元々コルク栓を作っていた!?マツダの歴史まとめ

2019年2月12日

コルク

スタイリッシュなデザインが世界中で支持されているマツダですが、その歴史は自動車製造から始まったわけではありません。コルク栓を製造していた広島の会社がやがて軍需産業へ従事、原爆投下を経験し、その後自動車製造を本格的に開始、現在に至るまでにさまざまなことを経験した企業で、その歴史はじつに波瀾万丈と言えます。

コルク栓から軍需産業、そして戦争と原爆投下

「マツダ」は1920年(大正9年)に創業された「東洋コルク工業」というコルク栓を製造する会社にそのルーツを持ちます。「東洋コルク工業」はやがて「東洋工業」と名前を変えます。「東洋工業」は時代背景や広島という土地柄も手伝い、軍需産業に従事します。そうしたなか、削岩機などの製品がヒットしますが時代はどんどん戦争に向かいます。そして1945年8月6日、広島に原爆が投下されます。そして、8月15日に終戦を迎えます。

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戦後、1950年に小型4輪トラックCAを発売、1957年には大ヒットモデルとなるオート三輪のTシリーズを発売、1960年には初の乗用車R360を発売します。そして1961年、東洋工業はその後の運命を決定づける大きな決断を行います。それこそがNSU、バンケルと結んだロータリーエンジンの開発における技術提携です。独自技術のなかった東洋工業は、ロータリーエンジンを実現化して、特徴づけることを決定したのです。

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そして1967年、ついに世界初のロータリーエンジン搭載量産車であるコスモスポーツが発売されます。ロータリーエンジンの開発には多大な労力と時間が注ぎ込まれました。普通ならあきらめられてしまうような開発を乗り越えられたのは、原爆で焦土と化した広島の地をどうにかしたいという経営者と社員たちの気持ちが大きく働いたと言われています。

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ロータリーエンジン搭載車の拡大

社運をかけた大プロジェクトの末に生まれたロータリーエンジンは、コスモスポーツからカペラ、ルーチェ、サバンナと搭載車種を拡大。そしてロータリースポーツカーの代名詞とも言えるサバンナRX-7のパワーユニットとしても使われます。

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そして、1990年にはそれまで2連だったローターを3連とした3ローターのユーノスコスモが登場します。一方でモータースポーツ活動でもロータリーエンジンは活躍、1991年には4ローターのロータリーエンジンを搭載したマツダ787Bが日本車として初の優勝を果たします。ロータリーエンジン最後の搭載車となったのは、特徴的な観音開き4ドアを採用する4シータースポーツのRX-8でした。

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BDファミリアとロードスター そして現在

マツダの歴史を語るなかで忘れてはならないのが、1980年に登場した5代目となるBD型ファミリア。5代目はそれまでのFR方式に変わり、はじめてFF方式を採用したモデルでした。ファミリアの名前からもわかるように、もともとはファミリー層を意識したクルマでしたが、このファミリア(特に赤いボディカラーの)は若者を中心に大ヒットし、マツダに大きな利益をもたらしました。

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一方、もう1台の忘れてはならないクルマと言えるのがロードスターでしょう。初代のロードスターは1989年に登場しました。現行モデルは4代目に当たります。累計生産台数は100万台を突破、世界一累計生産台数が多い2人乗り小型オープンスポーツカーとしてギネスにも登録されています。

東洋工業の名前は1984年にマツダに変更されました。その2年後となる1979年には米フォードが株式の25%を取得2015年にフォードが全株式を手放すまで深い関係が続きました。現在のマツダはモダンなデザイン、革新的なエンジン技術を誇るメーカーとして知られています。

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(諸星陽一)

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