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2010年08月23日 イイね!

九州ツーリング 7日目 最終日 (神戸-伏見-東京に帰宅)

九州ツーリング 7日目 最終日 (神戸-伏見-東京に帰宅)九州ツーリング 7日目 最終日 (神戸-伏見-東京に帰宅)


起床して朝風呂に入る。
その後、甲板に出て、朝の神戸の町を撮影。

明日から仕事なので今日は帰る日だ。
ただ神戸から東京に向かって走るだけだ。
 

フェリーを下船して、すぐ高速に乗るのだが、ナビがまだ眠っているというか、GPS衛星を捕捉できてないようで、逆に行かされる。。。

Uターンして阪神高速3号神戸線に乗り大阪方面へ進む。
西宮JCTで名神に入り、尼崎を過ぎ、朝飯の為に吹田SAに寄る。

大阪なのでうどんを食べる。
天かすと肉、ちくわ天と天かすが入っている。
 


今日はこのまま東へ向かって、東京まで約550kmだ。
ナビでは7時間半と出ている。
今が8時前だから、給油と休憩入れても夕方4時〜5時くらいには帰れるかな、帰ったら昼寝(夕寝?)して録画したドラマ見て、と漠然と考えていたら、地図を見ていたツレが一言
「京都また通るんだ・・・」
それを聞いた自分はピーンと来た。
詳細は初日のツーリングのブログで書いたので省くが、初日に行き残した伏見の寺田屋を見に、京都に行く事にする。


京都南ICで降り、「寺田屋(京都市伏見区南浜町)」に到着するが営業開始が10時からとの事。
でも開店前で人がいなかったので、江戸時代に馬(バイク)で旅してる感じで写真が撮れたと思う。


時間になるまで近くの「伏見桃山城跡」に行く事に。
ここは豊臣秀吉が隠居後の住まいとして1594年(文禄3年)に築城されたが、直後の慶長伏見地震で倒壊。
このため北東約1kmの木幡山に1597年(慶長2年)に再建した。
しかし、秀吉はその1年後の1598年(慶長3年)に城内で没する。
100年の戦国時代が終わり権力と富が集中する統一政権のもと、壮麗で絢爛豪華な「桃山文化」を生み出した。
その後は徳川家康が入城し、関ヶ原の戦いでは家康の家臣「鳥居元忠」が伏見城を守っていたが、石田三成らの西軍に攻められて落城。
今は、伏見桃山城運動公園として整備されていて、模擬天守がある。
この天守は耐震基準を満たしていないので内部に入る事は出来ないそうだ。
御香宮神社の表門として、伏見城大手門が移築されている。



10時になったので寺田屋に行く。
ここは薩摩藩士の定宿に指定されていて、坂本龍馬ゆかりの宿でもある。
寺田屋は伏見の船宿で、薩摩藩士同士が乱闘した文久2(1862)年の「寺田屋騒動」や、坂本龍馬が伏見奉行所の捕方に襲われたが難を逃れた場所である。
  


今の寺田屋は1868年の鳥羽伏見ので焼失し再建されたものらしいが、寺田屋騒動の際に残された刀傷や、龍馬の妻・お龍が風呂場の窓から捕り方を見つけ、龍馬に知らせるために裸で駆け上った階段、当時の様子を伝える写真の展示などがある。
  
 

寺田屋は、現在でも素泊まりで宿泊可能。当時に思いを馳せながら、十石舟に乗って伏見観光や名酒の酒蔵巡りをするのもいいだろう。
 


薩摩藩の伏見屋敷跡に行く。
龍馬が寺田屋で伏見奉行所の捕方に襲撃され、傷を負った龍馬がかくまわれた場所だ。
近藤勇を襲撃した高台寺党が逃げ込んだのもここ薩摩藩邸。
江戸幕府13代将軍家定の正妻になる篤姫(天璋院)もここに滞在し江戸へ向かったそうだ。
 


京都南ICから名神に乗り、草津JCTで新名神に入る。
土山SAで休憩。
途中で買った京都の有名ラーメン店「新福菜館」のチャーシューおにぎりと、九州ゆず胡椒味プリッツで腹ごしらえ。
いつも思うが、京都は懐石料理をはじめ、素材の味を生かした薄味なのに、なぜラーメンだけコッテリ系なのだろうか。
あと、関西でニシン蕎麦みたいな蕎麦があるのも京都だけだ。

帰るだけだからなのか疲労がどっと出てきた。
家に帰るまでが遠足だから木を引き締めなきゃという事で栄養ドリンクと眠気防止ドリンクをがぶ飲みする。
合わせて、ずーっと暴飲暴食のせいでお通じが悪くなってるので乳酸菌飲料をがぶ飲みする。


新名神から東名阪、伊勢湾岸から東名に入り、浜松SAで給油&休憩。
ジレラGP800とZRXではガソリンタンクの容量が違うので、ZRXに合わせて200kmくらいで給油をするようにしていた。
カレーパンと静岡茶コーラを補給する。緑茶のコーラで意外といける。



東名から首都高3号渋谷線に入り、箱崎PAに到着。
やはり最初と最後はここだと言う感じだ。



自宅に到着。19時10分の表示。
メーターBを見たら「417km」の表示。
ジレラGP800はオドメーター(積算走行距離計)の他に、トリップメーター(任意走行距離計)AとBの2つあるので、Aを給油時に「0km」にして、Bはツーリング出発時に「0km」にしている。

「417km」と言う事は3桁表示で2周してるので「2,417km」という事だ。
ちなみにオドメーターはちょうど2万3千kmだった。

スパナマークとベルトマークが表示された。
オイルとベルトを交換しなければならないようだ。(ベルトすぐ来るかな?)




8/24(火)

神戸→京都→東京560km

雨や、事故、ケガやトラブル、違反切符などもなくて良かった。
GP800も自分もツレもZRXもお疲れ様。
Posted at 2013/09/25 23:28:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | 九州ツーリング | 日記
2010年08月22日 イイね!

