2014年06月13日
最近のニュース考について(追伸)
皆様こんばんは。
すみません。前置きなしです(汗
前回ブログで、原爆語り部に「死にぞこない」発言をした中学生のことを取り上げましたら、意外な反響があったので、追伸させていただきます。
とても大切なことだと思いましたので、前回ブログに追記するのではなく、ここにあらためてUPさせていただきます。
それは、
皆さんのご意見を聞いて、あらためて情報を整理した結果、
①私が中学生のことを一方的に非難したことについて、考えを改めないといけないこと。
②そのことを、このブログ「誰もが見れる場」に掲示したことも改めないといけないこと
(今回はその改めを表明するために、あえて前回ブログを修正せずにおります)
③このニュースに関して、新たに疑問を感じ憂いたこと
以上の3点です。
まず、①の一方的な決めつけ非難への改めなんですが
まず先に、理由がどうあれ、この発言そのものは許されないです。
たとえこの言葉が、ある語り部個人に向けられたものであったとしても、その言葉は被爆者全体へと波及する暴言です。そもそも高齢者に向かって言える言葉ではないです。
その発言に至った経緯はわかりません。語り部と中学生に、なにかとてつもない大事(おおごと)があったのかもしれません。
でも、いわゆる「ならぬものはならぬ」なのです。
ただ、中学生という年齢では、この言葉が被爆地にとってどれだけ重いものであるかは、理解できなかったかもしれません。
言ってしまったことは消えないものの、その後にどう理解させフォローし対応していくかは、その場にいた大人・学校、そして保護者にも責任があるのではないかと思います。その意味で、私も勝手に断罪してはいけなかったと思います。
(また、この暴言が全国ニュースにするべき罪であったか否かは後述します)
次に、②の私がこのことを「誰もが見れる場」に掲示したことについて
これは、やはり背景とか経緯とか事実関係をよく理解したうえで行うべきだったし、それがわからないのに、ニュース情報だけで無責任に断罪しUPしたことはお詫びしないといけません。
だから、やっぱり情報リテラシーは大切だということです。
そして、③新たに疑問に思い憂いたこと
これが、今日の追伸の原動力となりました。
その疑問とは
「そもそもいったい、なぜこれが全国ニュースにまでなったのか?」です。
言葉の“いさかい”ならば、語り部と中学生及びその保護者や学校という当事者間で解決していけばよいこと。
これが原爆・被爆者・平和という非常にシビアな話だから問題視され大きく取り上げられたんでしょうが、本来非常にシビアだからこそ、報道も含め慎重に行われなければならなかったのではないでしょうか?
私は被爆県長崎の県民として、この発言には非常にナーバスになります。
そういう私みたいな人が、日本中にはたくさんいるという認識の中で、なぜあえて報道がなされたのか、甚だ疑問なんです。
報道で槍玉に上がったのは中学生という未成年。こういうことが報道されれば、この中学生は当然事の重大性について考えるでしょうけど、その後の影響はどうなんでしょうか・・・
実名こそ載りませんが、その学校や地域内で彼の存在は当然浮き上がってしまうのです。自業自得といえばそれまでですが、そこまでの罰を受けるほどの罪だったのか?
一時的かもしれませんが、この子は普通の生活を奪われ、社会的に晒し首にされたに等しいのです。
そして、そんなことになる前に事態を収拾することを、保護者や学校、そして語り部は努めなかったのか?ということに憂いと憤りを感じます。
どんなに教え諭しても本人が理解しなかったんだとしても、全国報道されるとどうなるのか?ということを考えれば、報道から彼を守ってやることを、周りの大人は尽力しなければならなかったはずです。それが「子どもを守る」「他者を思いやる・慮る」大人の務めです。
さらにいえば、
なぜこのことがマスコミに知れ、全国ニュースになったのか?ということ。
当事者たちが洩らさなければ、当事者間だけで話が済んだこと。
なぜ、これがマスコミに取り上げられたのか・・・
マスコミは、ことの重さと珍しさから、この情報に飛びついたと思うのです。
でも、誰かが通報しないとマスコミは知る由もないんです。
誰かが意図的にマスコミへ情報提供した。
そして誰かが、世間全体で前回の私みたいに「けしからん」と騒ぎたて話題にすることを期待したのです。
それが誰だったのかは、わからない・・・
でも、報道される・されないを選択できたのは直接当事者の語り部だけです。
学校や保護者がどれだけ子どもをフォローしたかも疑問はありますが
語り部もしくはその団体が、マスコミ取材を受けたときに、「子どもの将来を思えば、これはニュースにすべきことではない」と断れば展開は違ったのです。
語り部は、中学生の言葉に対して「カチンときた」と記者にコメントしています。
つまり、報道への情報提供の原動力には、少なからず怒りの感情があった。
ということは、被爆者の苦しみや平和への願いが冒涜された悲しみを「怒り」に変え、
大の大人が子どもに向かって、マスコミという他人の力を借り世に晒す「公開処刑」という大ナタを振ったということになります。
この発言が議員や役人など公人の発言ならば、その大ナタを振る必要性もあったでしょう。
しかし私人しかも中学生に対して、その必要があったのか?
今振り返れば、私には「大人げない」というふうに映ります。
これじゃ、前回ブログで書いた「主張すべきはすべき」という権利を利用し、「更生を促すため」という名目のもとに行われた、単なる最強クレーム攻撃でしかないような。
刑事罰を問えないような事案に対して、まさしく「月にかわっておしおき(社会制裁)」をくだしたようなものです。
確かに、どんなに教え諭そうとしても馬耳東風だったり、逆ギレ挑発を起こす子はいます。この中学生がそうだったかはわかりません。
かといって、語り部は自分で教え諭すことを諦め、保護者や学校を飛び越えマスコミ(公)が「晒す」という大ナタを振るうのを認める必要があったのか?
それが、子どもたちに未来を託し、平和を語る大人がすることなのか?
逆にこのことによって、この中学生は被爆者に対してさらなる憎しみを持つかもしれない。
ここに、いかに正しい知識と心を育てることが難しいかが表れていると思います。
今回、当事者たちはこのことについて議論を徹底したのでしょうか・・・
ここまでやらんと更生しなかったということなのでしょうか?
中学生はどうだったのか?
保護者は普段はどうで、今回どう教え諭したのか?
抗議された学校は、長崎現地で、そして帰ってから、教え諭しとフォローを尽くしたのか?
語り部は、中学生の将来のことを心から願い、自分の怒りは胸中に収められていたのか?
それができていたなら、こんなニュースにはならなかったんじゃないかと思います。
いずれにしても
今回、被爆県長崎県民の一人として、心がささくれ立つこのニュースに食いついたのですが、
このことをUPしたおかげで、自分勝手な思い込みで終わらず
今一度よく考え、いろんな角度から物事を見ることができ、反省とともに大変有意義でした。
皆様は、このことをどう思いましたか?
前回ご意見をいただいた方々に厚くお礼を申し上げます。
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Posted at
2014/06/13 21:20:45
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