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midnightbluelynxのブログ一覧

2024年05月19日 イイね!

象徴

象徴 古都・鎌倉の地域コミュニティサイト「鎌倉プレス」の公式X(旧Twitter)から、本日付『鎌倉駅東口、改札が1つ閉鎖されていますが、理由が素敵』に注目。



 以前から、鎌倉駅改札口のツバメの営巣は話題になっていて、例年改札口の閉鎖措置がとられているようだ(関連情報URL参照)。
 そして毎度々々、駅員の措置が「やさしい」「素敵」と称賛されるのだが、私からすると「当たり前」「自然なこと」過ぎて、敢えて美談として紹介すべきことなのか?と思ってしまう。
 恐らくは、これらの措置を実行されている駅員さんご自身も、そう思われているのではないだろうか。

 ツバメを始め野鳥が、鳥獣保護法で護られているから……ではない。
 鉄道マンにとって、ツバメはスピードの象徴であり、新幹線以前は「(超)特急」として東海道を雁行(燕行?)していたエリート列車の名であり、延いては鉄道や列車のイメージそのものであるからだ。

 その証は、京都鉄道博物館(旧梅小路機関区)に収蔵されている牽引機「C622」のデフレクター(機関車前頭部両側で上昇気流を起こし、煙を上に流す衝立状の装備。除煙板)にあしらわれた、「スワローエンゼル」に見ることができる。
 現在でも、JR各社が運行するバスの車体には、ツバメのエンブレムと大きな絵柄が描かれているし、東海道からは遠く九州島内に封じ込められているものの、九州新幹線の列車愛称として「つばめ」が復活している。
 今は健康飲料メーカーがオーナーだが、一時期日本国有鉄道(国鉄。JR各社の前身)が所有してたプロ野球チームは、変わることなく「スワローズ」を名乗っている。

 
 鉄道運行に従事する者が、ツバメを慈しまぬ筈はない。
 改札口の閉鎖は、ツバメに象徴される列車の定時運行と、旅客の安全・快適を期し、鎌倉駅を運営する中で取られた措置の一つに過ぎない。

 鉄道マンにとって、ツバメがどのような存在か理解した上で、この投稿を眺めれば、改めて鉄道マンの心意気、真摯な仕事ぶり、そして如何にカッコいいかが、お分かりいただけるだろう。
Posted at 2024/05/23 09:08:04 | コメント(1) | トラックバック(0) | 鉄道 | 日記
2024年05月04日 イイね!

掉尾

掉尾 全国紙・毎日新聞のニュースサイトから、連載コンテンツ「鉄道車両紀行」の本日付『車掌室は何に使う? 秩父鉄道「ヲキフ100」の謎』に注目。

 以前にも弊ブログで「車掌車」「緩急車」に関する話題を扱った。そのリンク先記事でも、秩父鉄道”ヲキフ”の画像が掲載されていたが、今なお現役の”ヲキフ”についてかなり深堀した記事。

 埼玉に長く暮らす者にとって、秩父鉄道は遠足やハイキングなどの思い出とともに語られる路線だろう。
 鉄道ファン、特に機関車好きにとっては、多数の電気機関車が石灰石を満載した貨車を牽引して雁行するという、一昔前までは全国的に見られた、しかし今となっては夢のような光景が残されている。


 既に貨物列車から車掌車・緩急車が廃止されて長いにも関わらず、秩父鉄道では連綿と連結され続けていたことは、実際に沿線で見掛けたりして存じ上げていたが、その詳しい事情については記事で初めて知った。
 急勾配区間での安全確保、推進運転時の前方監視という、限られた区間ながら緩急車本来の役割を果たし続けていることが分かり、頼もしく感じるとともに、他の事業者・運行区間で類似の路線状況があった場合、どのように取り扱われているのか(そのまま緩急車なし?/監視員が機関車に添乗?)が気になった。

 それにしても、奥行き1mほど、空調も利かず、硬いバネで乗り心地の悪い貨車の端部に、車掌が延々乗り続けていた頃の労働環境を思い遣ると、安全優先を願いつつも車掌の添乗廃止は已む無し……と判じざるを得ない。


 国鉄時代、コンテナ貨車の車掌車では、やはり乗り心地の悪さが問題となり、コイルバネを採用していた系列の緩急車だけ、乗り心地の良い空気バネに交換した例があった。
 労組の力が極めて強く、車輌の仕様決定にも大きな影響を与えていたことや、巨大鉄道組織ならではの潤沢なリソース(交換用の台車や施工々場)が為し得た改造である。