九州ツーリング 6日目 (宮崎-高千穂-大分発フェリー泊で翌朝神戸着)

九州ツーリング 6日目 (宮崎-高千穂-大分発フェリー泊で翌朝神戸着)九州ツーリング 6日目 (宮崎-高千穂-大分発フェリー泊で翌朝神戸着)

連日の疲れが溜まってきたのか寝坊してしまった。
朝風呂が宿泊客専用で6時から8時までだったらしく起きたら時間が過ぎていたので入れなかった。
ツレは早起きして入ったらしい。
仕方なしにシャワーを浴びる。

窓からの景色を眺める。
大淀川は河口に近いのでかなりの川幅がある。
昨夜はここで花火を上げていた訳だが、今朝は何事もなかったかのような表情だ。
 

支度してチェックアウトして出発。
今日は大分から19:00出発のフェリーに間に合うようにしたい。

東国原知事で有名な宮崎県庁。タレント知事が観光資源になり、県を盛り上げる時代になったんだと思う。


B級グルメの元祖にくまきおにぎり発祥の店「にくまき本舗 宮崎一番街店(宮崎市橘通西)」で朝食がわりに「肉巻きおにぎり」を買う。
ここは店頭販売のみ。
以前、ノーマルを食べたので、今回はチーズ入りにする。
ご飯とお肉とタレにチーズが入るとさらに美味しい。
けっこう量があるが、宮崎の人はお酒の締めでも食べるらしい。



宮崎からR220を北上する。けっこうみんな熱い走りをする。
R10に入り高鍋を経由して日向市に入る。
ここで仕事のトラブルが発生したようなので、「道の駅 日向物産館(日向市大字幸脇)」に避難し、電話やメールのやる取りをするが、PHS(広島の立ちゴケで壊れたので新しくキーボード付きのを購入)の充電が無くなり、重いファイルの送受信が出来なくなってしまった。
道の駅のトイレで充電させてもらいながら送受信するが、Wi-Fiも入らないのでとても時間がかかった。
1時間半ほどで処理できたが、ツレには申し訳ないが待っててもらった。

延岡に寄ってから、五ヶ瀬川沿いの神話街道で高千穂峡に行きたかったが、時間をロスしたのでショートカットして向かう事に。
R388から北西に進み、K20から神話街道(R218)に入り快適な道を走る。

「高千穂峡(西臼杵郡高千穂町三田井御塩井)」に到着。
バイクの駐車場はけっこう奥の方までいける。


「高千穂峡(たかちほきょう)」は、神話にゆかりのある峡谷。
五ヶ瀬川の峡谷沿いに、約12万年前と約9万年前の2回、高温の軽石流(火砕流の一種)が噴出して固まったものが、五ヶ瀬川の侵食によって再びV字峡谷となっ
た峡谷だ。
80m~100mの断崖が7km続いている。
宮崎と鹿児島の県境にも高千穂峰があるが、ここら辺りは神話の宝庫だ。
 

日本の滝百選の一つである「真名井の滝」。
神話では、「天村雲命(あめのむらくものみこと)」という神が天孫降臨の際に、この地に水がなかったので水種を移し、天の真名井と名付けて湧水したらしい。
ボートに乗って近くまでいける。
  
水も空気もキレイで、神聖な気持ちになり、心が洗われるようだ。



高千穂峡からほど近い、「天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)西本宮」に行く。(西臼杵郡高千穂町岩戸)
ここは古事記や日本書紀に書かれた「天岩戸神話(あまのいわとしんわ)」を御神体として祀る神社。
東本宮もあり、そちらは「天照大神(アマテラスオオミカミ)」をお祀りしている。
「天照大神」は日本を作ったイザナギノミコトから生まれた皇室の祖神で、日本民族の総氏神。
川上には八百万の神(やおよろずのかみ)が集って相談をした天安河原(あまのやすかわら)がある。

神話では、太陽の神「天照大神」は弟の「素戔嗚命(スサノオノミコト)」のあまりにもひどい乱暴やイタズラに怒り、天岩戸(洞窟)に隠れてしまう。
太陽神が隠れたので世の中が真っ暗になり、食物が育たなくなり、病気になる人が増えたり大変なことがになる。
困った八百万の神々は天安河原に集まり相談して、天照大神に出てきてもらおうと天岩戸の前で色々な事を試すが天照大神は出てこない。
最期に、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が招霊(おがたま)の木の枝を手に持ち舞をして、神々全員で楽しくで騒ぎ立てる。
すると、天照大神は「太陽の神である自分がいないから外は真っ暗で、みんな困ってるはずなのに、なぜ外ではみんな楽しそうに騒いでいるのだろう?」と不思議に思い、天岩戸の扉を少し開けて外を見る。
八百万の神々は「天照大神より美しく立派な神が来た」と騒いでいる理由を話し、「連れてくる」と言い、鏡で天照大神の顔を写す。
自分の顔だと分からなかった天照大神は、もう少しよく見てみようと扉を開いて体を乗り出す。
その時、思兼神(おもいかねのかみ)が天照大神の手を引き、岩の扉を手力男命(たぢからをのみこと)が開き、天照大神を天岩戸から出した。
そして、世の中が再び明るく平和な時代に戻った。と言う話だ。

暴れ者の須佐之男命は、その後反省し、出雲國(いずものくに=島根県)に行き、有名な「八俣大蛇(やまたのおろち)退治」をする。
その時、八岐大蛇の尻尾から出てきたのが三種の神器のうちの一つ「草薙の劔」らしい。


駐車場の横に天照大神の像がある。


天岩戸の扉を持ち上げる手力雄命の像。
ちなみに天岩戸の扉は長野県の戸隠山(とがくしやま)へ投げたらしい。



時間がせまって来たので大分港を目指す。
ナビでは高千穂峡からK7高千穂線、で尾平峠を越えて大分に行けと出ている。
到着予定は出港の10分前だ。受付や乗船を考えると30分前には着きたいので、ちょっと急がないとマズイ。
しかし、ナビは到着時間の設定が甘い。
おそらく一般道は時速30kmで設定されてるようだ。(高速は80km/hっぽい)
なので、いつものツーリングではかなり短縮できて余裕をもって到着できる。
特に高速などでは30分とか、ロングだと1時間近く大幅に短縮できたりすることもある。
今回の尾平峠越えは信号が全然無いので、そこそこのペースで行けばナビの時間も相当短縮されて余裕だろうと思っていた。

しかし、この尾平越の道がとにかくキツイ!
未舗装の険しい林道や朽ちかけた旧道ではないが、勾配はキツイし、道は狭いし、急カーブは連続で、なにより道程の長さが半端じゃない。ずーっと峠!
たまぁ〜に、2車線道路や走りやすい直線もあるが、ほとんどが低速コーナーばかりで、ストップ&ゴーと、S字の連続で、まるで公道でジムカーナをしてるようだ。

ミラーで後ろのツレを見るとかなりきつそうだ。
ジレラGP800はスクーターなので、ブレーキも左右の手だし、下り坂のハードブレーキングでも足に体重をかけられるので、腕はそんなに疲れない。
しかしツレのZRX1100だと、ギアチェンジもマメにしなければならないだろうし、ハードブレーキングでは相当、腕に荷重がかかってしまうだろう。

