昨日2012.8.22はコンテ乗りの方と急なプチオフを
“道の駅はなぞの” で、夕方から真夜中までしたあと、
埼玉秩父の山奥に向かって、道の空いている真夜中に
国道140号線を西へ向かって車を進めていきました。
でも当然ですが昨日は朝から夜までぐるっと山梨、長野、群馬の草津、榛名、そして花園というふうに、ほぼ下道ばかりを何百キロも運転してきたので、当然ながら秩父でとうとう力尽き、“道の駅ちちぶ”で熟睡してしまいました。
そして2012.8.23(木)の早朝、この旅行も最終日となった今日、起床後身支度をして三峰口で鉄道散策をしたあと、まだ早朝のうちに三峰へと向かっていきました。ここまでが前回のブログの内容でした。
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さて、秩父鉄道の三峰口を出たあと、しばし走ると昨年入った温泉が。
道の駅と併設の大滝温泉 遊湯館、
まだ朝早いので当然閉まっています。朝10:00からだそうです。
温泉は当然ながら閉まっていたので、
仕方なく雁坂トンネル方面へ向かっていきますと大滝三差路へと出ます。
(2012.8.23早朝の国道140号線 大滝三差路 : 筆者撮影)
大滝交差点内の看板を見ますと今日の目的地、三峯(みつみね)神社までここからまだ14kmもあります。もうここまでも相当な山奥なのにさらに秩父の山奥へと入っていくようです。真冬なら雪が相当積もりそうなところですね。
裏を返せばこんな山奥だからこそ開発もなくて、
神社が荒れることもなく未だにパワースポットとして存在しているのだと思います。
(国道140号線 彩甲斐街道の旧道を進む : 筆者撮影)
そしてやっかいな駒ヶ滝トンネル前へと出ました。
道路看板からでも分かりますがトンネル内分岐があります。
トンネル信号が赤です。待ち時間を表示する回転表示灯もあります。
しかも狭いトンネルの中で分岐もあるから驚きですよ!
当然対向車が来れば絶対にかわせません、幅2.5mで自転車でも無理そうです。
長い信号待ちのあと、やっと信号が青になりました。
これがトンネル内分岐です。
画像ノイズ処理で強力にノイズを除去したうえで掲載。
【
2014.1.21 追記】
先日富士山へ行ったついでにここへ久しぶりに立ち寄りましたが、このトンネル内分岐を含む駒ヶ滝トンネルはすでに閉鎖され、ダム側に鉄骨で組まれた上下2車線の広く新しい迂回路が出来ていましてビックリです。後日その写真をここに掲載します。
よりまして、この駒ヶ滝トンネルの記事はもう過去のものとなりました。
そしてこの狭いトンネルを出たあと(すでにこのトンネルは閉鎖されました)、
いきなり二瀬ダムの堤防の上を走ります。
ここでも対向車をかわせません。ここの県道も1車線分の幅しかありません。
それにしてもこの写真、
2009.11.3撮影のウィキペディアに掲載されている写真ですが、
紅葉の時期なのか路線バス?を含む何台もの車が連なっています。
(2012.8.23 AM8:04 我がコンテRS号もここを無事通過)
二瀬ダムをすぎ、さらに山奥へ行く途中で秩父の山奥深い谷間を撮影。
昨年2011.6.10にここへ初めて訪れたときは、
この辺りから急に霧がもくもくと出てきて神社の駐車場に着く頃にはすっかり周囲が真っ白に。
さすがすごいパワースポットですね。
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やっと神社の駐車場ともいえる、秩父市営三峰駐車場に到着です。
普通車と軽自動車は¥500/1日でした。
駐車場から周囲を見渡すと、
昨年訪ねたときとは打って変わって、今日はもやも一切なく素晴らしい天気です。
白岩山も雲取山も、今日はありがたいことに晴天なので良く見えています。
どの峰が三つの峯=三峯にあたるのか分からないので、
駐車場に掲げられていた説明看板も合わせて掲載です。
三峯神社のご由緒にも書かれておりますが(関連情報URL)、
「三峯」とは字のごとく神の山の三つの峰を表しています。
その三つの峰とは「雲取山」「白岩山」と「妙法ヶ岳」ですね。
上の2枚の写真は、その中の「雲取山」と「白岩山」です。
こちらの下の写真のほうが、神社遥拝殿(ようはいでん)から見た「妙法ヶ岳」です。
そして富士登山した日から今日まで本当にありがたいことにお天気に恵まれて、この三つの峰も今回初めてすべて見渡すことができました。