 緩急車が廃止されると、ボルト止めされていた車掌室ユニットを外してコンテナ緊結装置を取り付け、コイルバネ台車に再度換装して一般のコンテナ貨車にする改造が進められた。
 デッキ部分のテールランプ付の妻板がそのまま残されたほか、コイルバネ台車の払底で空気バネ台車のままだった車輌は、荷重制限のため車掌室部分にコンテナ緊結装置を取り付ける一方で、中央部の緊結装置を外して4個積みにしていた。
 車掌室ユニットの重量<コンテナ重量(満載時は6t程度)で、緩急車としては空気バネで問題なかったが、コンテナ5個のフル積載には耐えられなかったこと/4個積みにする際のバランスを考慮しての措置(5個積み仕様であっても、荷が少なく4個しかコンテナを積まない場合は、中心の1個分を空ける)である。
 ただ、積載効率が悪く台車の老朽化も進んでいたため、早々に廃車されてしまった。台車を換装されフル積載可能となった車輌を含め、国鉄時代に調達が完了したコンテナ貨車は全て退役しており、現在は緩急車の設定がそもそも無かった系列のみで運行されている。

 
 車輌からも、鉄道マンからも、そしてファンの記憶からも、車掌車・緩急車が遠くなる中にあって、現役を維持し続ける秩父鉄道の”ヲキフ”が末永く活躍するよう、祈って已まない。

 古い鉄道ファンにとって、車掌車・緩急車は、当に列車の「掉尾を飾る」存在だからだ。

Posted at 2024/05/06 21:45:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道 | 日記
2024年04月17日 イイね!

石綿

石綿 全国紙・毎日新聞のニュースサイトから『名古屋市電をオークション出品したが……5日で取り下げ 一体何が?』に落胆す。

 全国的に問題となっている、保存車輛の老朽化。
 蒸気機関車にしろ路面電車にしろ、廃止間もなくは「この歴史を後世に」とばかりに熱量が上がり、保存や展示に向けた手配がトントン拍子に進んだのだろう。
 まだリアルに展示車輛の現役時代を記憶している人々がマジョリティであれば、「懐かしいね」「よく残っていた」と喜ばれ感謝もされようが、歳月を経て、全くリアリティを感じられない世代が多くなってくると「なんだあのガラクタは」「退けて駐車場に」と成り果てる。

 学校に置かれたのは、子どもたちの遊び場・教材としての活用を考えたのだろうが、適切な補修をしていなければ老朽化が進み、危険な状態になるのは必然で、学校現場としての対応が中途半端であったとの誹りは免れ得まい。
 かといって、健全な状態で利活用されていれば大丈夫なのかと言えばそうでもなく、民間レストランで活用されていた路面電車が、店舗撤退に伴い敢え無くクラッシャーの露と消えた例を、身近で体験している。


 「保存車輛」とは名ばかりで、錆びて朽ち果て、部品は盗り去られ、窓ガラスは割られて荒廃した姿を晒すかつての銘車が多い中、記事の名古屋市電は、まだキレイな方だと思うし、幕や表示類、そして安全地帯を模したコンクリート土台の先には、電停のポールらしきものも見える。
 比較的高いレベルの保存であっても、このように邪魔モノ扱いされてしまうのは、鉄道を趣味とするだけでなく、学術的な研究対象とする者にとって、極めて残念である。


 同じ形式の電車は、名古屋市の施設で複数保存されており、行政が引き取って保存する策は、望み薄であろう。
 アスベスト含有が故に移設も解体も儘ならないのであれば、ここは腰を据えて現地での再利用を考える他あるまい。

 地元の人間ではないので、遠くからの想像になってしまうが、「電車のある小学校」を卒業したOB・OGたちの脳裏には、多かれ少なかれ電車についての思い出が残っているのではないか。
 学び舎のアイデンティティである電車の再活用に向け、クラウドファンディングなどを通じて補修工事費用を調達するなど気運が醸成されれば、まだまだこの電車の軌道は先に通じている。解体や撤去だけが終着ではない。

 団塊ジュニアの収容が最優先された、何の特徴もない小学校を卒業した身としては、歴史ある電車が保存されているという、何にも代えがたい特徴を備えた学校が羨ましくて仕方がない。
Posted at 2024/04/18 08:59:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道 | 日記
2023年12月11日 イイね!