少しペースを落としてあげたいところなのだが、かなり前に尾平峠を越えて大分県の豊後大野市に入り、全行程の半分ほど走っているのにナビの到着予定時刻が変わらない。
つまり全然短縮できてないのだ。
これはマズイ!と本気で焦りだす。
船が出てしまったら自走だけで東京まで帰らなければならなくなる。
ツレには「頑張ってくれよ」と心で声援を送り、大汗をかきながらペースを上げて峠を走る。

しかしK46に入る手前K410との分岐辺りから道もだいぶスムーズになって、ナビの到着予定時刻がみるみる早くなってきた。

結果、GSで給油の時間も取れて、ちょうど30分前に到着した。
ツレは、自分のペースが速いのを見て、出港に間に合わないから急いでるんだな、と理解はしていたが、腕が持ちそうもなくて何度かあきらめそうになったそうだ。
2人とも久しぶりに頑張って走ってしまった。
事故がなかったから良かったが、次回からは余裕を持ってスケジュールを組もうと誓う(毎回思うが・・・)。

フェリーターミナルでお酒と大分のおつまみを買い込み乗船。
ひとっ風呂浴びてから宴会開始。
以前、大分に来た時に「とり天(鳥の唐揚げじゃなく天ぷら)」が美味しかったので、土産用のを買ったが、固くて旨くなかった。


マグカップが写っているが、やはりビールは缶から直よりコップで飲んだ方が旨い(口に量が入る)ので、ロングツーリングやキャンプツー、BBQツーではいつもマグカップ携帯している。
保温性があるので、ビールも冷えにくく、名水のわき水なども冷えたまま飲める。もちろん温かいものもだ。
2つあるのだが、取っ手の所にカラビナを付けていて、荷物になりそうな時はバッグやバイクに引っかけたりできるので便利だ。

ジレラGP800はメットインの中がとて熱くなる。
それは90度のV型ツインエンジンが足下とシート下にあるからなのだが、夏などは冷えたペットボトルを入れておくとすぐお湯になる。
そこにETCが入っているのでよく壊れないなと思う。
機会があったら遮熱シートを貼ってみようかとも思った。
逆に冬は重宝するが、メットインの後ろ側はリアタイヤのカバー部分なので、こちら側にお弁当とかを置いても温かくはならない。
メットインのエンジン側に保温庫とまではいかないがドリンクホルダーが付いてたら嬉しい。

ツレがよくふくらはぎ周りが熱いと言っている。
確かにZRX1100のエンジンはむき出しだからコタツを足で挟んでるようなものだ。
このエンジンにも空いてるスペースがあるので、缶コーヒーとか入れる場所を作ればいいのにと思う。
俺もツレもコーヒーは飲まないが、走ってる間に加温・保温してくれるスペースがあると冬は嬉しい。




気落ち良く酔ったところで、甲板に出る。
月がとてもキレイだったので、こりもせず撮影する。
 

花火モードでカメラを置いて、タイマーで撮ると多少キレイに取れるので撮ってみる。


ゲームスペースで家族連れの子供と仲良くなり一緒にゲームをしたりする。
子供が就寝で帰った後、酔ったツレは船内のパチンコに興じる。



しまなみ海道が見えてきたので撮影してみるが、置いて撮るのは多少いいが、手持ちではやはりダメだ。
   

風呂に入って、部屋に戻り就寝。
今回は4人部屋の個室?に2人だけなので気兼ねしなくていい。
洗面台もあるので歯を磨きにトイレの方まで行かなくてもいいのも嬉しい。

やはり船旅は旅情があっていいなと思う。


8/23(月)250km

宮崎→高千穂峡→大分

フェリーさんふらわー 大分19:00発  翌朝06:20神戸着
Posted at 2013/09/25 23:28:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | 九州ツーリング | 日記
2010年08月21日 イイね!

九州ツーリング 5日目 (鹿児島-桜島-塩浸温泉-霧島神宮-宮崎+花火)

九州ツーリング 5日目 (鹿児島-桜島-塩浸温泉-霧島神宮-宮崎+花火)九州ツーリング 5日目 (鹿児島-桜島-塩浸温泉-霧島神宮-宮崎+花火)

朝風呂に入って、さっぱりしてホテルをチェックアウト。
今日は鹿児島観光から桜島、霧島を経由して宮崎泊の予定だ。

外に出ると、バイクにけっこう灰が積もってる。
昨日は自分も喘息が出そうになった。火山と共存するのは大変だと思う。
 
パインアイスを食べながら今日の観光ポイントを打ち合わせる。


近所を散策したら、「灰袋」なるゴミ袋のような袋に灰を入れて、灰専用のゴミ捨て場にたくさん出してある。
鹿児島県の桜島周辺で一定以上の降灰があった時に、自治体から一般家庭に配布されるらしく、無料で回収してくれるらしい。
灰は細かいようで、ガラスの粉ような粗くて硬いので水で流すと排水溝が詰まってしまうらしい。
同じ理由で鹿児島の一軒家に「雨どい」や「網戸」は付けない家が多いらしい。
目に入っても相当痛いらしい。


鹿児島の路面電車。市電らしい。
路面電車は九州、四国、中国地方ではけっこう見かける。
東京では荒川区の三ノ輪から早稲田までの短い区間1本しか走ってないので、交通ルールを忘れていて戸惑ってしまう事がある。



下加治屋町に向かう。
このせまい地域から幕末から明治維新の偉人がたくさん輩出されている。
日露戦争の日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を破った提督「東郷平八郎」誕生地。


「大山巌」誕生地。
西郷隆盛はいとこで、弟同様に可愛がられて、幕末の戊辰戦争では西郷さんの下で活躍したそうだ。
会津戦争で会津藩士「山本覚馬」の妹「八重」に撃たれた事もあるらしい。
西郷さんが士族に担ぎ上げられ新政府に刃向かった西南戦争では心ならずも新政府側で勝利に貢献し、陸軍大将、陸軍大臣まで進む。日清戦争(1894~95)では軍司令官、日露戦争(1904~05)では総司令官を務め元帥に列し公爵となる。
ちなみに奥さんは会津藩士族出身の捨松で結婚は話題になったそうだ。


