九州ツーリング 5日目 (鹿児島-桜島-塩浸温泉-霧島神宮-宮崎+花火)
朝風呂に入って、さっぱりしてホテルをチェックアウト。
今日は鹿児島観光から桜島、霧島を経由して宮崎泊の予定だ。
外に出ると、バイクにけっこう灰が積もってる。
昨日は自分も喘息が出そうになった。火山と共存するのは大変だと思う。
パインアイスを食べながら今日の観光ポイントを打ち合わせる。
近所を散策したら、「灰袋」なるゴミ袋のような袋に灰を入れて、灰専用のゴミ捨て場にたくさん出してある。
鹿児島県の桜島周辺で一定以上の降灰があった時に、自治体から一般家庭に配布されるらしく、無料で回収してくれるらしい。
灰は細かいようで、ガラスの粉ような粗くて硬いので水で流すと排水溝が詰まってしまうらしい。
同じ理由で鹿児島の一軒家に「雨どい」や「網戸」は付けない家が多いらしい。
目に入っても相当痛いらしい。
鹿児島の路面電車。市電らしい。
路面電車は九州、四国、中国地方ではけっこう見かける。
東京では荒川区の三ノ輪から早稲田までの短い区間1本しか走ってないので、交通ルールを忘れていて戸惑ってしまう事がある。
下加治屋町に向かう。
このせまい地域から幕末から明治維新の偉人がたくさん輩出されている。
日露戦争の日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を破った提督「東郷平八郎」誕生地。
「大山巌」誕生地。
西郷隆盛はいとこで、弟同様に可愛がられて、幕末の戊辰戦争では西郷さんの下で活躍したそうだ。
会津戦争で会津藩士「山本覚馬」の妹「八重」に撃たれた事もあるらしい。
西郷さんが士族に担ぎ上げられ新政府に刃向かった西南戦争では心ならずも新政府側で勝利に貢献し、陸軍大将、陸軍大臣まで進む。日清戦争(1894~95)では軍司令官、日露戦争(1904~05)では総司令官を務め元帥に列し公爵となる。
ちなみに奥さんは会津藩士族出身の捨松で結婚は話題になったそうだ。
「西郷隆盛」誕生地。
言わずと知れた維新の三傑の一人(後は大久保利通と木戸孝允)で鹿児島の英雄。
幕末四賢公の一人、薩摩藩主「島津斉彬(なりあきら)」にみいだされ、一橋慶喜将軍継嗣問題で活躍したり、天璋院「篤姫」の婚儀に関わるなどした。
坂本竜馬の仲介で倒幕の薩長同盟を結び、戊辰戦争を指導し、江戸城の無血開城を実現した。
新政府の陸軍元帥兼参議となるが、征韓論などで大久保利通らと対立し下野して帰郷するが士族に担ぎ上げられ西南戦争をおこして敗れて明治10年、城山で自刃した。
格言としては有名な「敬天愛人(天は人もわれも同一に愛す。故に我を愛する心をもって人を愛せよ)」
彼がいなければ薩長同盟も江戸城無血会場も廃藩置県も難しかったと思う。
彼をリスペクトする人が多かったそうだが、タイムマシンがあればどんな人だったのか会ってみたいと思う。
「大久保利通」誕生地。
明治維新の元勲であり、西郷隆盛、木戸孝允と並んで「維新の三傑」の一人。
鹿児島では西郷さんを死に追いやったと言う事であまり人気がない。銅像ができたのも最近らしい。
しかし、私利私欲や地元薩摩の為ではなく、将来の日本の為にという信条や行動は高く評価されるべきである。
幼なじみで兄弟同然に育った西郷さんと敵味方になるのはホントに断腸の思いだったと思う。
そういう意味でも新国家の成長の為の現実から目を背けず、高い志と強い心、行動力があったのだろうが、そんなところが冷徹に見えたのだろうか。
明治10年に暗殺された時も、寄付はしていたようだが、手持ちのお金はほとんどなく借金もあったようだ。
今の日本の政治屋さん達には見習って欲しい。
「大久保利通」居宅跡。
「西郷隆盛」居宅跡。
大久保利通像。
朝飯を食ってなかったので天文館にある鹿児島ラーメンの「こむらさき(鹿児島市東千石町)」に行く。
熊本にも熊本ラーメンの「こむらさき」が、宮崎にも同じ店名があるが別の店。
あっさりした豚骨スープには昆布ダシが効いている。具はたっぷりの野菜と小さ目にカットされた多数のバラ肉チャーシュー。麺に特徴がある。
かき氷「白熊」の本家「天文館むじゃき(鹿児島市千日町)」に行く。
2Fのカジュアルレストランで「白熊」を食べる。デザートで食べるには多い量だ。
普段は一切、甘いものを食べないが、ツーリングではよく食べる。
相当有名らしく、若い女の子でごった返していて場違いな気がした。