もちろん当然ですが、この素晴らしい風景をカメラに収めないはずはなく、カメラ電池も復活したので昨日の榛名神社とは違い、念のためいくつもの写真をしっかり撮りました。
風景を記憶するのはけっこう難しく、画像を頭に焼き付けてもすぐに忘れてしまいます…これは私だけなのか? そういう点から考えますと、写真というのは非常にありがたくて忘れている記憶を呼び戻してくれますね。
こう思いながら工事中だった参道へと続く階段を上がっていくと売店があり、
三峯独特の大小合計3つも鳥居がある 「三ッ鳥居」 がお出迎えしてくれます。
(2012.8.23 AM8:30 早朝のすがすがしい三峯神社)
(2011.6.10 初訪問時の霧に包まれてしまった三峯神社)
三峯のご眷属(ごけんぞく)であるお犬様=オオカミ=大口真神、と言いますが、
三ッ鳥居のそばにある狛犬ならぬ狛オオカミを撮影。独特なお姿です。
その独特な三ッ鳥居をくぐり、早朝のさわやかな参道をゆっくりと歩いてゆきます。
途中遥拝所から妙法ヶ岳をご拝見し、そしてその山のお姿をカメラに収め、
さらに奥へ進むと工事中だったため見苦しい小型ダンプとかも写っていますが、
ここが日本武尊の銅像の上り口を示す碑です。
まだ暑いなか階段をあがると日本武尊の銅像が、
この三峯神社の創始者だそうです。
創建は西暦111年といいますから、かれこれ1900年も続いているのですね。
日本武尊の像を拝見して神社へと行くべく参道へ戻り、
しばし歩くと随神門(ずいしんもん)がお出迎えです。
随神門につきましては、その⑩の榛名神社のブログでご紹介しましたね。
たくさんの大きな木々で覆われている三峯神社境内地
そしてやっと拝殿・本殿前に到着しました。
階段を登れば美しい装飾で飾られた拝殿へと出ます。
暑かったですがあと一歩です。
急な階段を登れば左手にお手水が。
三峯神社のご由緒板です。
三峯神社拝殿です。色鮮やかな春日造りです。
有栖川宮一品親王殿下の御染筆なる大額も撮影しました。
拝殿から内部も恐れ多いことですが撮影させていただきました。
白い半紙で作ったと思われる紙垂(しで)も、たくさんぶら下がっていますね。
早朝なのでまだ参拝客もほとんどいなくて、
静かでさわやかななか、ここにしばらくいました。
樹齢800年のご神木の根元付近です。じかに手で触ることができます。
そして樹齢800年の大きなご神木全体も撮影してみました。
神社授与所で500円でお分けされていた、ミネラルウォータ「神乃山水」1L
三峯の山奥で汲まれたというミネラルウォータを
授与所で500円で求めることができたので、
旅の疲れを癒すべく買い求めました。外箱入りの立派なものです。
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それから榛名神社にしても三峯神社にしましても、日本の旧官幣大社といわれる歴史ある神社、あるいは都心のど真中にある明治神宮にしましても、たくさんの木々が植えられ明治神宮は新しいけれど、たいていは長い年月をかけて木々が育まれているのが特徴ですね。
聞くところによりますと、現代の日本人が昔と比べて若い人から年寄りに至るまで切れやすい人間が増えた理由のひとつに、森林や木々が開発によって破壊され情緒がなくなったからだと言われてもいます。開発するにしても経済効率一辺倒でなしに、もっと緑豊かな都市にできないものかと私などつい思ってしまいます。
現代の日本はドイツとかと比べてこういった規制が非常に甘く、無秩序に開発が行われている感があり、現在も政府はこれについては全くの野放しと言っていいほどですね。
見苦しい電柱と電線も相も変わらず風向明媚な観光地にさえ林立しています。不景気の克服にお金の流通量を増やして、緑豊かな都市に徐々にでも変えられないものかと私などつい思ってしまいます。
(すでに廃墟状態なギリシャのアテナのアクロポリス神殿2枚 : ウィキペディアより)
この上の写真2枚を見ていただくと分かりますように、ギリシャのアテナ(アテナイ)にある有名なアクロポリス神殿、現在周囲は岩だらけの殺風景な姿をさらしており、すでに木々もなにもありません。
あれだけ芸術を愛し文化が発展していたギリシャの人たちが、今のようなあんな殺風景なところに神殿など造るはずもなく、神殿の創建当時は緑豊かなブナの森が神殿の周囲に覆い茂っていて、その中にこの荘厳な神殿があったらしいです。
でもそれって、日本の神社の形態と全くそっくりですよね!