「西郷隆盛」誕生地。
言わずと知れた維新の三傑の一人(後は大久保利通と木戸孝允)で鹿児島の英雄。
幕末四賢公の一人、薩摩藩主「島津斉彬(なりあきら)」にみいだされ、一橋慶喜将軍継嗣問題で活躍したり、天璋院「篤姫」の婚儀に関わるなどした。
坂本竜馬の仲介で倒幕の薩長同盟を結び、戊辰戦争を指導し、江戸城の無血開城を実現した。
新政府の陸軍元帥兼参議となるが、征韓論などで大久保利通らと対立し下野して帰郷するが士族に担ぎ上げられ西南戦争をおこして敗れて明治10年、城山で自刃した。
格言としては有名な「敬天愛人(天は人もわれも同一に愛す。故に我を愛する心をもって人を愛せよ)」
彼がいなければ薩長同盟も江戸城無血会場も廃藩置県も難しかったと思う。
彼をリスペクトする人が多かったそうだが、タイムマシンがあればどんな人だったのか会ってみたいと思う。


「大久保利通」誕生地。
明治維新の元勲であり、西郷隆盛、木戸孝允と並んで「維新の三傑」の一人。
鹿児島では西郷さんを死に追いやったと言う事であまり人気がない。銅像ができたのも最近らしい。
しかし、私利私欲や地元薩摩の為ではなく、将来の日本の為にという信条や行動は高く評価されるべきである。
幼なじみで兄弟同然に育った西郷さんと敵味方になるのはホントに断腸の思いだったと思う。
そういう意味でも新国家の成長の為の現実から目を背けず、高い志と強い心、行動力があったのだろうが、そんなところが冷徹に見えたのだろうか。
明治10年に暗殺された時も、寄付はしていたようだが、手持ちのお金はほとんどなく借金もあったようだ。
今の日本の政治屋さん達には見習って欲しい。


「大久保利通」居宅跡。


「西郷隆盛」居宅跡。


大久保利通像。



朝飯を食ってなかったので天文館にある鹿児島ラーメンの「こむらさき(鹿児島市東千石町)」に行く。
熊本にも熊本ラーメンの「こむらさき」が、宮崎にも同じ店名があるが別の店。
あっさりした豚骨スープには昆布ダシが効いている。具はたっぷりの野菜と小さ目にカットされた多数のバラ肉チャーシュー。麺に特徴がある。
 

かき氷「白熊」の本家「天文館むじゃき(鹿児島市千日町)」に行く。
2Fのカジュアルレストランで「白熊」を食べる。デザートで食べるには多い量だ。
普段は一切、甘いものを食べないが、ツーリングではよく食べる。
相当有名らしく、若い女の子でごった返していて場違いな気がした。
 


市役所前の「小松帯刀」像。
この人は薩摩藩の家老で若くして亡くなったのが残念だが、相当な人物だったようだ。
彼がいなかったら大久保も西郷さんも力を振るえなかっただろう。
坂本龍馬と昵懇で、亀山社中を援助したり龍馬の妻「お龍」の世話もしている。
長州藩の井上馨と伊藤博文を長崎の薩摩藩邸にかくまってグラバーと引き合わせたり、鹿児島へ井上を連れてきて薩長同盟の交渉を行ったりしたらしい。
ちなみに薩長同盟を締結した場所も京都の清廉の小松帯刀の屋敷だったそうだ。
龍馬の新政府の人事案では、西郷、大久保、桂らを抑えて、小松帯刀が筆頭に挙げられていたそうだ。
龍馬より早く日本初の新婚旅行をしたと言う話しもある。


写真を撮っていたら西郷さんと小松帯刀さんがやってきて、一緒に撮ってくれるとの事で撮影。
 

「照国神社」にある、薩摩藩主「島津斉彬公」の銅像。(鹿児島市照国町)
日本史上に残る名君で、幕末四賢公の一人。(宇和島の伊達宗城・土佐の山内容堂・越前福井の松平春獄)
先見の明に優れ、革新的な施策で、薩摩藩の富国強兵をはかる。
人材発掘と育成にも長け、下士階級の西郷隆盛や大久保利通を登用した。
この「島津斉彬公」を大明神として祀ってある神社。
 

西南戦争最期の地「城山」
西郷さんが最期の日々を送った洞窟がある。


城山から見た鹿児島市内、錦江湾、桜島の風景。
どんな気持ちでこの景色を見ていたのだろうか。
 

岩崎谷口の坂道を下った所に建てられた「南州翁(西郷さん)終焉之地」の碑。


西南戦争で戦死した薩摩(西郷)軍の将士が眠る南州墓地の西郷さんの墓。
右に村田新八、篠原国幹、左に桐野利秋の墓がある。



フェリーで鹿児島から桜島へ渡る。
1時間間隔で運行していて、15分で桜島に着く。
船内にある「やぶ金」のうどんが人気だが、急いで食べなければ桜島に着いてしまう。
  

桜島がせまってくる。
 

桜島に到着。


「鳥島展望台」と「烏島この下に」の碑。
烏島は、桜島沖にある無人島だったが、1914年の大正噴火により地続きとなり、溶岩の下20mに埋もれてしまったそうだ。
かつて、この下が島だったなんて。
 

「赤水展望広場」には、ツレの大好きな「長渕剛」の「叫びの肖像」がある。
これは2004に行われた「長渕剛オールナイトコンサート」を記念して桜島の溶岩で制作したそうだ。
口の中に石がたくさん入れられていた。口の中に石を放り込むと幸せになれみたいな、変な都市伝説でも出来たのだろうか。
 

桜島が噴火した時の溶岩を流すための堰。すごすぎる。



この後、桜島の温泉に入るため、以前泊まった古里温泉エリアにある「桜島シーサイドホテル」に立ち寄る。(鹿児島市古里町)
ここの露天はホテルの建物を出てずっと階段を下りて行くと海沿いに露天風呂がある。
脱衣所は2つあるが混浴。
湯は緑がかった灰色の濁り湯だが、まさに「海辺」で鹿児島湾(錦江湾)を眺めながらゆったりとつかる事が出来る。
ツレに最高の露天を体験してもらおうと思ったが、先客にカップルがいたので早々に退散。
後で思ったが、何で混浴に女性がいるとこっちが気を使わなきゃいけないんだと思う。
まぁ混浴だから仕方ないのだが・・・

大正大噴火により埋没してしまった「黒神神社」の「埋没鳥居」(鹿児島市黒神町)
大正大噴火の前兆は、3日前から始まっていたそうで、島内のいたる所で井戸が沸騰、海岸には大量の死魚、断続的な地震が起きてたらしい。
西桜島が黒煙を上げ、東桜島黒神の鍋山が大音響とともに爆発。黒鉛は上空7,000mに達し全島を被いつくしたとの事。
間断なく轟く爆発音と火山雷、降り注ぐ噴石の雨、30億トンの溶岩の噴出が火の波となって、島だった桜島を大隈半島と陸続きにしてしまったらしい。
黒神地区だけで全戸687戸が埋没。
高さ3mの原五社神社の鳥居は、笠木だけ残して埋没したとの事。
自然の驚異をまざまざと感じる。



