スポーツセダンのベンチマークとして時代をけん引し続けるBMW3シリーズ

2019年5月28日

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今年7代目が日本に導入されたBMWの3シリーズ。そもそも、3シリーズの源流となるモデルはノイエ・クラッセ(ドイツ語で新しいクラスという意味)として開発された4ドアモデルなのです。まさにこのクラスを作り、育ててきたBMW3シリーズとは何なのか? その核心に迫ります。

ノイエ・クラッセとは何だったのか?

第二次世界大戦で敗戦を喫したドイツ、大戦中のBMWは航空機のエンジンを製造していましたが、終戦後は自動車製造に力を注いでいました。当時のBMWは高級車とイセッタと呼ばれる日本の軽自動車のようなクルマを作っていましたが、中間層であるクルマは存在していませんでした。そうした中、中間層のクルマを作りだそうということでスタートしたプロジェクトがノイエ・クラッセ(新しいクラス)だったのです。それはまさに新しいクラスでBMWとしても初めての試みだったのです。

最初のモデルは1961年に発表されたBMW1500と呼ばれる4ドアセダンで、その後、排気量をアップしながら2000までが製造されました。そしてこのシリーズの派生モデルとして登場した2ドア版が02シリーズと呼ばれるモデルです。1500-02(後の1502)からスタートした02シリーズは、ノイエ・クラッセシリーズのホイールベースをさらに短縮したコンパクトさで、世界中で大人気となりました。日本では2002というモデルが有名です。2ドアでありながらリヤシートの居住性はしっかり確保されていて、2ドアセダンと呼ばれました。

02シリーズから3シリーズへ

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02シリーズから3シリーズへのバトンタッチは1975年のことでした。このときはさほど大きな変化はなかったと言えるでしょう。というのも、E21と呼ばれる初代3シリーズは02シリーズ同様に2ドアセダンとして製造されたからです。そう、初代3シリーズは今のような4ドアではなかったのです。2ドアとする理由は明白で、コストダウンが主な目的です。ドアを増やせばそれだけコストはかさみます。初代3シリーズは1979年から日本に輸入が開始されました。3シリーズ導入当時はまだBMWジャパンは存在せず、バルコムオートトレーディングという輸入商社が輸入を担当していました。BMWジャパンが設立されるのは1981年のことです。

日本初 現地法人が手がけることに

前述のようにBMW3シリーズは1981年からはBMWジャパンというドイツBMW AGの完全子会社が輸入と販売を行っています。現在では多くの自動車ブランドが同様の方式を採りますが、当時は日本の商社が輸入することが一般的でした。BMWジャパンが創立されたことでより高まったのがブランド戦略と言ってもいいでしょう。以前も当然のことながらブランド戦略は行われていましたが、より注力されていったのは間違いありません。

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そうした中で販売されたのが1982年から始まる2代目3シリーズのE30です。当時の日本はバブルに向かってまっしぐらだったこともあり、日本での売れ行きは目を見張るものでした。4ドアワゴンが追加されたことに加えて、ワゴンのツーリングやカブリオレも登場。2ドアセダンも存在していたため、ボディタイプは基本4つにまで増えました。東京六本木ではあまりに多く見かけられるため、「六本木のカローラ」と呼ばれ、同クラスとなるメルセデス・ベンツの190Eが「赤坂のサニー」と呼ばれる事態となりました。

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3代目以降の詳しい解説は省略しますが、ひとつ重要なのが先代にあたる6代目モデルとその前の5代目後期型です。この2モデルは日本の事情に合わせてアウタードアハンドルを専用品として全幅を1800mmに抑えるという措置が採られました。こうしたことが行われたことからも、BMWが日本を重視していたことがうかがえます。

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新型となる7代目3シリーズでは、この手法は採られず全幅はドイツ本国と同じで1800mmをオーバーしましたが、それは綿密な調査により日本の駐車場事情が変わってきていることが確認できたからだとアナウンスされています。


(諸星陽一)

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