2009年04月10日
かねてより、新広島市民球場の愛称が、略称で「マツダスタジアム」となっていましたが、今日はその新球場のこけらおとし。
記念すべき一戦は、我が中日ドラゴンズとの対戦。
新聞や、テレビにおける球場名の略称は「マツダ」。
ありとあらゆるところに、「マツダ」の文字が踊っています。
これは、カープファンではありませんが、マツダ車乗りとしては、嬉しい限り。
地域密着企業としての頑張りが伺えます。
さて、そんな新球場の、記念すべき第一号ホームランを放ったのは、中日の和田選手。
本当は広島の選手に打ってもらいたかったのですが、そこは勝負の世界。
ちなみに、過去をひもとくと、札幌ドームの記念すべき第一号も、当時中日の福留。
中日の選手が、さりげなくメモリアルアーチを放ち、歴史に名を刻んでいます。
機動力中心のチームに切り替えたカープと、一足先にドーム野球に転向したドラゴンズが、今季どんな熱い戦いを見せてくれるか、楽しみです!
Posted at 2009/04/10 21:59:14 | |
トラックバック(0) |
野球全般 | スポーツ
2008年07月31日
久々に野球の話題です。
マリナーズのイチロー選手が、日米通算3000本安打を達成しました。
日本との合算に異論を唱える人もありますが、今やレベルとして日本とアメリカでは甲乙つけがたいわけですから、素直に受け止めるべきだと思います。
彼ならば、4000本安打も軽く超えることでしょう。
ちなみに私は世代としてはイチローと同学年。
ですので、イチローが活躍するのを見るたびに、何かと励みになります。
イチローはイチローで、私は私であるので、比べることはありませんが、それでもやっぱり気になります。
野球選手で言えば、同学年は、中日の中村紀洋、巨人の小笠原道大、ソフトバンクの松中信彦と、脂ののっている名前ばかり。
私は私のフィールドで、がんばるぞっと!
Posted at 2008/07/31 22:40:44 | |
トラックバック(0) |
野球全般 | スポーツ
2008年01月21日
今日ショッキングなニュースが飛び込んできました。
阪神や大洋で活躍した加藤博一氏が肺がんのため、56歳という若さで死去したそうです。
加藤氏と言えば、思い出すのはやはり大洋時代のスーパーカートリオ。屋敷選手、高木豊選手とともにかき回す新しいタイプの打線の一角を担っていました。
引退してからは、持ち前の明るいキャラクターで解説やバラエティー番組で活躍。笑いの中にも核心を突いた解説をしていて、とても好きでした。
そして、数日前には、千葉ロッテのエース、清水直行投手の奥様が、こちらも32歳という若さで旅立ちました。一男一女を残して逝ってしまった気持ちは計り知れません…。
ご冥福をお祈りしたいと思います。
Posted at 2008/01/21 21:13:53 | |
トラックバック(0) |
野球全般 | スポーツ
2007年12月13日
昨日会見を行いましたが、千葉ロッテのエース、ジョニーこと黒木投手が引退を発表しました。
黒木投手と言えば、端正な顔立ちに似合わず、方言丸出しのしゃべりと、魂のこもった投球でファンを魅了。Bクラスが定位置だった頃のロッテを支え続けたエースでした。
ここ数年は怪我に泣かされ、完全復活はできず、戦力外通告となり、トライアウトは受けずに他球団からのオファーを待っていたようですが、どこからも声がかからず引退を決意したようです。
ここで身につまされたのは、親しい知人には浪人覚悟で現役一本にこだわる姿勢を示した時期もあったようですが、
「家族も養っていかないといけないし」
とも漏らしていたということ。
黒木投手は私と同じ、今年で34歳。今までの野球人生で、私が稼ぐ一生分の給料は軽く稼いでいるのでしょうが、それでも明日行く場所がなくなるということは、どんな気持ちになるのでしょうか…。
「家族を養わなければいけない。」
その大切さを黒木投手はわかっているすばらしい人物。その言葉に思わず感動してしまいました。
今後は野球解説者になるようですが、第二の人生を楽しんでほしいです。
ただ、こういった解説者や、指導者になれるのは、プロの中でもほんの一握り。多くの選手が、いつの間にかフェイドアウトしているのも現実。
中日の落合監督が新人選手に言った言葉に「自分からユニフォームを脱げる選手になりなさい」がありますが、プロとしてはそれが理想なのでしょうね。
何事もプロというのは、厳しさと背中合わせですね。
いずれにしても、黒木投手は記憶に残る投手です!
Posted at 2007/12/13 21:48:17 | |
トラックバック(0) |
野球全般 | スポーツ