市役所前の「小松帯刀」像。
この人は薩摩藩の家老で若くして亡くなったのが残念だが、相当な人物だったようだ。
彼がいなかったら大久保も西郷さんも力を振るえなかっただろう。
坂本龍馬と昵懇で、亀山社中を援助したり龍馬の妻「お龍」の世話もしている。
長州藩の井上馨と伊藤博文を長崎の薩摩藩邸にかくまってグラバーと引き合わせたり、鹿児島へ井上を連れてきて薩長同盟の交渉を行ったりしたらしい。
ちなみに薩長同盟を締結した場所も京都の清廉の小松帯刀の屋敷だったそうだ。
龍馬の新政府の人事案では、西郷、大久保、桂らを抑えて、小松帯刀が筆頭に挙げられていたそうだ。
龍馬より早く日本初の新婚旅行をしたと言う話しもある。
写真を撮っていたら西郷さんと小松帯刀さんがやってきて、一緒に撮ってくれるとの事で撮影。
「照国神社」にある、薩摩藩主「島津斉彬公」の銅像。(鹿児島市照国町)
日本史上に残る名君で、幕末四賢公の一人。(宇和島の伊達宗城・土佐の山内容堂・越前福井の松平春獄)
先見の明に優れ、革新的な施策で、薩摩藩の富国強兵をはかる。
人材発掘と育成にも長け、下士階級の西郷隆盛や大久保利通を登用した。
この「島津斉彬公」を大明神として祀ってある神社。
西南戦争最期の地「城山」
西郷さんが最期の日々を送った洞窟がある。
城山から見た鹿児島市内、錦江湾、桜島の風景。
どんな気持ちでこの景色を見ていたのだろうか。
岩崎谷口の坂道を下った所に建てられた「南州翁(西郷さん)終焉之地」の碑。
西南戦争で戦死した薩摩(西郷)軍の将士が眠る南州墓地の西郷さんの墓。
右に村田新八、篠原国幹、左に桐野利秋の墓がある。
フェリーで鹿児島から桜島へ渡る。
1時間間隔で運行していて、15分で桜島に着く。
船内にある「やぶ金」のうどんが人気だが、急いで食べなければ桜島に着いてしまう。
桜島がせまってくる。
桜島に到着。
「鳥島展望台」と「烏島この下に」の碑。
烏島は、桜島沖にある無人島だったが、1914年の大正噴火により地続きとなり、溶岩の下20mに埋もれてしまったそうだ。
かつて、この下が島だったなんて。
「赤水展望広場」には、ツレの大好きな「長渕剛」の「叫びの肖像」がある。
これは2004に行われた「長渕剛オールナイトコンサート」を記念して桜島の溶岩で制作したそうだ。
口の中に石がたくさん入れられていた。口の中に石を放り込むと幸せになれみたいな、変な都市伝説でも出来たのだろうか。
桜島が噴火した時の溶岩を流すための堰。すごすぎる。
この後、桜島の温泉に入るため、以前泊まった古里温泉エリアにある「桜島シーサイドホテル」に立ち寄る。(鹿児島市古里町)
ここの露天はホテルの建物を出てずっと階段を下りて行くと海沿いに露天風呂がある。
脱衣所は2つあるが混浴。
湯は緑がかった灰色の濁り湯だが、まさに「海辺」で鹿児島湾(錦江湾)を眺めながらゆったりとつかる事が出来る。
ツレに最高の露天を体験してもらおうと思ったが、先客にカップルがいたので早々に退散。
後で思ったが、何で混浴に女性がいるとこっちが気を使わなきゃいけないんだと思う。
まぁ混浴だから仕方ないのだが・・・
大正大噴火により埋没してしまった「黒神神社」の「埋没鳥居」(鹿児島市黒神町)
大正大噴火の前兆は、3日前から始まっていたそうで、島内のいたる所で井戸が沸騰、海岸には大量の死魚、断続的な地震が起きてたらしい。
西桜島が黒煙を上げ、東桜島黒神の鍋山が大音響とともに爆発。黒鉛は上空7,000mに達し全島を被いつくしたとの事。
間断なく轟く爆発音と火山雷、降り注ぐ噴石の雨、30億トンの溶岩の噴出が火の波となって、島だった桜島を大隈半島と陸続きにしてしまったらしい。
黒神地区だけで全戸687戸が埋没。
高さ3mの原五社神社の鳥居は、笠木だけ残して埋没したとの事。
自然の驚異をまざまざと感じる。
桜島から今は地続きになった大隅半島に渡り(鹿児島市は薩摩半島)、北上して宮崎を目指す。
霧島の「塩浸温泉(しおびたしおんせん)」に行く。(霧島市牧園町宿窪田)
日本初の新婚旅行をしたと言われる?坂本龍馬とお龍が行った温泉で2人の銅像がある。タイマーで写真が撮れるように三脚が添え付けられている。
脇の川沿いに夫妻が入浴したとされる湯船が残されている。
けっこう秘湯と言うか、かなり歩いたんではなかろうか。
何度も思う。昔の人は健脚だったと。