飯倉

飯倉 陸・海・空の乗りものに関するニュース・コラムサイト「乗りものニュース」の配信記事から、本日付『東京メトロでつながっていない「日比谷線と南北線」ついに変わる? 近いのに知らんぷりの両線 「麻布台ヒルズ」で地下も変化』に注目。

 近々、日本一の高さを誇る高層ビルを中核とした再開発の街開きを迎える「麻生台ヒルズ」の最寄り駅・「神谷町駅」「六本木一丁目駅」と、両駅が属する「日比谷線」「南北線」(共に東京メトロ)に関する話題。

 記事にもある通り、東京を南北に貫いている日比谷線と南北線は、ダイレクトに接続する駅がないため、相互に乗換えるには必ず他路線を1本挟まなければならない。
 しかし路線として全く接点が無い訳ではなく、外務省飯倉(いいくら)公館にほど近い、外苑東通りと麻布通りが交差する「飯倉(いいぐら)片町交差点」の直下で、両線もまた交差している(外苑東通り地下に日比谷線、麻布通り地下に南北線)。

 この交差点、実は更に多重的な交差構造になっていて、上空には麻布通りに並行して高架となっている首都高都心環状線内回り、地上で外苑東通り/麻布通り(いずれも都道)、地下の浅いところに歩行者用の地下通路、その直下に首都高都心環状線外回り、その下に日比谷線、更に深くを南北線……と配置されている。
 このうち歩行者用の地下通路は、極めてユニークな構造をしていて、地下には違いないのだが、首都高を跨ぐ部分は歩道橋のような構造で、眼下で直交方向に首都高本線を疾走するクルマを、アクリル保護板越しに見ることができる。

 南北線が建設された当時、運営母体であった帝都高速度交通営団(現在の東京メトロの前身)も、利用者の利便性を考慮し、ここに駅を設ける(「飯倉片町駅」?)検討をしたであろうが、ここまで複雑な地下構造物をクリヤするのは極めて困難で、現在に至るまで日比谷線/南北線の接続駅は設けられていない。


 東京の地下鉄のようにネットワーク状の路線に、新しく接続駅が設けられると、その駅を経由する最短ルートが形成され、料金が下がることが多い。
 例えば、銀座線の渋谷~新橋間は、初乗り料金である180円(ICカード178円)で利用できるが、実際の距離は初乗り料金が適用される6㎞を上回り、6.3㎞となっている。
 これは、南北線が開通し銀座線との接続駅「溜池山王駅」が開業したため、渋谷の次・表参道駅から千代田線に乗換え国会議事堂前駅~徒歩連絡で溜池山王駅を経由すると、ジャスト6㎞に納まる。
 実際にそんな面倒な経路を利用する旅客はいないのだが、かといって利用していない証明もできないため、想定可能な最短ルートの料金が適用される※。

 鉄道事業者側としては、莫大な建設費用を負担して新駅を設けても、結果的に運賃収入が下がってしまう事態を招くようであれば、着工に踏み切れまい。

(※)定期券に関しては、経由路線を指定して購入するため、このルールは適用されない。


 因みに、日比谷線・南北線との接続駅が無い路線が、もう一つ。
 都心西側エリアで、やはり南北を貫いている「副都心線」なのだが、この3路線がいずれも東急線(副都心線→東急東横線/南北線→東急目黒線)に乗入れ、または乗換駅(=日比谷線・東急東横線「中目黒駅」)でホームを挟んで接続しているため、路線としては接続していないにも関わらず、運行している電車は他社線内で日常的に顔を合わせるという、珍妙な状態になっている。


 冒頭で紹介した記事の結論としては、「飯倉片町駅」が新設される見込みはなく、麻布台ヒルズを貫通する地下通路が建設されたとしても、700mほどの距離があり、乗換えは困難……ということにされている。
 とは言え、2路線が利用できる状況は、利便性が高いことには違いなく、両路線で直結している埼玉および神奈川エリアの住民は、乗換えなしで麻生台ヒルズへ出掛けられる。
 日比谷線は銀座・築地・上野を結んでいるので、麻布台ヒルズからそちらへ流れることもできよう。

 また、記事では麻布台ヒルズに新設される通路しか紹介されていないが、現在でも両駅を最短で結ぶ歩道が整備されていて、六本木一丁目からピークとなっているスウェーデン大使館前の道近くまでエスカレーター、その先は神谷町駅近くまで緑の多い歩行者専用道路が続いている。
 サムネイル画像を拡大していただくと、「アークヒルズ仙石山森タワー」なるビルが読めるが、その北側を東西に貫いている。 

 神谷町駅へ向かう遊歩道は、緩やかな下り坂になっていて楽なのだが、逆に六本木一丁目駅へ向かうと、神谷町駅側でエスカレーターが整備されている一部を除き、ダラダラ続く上り坂になり、暑い時期は少し辛い。