桜島から今は地続きになった大隅半島に渡り(鹿児島市は薩摩半島)、北上して宮崎を目指す。

霧島の「塩浸温泉(しおびたしおんせん)」に行く。(霧島市牧園町宿窪田)
日本初の新婚旅行をしたと言われる?坂本龍馬とお龍が行った温泉で2人の銅像がある。タイマーで写真が撮れるように三脚が添え付けられている。
 

脇の川沿いに夫妻が入浴したとされる湯船が残されている。
けっこう秘湯と言うか、かなり歩いたんではなかろうか。
何度も思う。昔の人は健脚だったと。
 

給油でGSに寄った際、「高千穂峰(たかちほのみね)」はバイクでは行けないという事で諦める。
「高千穂峰」は霧島連峰の第二峰(第一峰は韓国岳(からくにだけ))で、「天孫降臨(てんそんこうりん)」の地と言われ、山頂には天逆鉾(あまのさかほこ)が、御神体として崇められているが、龍馬は新婚旅行でここに登り、天逆鉾を引っこ抜いたようだ。
また、雲海が出た時に山頂だけ見える事が「霧島」の由来らしい。

「霧島神宮(きりしまじんぐう)」に行く。(霧島市霧島田口)
ここにも龍馬とお龍のパネルが。

上までバイクで行っていいとの事でバイクで行くが、駐車場(おそらく安全祈願用?)が玉砂利なので、何度も転びそうになった。(ツレは下から歩いていった)
本殿・幣殿・拝殿などは国の重要文化財。

君が代に出てくる「さざれ石」がある。



 

門前町には「日本発祥の地 霧島」の燈籠と噴水?がある。
ここで宮崎市内のホテル探しをするが候補のホテルに次々と電話するもどこも取れず焦る。
日曜なのになぜだろうと思いながらiモードで探し、最終的にYahoo!トラベルの今夜の宿で1件取れたが、そのホテルは電話では満室と言われたホテルなので大丈夫かちょっと不安だ。
 

宮崎県に入り、高原町と都城市の堺にある「御池」に寄る。
水深は93.5mで火口湖では日本一深い湖。
初代天皇の「神武天皇」が幼少の頃、水辺で遊んだという伝説があるらしい。
天孫降臨の高千穂峰を湖面に映し出す事で有名なので写真を撮りたいと思ったが暗くなってしまったので、夜景モードや花火モードなどで撮ってみる。
 


「高原IC」から宮崎自動車道に乗って都城を過ぎ、宮崎ICで降りて、市役所方面へ進み、大淀川を渡って右折。
予約した「ホテルプラザ宮崎(宮崎市川原町)」近辺まで来たがスゴイ人混みだ。
なにやら今夜、花火大会があるようだ。(花火大会を追いかけてるロマンチックな奴じゃないのに・・・)
人混みに注意しながら到着。
フェニックス並木が立ち並ぶ大淀河畔沿いの高層のホテルだ。
ない下さい。は裏のスパの方に停めてくれとの事で移動する。
人混みがスゴイので動きづらい。
「みやざき納涼花火大会」と言うでかい花火大会らしく、どうやら花火はここら辺でやるようだ。
「まぁ関係ないから、ひとっ風呂浴びたら夜飯食いに外へ出よう」なんて話していた。


フロントでチェックインしようとしたら予約されてないとの事で焦る。
Yahoo!トラベルをネット経由で予約したと言って調べてもらった。
よくわからないが結局、泊まれる事が出来た。

部屋はかなり上の階で、けっこう広かった。

宿泊客は併設されている「プラザスパ」と言う温泉施設が使えるそうだ。
大浴場、寝湯、サウナ、ジェットバス、水風呂、露天などがあるので嬉しい。
泉質は海近くにはよくあるナトリウム塩化物泉。

ひとっ風呂浴びて、部屋に帰ったら、花火が始まってる。それも部屋の真ん前で花火が上がってる。どうやらホテルの前の川から上げているようだ。
興味はなかったのだが、目の前で上がってるのを見たら止まらなくなる。
とりあえず自販機でビールと簡単なつまみを買って花火見物をすることにした。
窓が大きく開くので花火も音も堪能できる。
冷房が効いた部屋でビールを飲みながら真正面から花火が見られるなんて最高だ。隣がオッサンでなければ。。。

何枚か写真を撮ってみるが・・・
ただ窓の手前にビールやつまみが置けるくらいのスペースがあったので、カメラを置いて固定して撮る事も出来たので、今までに比べれば多少ましかも。


花火が終了するまでに結構な量のビールとつまみを腹に入れてしまった。
宮崎は地鶏と焼酎が有名だし、B級グルメの宝庫だと聞いていたので、串焼きアラカルト「さくら家(宮崎市橘通西)」に行く。


地魚の盛り合わせ、地鶏もも炭火焼き、チキン南蛮、冷や汁、など、地のものや郷土料理を中心に頼む。

しかし、さっきの花火見物で腹がふくれてしまったのもあり、美味しかったが、かなりお腹がパンパンになってしまった。
 
店員さんも愛想が良くフットワークも軽かった。
ただ、隣の韓国人らしきグループが大声で話してるのがうるさかった。
居酒屋だからしょうがないというレベルを超えた大音量だった。

腹ぺこなら相当旨かったのではないかと思うので今度は腹ぺこで来たいと思う。

戻ったらお風呂は閉まってしまっていた。
残念。
明日の朝こそ入ろうと思いながら爆睡。


8/22(日)160km

鹿児島→桜島→霧島神宮→宮崎
Posted at 2013/09/25 23:28:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | 九州ツーリング | 日記
2010年08月20日 イイね!