給油でGSに寄った際、「高千穂峰(たかちほのみね)」はバイクでは行けないという事で諦める。
「高千穂峰」は霧島連峰の第二峰(第一峰は韓国岳(からくにだけ))で、「天孫降臨(てんそんこうりん)」の地と言われ、山頂には天逆鉾(あまのさかほこ)が、御神体として崇められているが、龍馬は新婚旅行でここに登り、天逆鉾を引っこ抜いたようだ。
また、雲海が出た時に山頂だけ見える事が「霧島」の由来らしい。
「霧島神宮(きりしまじんぐう)」に行く。(霧島市霧島田口)
ここにも龍馬とお龍のパネルが。
上までバイクで行っていいとの事でバイクで行くが、駐車場(おそらく安全祈願用?)が玉砂利なので、何度も転びそうになった。(ツレは下から歩いていった)
本殿・幣殿・拝殿などは国の重要文化財。
君が代に出てくる「さざれ石」がある。
門前町には「日本発祥の地 霧島」の燈籠と噴水?がある。
ここで宮崎市内のホテル探しをするが候補のホテルに次々と電話するもどこも取れず焦る。
日曜なのになぜだろうと思いながらiモードで探し、最終的にYahoo!トラベルの今夜の宿で1件取れたが、そのホテルは電話では満室と言われたホテルなので大丈夫かちょっと不安だ。
宮崎県に入り、高原町と都城市の堺にある「御池」に寄る。
水深は93.5mで火口湖では日本一深い湖。
初代天皇の「神武天皇」が幼少の頃、水辺で遊んだという伝説があるらしい。
天孫降臨の高千穂峰を湖面に映し出す事で有名なので写真を撮りたいと思ったが暗くなってしまったので、夜景モードや花火モードなどで撮ってみる。
「高原IC」から宮崎自動車道に乗って都城を過ぎ、宮崎ICで降りて、市役所方面へ進み、大淀川を渡って右折。
予約した「ホテルプラザ宮崎(宮崎市川原町)」近辺まで来たがスゴイ人混みだ。
なにやら今夜、花火大会があるようだ。(花火大会を追いかけてるロマンチックな奴じゃないのに・・・)
人混みに注意しながら到着。
フェニックス並木が立ち並ぶ大淀河畔沿いの高層のホテルだ。
ない下さい。は裏のスパの方に停めてくれとの事で移動する。
人混みがスゴイので動きづらい。
「みやざき納涼花火大会」と言うでかい花火大会らしく、どうやら花火はここら辺でやるようだ。
「まぁ関係ないから、ひとっ風呂浴びたら夜飯食いに外へ出よう」なんて話していた。
フロントでチェックインしようとしたら予約されてないとの事で焦る。
Yahoo!トラベルをネット経由で予約したと言って調べてもらった。
よくわからないが結局、泊まれる事が出来た。
部屋はかなり上の階で、けっこう広かった。
宿泊客は併設されている「プラザスパ」と言う温泉施設が使えるそうだ。
大浴場、寝湯、サウナ、ジェットバス、水風呂、露天などがあるので嬉しい。
泉質は海近くにはよくあるナトリウム塩化物泉。
ひとっ風呂浴びて、部屋に帰ったら、花火が始まってる。それも部屋の真ん前で花火が上がってる。どうやらホテルの前の川から上げているようだ。
興味はなかったのだが、目の前で上がってるのを見たら止まらなくなる。
とりあえず自販機でビールと簡単なつまみを買って花火見物をすることにした。
窓が大きく開くので花火も音も堪能できる。
冷房が効いた部屋でビールを飲みながら真正面から花火が見られるなんて最高だ。隣がオッサンでなければ。。。
何枚か写真を撮ってみるが・・・
ただ窓の手前にビールやつまみが置けるくらいのスペースがあったので、カメラを置いて固定して撮る事も出来たので、今までに比べれば多少ましかも。
花火が終了するまでに結構な量のビールとつまみを腹に入れてしまった。
宮崎は地鶏と焼酎が有名だし、B級グルメの宝庫だと聞いていたので、串焼きアラカルト「さくら家(宮崎市橘通西)」に行く。
地魚の盛り合わせ、地鶏もも炭火焼き、チキン南蛮、冷や汁、など、地のものや郷土料理を中心に頼む。
しかし、さっきの花火見物で腹がふくれてしまったのもあり、美味しかったが、かなりお腹がパンパンになってしまった。
店員さんも愛想が良くフットワークも軽かった。
ただ、隣の韓国人らしきグループが大声で話してるのがうるさかった。
居酒屋だからしょうがないというレベルを超えた大音量だった。
腹ぺこなら相当旨かったのではないかと思うので今度は腹ぺこで来たいと思う。
戻ったらお風呂は閉まってしまっていた。
残念。
明日の朝こそ入ろうと思いながら爆睡。
8/22(日)160km
鹿児島→桜島→霧島神宮→宮崎