 神谷町駅を過ぎてそのまま坂を下っていくと、左手に愛宕山ヒルズやNHK放送博物館、右手に東京タワーを望みつつ、都営三田線の御成門駅まで行ける。
 三田線もなかなか接続しにくい路線なので、この区間を歩けると知っていれば、便利なこともあるだろう。

 私は他にも
丸ノ内線「御茶ノ水駅」~日比谷線・JR線「秋葉原駅」~都営新宿線「岩本町駅」
〇都営三田線「新板橋駅」~JR線「板橋駅」~東武東上線「下板橋駅」
 を徒歩接続している。

 列車を利用している限り、路線図を頼るのが便利であるが、デフォルメされていて駅相互の距離を正確に表現しているわけではない。
 たまには鉄道路線や駅がプロットされた正確な地図を眺めると、「神谷町駅」~「六本木一丁目駅」以外にも、存外に近い「徒歩連絡」が見つかるかもしれない。









Posted at 2024/05/26 17:56:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道 | 日記
2023年09月20日 イイね!

後尾

後尾 陸・海・空の乗りものに関するニュース・コラムサイト「乗りものニュース」の配信記事から『なぜ車掌車は消えたのか 貨物列車の最後尾 中で車掌はどんな仕事をしていた?』に注目。

 懐かしき「車掌車」に関する記事。
 現在は貨物列車に乗車する「車掌」そのものが廃止されてしまい、当然に車掌の為に用意されていた「車掌車」も連結されなくなっている。

 厳密には「車掌車」の連結廃止が先行して進められ、その後「車掌」という職務が廃止されており、「車掌」廃止までの僅かな期間、車掌は機関車の運転台(貨車が連結されている側。一般的に電気機関車の場合は両端に運転台があり、運行中片方=貨車が連結されている側は使われていない)で乗務していた。
 
 また、車掌が乗務していたのは「車掌車(記号:ヨ)」だけでなく、「緩急車(記号:フ)」もあった。
 コンテナ貨物列車の最後尾に連結された「コキフ」や、同じ車掌室ユニットを冷蔵車に付けた「レムフ」、有蓋車の半室を車掌用とした「ワフ」「ワムフ」「ワサフ」、無蓋車の荷台中間に車掌室を立てた「トフ」「トムフ」など。
 「コキフ」「レムフ」「ワフ」ともに、車掌室は片側にしかないため、連結される列車によっては車掌室側が最後尾にならず、編成中間側になってしまうことも少なくなかった。そのため尾灯は車掌室でない側にも装備されている。
 編成美としてはイマイチで、当時はあまり好きではなかったし、車掌さんも後方確認の面でやり辛かっただろうなと思いつつ、今となっては逆向きに連結されて疾走する緩急車の姿も懐かしく思い出される。

 因みに、「コキフ」「レムフ」の車掌室ユニット(車体にボルト止めされていた)や、「ワフ」のボディは、国鉄時代の末期に債務削減のため民間に売りに出されていたことがあり、事務所や倉庫として使っている事業所があった。
 私個人としても、片側がデッキになっている車掌室部分は居室として、ワフの荷室部分はガレージや趣味の部屋として、活用できないものかと夢見たことがある。


 記事中では、車掌室のスペースに注目し、主に書類仕事をしていた旨記されているが、本来車掌が乗務している理由は、異常が発生した際に、躊躇なく車掌弁を引き(走行中ブレーキを緩めているブレーキ管内の圧縮空気を抜く)緊急停止させる保安業務である。
 車掌車が最後尾に連結されるのも、列車が編成途中で分離してしまう事故(列車が切れるとブレーキ管も切れて圧縮空気が抜け、自動停止する)があるため、発生時には後続列車が追突しないよう防止する措置を担わなければならないからだ。
 
 幸いにして、車掌を廃止したことが要因となった、或いは被害を拡大させた事故例を耳にしていない。
 しかし、車掌および車掌車・緩急車の存在が歴史に埋もれていくことで、車掌が担っていた安全面での貢献も忘れ去られ、それが後の世で大惨事を引き起こす引き金にならないか。
 鉄道の安全に携わる人々は、改めて振り返り、遺漏無きを期してほしい。
 
 車掌室から身を乗り出して、列車の安全を真摯に確認する車掌のように。


Posted at 2024/05/05 12:20:35 | コメント(1) | トラックバック(0) | 鉄道 | 日記

プロフィール

「育児 http://cvw.jp/b/1043160/47663127/
何シテル?   04/18 19:29
 建設業界で禄を食む文系出身(経済学専攻)のプロフェッショナル・エンジニアが、愛車整備・政治経済・文化学術・スポーツそして土木施工の現場で日々記した野帳を公開し...
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