九州ツーリング 4日目 (熊本-阿蘇-鹿児島)

九州ツーリング 4日目  (熊本-阿蘇-鹿児島)

朝風呂に入り、お堀が見える朝食ビュッフェ。
ルートインだからか、こちらもあまり郷土色はない模様。

今日は熊本観光して九州ツーリングのメイン「阿蘇」を周り、鹿児島泊の予定だ。
 

ホテルを出発してお城近くの「村上カラシレンコン店(熊本市中央区新町)」に行く。
ここでのお目当てはもちろんカラシ蓮根ともう一つ、カラシ蓮根コロッケだ。
今日は店は休みだそうだが、昨日の電話でわざわざ開けてくれたらしい。
ものは予約していたのですんなり買えた。
カラシ蓮根の辛みと歯ごたえが相まってとても美味しかった。
 

熊本城(熊本市中央区本丸)へ行く。
築城の名手であった加藤清正が持てる力を発揮して作った名城。
石垣は始め緩やかな勾配が上に行くにつれ垂直に近くなる「武者返し」と呼ばれる登りにくい形をしている。
城内には銀杏の木があり、これは朝鮮出兵中の食糧不足から、篭城戦になった時の食料確保の為に清正公が植えたらしい。
同じ理由から井戸の数が多いらしい。東京にも明治神宮清正の井戸と言うのがあるが。
豊臣秀頼をかくまって江戸幕府と戦う事を想定した城らしく難攻不落の城と呼ばれたらしい。
(実際、明治10年の西南戦争では薩摩軍の猛攻にも耐え抜いた)
豊臣秀頼を迎える昭君之間と言う部屋があったらしい。
 

元国宝の「宇土櫓(うとやぐら)」は櫓と言っても天守閣くらいの大きさがあり熊本城では一番古い建造物らしい。


熊本に古くから伝わる伝統の和菓子いきなり団子を食べる。
あんこと生のままのサツマイモをだんごで包み蒸したものらしい。
「いきなり」は「すぐ出来る」と言う意味らしい。
  


熊本城を後にして、九州ツーリングの醍醐味と言っても過言ではない「阿蘇」を目指す。
世界でも有数の大型カルデラと外輪山があり、「火の国」熊本のシンボルだ。

前回は大分から「やまはみハイウェイ」→「ミルクロード」→「大観峰」と経由して阿蘇山の中岳に行ったが今回は逆だ。

熊本から「阿蘇パノラマライン」を走るが、途中から景色が変わって鳥肌が立つ。
「米塚」を見る。


引き返して「草千里」を見る。
イメージではもっと大きいと思うが、思ったより小さかった。
日光の戦場ヶ原も子供の頃に見た時は広かったが、大人になっていくと「あれ?こんなに小さかったっけ?」と思う。
野生馬がいる。
 

さらに引き返して、阿蘇山公園道路「中岳」に行く。
エメラルドグリーンの池は「日本三大オカマ」?で有名だ。(草津白根山の湯釜・蔵王のお釜・阿蘇中岳の湯だまり)
活火山なので白い噴煙(火山ガス?)が出ている。
  
その日の危険度の案内と、噴火した場合の待避所が設置されている。


世界遺産を目指しているらしい。


「阿蘇パノラマライン」で「大観峰(だいかんぼう)」に行く。
大観峰は阿蘇北外輪山の最高峰で、カルデラ盆地の阿蘇谷や阿蘇五岳をはじめ、九重連山を一望できる。
まさに絶景だ。
  

鹿児島へ向かう為に大観峰を出発する。
途中で阿蘇五岳が見える。
阿蘇五岳はお釈迦様が寝ている姿に似ていることから「阿蘇の涅槃像」と呼ばれているそうだ。




熊本ICから九州自動車道に乗り鹿児島を目指す。
この高速はトンネルが多いく、八代から人吉ICまでで23連続トンネルがあり、6kmを超える長距離トンネルもある。
ナビには車速センサーが付いていないのでトンネルには行ったら動かない。トンネルの外に出てもGPS衛星を探してる間にまた次のトンネルに入ってしまうの連続だ。
もしかしたら、ナビが動かない間に降りるICを過ぎてしまうのではないだろうかと心配になる。

途中、えびの高原や遠くに霧島連山が見える。
こちらも阿蘇に次ぐ九州のツーリングスポットだが、自分は前回行ってるのでパスする。

途中のPAで休憩と食事を取る事にした。
ツレにスゴイ景色見たか?と尋ねたら、トンネルの連続で睡魔と戦っていたとの事。

天ぷらと、蕎麦、うどんを食べる。
それと熊本でテイクアウトしたカラシ蓮根コロッケも食べる。
桜島が見えてくるとテンションが上がってくる。



とりあえず観光案内所で宿を探すために「鹿児島駅」に向かったのだが、何かおかしい。
よく見ると「鹿児島駅前」とか書いてある。
どうやらコチラではないようだ。
JRのターミナルは「鹿児島中央駅」らしいのでそちらに向かう。

桜島の噴煙の風向きなのか景色がかすんでいて、肺が少し痛くなってきた。

鹿児島中央駅に到着したがスゴイ人混みだ。浴衣を着てる人もいる。嫌な予感がする。
案の定、観光案内所に行くと宿がないとの事。
何でも今日の鹿児島は錦江湾の花火大会らしい。
駅の大階段で座りながらiモードで調べて片っ端からかけるが全滅。
雪のように灰も降ってくる。肺も痛い。
これはヤバイなと思っていたら1軒、宿が空いてる所につながった。
ただ民宿と言うより簡易宿泊所で、部屋は6畳の和室、トイレは共同で和式、風呂は・・・
もう仕方ないか!取れただけましだ!と言う事で予約する前に、最期のチャンスで観光案内所へ。
先ほどのお姉さんがシャッターを降ろそうとしている所だったが確認してもらったら、何と!
「ホテル法華クラブ鹿児島」にキャンセルが出たとの事で予約が出来た。

「ホテル法華クラブ鹿児島(鹿児島市加治屋町)」に到着し裏にバイクを停めさせてもらう。
ここは繁華街の天文館まで徒歩3分、鹿児島中央駅まで徒歩10分と場所がいい。

フロントから今日は鹿児島一でかい花火大会だと聞かされる。
そこで一計。
これは花火見てたりすると終了と同時に居酒屋に客が殺到して入れなくなるんじゃないのか?
つー事は、花火をしてるうちなら居酒屋は空いてるんじゃないのか。
と言う事で、始まった花火の音だけが聞こえる大浴場にささっと入る。

天文館にある昭和21年創業の郷土料理のお店「吾愛人(わかな)本店」に行く。(鹿児島市東千石町)
「吾愛人(我、人を愛す)」の「愛人(かな)」とは、奄美大島の方言で「愛しい人」「大切な人」と言う意味で、幕末の偉人「西郷隆盛」が好んで使った言葉「敬天愛人(天を敬い、人を愛する)」から来ているらしい。
 
