さてようやくホンダコレクションホールの続きです(笑)
11日に展示してあったHONDA F 1マシンを羅列してみます。
大体年代順だと思います。
第1期と第2期はともかく、
第3期のHONDA F 1はあまり詳しくなかったりします。
ズームレンズはフルワイドの18mmにして画角が同じになるように撮ってきました。
ロニーバックナムが乗って1964年のニュルブルクリンクでデビューしたRA271
12気筒のサウンドは向こうの観客にセンセーションを起こしたそうです。
レースは途中でサスペンションが折れてリタイアでしたね。
リッチーギンサーが1965年のメキシコGPで勝ったRA272
私はこれの田宮製1/12ダイキャスト完成品モデルを持ってます(笑)
3リッター初年の1966年のRA273
今見ると全体に大きく重い感じがします。
3リッター初トライですからねえ
1967年のイタリアGPで投入されてジョンサーティースが優勝したRA300
シャシーとボディ前半はローラ製で、インディマシンと共通でした。
シーズン中の突貫工事で軽量マシンを仕上げたストーリーは中村良夫さんの著書に沢山出てきます。
1968年のRA301。
この年は主戦機のV12をもっと小型軽量化して世界選手権を狙う目算だったのですが、
空冷のRA302の設計にマンパワーをとられてエンジンの基本寸法は前年のままです。
が、吸排気の配置が逆になり、燃焼室形状が良くなってパワーが上がってるそうです。
なんとも惜しい68年型です。
68年中盤にはF 1にもウイングやスポイラーが付き始めました。
空力パーツにもメリットデメリット両方あった時代です。
同じ1968年のRA302
シャシーレイアウトはかなり先進的です。
ドライバーのフットボックスはフロントアクスルより前方に出ているそうです。
これもF 1としては初の試みだったそうです。
第2期最初のスピリットホンダは1983年デビューです。
勝てるチームではなかったですが、HONDAの復活には興奮しましたね
1984年のウィリアムスFW06
1984年のUSAダラスGPで名手ケケロスベルクが優勝しました。
このニュースは電車で隣に乗っていたオッサンが読んでいたスポーツ新聞のベタ記事で初めて知って興奮しました。そういう時代です(笑)
1985年のウィリアムスFW08
マンセルが乗って連勝をするなどトップクラスのポテンシャルを持ち始めました。
1986年のウィリアムスFW10
ナイジェル・マンセルかネルソン・ピケのどちらかがタイトルを取る流れだったのに、
最終オーストリアGPでグッドイヤータイヤのトラブルが多発した結果、
マクラーレンTAGポルシェのアラン・プロストにチャンピオンを奪われました。
あの結果はファンとしてもショックでしたね。
1987年のウィリアムスFW11B
この年、ネルソン・ピケはイモラのタンブレロコーナーで大クラッシュ。
脳震盪を起こしその後シーズンが終了するまで夜ほとんど眠れないハードワークだったそうです。
それでもマンセルとのポイント争いが最後までもつれ、最終戦の鈴鹿の金曜日に逸るマンセルがS字でクラッシュして精密検査後帰国してしまいました。それでピケは3度目の王座を決めましたが、土曜日の会見に応ずるピケの顔はボオッとしてました。
この土曜日に初めて鈴鹿のF 1プラクティスを見ましたが、ピケの荒々しい乗りこなし方には驚きました。
以上でウィリアムスホンダは終了です。
1987年のロータス99T
中嶋さんがセナとのコンビでF 1デビューしました。
セナはこのマシンに乗った途端、今年のタイトルは無理だと思ったそうです。
中嶋氏はテストで乗ってセナとの大差に唖然茫然だったとか?
1989年のロータス100T
99Tに比すればかなり低くなりカッコいいですが、
マクラーレンの活躍で影が薄いロータスでした。
1988年のマクラーレンMP4/4
危うく全レース制覇寸前のシーズンでした。
全く恐るべきドライバー、チームとマシンでした。
ここからNA3.5リッターになって
1989年のマクラーレンMP4/5
V10でしたね。
この年は鈴鹿でプロストがセナの進路にハンドルを切り込みアッサリタイトルをさらいました。
喧々囂々でしたが冷酷な勝負強さも無いとF1チャンピオンにはなれません(笑)
1991年のマクラーレンMP4/6
このあたりから後の記憶が曖昧になります(笑)
V12でベルガーが乗ってましたっけね?
翌年だったかのマクラーレンMP4/7
NAのマクラーレンホンダはこれで最後かな。
HONDA独自のF 1テストマシンが3台ありました。
1992年のHONDA RC F1 1.5X
1996年のHONDA RC F1 2.0X
1999年のHONDA RA099
2000年の第3期F1へのテストシャシーだったそうです。
この辺からは記憶が曖昧です。
自分の具合が悪かった時期なのです(笑)
2004年のBAR HONDA 006
佐藤琢磨さんが、表彰台に立ちました。
一度フロントロウスタートもこの年だったかな?
琢磨選手には日本人初のF1優勝を期待して興奮してましたよ(笑)
翌2005年のBAR HONDA 007
この辺からBAR HONDAは低迷します。
何が悪かったんだろう。某ニック・フライのせいか(笑)
2007年のスーパーアグリSA07
色々な理由から鈴木亜久里さんが大苦労して走らせたF1チームです。
出るからにはロングタームな活動を期待していたのですが、
結末はご存知のとおりでありました。
2007年のHONDA RA107
BARが撤退してオールホンダになったマシン。
シームレスギアボックスの出来は世界一だったそうですね。
2008年のHONDA RA108
第2期最後のHONDA F1かな?
こういう小ウイングの効果は?????
んで、昨2015年のマクラーレンMP4/30
昨年はホラ吹きの総責任者のおかげでズタズタでしたが、
今年のマクラーレンホンダは上向きのようです。
来年はバトンはF1休むそうですが、アロンソ君は優勝してくれるでしょうか??
なお、日によって若干マシンの出入りがあったそうで、残念ながらティレル020は見られませんでした。
やっぱしホンダF1といえばコレだな(笑)