そしてどうやらこの神殿、ウィキペディアによると最初は日本の神社と同じように木で造られていたそうです。しかし後にペルシャに攻められてすべてが灰になったとかで、再建するときには石造りになったんだとか。
(いっぱいブナ林が原生している白神山地 : 2004.8撮影 ウィキペディアより)
そう、ブナ林といえば私はまだ行ったことがないのですが、
日本では秋田県から青森県にまたがる白神山地が有名ですね。
(白神山地のブナ林の美しい紅葉 : 2008.10撮影 ウィキペディアより)
で、それでは大昔のギリシャ、
その豊かだったブナの森の覆い茂ったギリシャの森やら国土は
どうなったのか?
これはなかなか分からなかったんですが、ネットを徘徊してやっと見つけたのが、当時勢力拡大中のローマ帝国が豊かな森林があるギリシャに目をつけて、新たな森林資源獲得のために攻めていったとか。そういえばあの有名なトロイの木馬も巨大な木製の馬でしたね。
そして現代の兵器なら金属主体のものばかりですが、この時代は馬車にしても槍にしても弓にしても船にしても、とにかく木製品が多用されていたため豊かな森を手に入れることが戦争に勝つ早道の一つだったようです。
(あまりにもたくさんのレンガを積み上げたローマのコロッセウム : ウィキペディア)
今となっては有名なことですが、
ローマ人はとにかく風呂好きでもあったので、電気とガスがないあの当時、公衆浴場の維持にたくさんの木々を伐採して風呂の燃料にどんどん使ったんだとか。
さらには巨大な建造物もレンガを積み上げてどんどん造っていったので、そのレンガを焼くにも薪がいるわけです。これではいくら植林をしても追っかないはずですよね。
元々地中海沿岸も大昔は緑豊かな土地だったそうですが、周囲の国たちが侵略戦争ばかりに明け暮れ、最後にはローマ人たちが風呂の燃料やら武器やら建造物のレンガを焼くためにたくさんの木々を伐採し使った結果、地中海沿岸から緑はなくなり荒地ばかりになって、結局ギリシャもローマもエジプトも偉大な国家が歴史から亡くなりました。
(キプロスの森 : フリーサイトより転載)
でも日本では三峯神社にしても、もっと古い伊勢神宮や三輪大社や出雲大社にしても、日本が島国だったせいもありますが、蒸気機関が発達したり飛行機ができるまでは、日本は外敵からあまり攻められることもなく、しかも古来の日本人は森林や神社仏閣を大事にする人が多かったおかげなのか、2000年以上に渡り古来からの伝統が今もなお引き継がれていますね。
(2000年?以上の歴史を誇る出雲大社の本殿と背後の木々たち : 筆者撮影)
一時はあれだけ発展したギリシャ文明もデルフォイとかに代表される古来のギリシャ信仰も、現代までは残らずに途絶えてしまったが、何千年もずーっと森に守られながら神社やお寺が続いている、日本という国は本当に素晴らしいです。
同時期か日本の神社より少し古い時期に建てられたギリシャの多神教をお祭りしていたであろうと思われる神殿アクロポリスは、もうすでに過去のものとなり現在は残骸だけが残った廃墟だけれども、日本の神社は、伊勢の式年遷宮に代表されるように今なお生きています。
…… 三峯神社など森が豊かな神社を参拝するたびに、いつもこのことが私の頭に思い浮かび感慨深いものがありますね。
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こうして三峯神社参詣を終え、ここを離れて元来た道をそのまま戻り
例のやっかいなダム道とトンネル分岐のある信号機の手前まで来ました。
この後はこの旅行前からご連絡していました、山梨県にご在宅のあかねさんとのプチオフが予定されていたので国道140号線の大滝三差路まで戻り、雁坂トンネル方面へと車を走らせていました。
途中であかねさんからご連絡をいただき、車内で甲府市内の詳細な地図を見ながら待ち合わせ場所を決定。そして、昨年ここへ初訪問時には撮り損ねていました甲府市からの道中写真をDP1xで撮影すべく、途中下車しながら撮影。
その雁坂トンネルを含む山梨県甲府市へ抜ける国道140号線の道中写真ほかは、
昨年のブログに大幅に写真を追加して書き換えました。
その道中写真を含む、昨年初めて訪問した三峯神社のブログはこちらです。
→
https://minkara.carview.co.jp/userid/1144014/blog/27576935/
結局道中写真を撮影していたこともあり、
11時すぎにやっと甲府市の待ち合わせ場所に到着しました。
これで「夏の旅行/その⑫ 早朝の三峯神社参詣」 は終了しました
次回はいよいよ最後の、その⑬ 静岡島田の蓬莱橋へ行く (兼:甲府プチオフ)です
その⑬へとつづきます
↓の関連情報URLには、三峯神社の公式ホームページを掲載しました。