以前のブログで書いた,電子辞書での知的な遊び,「読めそうで読めない漢字」を全てクリアし(読めなかった漢字だけ繰り返されるので,やがて読めないのに覚えてしまう),次のステップ「もっと読めない漢字」に突き進んだ。
これはちょっと問題だぞ!
梅干太
これをなんと読む?
答は「ほやた」
解説は「こう読む理由は分からないが,徳富蘆花の小説の登場人物の名」
って,固有名詞は卑怯だし,これは問題外だろ!
読めない漢字は飛ばして次に進む。
「仏教から出た言葉」のステージに入ると,素敵な解説が綴られるのに驚く。
・金輪際
大地の奥深くで大地を支えている輪のこと。世界の果て。
・退屈
修行の苦しさに精進する努力を失うこと。
・不覚
真理を悟れない人々の迷いの心。
・御馳走
馳走にとは,走り回って他人のために尽くすこと。
問題には出てこなかったが,「他力本願」ってのも仏教用語だと知っている。
調べてみると,こう解説されてる。
阿弥陀仏の本願。また,衆生がそれに頼って成仏を願うこと。
つまり本来,他力本願とは悪い意味では無かったのだ。
馳走で思い出したことがある。
会社を辞めて秋田に戻った先輩の家に遊びに行ったときのことだ。
ご両親がきりたんぽ鍋を御馳走してくれた。
私の両親も秋田だが地方が違うのか,きりたんぽを振る舞われた経験が無かったので嬉しかった。
そこでご主人がこうのたもうた。
「きりたんぽ自体は,決して旨い物ではない。ご飯は白飯のまま食べるのが一番旨いのだから。きりたんぽは棒にご飯をなすりつけ,囲炉裏で焼くというかなり手間がかかる料理なので,その手間をかけることに客人を持て成す気持ちが込められているのだ」
大体こんな趣旨の言葉を頂いた。
穿った見方をすれば,客である私に「感謝しろ!」と強要しているのだが,多分正論なのだろう。
正直に言おう。
きりたんぽ鍋はとても旨かった。惜しむらくは,きりたんぽが入っていなければもっと旨かったはずだ。
食べるタイミングを逸したきりたんぽは,グズグズになって周りの具にからみつく。
挙げ句の果てに滓が鍋深く沈降する。これがまた邪魔だ。
ご主人の言う通り,ご飯は白飯で喰おう。そしてきりたんぽの代わりに,焼き竹輪を入れれば雰囲気は損なわないはずだ。
そう言えば竹輪も,魚のすり身を棒になすりつけて焼いたものだ。
北海道では今頃,サンゴ草が紅く色づいているそうだ。
Posted at 2007/09/28 21:35:15 | |
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