昼が遅かったので、郷土料理と極上六白黒豚のしゃぶ鍋コースを1人前だけ頼む。
名物だという味噌おでんに、お約束のさつま揚げ、黒豚のとんこつ、黒豚の豚しゃぶ鍋、きびなご刺身、薩摩地鶏のタタキにちゃんぽん麺とフルーツが付いてくる。
それに、きびなご天ぷら、さつま汁、サラダなどを合わせ宴会を楽しむ。

ビールの次はやはり芋焼酎だろうと言う事で芋焼酎を注文する。
ツレが「ロックで」と言ったらスタッフさんが小さく「えっ!?」と言ったのを見逃さず、「地元の人はどう飲むの?」と聞いたところ「お湯割りが一般的」とのこと。(1年中お湯割りで飲む人が多いらしい)
なんでも店員さんが言うには鹿児島の芋焼酎は割るのを前提で造られていて、コップに、ここまで焼酎を入れる印と割ものを足してベストになる印が付いてたりするそうだ。
芋焼酎は特にお湯割りの方が芋の香りが引き立つとの事。
ロックやストレートでは、カルピスで言うと原液を飲むようなものなんだと納得。
早く酔えそうだし、二日酔いにもなりづらいかもしれないし、確かに理にかなってる。
やはり郷に入ったら郷に従えが一番だ。
どれも美味しかったが、甘めの醤油や味噌、酢味噌、豚汁に薩摩芋が入ってるなど、九州地方と言うか鹿児島の特徴だと感じた。
 

少しプラプラして、ホテルに帰って風呂に入って爆睡。


8/21(土)320km

熊本→阿蘇→鹿児島
Posted at 2013/09/25 23:29:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 九州ツーリング | 日記
2010年08月19日 イイね!

九州ツーリング 3日目 (長崎-雲仙-島原-フェリーで熊本)

九州ツーリング 3日目 (長崎-雲仙-島原-フェリーで熊本)九州ツーリング 3日目 (長崎-雲仙-島原-フェリーで熊本)

朝起きてすぐ景色をみる。キレイだし今日も天気が良さそうだが、やはり暑くなりそうだ。
今日は長崎観光と島原半島を経由して熊本泊の予定だ。
熊本まで高速で行くかフェリーで行くかは時間次第だろう。


朝風呂に行くのに部屋を出たところ。


大浴場の前。
露天風呂で景色を見るのは部屋よりも気持ちがいいのは裸だからなのだろうか。


朝食バイキングを頂く。
特に長崎チックな朝食ではないが種類が豊富なので嬉しかった。
大きな丸テーブルでオッサン2人と言うのはなんとも絵にならない。
飲み過ぎた訳ではないが、胃に優しいだろうと言う事と、消化が早ければ、途中で色々つまめると言う事から、今朝も白飯をお粥で食べる。
 

部屋を片付けて支度をして出発。
 


有名な「眼鏡橋」に到着。
長崎市内の中島川に架かる、1634年(寛永11年)完成の日本初の石造り二連アーチ橋。
こういうこまごました所を回るのはバイクは駐車が楽なので嬉しい。
  
眼鏡橋近辺の堤防にはハートの形をした石がありそれを探すと恋が叶うらしい。
 


「海援隊」の前身で坂本龍馬が作った日本初の貿易商社(会社?)「亀山社中」記念館に行く。(長崎市伊良林)
龍馬が土佐藩を脱藩して活動の拠点とした場所だ。
「亀山」は地名で、「社中」は「会社」と言う意味らしい。
英語だと「カメヤマ・カンパニー・センター」と訳すのだろうか。

しかしとにかく長崎は坂が多い!
坂を歩くのは嫌なので後先考えずに近くまでバイクで上がってきたが、道は細いし、その先は階段だったりと、バイク乗り泣かせな町である。
路面電車の方から上がってきたからかも知れない。
風頭公園側からのアプローチの方が良かったかも。
 

再建らしいが、いくつか龍馬ゆかりの品があったりする。
 
窓から長崎市内が見渡せる。
 

亀山社中のすぐ近くの見晴らしのよい高台に「竜馬のブーツ像」がある。
大きめの銅製で、両足を入れることができる。
龍馬は袴にブーツという出で立ちは有名だが、土佐藩は身分制度が厳しく郷士である龍馬は草履しか履けなかったらしい。
そして自由の地・長崎でブーツに出会ったのだろう。
 

バイクの切り返し切り返しをくり返し、風頭公園へ行き、長崎湾を見下ろす龍馬像を見る。
この像は良くできていると思う。
 

日本初の写真家「上野彦馬」のお墓で、いい写真が撮れるように祈る。


長崎の中華街「長崎新地中華街」へ行く。
横浜、神戸、長崎の三つの中華街は日本三大中華街と呼ばれている。
神戸の南京町に行った時に、横浜中華街に比べると1/3より小さいくらいだと思ったが、ここはもっと小さい。
中華街と言うより中華横町と言う感じだ。
 

長崎チャンポンで有名な「江山楼(長崎市新地町)」



国宝の「大浦天主堂(長崎市南山手町)」に行く。
ここは1865年に建立された日本最古の現存するカトリックのキリスト教会堂で世界遺産の暫定リストに掲載されてるらしい。


「グラバー園」に行く。(長崎市南山手町)
小高い丘の上と言うか山の上にあり、中には「グラバー、リンガー、オルト、ウォーカーなどの住宅があるが有名なのはグラバー商会のグラバー亭だ。
トーマス・グラバーはスコットランド出身の商人で武器商人として幕末の日本で活躍した。
維新後も日本に留まり、高島炭鉱の経営や国産ビール(後のキリンビール)を育てた人である。
 


グラバー亭は日本最古の木造洋風建築で、当時の豪商ぶりが伺える。
坂本龍馬はじめ幕末の志士とも交流があり、邸内に隠し部屋がある。
    

園内の石畳の中に2箇所、ハート型の敷石があり触れると恋が叶うらしいが、意外と簡単に見つかる。
(オッサン2人がハートストーンを探すのもどうかと思うが・・・)
 

グラバー亭前の高台から昨夜泊まった「にっしょうかん」あたりを指さしてみる。
市内を越えた辺りだ。
右側に行くと亀山社中だが、龍馬もちょっと打ち合わせでグラバー亭に来たり、亀山社中に戻ったり、港に荷物を見に行ったり、土佐商会に行ったり、市内の丸山で飲んだりとしていたのを考えるとホントにこの時代の人は健脚だなと思う。
 

