cm前後の大雪が降ったとか。

 昨シーズンも大雪でしたが、今シーズンも負けず劣らず寒波の到来が激しいようです。
 
 そしてここのタイトル写真の、雪景色でありながら晴天の天橋立は(ここの写真は借用)、宮城県の「松島」と広島県の「安芸の宮島」と並んで、この日本三景に数えられていますが、現代は昔と違い周囲には斬新な建物も建ってきて、三景とは言えなくなりつつありますね。


 筆者は天橋立といえば、室町時期の初期の頃に描かれた、かの有名な雪舟の筆なる「天橋立図」をすぐに思い浮かべますが(下写真)、今回これを掲載するにあたり詳しく調べてみるとこの墨絵、大きさは縦 89.4cm×横168.5cm (ほぼ畳1畳分)と、とても大きな墨絵でなんと20枚の紙を貼り合わせているそうで、実物を見たことない私はビックリです。

 
                    (所蔵:京都国立博物館)

 雪舟の墨絵では橋立の左端が途切れていて交通機関がほぼ徒歩だった近年まで、どうやらここの部分は渡船で渡っていたようですが、そのあと残り3.5kmもの長い橋立の参道を歩きながら、昔の人はこの摩訶不思議な姿をした橋立を見ながら、ここまで来た感動を味わったのでしょうか。


 そして戦前の1923年に人力で動く廻旋橋を建造、戦後の1957年から現在の電動式の回転橋(廻旋橋)になったようです。橋の名は「小天橋」と言うのだそうですが、この手の橋は珍らしいらしく「廻旋橋」の名で全国的に知られているようです。


                     (2011.9.23 撮影)

 この写真は筆者が2011.9.23に訪れたときにたまたまこの橋が動いていたので、慌ててカメラで撮影したものですが、詳しくは当コンテのフォトギラリーに掲載しているものの、廻旋橋の北側からの撮影なので、回転の様子がうまく撮影できず残念でした。対岸からのほうがうまく撮影できそうです。

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 そして現在の天橋立の姿は全長3600mもあり、松も8000本も植えられているそうですが、雪舟の墨絵をみても分かりますように、もともとこの摩訶不思議な形をした天橋立は、橋立のいちばん奥にある元伊勢である籠神社(このじんじゃ)の参道だったようです。
 
 そしてこの廻旋橋から橋立内を歩くと松に覆われた下の写真のような感じとなっています。本格的なコンデジを買って間もなかったため、あまりうまく撮影できていませんが。


                     (2011.9.23 撮影)

 そして小一時間ほど天橋立を歩いていくと、元伊勢の籠神社へと着きます。

 今回訪れた2012.2.12は、先日大雪が降った後らしく通り道だけ除雪したようで、下の籠神社境内を撮影した写真のように、周囲にはうず高く雪が盛られていてちょっと驚きますね。なにせこの辺りは雪が降るといっても日本海のそばなこともあり10cm前後の積雪が普通なようです。


                     (2012.2.12 撮影)

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 それから、高いところから天橋立の全景を見るべく、山の中腹にある傘松公園へ急勾配のケーブルカーで移動。残念ながら晴天には恵まれず、下写真のように曇り空の天橋立の撮影と相なりました。





                     (2012.2.12 撮影)

 傘松公園駅に停車中のケーブルカーの車内から撮影した勾配の様子と天橋立の一部分です。

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 前回の2011.9.23 にここを訪問したときには片道だけですが、この3600mもある天橋立を北から南へとこの足で実際に歩きました。

 そうして天橋立を歩き切って、第三セクターの北近畿タンゴ鉄道(KTR)の天橋立駅に到着し見ますと、ほぼ旧国鉄塗色に塗られた雷鳥とかに使われていた、元485系のJR西日本の183系が入線してきたので、当方は取り鉄ではないですけど、記念に撮影するためズームの効かないDP1xを携えながら、入場券を買って撮影したのが以下の写真です。




                     (2011.9.23 撮影)


【関連情報URL】には、雪舟の時代から平成16年に至るまでの天橋立の全景の絵・写真を使って解説してあるPDFファイルです。興味のある方はぜひご一読をお勧めいたします。
Posted at 2012/02/18 23:05:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旅行記 近畿・北陸 | 日記

プロフィール

「コンテのエンジンを載せ替えてから3年半、ようやくクーラントを全交換。 ラジエターの1.6L+ターボウォータパイプを外してエンジン部分の1.1Lも抜き9割が新液に。

ほぼ全量ということで今回プレミオに合わせて、ダイハツ純正からトヨタ純正クーラントに乗り換え。濃度は55%に設定。」
何シテル?   05/07 01:07
カクシカおじさんです。 ニックネームの由来は、我が愛馬コンテカスタムRSの別称、ダイハツの『カクカクシカジカ』と現在の年齢がおじさんになっているところから...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2024/5 >>

   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 

リンク・クリップ

コスパ最高なトヨタ車 プレミオ分解画像 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2021/08/15 10:19:03
同車種・他仕様の純正部品を用いたシートヒーター流用取り付け - 序章 ~ 作業前の環境整備 ~ 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2021/06/07 01:27:04
4WDの知られざる短所 
カテゴリ:車
2021/05/30 23:50:28
 

愛車一覧

トヨタ プレミオ トヨタ プレミオ
  今まで乗っていました30万km以上走ったダイハツ コンテRSは、つい先日(2020年 ...
ダイハツ ムーヴコンテカスタム カクシカくん (ダイハツ ムーヴコンテカスタム)
  ダイハツ ムーヴコンテカスタムRS(ターボ)・2WDの寒冷地仕様車に乗っています。 ...
ホンダ CD250U U君 (ホンダ CD250U)
  2008年 5月に中古車として我が家にやって来ました。    1988(昭和63)年 ...
ホンダ Dio (ディオ) ディオ君 (ホンダ Dio (ディオ))
  今はなき、バイク全盛期の頃の2st 50cc原チャリです。 これは親戚からのもらい ...

過去のブログ

2020年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2018年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2017年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2016年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2015年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2014年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2013年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2012年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2011年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2010年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2009年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation