法事により、生まれ故郷 横浜市戸塚区の実家に夫婦で一週間帰省しました。
愛犬ネロは嫁の職場の犬好き上司に押しつけることに。w
ネロは生活の場が変わってもすぐになじんで、人なつこい性格を存分に発揮していたそうです。
ホッとするやら、寂しいやら・・・。
法要後、余った時間を利用して、嫁側の家のお墓参りに戸塚から鎌倉へ。
鎌倉にある嫁側の墓地は私が通っていた小中学校の先にあります。
鎌倉駅からボチボチ歩いて40年ぶりにかつての通学路を辿りながらお墓に向かいました。
JR戸塚駅。ご幼少のみぎりは、田んぼでアメリカザリガニを釣ったり、崖地で化石を採取したり、小川で沢ガニを採ったり、追いかけっこで肥だめに落ちそうになったりとアウトドアライフを満喫できましたが・・・
戸塚もすっかり都会化し、今や首都圏通勤者のベッドタウンとしての役割を果たしています。
新しいマンションが建ち並び、駅前には大きな商業施設が出現するなど、
街並みは大きく変貌しました。
小中学校へは戸塚駅から横須賀線に乗って通学していました。
当時の戸塚駅には東海道線の列車は停車してませんでしたねえ。
現在は横須賀線は総武線に相互乗り入れし、
東海道線も湘南ライナーやら湘南新宿ラインやらNEXやら、何がなんだかわけわからん。
浦島太郎気分を味わいながらキャッシュで切符を買って乗車。
それにしても首都圏の通勤電車の快適さには恐れ入谷の鬼子母神。
スムーズに加速して低騒音。「電車」はいいなあ。
しかもレールに継ぎ目がないのかな。
北海道のJRはほとんどがディーゼル。騒々しくて・・・ワヤです。
車も汽車も静かな「電気」がいいなあと思う今日このごろ。齢とったなあ。
JR鎌倉駅。立派になってました。横に土産物屋が出来たのですね。
鎌倉駅から二の鳥居方面へテクテク テクシー。
9年間の通学で毎日のように目にして、特に印象に残っている建物 その1 島森書店
学校からの帰り道、ここで立ち読みしたり、ごくたま~にお小遣いで本を購入したり。
二の鳥居
ここから段葛を通って鶴ヶ丘八幡宮方面へ。
段葛の先に鶴ヶ丘八幡宮が見えてます。
両脇に植わってる木は「ソメイヨシノ」。
桜の花のトンネルを抜けて小学校の入学式に出席したのは50年前。
あれからもう半世紀が経過したんだなあ。
人生って短い。しみじみ・・・。
印象に残っている建物 その2 犬猫の峰病院
すでに廃業されているようでした。
印象に残っている建物 その3 鳩サブレーの店
おなじみですね。
もちろん当時はこんなのありません。w
印象に残っている建物 その4 カトリック雪の下教会
かつてこの教会の横にアケビが植わってて、
シーズンになると熟して開裂した紫色を木に登って収穫。
ねっとり甘ったるい味だった記憶があります。
段葛の中間地点。
ここは階段だった記憶があるんだけど・・・バリアフリー化したのですかね。
印象に残っている建物 その5 三河屋本店(酒屋)
明治33年創業の由緒ある酒店。
現在の建物は昭和2年に建てられたものだそうです。
伝統的な「出桁造り」の店構えで鎌倉市の景観重要建築物に指定されてます。
印象に残っている建物 その6 三の鳥居前の交差点に面した鎌倉彫のお店
下校時に交差点の八幡宮側で信号待ちしてて、いやでも目に入ってました。
鎌倉彫で思い出されるのは新田次郎の山岳小説「銀嶺の人」。
「銀嶺の人」はまさかのラストとともに、主人公の1人(女性)が鎌倉彫の彫刻家ということで特に印象に残ってます。
ところで、1972年、戸塚の「ダイエー」(現在はイオン)がオープンした日、
2階に出店していた本屋で、表紙の山の絵に惹かれて1冊の文庫本を購入しました。
それが新田次郎の「孤高の人」。
「孤高の人」を読んでから新田次郎の山岳小説にハマり、ほとんどの作品を読破したばかりか、登山を趣味とするようになり、やがて幸か不幸か都会では住めない人間となってしまった。w
こうして振り返ってみると、小学生のとき偶然手にした「孤高の人」が私の人生に大きな影響を与えたのでした。
続く
Posted at 2018/03/07 21:28:56 | |
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