参道(グラバー通り)のおみやげ屋で、菅野美穂ちゃん主演の月9ドラマ『愛し君へ』で、藤木直人がグラバー苑のお土産として菅野美穂ちゃんにプレゼントしたガラスの天使を発見。
失明する難病に冒されたカメラマン(藤木直人)を支えようとする新米小児科の医師(菅野美穂)との物語なのだが、原作は長崎出身のさだまさしの「解夏」で、とても好きなドラマだ。
登場人物がみんないい人で、特に泉谷しげる演じる父親役がとても良かった。


今日は熊本泊を予定しているので、ガソリンを入れて島原半島を目指す。

途中、峠などを楽しみ、雲仙に到着し、雲仙地獄を見る。
1990年(平成2年)に噴火した雲仙普賢岳の南西に位置していて、キリシタン殉教悲史の舞台でもある。ヘレンケラーも来た事があるらしい。
 

その後、雲仙温泉街から少し離れた所にある「雲仙小地獄温泉館(雲仙市小浜町雲仙)」に行く。
八角形の木造湯屋で、硫黄と木の香りと日の光が気持がいい。露天はないが、打たせ湯がある。
湯温も熱くないのでつい長湯してしまった。
 

風呂を出て、個人的には天草四郎や島原の乱で有名な原城に行きたかったが、フェリーの時間もあり、ちょっと遠いので、フェリー乗り場である島原港方面を目指す事にした。
火砕流によって破壊された旧大野木場小学校も見たがったが時間の都合で断念。
ここら辺はきっちりとしたツーリングスケジュールを組まないアテのない旅のしょうがないところだ。

途中の道から雲仙を撮影。
普賢岳が噴火した影響でできた平成新山が長崎県の最高峰だそうだが、この死者43名を出した火砕流や土石流の映像はテレビで見ていて衝撃を受けた。
日本は火山大国だから温泉の恵を得ているが、それは地震や噴火などの災害と隣り合わせである事をあらためて知った。


街中を鯉が泳いでいる所があるとツレが言うので行ってみる(島原市新町)。
島原は水の都らしく、中でも新町一帯は特に湧き水が豊富だそうだ。
    

そこからフェリー乗り場に戻る途中の海沿いの集落に「浜の川湧水」なる場所があるらしく寄ってみる。
バイクでしか入れないような路地の先にあった。
ここ「浜の川湧水」は島原湧水群に属していて雲仙の噴火による地殻変動で出来たモノらしく、何層にもなる火山灰層や砂礫層がフィルターの役目をしているようだ。
 
山体の圧力で地下水が自噴している井戸があり、洗い場は四段の洗い場に区切られ、飲用、冷却用、食料品、食器、洗濯場と洗い場と言う風に用途によってに分けて使用するらしい。
この近くに坂本龍馬の長崎初上陸の碑がある。


空になったペットボトルに井戸水を補給してたら、向かいの家のおじさんが話しかけてきてくれて、東京から来たと伝えると、おばさんがイチジクをくれた。よく冷えていてとても美味しかった。
島原はイチジクが有名らしい。
こういう人との触れ合いもいい。



お礼を言って島原港のフェリーターミナルに行く。
出船までの間にホテルの予約と明日食べるカラシ蓮根の予約をする。
カラシ蓮根は店は休みだが開けてくれるとの事。
ルートイン熊本が取れた。水風呂はないが大浴場はある。
時間が来たので、フェリーに乗り込み熊本を目指す。
遠ざかる雲仙を撮影。
  

甲板に出ていたら、おじさんに話しかけられる。
熊本で自動車関係の仕事をしているとの事で、こちらは九州ツーリング中である事を話し、今夜は熊本に泊まる旨を伝えると、熊本に来たからにはとにかく馬刺しを食べなさいと言われた。
熊本では「馬刺し」は「さくら肉」と呼ばれ、スーパーでも普通にあるそうだ。


ルートイン熊本に到着。熊本駅から近い。駅前は繁華街っぽくない。
バイク置き場は車と一緒だが立体らしいので屋根があるのでラッキー。
チェックインしてひとっ風呂浴びてさっそく夜飯を食べに行く。

馬肉と熊本の郷土料理で有名な銀杏通りの「むつ五郎(熊本市中央区花畑町)」に行く。

馬肉は、熊本城主「加藤清正」が朝鮮出兵の際に食べたのが始まりらしい。
お通しは馬の肺。
メニューはとにかく種類(部位)が多い。東京では馴染みがない心臓、脳みそ、舌などもある。
とりあえず、霜降りと、レバ刺し、コーネ(たてがみ)を注文。
あわせて地魚の刺し盛りとカラシ蓮根、一文字のぐるぐる(ネギをぬたのように酢みそで食べる)などを頼む。
馬肉は名物だけあってとても旨い!
 
ビールの次は地酒にしよう、何にするか、と言う事でツレが熊本の地酒は焼酎がいいのか訪ねたら、熊本は米所だから日本酒が旨いとの事で地酒を頂く。

カウンターに座っていたのだが、隣に年配の女性が二人座っていたが地元の方で還暦のお祝いをしてるとの事でお祝いをのべさせてもらう。
色々、楽しい話で盛り上がったが、どうやら向かいのビルのオーナーさんらしく、息子が今後、空いた店舗でバーをやるから熊本に来る機会があったらぜひ寄って欲しいとの事で、わざわざその場所まで案内された。


「むつ五郎」を出て、「お母さん嬉しいんだろうね」と話しながら、締めに熊本ラーメンの「桂花ラーメン本店」を目指し栄通りを歩いていたら、手前にタレントのスザンヌのお母さんが経営している「キャサリン's BAR」があったので入ってみる事に。

中は立ち飲みスタイル。結構混んでいた。
マーガリン(妹さん)が接客してくれて、支払い方法はCOD(キャッシュオンデリバリー=都度現金払い)のようだ。
ツレが写真撮影をお願いしたらお母さんのキャサリンさんも一緒に快く応じてくれた。(有名人なので顔のぼかしはなしでいいかと)
火の国の人は気さくな人が多い気がした。
 

数杯飲んで、隣の「桂花ラーメン本店(熊本市中央区花畑町)」に行く。
豚骨と鶏ガラスープにマー油(こがしニンニク油)が入り、チャーシュー、ルータン(煮玉子)・メンマ・茎ワカメ・わけぎがトッピングされてる。
 

ホテルに着き、忘れていた充電器をバイクに取りに行く。
この後、風呂に入って就寝。



8/20(金)120km

長崎→島原→(フェリー)→熊本
Posted at 2013/09/25 23:29:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | 九州ツーリング | 日記

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ジレラ GP800乗りのKen-ziです。。 ツーリング、温泉、お酒、B級グルメ愛するバイク乗りです。 47都道府県ツーリングを達成したのを機に記録とし...
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